その泣きっ面を張り倒したい


目の前で金田が泣いている。
ひぐひぐえぐえぐと、潰れた蛙のような嗚咽が止むことはなく、ただぢりぢりと私の神経に触れる。
身長ばかり大きくなって、痩せぎすのいかにも不健康そうな体躯を縮こませて。
まあ、泣かせたのは私なんだけど。

「なまえちゃん、持ってきたよ」
時は数十分前。
課題のレポートに追われている私は、暇そうにテレビを傍視する金田に、眠気覚ましのコーヒーを頼んだ。
お揃いの、商店街で金田が欲しそうに見つめていたから買ってやった、可愛らしいマグカップ2つを手に金田が部屋に入ってきた、その時だった。
金田は脱ぎっぱなしの自分のパジャマに足を取られ、バランスを崩した。手には熱々のコーヒーが入ったマグカップ。
だから、脱いだものは片付けろって言ったのに。こちらに傾くマグカップを見ながら、私はそんなことを思った。
「あつっ……」
幸い頭からかぶることもなく、少量、といってもまあそこそこの量の熱が手にかかる。床にはぶちまけられたコーヒー。
拭かなきゃ、と腰をあげようとしたら、ぶるぶる震える手が私の手を掴んだ。力加減を知らない金田の手は、ヒリヒリする手の甲を掴んできて、正直痛い。
「ごめん、ごめん、ごめんなさい」
青ざめた顔で繰り返す金田。
……また始まった。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「もういいよ」
「ごめんね、ごめん、本当に」
「床、拭くから」
「ごめんなさい、僕のこと嫌いにならないで」
「わかったから!」
びくっと肩を震わせ、固まる金田。瞬間、ぶわりと涙が溢れ出る。やっちまったと思う反面、いっそ金田を思い切りなじり倒してやろうかとも思うけれど、後者の方は後始末が死ぬ程面倒だからやめた。
「痛いから、手、はなして」
おずおずと離れていく手を乱雑に振り切って、床を拭く布巾をとりに腰をあげる。
「ああ、あ」
喉に張り付いたような声をあげて、床に突っ伏して泣き始める金田。不幸のどん底に浸る彼には、床にぶちまけられたコーヒーなんて見えてないんだろう。そのコーヒー塗れの服、誰が洗うと思ってんの?泣いてる暇あったら、自分が溢したコーヒーくらい自分で拭けば?私が彼の恋人でいる限り、この世は胡散臭くて安っぽい劇場である。金田が悲劇の主人公で、私は怒ることも慰めることもさせてもらえない悪役。ふざけた台本。
それから床を拭いて、泣いてる金田を放って、数十分は経過した。
窓際で吸うタバコはこれで何本目か。こんなもの、やめようと思ってたのに。
付き合い始めたての頃、「なまえちゃんのライター係は、僕がやるね」なんて、ご機嫌を取るように、けれど心底嬉しそうに言っていたのに。いつからこうなったんだろう。何度も考えたことをまたなぞるのに疲れて、溜息をついた。
タバコを灰皿に捨て、相も変わらず泣き続ける金田の髪の毛をぐしゃりとかき混ぜた。
「ごめんね、怒鳴って」
ぼろぼろの顔の、赤く濡れた目が、許してくれるの?とでも問うように向けられた。不細工な顔だなぁ、なんて思いながら、何度も使い古した言葉を口にする。
「私も悪かった。ごめんね?」
なんで私が謝らなきゃいけないのか。そんなのもう、何度も何度も思ったことだから、今更口にするのに抵抗なんて、ないんだけど。
ただひたすら、私は、金田の異様に低い自己肯定感を満たすために生きているのだと。見放されてしまえば死すら厭わない彼に、寄生されるために生きているのだと、感じてしまうのだ。




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