獅子の胸は暖かい


なまえが帰ってこない。もう日が登ったというのに。
眩しい昼下がりの陽気に、心ばかりが冷たく、焦る。
怪我でも負ったのではあるまいか!歩けないほどの怪我であれば迎えにいこう!!そんなことを思ったのはもう随分と前だった。とっくに蝶屋敷に鎹鴉を飛ばしたものの、「なまえさんは来てませんよ。というかお会いしたこともないので今まで怪我をされたことがないのでは?まあ、信じがたい話ですけれど」という返信に心が凍りついた。
よもや!どこぞの道で野垂れているのでは!!いやよもやよもや鬼に敗れ……うむ!いかん!!まだ決まったわけではない!!探しに行こう!と腰を上げた俺を、千寿郎が諌めた。

「俺が探してくるので、兄上は屋敷でなまえさんを待っててください!」

そう言って草履を引っ掛け駆けていったのが半刻ほど前。じっと座ってもいられず、門の前に立ち往来を眺め続けていた。
どうしたことか。
なまえのことが心配で堪らない。まだ出会ってひと月も経っていないというのに。
どこぞで倒れてはいないか。
傷を負って苦しんではいないか。
継子。俺が守るべき、強く育てるべき弟子。寝食を共にし、柱としての心得を学ばせる。そんなことは継子を取る前から重々理解していたつもりだったが、よもやここまで心髄に染み込む存在であろうとは。初めての継子だからだろうかはわからぬが、そわそわと彼女の安否だけが俺の心を占めている。
どうか無事に帰ってきてくれ。
そう心を募らせていた、その時。
往来の人々の向こうに、小さく彼女の姿が見えた。
 



やっと屋敷が見えた。
街の外れで腰を上げてから、住民が起き出す前に先輩の遺体を抱き上げた。巨木で道を塞がれ苦難していた隠に、街を大回りして遺体を預け、帰路についてはや数時間。
収まらない吐き気にふらつきながら、炎柱様の前では普段通りでいよう、と決めた。
死にたい、そんな気持ちばかりが波のように押し寄せてくる。終わりがない。昨夜死んでしまった先輩も、今まで同じ任務で死んでいった隊士達も、きっと私が死んだら手を叩いて喜ぶだろう。
狂気に飲まれたお前の仕打ちは断じて許されるものではないと。常人から外れたお前など生きてて良いはずがないと。
死に散った彼らの心情を思う度に、際限の無い罪悪感と羞恥が湧き上がり、底無しの希死念慮に呑み込まれる。
帰るまでに、このどろどろの気持ちを隠さなければ。炎柱様の継子に相応しくあるために。
こんな私を肯定できることがあるとすれば、炎柱様の継子であることだけ。
帰りたい、早く帰りたい。私がまともな私でいられるために。昨夜の私なんて、殺意に狂った私なんて悪い夢だと言い聞かせるために。弱い自分に戻るために。
顔を上げれば、炎柱様がうまいと言っていた饅頭屋ののれんが風に靡いている。
その先には、大きな門構えの煉獄屋敷。
見慣れた景色に安心したのか、どっと力が抜ければもう、体を支えることもできずその場に崩れ落ちた。と思ったのだけど、固い地面の衝撃ではなく、温かい人の胸に顔を埋めたのだった。
驚いて顔を上げれば、炎柱様が私を見下ろしている。
え、いたの…気づかなかった……。
ただいま戻りました、そう言いたいけれどろくに口も動かず、疲労と眠気が襲いかかってくる。
ここ数日で嗅ぎ慣れた炎柱様の匂い。
私を支えてくれる、逞しい腕。
頑丈な体躯と耳を優しく打つ炎柱様の鼓動が、温かく私を抱き上げてくれる。
安心する炎柱様の胸に、気づかないうちに瞼は閉じられていった。




己の胸で、ことんと眠りに落ちた娘。
抱き止めた時には顰めていた眉も、今は安心しきった顔で寝息を立てている。
体の節々に軽く触れ、怪我が無いことを確認した。ほっ、と安堵感が広がっていく。黒い隊服は血で重くなっているが、恐らく鬼のものだろう。娘の白い手のひらは乾いた血で赤黒く染まっていた。刀の柄も同じ。
すやすやと眠る弟子を起こさぬようそっと抱き上げれば、想像より遥かに軽い体に、ざわりと腹の底で何かが蠢いた。
俺の腕で無防備に眠りこける少女。白く柔らかそうな頬。
爪を立てればすぐに傷ついてしまいそうだ。腕に感じる彼女の温もりと俺を怯える目が思い出されて、ぎゅう、と心臓を強く握り締められる。
俺の何倍も軽い体で、小さい体で、鬼と対峙する難儀さは如何程だろうか。細い腕で鬼の首を切り落とすのは、俺の憶測よりずっと技と術がいるのであろう。
怪我をされたことがないのでは、という胡蝶の文が思い出される。 

「……頑張ったな、頑張ってきたのだな」

俺の腕で穏やかに眠る彼女に、その閉じられた瞼に、静かに言葉をかけた。






目が覚めると、大きな瞳と視線がかち合った。
びくっと体が震えた。一瞬で眠気が覚めた。
人生で一番眠気の吹っ切れる目覚め方だよ…。

「炎柱様…」

「痛むところはないか。怪我は無いようだが…」

「大丈夫です」 

ぐるり、と視線を巡らせれば、私に与えられた見慣れた部屋だった。吐き気はだいぶ収まったみたいだ。
私の横たわる布団の側で、炎柱様が姿勢良く正座していらっしゃる。
え、ていうか私いつ帰ってきたんだっけ…
のそりと身体を起こせば、右足に痛みが走った。奥歯で呻き声を咬み殺すも、じっと私を見つめていた炎柱様が見逃すはずもなく、布団を捲られ患部をさらけ出される。
なまっちろい足に視線が注がれて、羞恥で顔が火照り始めた。

「あの、大丈夫です。鬼蹴り上げたらめちゃくちゃ硬くて、それで…」 

「蹴り上げる?」

炎柱様のお顔に小さくはてなマークが浮かんだ。
……そりゃそうだ。刀の間合いで殺し合いをするのが普通なのに、蹴り上げるなんて、ねぇ…しかも女の私が。
それ以上追求されるのはなんだか面倒で、曖昧な笑顔で誤魔化した。
そろり、と彼の手から足を抜いて隠すように布団に戻し入れる。

「折れてはいないようだな。熱を持っているから後で冷やすように」

「はい…」

しん、と沈黙が流れる。
炎柱様、いつまでそこにいるんだろう。気を抜けばまだ、希死念慮が心を侵してしまいそうだ。
考えなきゃいけないことが、沢山ある。
しかしまあ師匠の前で、起こした身体を布団に潜り込ませるなんて無礼な真似ができるわけもなく、何か話しがあってここにいるのだろうと炎柱様が口を開くのを待った。

「なまえ」

「はい」

炎柱様が、静かに私を見据える。
いつもの明朗快活な彼とは違う雰囲気に、思わず居住まいを正した。

「楽な姿勢で良い」

正座を取ろうとする私を、低い声で止める炎柱様。明らかにいつもと違う様子に、ざわり、と嫌な予感が背筋を走った。
足を痛まないように布団に入れながら、継子のクビ宣告かな、と彼の言葉を想像する。
ひやり、と胸が冷たくなっていく。
炎柱様も私に呆れたのだろう。
稽古でろくに進歩もせず、任務帰りには疲労で倒れるような継子なんて、炎柱様の名前を汚すに決まっている。それだけでは無い。人の心を失った私の戦いぶりを思えばなおさら。
一昨日の夜の、私の返事ににっこりと笑った炎柱様の笑顔がふと思い出されて、期待を裏切ってしまった申し訳なさや、不甲斐なさ、惨めさが狭い胸中で疼いた。
いや、いいじゃないこれで…元々炎柱様の継子になりたい訳でも無かったし…これからもずっと期待を裏切り続けるような毎日だろうし…
また、前の日常に戻るだけ。
そう思えば思うほど、炎柱様のまっすぐな瞳を見つめ返すことができなかった。
あぁ、嬉しかったんだ、なんて今更気づいても遅いけど。
炎柱様に継子に誘われて。君と稽古がしたいと言われて。こんな私でも、強い人に認めてもらえるのかもと、思ってしまった。変われるかもと思ってしまった。
もう、それも今日で終わりだけれど。
もっと私が強い人間だったら。
炎柱様の継子に相応しい人間だったらよかった。
瞳を伏せて、炎柱様の言葉を待つ。

「俺が、怖いか」

「はい…?」

おれがこわいか?
オレガコワイカ?
想像の斜め上をいく言葉に、耳と脳みそが一時停止している。
聞き返した言葉を肯定の返事と捉えたのか、炎柱様の凛々しい眉毛がぎゅ、と悲しげに顰められた。

「そうか…怖がるのも無理はない。俺は君より遥かに体躯に恵まれているし、力も強い。大きな声も君を怖がらせているのだろう」

炎柱様の言葉は私の見当から大く逸れていく。
口を開く間もなく、炎柱様の言葉は続いた。

「だが、困ったことにどうすれば君の心を開いてやれるかわからない。
…だから」

そうか。
炎柱様は優しいから、私の不甲斐なさには触れず私を手放そうとしているんだ。
そう考えてしまった瞬間、「違うんです」と勝手に口が動いた。

「…違うんです。怖いけど、怖いけど炎柱様が怖いわけじゃないんです」

少し目を見張り、私を見る炎柱様。
今更見苦しく言い訳をしてしまってごめんなさい。
ぐるぐると卑屈にこんがらがった心が、こんな時に恥ずかしげも無く本音を晒し始める。
彼の言わんとした言葉を聞きたくない。
今まで情けない姿をいっぱい見られたけど、まだここにいたい。私の弱さを打ち明けたい。
どうにもならない惨めさを。
己を嫌うしかない不甲斐なさを。
わかって欲しい。
糞みたいな我儘だ。わかってる。
でも変わりたいんだ。炎柱様の継子だと胸を張れるよう、強くなりたいんだ。
わかって欲しい。
手を差し伸べてくれた炎柱様にだけは、知っていて欲しい。
炎柱様と繋がる視線に、すがるように心の内を絞り出す。

「人が、強い人が怖いんです。弱い自分に呑まれてしまうのが怖いんです。戦う時もそうで…仲間に見られるのが、足手まといって思われるのが怖いんです。
体の大きさや力の強さなんて関係ない、強い人に呆れられるのが、自分が弱くて、誰も守れない役立たずだって思い知るのが怖い……炎柱様が、本当は私を継子にしたことを後悔してるんじゃないかって、わたし、弱いから……」

伝えたいことが多すぎて、支離滅裂な言葉が転びまわる。
小さくなる声と共に、視線を落とした。
私が口を噤めば、部屋には沈黙が流れるばかりで。
あぁ、言ってしまった。
馬鹿な脳みそが口を急かして、惨めで無様な本音を晒してしまった。
鬼殺隊員にあるまじき、卑屈な私。
炎柱様はいまどんな顔をしているんだろう。
呆れた?見放された??
怖くて顔をあげられなかった。
冷たい布団の上で、拳をぎゅっと握り締める。
は、と息をつく音。呆れられた、あぁ。
胸に刺されたかのような痛みが走った。

「…そんなことか」

低い炎柱様の声。

「え…」

顔を上げれば、炎柱様は何故かほっとした顔で微笑んでいた。

「なまえ!」

ぴし、と背筋が伸びる。

「君は大分思い違いをしているな!なまえを継子に迎えたことに、誇りこそすれ後悔など微塵もない!!」

彼の言葉に驚きを隠せず、思わず口を開いた。

「え…だってさっき、継子を辞めるよう言おうとされたのでは…」

「よもや!!」

今度は炎柱様が目を丸くする番だった。
むぅ、と眉根を寄せる炎柱様。

「あまり勝手を言ってくれるな。
俺が君を継子に誘う前に、どれほど探したと思っている。簡単に手放しなどするものか」

諫める言葉とは裏腹に、とても優しい顔で私を見つめる炎柱様。
違うの。炎柱様は知らないの。
自分に向けられた笑顔が、痛くて、悲しくて。
私は炎柱様が思ってるような人間じゃない。
私のことを、何も知らないからこそ向けられる表情なのだ。きっと本当の私を知ったら幻滅するだろう。別人のように豹変した私を知ったら、今度こそ、継子をやめろと言われるかもしれない。
それでも、彼に言わなければという思いが、この人の優しさや笑顔を裏切りたくないという思いが、唇を震わせた。

「……炎柱様。」

言うなとばかりに喉がきゅうと締まる。ヒクヒクと熱く痙攣する。

「む、なんだ」

「言わなきゃいけないことが、まだあるんです。
…きっと炎柱様をがっかりさせてしまうけど、聞いてください。」

くぐもった声を絞り出せば、どうしてか身体がぶるぶると震えて、はっと息が漏れた。
そんな私を何も言わず、ただ見つめる炎柱様。
ぎゅぅ、と目を瞑る。

「私、仲間の隊士と一緒に戦うのが怖いんです。その人に、どう思われてるのかと思うと怖い。
……だから、一人で戦うのが好きなんです。
仲間の隊士が死んで、よかったって、
………こ、心から、そう思っちゃうくらい。」

何も言わない炎柱様。彼の視線が肌を焼くようで。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
重い空気がじりじりと鼓膜を圧迫する。
どくん、どくんと心臓が早鐘を打っていて、脂汗は出るのに指先はどんどん冷たくなっていく。
怖がるな。自分がしでかしてきた過去だろう。
言わなきゃ、言うって決めたんだから。

「昨夜の任務もそうでした。
同行した隊士が死んだとわかっても、最初は驚いたけど……悲しくなんてなかった。鬼に対して怒りも湧かなかった。
ただ、これでやっと思う存分戦えるって、そう思ってしまったんです。
そうなったらもう止まれません。散々鬼をいたぶって、殺して、朝を迎えて……正気に戻ったら、死にたくなる。死ねばよかったのは私の方なのにって。
任務の後はいつもそうです。
でもどんなに悔やんだところで、1人きりで鬼と対峙すれば、また同じことの繰り返しで。
何度やっても、だめなんです。
1人になったら湧き上がってくる高揚感だとか、仲間の目っていうプレッシャーから逃れた解放感に、あっという間に飲み込まれてしまう……変わりたいのに、簡単に負けてしまうんです。」

言葉にすればするほど、自分のしてきたことの酷さを目の当たりにして心に突き刺さる。
こんな人間、継子を解任されて当たり前だ。この人の隣に立つことなんて誰も許してくれない。炎柱様も、今まで踏み躙ってきた隊士達も、私自身でさえ。
ぎゅう、と抉るような痛みが胸を締めつけた。
痛みなんて感じる資格、私に有りはしないのに。
どう償っても贖えないなら、これからどう生きればいい。
生きていけるなんて考えること自体が烏滸がましい。
自分が死ねばよかったと気づいた時点で首を斬るべきだった、と耳の奥で囁き声がした。
……そうだよね。私もそう思うよ。

「今の話を聞いて、それでも、私を継子にしたことを後悔してないって思いますか…?」

答えなんて決まっているけれど。
投げかけた問いは、沈黙を漂って私を嘲笑っている。

「……なまえ。」

炎柱様の低い声が、私を呼ぶ。
びく、と反射的に肩が跳ねてしまった。
落とした視線の先の拳を強く握る。
もう逃げない。何を言われても正面から受け止めなければ。
覚悟を決めて、炎柱様を見た。

「はい」

「君は、仲間の隊士をその手で殺したのか?」

「いいえ…」

大きな瞳が真っ直ぐに私を射抜いている。
ぽつり、と返した返事に頷くこともせず、炎柱様は口を開いた。

「己が戦いたいが為に、隊士を見殺しにしたのか?」

「…いいえ」

「今までの任務で、仲間が襲われていたらどうした。
怯えてただ震えていたのか。それとも好機と黙って見ていたか。」

「…助けようと、刀を握りました。
結局、鬼に喰われてしまったけど」

ぽつり、ぽつりと言葉をこぼす私を、じっと逸らすことなく見つめる炎柱様。
こんなの側から聞けば全て言い訳だ。
どんな言葉を並べても、仲間の死を代償に快楽のまま鬼を殺したことに代わりはない。
ならば何と答えれば良かった?
全て事実なのに、それを言葉にすることすら後ろめたい。胸に染み出す罪悪感に、目を伏せる。
再び沈黙が訪れようかという時、「君は、」と炎柱様が口を開いた。

「君は自分のことばかり考えているな」

「え…?」

視線を上げれば真正面からぶつかる視線。
目を逸らせずに、ただ彼の言葉を待つ。

「君の話は、己の心情ばかりで要領を得ない。それでは判断ができない。だから今、事実を確認した。
君は仲間を殺していない。助ける為に動いた。
それが事実だ。」

腕を組み、淡々と話す炎柱様。

「君が我を忘れ、死んだ仲間の命を顧みなかった。それは分かった。だが、箍を外す前の君は、その命を軽んじてはいなかった。そうだな?」 

「……はい」

その言葉通りではあるものの、気持ちよく頷くこともなんだか憚られて、膝の上の拳を強く握り締める。

「変わりたい、と言ったな。
その言葉に、嘘偽りは無いか。」

「ありません。」

煉獄様の瞳を見つめたままそう答えれば、ふっと凛々しい目元が緩んだ。

「よし!!
ならば俺が稽古をつけてやろう!!」

今までとは打って変わって明るい声が部屋に響いた。
突然の大声に心臓が飛び上がる。

「え…?ど、え、なんで…」

屋敷を追い出されるつもりでいた私は、炎柱様の言葉を瞬時に理解できなかった。
目を白黒させる私になおも言葉は降り続く。

「人の命を冒涜したこと。それは決して赦してはならない。
だが、過去は変えられない!過ぎた時は戻らない!
だから君がこれからすべきことは、己に打ち勝つことだ。ここで継子を辞めたとして、君はまた同じ過ちを繰り返すだろう。
ならば、俺は師範として君を変える責務がある。 
なまえ。
強くなれ。もう二度と己に負けぬとここで誓え。 
それが、君の犯した罪の唯一の贖罪だ。」

私の目を見つめて、静かに語る炎柱様。
ゆっくりと彼の言葉を飲み下していく。
強くなること。簡単なことじゃない。
今まで何度も試みたけれど失敗ばかりだった。
いつしか失敗することに慣れてしまった。
でももう、あの襲いかかる狂気に尻込むことはできない。精一杯立ち向かっていかなければ。強くなって。
炎柱様のもとで、強くなって。

「…はい。」

掠れたけれど、確かな声で返事をすれば、うむ!と大きく頷いた炎柱様。
大きな手が頭に乗せられた。

「どれだけ罪の意識に苛まれようと、誰も君の苦悩には気付きもしないだろう。
だが、俺は憶えている。
忘れない。君とともに、その罪を贖っていこう。」

彼の言葉が夕日の差し込む部屋に響いた。
心の奥深くに寄り添うような、優しい声音に視界が滲む。

「はい…」

一緒に背負うと彼は言ってくれた。
こんな私でも、見捨てないでいてくれた。
大きな暖かい手が、ゆっくりと私の頭を撫でる。
お礼を言いたいのに、口を開いたら涙まで一緒に出てきそうで、唇を噛んで耐えた。
何も言えない私を見て、微かに微笑む炎柱様。
言おうか迷ったのだが、と声が続いた。

「俺はずっと不思議だった。君が何故、思い切り刃を振らないのか。」

俺と初めて会った夜のように。
その言葉に、ありありとその瞬間を思い出す。

「だが今日、君の弱さを知った。
……俺は今まで無理矢理、あの夜の君を引き出そうとしていたのだな。
君がその弱さと懸命に戦ってるとは知らずに。
わかってやれず、すまなかった。
一朝一夕で強くなれなどとは言わん。最初にも言ったが、俺は君を絶対に諦めない。この先何があろうと、それだけは変わらない。
君がどんなに己を恥じても、憎んでも、心を折ったとしても。
師範として隣にいさせてくれ。」

真正面から私を見つめる炎柱様。
彼の言葉が心を揺さぶる。弱い私を丸ごと受け止めようとしてくれる炎柱様。今まで出会ったどんな強い人とも違う。優しくて、あったかい。
それでも、彼の優しさを上手に飲み込めない私は、とんだ捻くれ者なのだろう。

「なんで、そんなに…」

涙に呑まれそうな声で言い淀む私に、炎柱様は優しく笑った。

「君は俺の継子だろう。
俺が育てるべき継子だ。
守るべき継子だ。鬼などからではない。
弟子に牙を向けるもの、それがたとえ君自身であっても、心無い言葉からであっても、守り助けてやるのが師範というものだ。」 

炎柱様の言葉が、心に染み込んでいく。
歯を食いしばらないと、炎柱様を見上げる目の端から、熱い雫がこぼれ落ちそうだった。
この人の継子になれてよかった。
心からそう思った。

「ありがとうございます」

目元が濡れているのをバレたくなくて、慌てて俯きお礼を言えば、炎柱様の指が涙を拭っていく。

「今まで、心無い言葉を向けられたのだろう。その記憶に囚われてしまうほど。
だが、君はその小さな体で鬼と己の弱さに立ち向かってきた。その恐怖を乗り越えてきた。
……よく頑張ったな。」

あぁ、こんな優しい言葉をかけてもらって、泣いてしまうなんて。
ポロポロと際限なく雫が頬を伝う。
声は出すまいと唇を噛む私を、よもやよもやと笑いながら背中をさする炎柱様。すっぽりと私を覆ってしまう腕の中、安心する炎柱様の匂いに包まれる。
幼子をあやすようなその顔に、また涙が溢れてしまうのだった。


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