可愛くない
学校へ行くと、なぜかなまえの席の周りに人だかりができていた。
「何? どうしたの?」
「カルマ君!」
覗きこんだ俺は唖然とする。
彼女の机の上に、赤ん坊が横たえられていた。
「えっ……なにこれ」
よく見ると、赤ん坊には彼女の面影がある。この子が一体何者なのかを尋ねようとして、皆が自分に向ける視線が妙に意味ありげなことに気づいた。
「カルマ……お前もしかしてこれ……隠し子……?」
「は?」
笑えない前原のジョークに本気で腹が立った。腰のあたりに膝蹴りを食らわせると、「いてぇ!」と非難まじりの悲鳴があがる。それを聞き流しながら赤ん坊へ視線を戻す。指をしゃぶり、視線をきょろきょろ動かしている。これ、何歳ぐらいなんだろう。一歳……とかだろうか。まったく検討もつかない。
「これは、みょうじさん本人のようですねぇ」
振り返ると、殺せんせーが触手で頬をかいていた。一同から「えぇ!?」と驚きの声があがる。
「何言ってるんだよ殺せんせー。そんなのありえないだろ」
「ですが、この腕のところ。彼女とまったく同じ位置にほくろがあるんです」
先生が赤ん坊の腕を軽く持ちあげてみせると、皆が一歩距離をとった。
「ええ……先生きも……。なんで知ってるの?」
「にゅやぁ! 生徒のことなら当然把握していますよ!」
少し輪が広くなったおかげで、赤ん坊に近づきやすくなった。なまえが赤ん坊になったという非現実的な話を真に受けたわけではないが、俄然興味がわいた。
好奇心から赤ん坊へ手を伸ばす。柔らかそうな頬に触れてみた。
「ぎゃあああああん!!」
「!?」
赤ん坊がすさまじい勢いで泣いた。驚き、ひっこめた手のやり場をなくしていると、素早く出てきた中村に掴まれ「はいはい、こっち下がってて」と押しのけられる。
赤ん坊には原さんが近づき、慎重に抱きあげていた。「よしよし、大丈夫だよ。怖かったね」とあやしてやると、嗚咽をもらしながらも泣き止んだ。それを見たとたん、寺坂がこちらを指さしながら腹を抱えて笑い出す。
「おいおい、大泣きされてんじゃねえか! お前、赤ん坊のみょうじにもビビられて――ぎゃぁあ!」
指を曲がらない方向へ曲げてやった。うずくまる寺坂を見下おろし舌打ちしてから、原さんの腕の中の赤ん坊を見据える。
なんだよ、このガキ。よく見れば言うほどなまえにも似ていない。髪の毛もほとんど生えてないし、どことなくふてぶてしい感じがする。なまえの方が百倍かわいい。
俺の疎外感を気に留める者はなく、クラスはてんやわんやの雰囲気になる。女子が寄ってたかってあやしたり、菅谷が子供向けのおもちゃを作り始めたり、殺せんせーがマッハでベビーベッドを買ってきたり……。
なんだかしらけるな。あれがなまえと決まったわけじゃないのに、皆して必要以上に騒いじゃってさ。
あんな赤ん坊どうでもいいや。教室の隅へ移動し、スマホをいじっていたら、岡島が隣へやってくる。
「なあカルマ」
「何」
「すごいことひらめいたんだけど……赤ん坊ってなんでも口に入れるんだよな」
完全にやましいことを考えている顔つきだった。
「……不愉快だからそれ以上口にしないでもらえる?」
岡島の妙な興奮顔を見ていたら、無性に不安になった。あれになまえの可能性がある以上、やはり完全無視はできない。
仕方なく再び赤ん坊の近くへ行くと、皆に囲まれてはしゃぐ姿が見えた。渚君に抱かれ、髪へと手伸ばし、きゃっきゃと笑っている。
……おもしろくない。
「ねえ、俺にも抱っこさせてよ」
「なあにカルマ。やきもち?」
「……うるさいな」
中村のからかいすら上手くかわせず、自分でも余裕がないのを感じる。渚君からひったくるように赤ん坊を奪うと、「あぅ」と情けない声をあげた。彼の髪へ短い腕を伸ばし、届かないとわかると徐々に顔がゆがめる。ぐすぐすと鼻を鳴らす姿に、やばいと思った。その時にはもう遅く、爆発するように泣き始めた。
「もーカルマ抱っこ禁止!」
「なんで俺だけ!」
「嫌われてんじゃないの?」
「は……?」
言葉に詰まっていたら、ふと俺の肩に触手が乗せられた。
「いえ、これは違いますね」
背後に立った殺せんせーが赤ん坊を覗きこむ。
「おそらくおむつを取り替えれば大丈夫でしょう」
「なんだ……」
安堵の息をつく。原さんが俺から赤ん坊を受け取り、「じゃあさっさと替えましょう」とベビーベッドへ乗せようとした。
「待って!」
それを止めたのは茅野ちゃんだった。
「あのさ……おむつってほら……。今は赤ちゃんだけど、みょうじさん一応女子なんだし」
皆がはっと息をのむ。
「さすがに同級生におむつ替えられるはきつくないか?」
「たしかに……俺でも嫌だな」
「しかもみょうじさんだろ? 元に戻れたとして、二度と教室来られなくなっちゃいそうだよな」
沈黙。
どうするべきか誰もが悩む中、俺は手を挙げた。
「俺がやる」
「何言ってんの!? 一番だめだよ!!」
「てか替え方わかんの?」
女子からの非難の嵐に腹が立った。
「そんなの動画見ながらやればできるよ」
「いやでも……」
「問題ありません」
気づけば殺せんせーが赤ん坊を抱いていた。彼女はいつの間にか泣き止み、触手にあやされ、興味深げに手を伸ばしている。
「おむつなら既に替えました」
「この変態教師……!」
「にゅやっ!! 誤解です! 先生目隠しして交換しましたから問題ありません!」
「そういう話じゃないのよ!」
非難の対象は先生に移ったけれど、俺の不快感は消え失せない。
なんなんだよ、この状況。だいぶ意味わからないのに普通に受け入れられてて気色悪い。
なまえ、元に戻るのかな。やっと付き合えたのに、一生このままだったらどうしよう。歳の差恋愛とか? それって何年待たされるんだよ。
だんだん考えることが億劫になった。教室の喧騒がわずらわしくなった俺は、皆の輪から外れる。
もういいや、帰ろう。盛り上がりを背に教室の扉へ手をかけたそのとき。
「かーま」
皆の動きがぴたりと止まる。もちろん俺もだった。
振り返ると、赤ん坊に視線が集中している。
「……今、みょうじさんしゃべった?」
「かーま」
「これって……」
次に視線が集まったのは俺だった。今まさに出ていこうとしていたことも忘れ、俺は引き返す。少しずつ道を開けてくれる彼らの横をすり抜け、彼女の元へ。赤ん坊を覗きこむと、笑顔を向けられることはなかったけれど、まっすぐに腕が伸ばされた。
「……かーまって、何。俺のこと?」
「うー」
肯定とも否定ともとれない返事。恐々差し出した指を、ぶよぶよの手が握りしめた。
なんだよ、可愛いじゃん。
俺は口をへの字にゆがめ、ゆるみそうな頬を必死におさえた。
・・・
『次は、〇〇。〇〇』
聞きなれたアナウンスに目が覚めて、ハッと顔をあげる。
「あれ、ここ」
周囲を見渡せば、電車内だった。車窓から差しこむ夕日がまぶしくて、思わず目を細める。
「赤羽君」
隣のなまえが困ったように眉をさげ窺い見てくる。
そうだ、今はデート帰りで……。信じられない。寝てたのか、俺。ていうか、〇〇って。なまえの最寄り駅過ぎてるじゃん。なんで――。
視線を落として気づく。彼女の指を俺の手がしっかり握りこんでいた。すかさず離してやると、肌がわずかに赤らんでいた。
「もしかして俺が掴んでて降りれなかった?」
「あ、えっと……気持ちよさそうに寝てたから、つい。私が、そうしたかったってだけで」
気を使わせまいと、言葉を必死に選んでいるのだと思った。しかしやがて、ふと息を漏らし、目じりをやわらげた。
「赤羽君が、赤ちゃんみたいな感じで寝てるの、か、かわいくて……」
End
231120
リクエスト「夢主乳児化」
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