君が此処で泣かぬよう。



水面が揺れた。
そっと底をのぞき込むなまえの頬を、静かに雫が伝う。
またそうやって泣くのか。
この暗い廃工場の水淵で。

後ろから抱き締めようとした。あっけなく俺の腕はなまえをすり抜けた。感覚も温度も感じなかった手の平を、見つめて、握る。
ぐー。ぱー。ぐー。ぱー。
何度も同じことをして、確かめて、そしてまた同じことを考える。なまえ、空気みてぇだな。あっ俺が空気なのか。何度目かもわからない溜息が漏れた。
本当に、空気だったらいい。
別れなんて考えもせずに、なまえのそばにいたい。笑ってる時も泣いてる時も、ずっとなまえに寄り添って、漂って。それで、いつの日かなまえとひとつになれたなら。
…ああ、でもやっぱり、恋人がいいよな。
今みたいにお前が泣いてれば涙を拭ってやって、抱きしめて、「大丈夫、大丈夫」って落ち着くまで背中をさすってさ。透けた手の向こうに見える、微かに震える背中。いつも優しく抱いていたこの手はもう届かない。
なあ、なまえ。
俺はここにいる。
さわれないけど、声も届かないけど、ここにちゃんといるんだよ。
なまえの涙を止めたくて、笑って欲しくて、何度も手を伸ばしてんだよ。
気付いて、なあ、なまえ。
「タ…ミヤァ…」
おう
「…タミヤ」
おう
「なんでっ…なんで、」
しゃくりあげる声は、言葉にならずに頬を伝い、水面に落ちていく。
「タミヤ、が、いなかったら、っわたし…」
口元を抑え、独り嗚咽を漏らすなまえが哀れで可愛くて、なんなんだろうなこの気持ちは。
なぁ、もう此処に来るのやめろよ、いい加減さ。
寒いしさ、風邪引くぞ、メシも食ってねえだろ、そんな痩せちまって。

死んでから、ずっとなまえのことを見てきた。
最初は見ていられないくらい塞ぎ込んでいたけれど、最近は心配をかけまいと、家族や友達の前では泣き顔は見せなくなった。
その分、毎夜此処に来ては溜め込んだ涙を流す。嗚咽と共に俺の名を呼びながら。
何がなまえにとって、1番良いことなのか。その答えは、静かに俺の胸の奥に存在している。今まで気付かないふりをしてきたけれど。
だいぶ透けてきた指先を強く握った。もう、時間がないんだ。
今度は、すり抜けないよう後ろからなまえの体にそって、優しく抱き締める。なまえの柔らかさ、匂い、体温。眼差し。感じないはずの俺の身体に、生々しいほど記憶が甦る。なまえのすべてがたまらなく愛おしくて、思わず泣きそうになった。昔、何度もしたように、なまえの頭におでこをくっつける。
溢れくる思い出を紡ぎながら、惜別の涙と俺のわがままに蓋をして、最期の言葉を、君に。

なぁ、
(なぁ)
忘れてくれよ、頼む。
(聞こえるかな)

いつまで泣いてんだよ。俺、なまえの笑顔、1番好きなんだぜ。
(今までありがとう。いっぱい泣かせてごめんな。)

だから、泣くな。
俺のことなんて忘れちまえ。
(ひとつ、俺のわがままを聞いてくれないか)

もう俺はなまえのそばにいられないんだ。ただ、触れることすらできない。
(たまにでいいから、俺を思い出して。)

俺、お前のこと幸せにできてたかな?お前を笑わせたくて馬鹿なこといっぱいやったよ。なまえが笑ってくれるだけで俺はすげえ幸せだった。
(それが、なまえが笑顔になれる記憶であれたなら、俺は本当に幸せなんだよ)

嫌だけどよ、悔しいけどよ、俺じゃなまえを幸せにしてやれないから、俺じゃあ、もうできないから
(なまえが心から笑える日が、一日でも早くきますように。だけど、お願いだから)

俺のことなんか忘れて、幸せになってくれよ。
(俺のこと、どうか忘れないで)

ごめんな。
(さようなら。)

最後に、願い事をひとつだけ。
なまえの耳許に唇を寄せた。
またどっかで逢おうな。

真っ白なせかいで、2人はただ幸せだった。1人が微笑みかけると、もう1人からは涙が零れた。
泣いて、泣きながら笑って、しゃくりあげて。
2人はただ幸せだった。
それでも、2人が触れ合うことはなかった。

最愛のひとの夢をみた。
夢のなかでも彼は優しくて。
私にわざわざ会いにきてくれたのだろうか。
親愛なる君へ
私は元気です。
もう、君は心配しなくていいよ。
私はもう大丈夫だから。
またどこかで、逢おうね。



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