試験日初日は


「煉獄ゥ!!怪我ァねえか!!」

少しばかり疲労した体で声を上げた。
抗争の終わった辺りは、嵐が過ぎ去った後のように荒れ果てていて、昇りかけた朝日の薄い光に照らされている。
見知った顔の奴らも何人か倒れちゃいるが、頬を叩けば目を覚ましそうな軽症ばかりだ。
相手に負わせた痛手に比べれば。
大勝利だな。
にんまりと笑みを浮かべながら相棒の金髪頭を探す。視線を周りに彷徨わせれば、かの目立つ男はすぐに見つかった。
とっくに逃げ帰った敵の倒れたバイクの上に座り込んでいる。

「オイ、どーしたァ!返事くらいしやがれ!」

大股で近づきながら声をかければ、煉獄の静かに向けられた視線が俺を見た。
敵は言わずもがな、味方にすら暴れっぷりを鬼だなんだと恐れられる煉獄のやけに大人しい様子が珍しくて、怪我でも負ったのではと眉を顰めるも、その体に傷一つ見当たらない。

「宇髄…『気をつける』というのは、存外大変なものだな」

「あぁ?お前ろくに怪我なんてしたことねぇじゃねえか、いっつも先頭切って殴り込む癖によォ」

ふむと顎に手をあて、そうだったか?と首を捻る煉獄にため息が出た。
こいつ、自覚ねえのかよ。
そういや、今日の喧嘩じゃやけに静かだったな俺の相棒は。普段なら殴り倒した数を競い合うのに、今日の抗争は人が多いこともあって話というものをしなかった。
どうしたんだよ、と聞けば、「気をつけるよう、言われたのでな」とぽつりと漏らした。
煉獄の穏やかな目は、心ここに在らずといった表情で目の前を見つめている。
いつもの抗争終わりのこいつは、どばどばと止まらないアドレナリンに呑まれ、異様なほどギラついた目をしているというのに。
どんな心変わりがあったというのか。煉獄という男は、気をつけろと言われてはいそうですかと大人しく敵に向けた牙を引っ込ませるほど生優しい人間ではない。
だが信じられないことに、煉獄の燃え上がる闘争心やら敵を力で捩じ伏せる愉悦さを凌駕する奴がいるらしい。たった一言で。

あー、そーゆうことね、はっはーん。

目敏い俺様は気づいちまったぜ。
女より友情、デートより喧嘩。そんなお前が色づくなんてなぁ。俺はちっとばかし寂しいぜ。
どさり、と煉獄の隣に腰を落とした。隣のすっかり大人しくなった煉獄は、俺など視界に入ってないのか、ふーと息をついている。目元は心なしか優しく緩んでいるし、口元も口角が上がるのを抑え切れていない。

「宇髄さん!煉獄さん!お疲れ様でした!!」

元気な声が響いて、煉獄と二人で顔を向ければ、不死川弟が走ってこっちに向かってきていた。
手を軽く上げて答えれば、目の前で止まった玄弥は、兄貴見ませんでしたかとキョロキョロと辺りを見渡している。

「あいつなら自販機のとこじゃねェ?おしるこ飲みながら一本吸ってるぞ」

「ありがとうございます!!あっ煉獄さん、俺のタンデムベルト大丈夫でした?兄貴と乗るために作ったやつなんですけど、ちゃちくなかったですかね。」

「あぁ!問題なかった!!ありがとう!!」

先程の穏やかさとは打って変わり、満面の笑顔で答える煉獄。そういや、昨夜煉獄が珍しく女と二人抜け出していた。煉獄の背に隠れてあまり見えなかったが、黒髪の制服を着た少女だったのは覚えている。やさぐれてはいないが、なんだか少しスレている、そんな目をした少女だった。
へぇ…あの子かい。
煉獄は腕っぷしから恐れられちゃいるが、寛容で面倒見がいい。あの少女の、芯は強いがどこか不安定そうな雰囲気が煉獄の心を擽ったのだろうか。慣れないバイクの上で不安そうに身を固くしている少女を思い出して、なんだか大型犬に懐かれた猫みてぇだなと思う。
こいつは、惚れてること自覚してんのかねえ。
横目で煉獄を見れば、いまだ口元に笑みを残したまま。いかんいかん、煉獄の尻から揺れる尻尾が見えそうだ。屈強な男の尻に引き寄せられる視線を呪う。
地元を締めるチームのリーダーでありながら、ここまでわかりやすい。喧嘩一筋のこいつのことだ。女との付き合い方なんて知ってるわけがねえ。
煉獄に好かれるのは大変そうだ。
空を仰いで軽くため息をつけば、朝日が目の際に滲みた。






カーテンから漏れる朝日が瞼を刺して、まだ重たい目を開けた。
眠りが薄かったのか、昨夜の出来事を鮮明に思い出す。爆音でうなるエンジンに、幾多のヘッドライト。風にたなびくスカート。暖かい煉獄さんの背中。
慣れない出来事に体はまだ疲れているが、思い出せば少し胸が熱くなる。高鳴る。
あの後、煉獄さん達が何をしたかは気になるけど、昨夜会ったばかりの私が心配する資格はないだろう。
今後また会うこともないだろうし。

「……学校、今日は行かなきゃ」

1週間前に、担任から電話で伝えられたテストのスケジュール。
憂鬱だ。テストがじゃない。どうしても馴染めない教室に、一日中座って過ごさなければいけない。
いじめなんて無かった。私の所属するクラスは優しい人が多くて、孤立しがちな私に声をかけてくれたことも何度かあった。私も頑張って笑顔を浮かべたけれど、それはどうしたって不器用で、会話なんて続かなかった。
教室は、ずっと笑顔でいられる人間じゃないと息ができない。1人でいる者は異端分子だ。1人の時間だって楽しいのに。
それでも以前は毎日通っていたけれど、数学教師の「学校来る必要ないんじゃない?」の一言をきっかけに、学校に行く気が本当に、どれだけ振り絞っても湧かなくなってしまった。
教師も悪気が無かったのはわかってる。
私は勉強が出来たし、知識を吸収するのは好きだった。だから彼女のテストは、どれだけ彼女が難しくしようと難なく解けてしまった。
褒め言葉で、彼女は言ったのだ。わかっている。
わかっては、いる。

身支度を整えて、鞄に財布とシャーペンと消しゴムだけ投げ入れて家を出た。
早朝の空の下を歩くのは久しぶりだ。
息を吸えば、冷たく澄んだ空気が肺を満たして、体の隅々まで沁み渡っていく。会話をしていたらこんなにゆっくり呼吸はできないだろう。
1人の時間はほら、こんなに楽しい。
重たかった心がだんだんと軽くなっていく。
テストが終わったら、1番に教室を出よう。そしたら昨日の友達と待ち合わせして、煉獄さんのことを聞いてみよう。
そうしよう。
空気をいっぱい吸い込んで、足取りも軽く学校へ向かったのだった。


テストは難なく終わった。
昼休みに友達に今日会えるかと連絡すれば、即答で会おうと言ってくれたので、放課後前のホームルームの今、すぐに教室を出たくてしょうがない。
担任のわざとらしく教室全体を見渡す視線が、時折私で止まるのも居心地が悪い。きっとこのホームルームが終わったらすぐに呼び止めるつもりなんだろう。
ぎゅ、と鞄にかけた手に力を込める。

「ねぇ、今日あの2人学校来てるらしいよ」

数席前の女子数人が、ひそひそと小声で話す会話が聞こえた。
私と同じ境遇の人なんていたか、と考えるも、そもそも学校に来てない私が知るよしも無い。

「やっぱりテストだからかな」

「テストなんて受けるキャラじゃなくない?」

「友達が、昨日の夜大勢でバイク乗ってるの見たって」

「なんかこの辺のチームのリーダーっぽいのやってるって聞いた」

「長かよ。普通にいい人なのに、なんで不良なんてやってるんだろ」

「えーでも私、あの2人怖いなぁ」

「そう?かっこよくない?」

「わかる。顔が良い」

「えー」

チームのリーダー。
しかも2人。
昨夜出会った人達に思い当たる節がありすぎて、思わず耳をそばだててしまった。
いやでも決めつけるのは良くない。私は不良の界隈には全く疎いし、この学校にいるというリーダーは、昨日の人達とは違うチームかもしれない。
でも、もしかしたら、今この学校のどこかにいるのかもしれないのだ。煉獄さんが。
学年もクラスも知らないのに、絶対見つけられるわけがない、と自分に言い聞かせる。
ざわつく胸を落ち着かせて、ホームルームの終わりを待った。

ホームルーム終了と共に足早に教室を飛び出した私は、一直線に下駄箱まで向かった。
席を立った瞬間に、担任から漏れた「あ、」という声がまだ耳にこびりついている。
それを振り払ってここまで来てしまって罪悪感が募るが、担任の話を真剣に聞いたところで、慎重な言い回しで濁される「登校の強制」しか待っていないのは明白だ。
要点を得ない説得に、気まずい空気のなか担任の丸見えの真意を汲み取って、不恰好な愛想笑いを浮かべる自分がありありと目に浮かぶ。
学校に来る理由。
息苦しい教室で、本来なら自分の部屋で参考書を読めば事足りる授業を聞く理由。
そんなの、あるわけーーー。

『今日、あの2人学校来てるらしいよ』

自分の下駄箱にかけた手が止まった。
暖かい背中の体温を思い出した。煉獄さんの、燃えるような金髪と綺麗な目を思い出した。
どくんと高鳴る胸を押さえる。
もう、会うことなんて無いと思ってたのに。
人違いかもしれず、見つけたところで話すこともないのに、「この学校内に煉獄さんがいるかもしれない」という淡い希望に急かされる。
馬鹿みたい。わかってる。
唇を噛み締めた私の足は、校内へと再び戻ったのだった。

見慣れない3年生の教室が並ぶ廊下を歩く。受験や大学に関する張り紙があちこちに貼られていて、周りにいる3年生も大人びて見えた。
黒や茶の頭髪が多い中、金髪の生徒なんてすぐ見つかると思っていたけれど煉獄さんの姿は中々見つからない。1クラスずつ覗き込む後輩の女子が珍しいのか、何度か冷やかしの混じった声で話しかけられた。まともに受け答えできるコミュ力があれば、不登校になんてならなかったのかもしれない。
2年生の教室も同じ。
最後に少しは見慣れている一年の教室を確認したけれど、ついに煉獄さんを見つけることはできなかった。
はぁ、と無意識落ちる肩に鞄が食い込む。
先生に見つかる前に帰ろう。
やっぱり人違いだったのかもしれないし。
下駄箱から取り出したローファーが、早く帰ろうとでも言うように陽光を反射した。


 


晴天の屋上はどうしてこう気持ちがいいのか。
寝っ転がって大きく伸びをする。
しばらく前にホームルーム終了の鐘が鳴ってから、だんだんと学生の賑やかな声が聞こえるようになってきた。
今日こそは来いと青筋を立てた教員に負け、ガラにも無く机に座り続けた俺の尻はもう限界だ。

「おーい煉獄、テストは解けたかよ」

「よもや!俺は勉学を疎かにはしていないぞ!!」

屋上の柵に身を預けた煉獄から元気な声が返ってくる。
そーいやこいつ、頭良いんだよな。本だって読むし、変に真面目だし。
なんでこいつ不良なんてやってんだァ?
……あぁ、俺が引き摺り込んだようなもんか。
少しばかり湧く罪悪感。以前に俺がすまんと謝ったら、「俺自身が選んだことだ!宇髄が気にすることではない!」と返された。男の俺でも見惚れちまう綺麗な笑顔で。

「む!?!?あれは!!」

屋上に煉獄の大声が響き渡り、どうしたんだと煉獄の隣に立てば、煉獄は大きな目をさらにかっ開いて校門を見据えていた。

「んー…??」

豆粒みたいな小さな姿の中に、昨夜煉獄が後ろに乗っけた少女の姿が。

「ぶは!やったな煉獄!!同じ学校だなんて奇跡だぜェ」

「よもや!!まさに天恵!!宇髄、今日は遅れるやもしれんと不死川に伝えてくれ!!」

あいよ、と手を上げて答える間に、煉獄はばっと柵から身を離し屋上のドアを飛び出して行った。
一気に静まり返った屋上に、女子の悲鳴と「すまん!!!!」という相棒の声が聞こえる。

「は!玉突き事故かよ」

思わず吹き出してしまうが、煉獄がおそらく初めて出来たであろう想い人と、上手くいくよう願わずにはいられない。
それにしても、あの勢いはまるで飼い主を見つけた大型犬そのものだな。
湧き上がる笑いを惜しまず頬に浮かべれば、穏やかな風が撫でていった。









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