ペパーミントキャンデイ(1)

──透きとおった包装紙を、つめさきで引っ張る。
 くるんと回転する。うすい緑のまあるい楕円……。
 男の、真赤まあかに湿ったくちびるが、横方向にほんのり割れる──。
──くちの、薄い外皮に塗られた赤。その色と、似たような色彩、似たような湿り気を帯びた舌先が──チロリと覗く。

 舌先が触れたのは、薄いみどりのたま──…。清涼なかおりがする。

──撫ぜるように。湿ったあか・・はそのたまと、ほんのり接する……。
──…せつな。男の塗られたくちびるは、大きく裂けた。
 薄みどりの、澄明ちょうめい飴珠あめだまは、深い場所に引き込まれる──…くちびるのその奥へ。

──…紅い闇のよう。

薄荷ハッカですよ」

 だれに問われた訳でもないのに、男──…
ラフィットは、答える。
──…いなよ。
 光景を、少女が、じっと観ていた──。

「………。」

──…ちいさい。
 それは、ただただ、いたましいほどにちいさく──おさない少女。
──…まだ、ほんの子どもだ。



──昼過ぎの船室は、おだやかに揺れていた。
 ラフィットに与えられたそのふねは、波止場に在って微睡むようだ──…。

「おひとつ如何いかが?」

 きみも、と続けて、おとこは少女を手招く。

「──…。」

──まねかれて。少女は、立ち上がる。
 まだ、うらがわの柔らかな、その素足で……。
 そうして。カーペットの上を、とことこ歩いてきた。

「──いい。」

 ほろほろと男はわらう。
 薄いみどりの包みを、白く、節ばんだ、長すぎる指はつまみ上げる。──…子どもに、差し出す。

「──…さ、どうぞ、」

 子どもは、仔猫のように鼻先を近づけて、男の指がつまんだままの包装をすんと嗅ぐ。
 途端、おさない眉間にくしゃっとしわを寄せ、顔を背けた。

「おやおや」

──…紅いくちびるは、また、ほろほろ笑う。

 そのひとの、過大な長身──。椅子に座ったそのままで、背骨をぐうと曲げ──…ラフィットは、ちいさな子どもと目線を合わせる。

「──どうしましたか?」

 男の高い鼻梁は、そっぽをむいた少女の、やわらかいほほ・・肉と今にも接しそうだ。

「薄荷はお嫌いでしたかな──…?」
──男は、白々しく言う。

 ころん、

 男の口内で、飴玉が転がる。冷たい刺激は唾液におかされ溶けてゆく。
──長い長い両腕が、少女のわきに差し込まれる。
 ちいさなこどもの軽いからだは、難なく持ち上げられてしまう。
──そのまま、骨ばんだ膝の上にちょこんと置かれた。

「薄荷は、お嫌いか。──…それは、それは、失礼を致しました。」

 男はその背を屈めたまま、少女の目線を覗き込む。
 苦くつめたい刺激をもった草のかおりが、少女のしたあご・・・・に触れる──かおりと反して微風の温度はなまぬるい。
 吐息は、子どものちいさな耳介にかかる……。

「わたしですか? 好きでもありませんねえ、甘いものは。──…薄荷もね。」

 また、聞かれてもいないのに、男は答える。
──…少女は、なにも返さない。
──そのおさない喉からは、どのような音も、発せられることはない。

──言葉が遅い・・・・・という事とは、また、異なる・・・……。



 乱れなく衣服を着こなす男のポケットは──…しかし、そこだけ、いびつ・・・に膨らんでいる。
──入り口からはほんのりと、飴玉の包装紙が覗いていた。
 ほとんど、みどり色の飴ばかり──。

「きみは、この味ばっかり残すから──…」

 残りもの。つぶやき、口の中で、苦くすうっと冷たいたまを転がして──…みたび、男はほろほろ笑った。
──…いつまでも、誰も食べずに残していたら、ポケットの中でべとべとにとろけてしまう。

(──仕方がないので・・・・・・・わたしが舐める。)

「まあ、構いませんがね」
 私、低血糖症なので。──やはり、ひとりきりで男は喋る。
……かれがよく、棒付き飴ロリポップを舐めているのも、かれ自身の嗜好というよりその体質のためだった。

「──…舐めていないと具合が悪くなるもので。」

 白粉で塗り固められた頬。その片側の内部に、飴のたまを寄せ──…男は、反対側を少女の頬にすり寄せる。

──やわらかな子どもの白膚ひふと。化粧品のかおりを纏う、粉じみた男の皮膚とがこすれあう……。

──ぞっとするほど・・・・・・・長い指。男の大きな手のひらは、硝子のようにほそやかな子どもの肩を覆った……。

「──…いい。」

 また、おなじことを、つぶやいた。
 うろんな男。その、白皙はくせきかお──…。
 少女のやわこくちいさな両手は、すり寄ってくる男の片頬に、ぺったりとくっつく。
──…そのまま、男の顔を、ぐい、と押し返す。
 ひとに馴れた猫が、それでも過剰な接触を嫌がるように──…。

「ひどい」

 うすい頬を、ちからいっぱい押されつつ──…ラフィットは、大袈裟に嘆く。
 いったん、曲げた自身の背ばしらを、彼はひょいと伸ばす。──そのまま頭を持ちあげて、子どもの手から逃れた。

「──…ほら。仲なおり。」

──けれどそのあと、性懲りもなくまたひょいと背を屈め。やわらかい子どものほほ・・に、口紅の跡をつけようとする……。

 しまいには、ちいさくやわこいのひらに、
ぺん、とかおを叩かれた。
──薄荷のかおりを嫌ってか、べに色のべとつく接吻をいとうてか──少女は、そのまま、男の膝からするりと逃げた。

「つれないなあ」

 そのひとの、常に上向き、細い月のかたちを留めたままの口角。その角度が、一瞬、くったりと下を向く──…。
──けれど、そのは、瞬きもせずに。ただ、見開かれたまま……。
 いっときも、少女からを離さない。
──いつ、まばたきをしているのかも、わからない。……目蓋まぶたを持たないやもり・・・のように。いつだって、そのは、正円せいえんに見ひらかれている。

 それは、どこか、ぶきみ・・・なくらいに。



「やれやれ──…」

 男は、膨らんだポケットのおもて・・・に触れた。
──優美なかたちの指で、しばらく勿体ぶったようにその膨らみを撫でつける。
 逃げていった少女は──…しかし、ふたたび
にじり寄って来た。

「さあて、あとは何があったかな?」

 わざとらしく言う。指が、飴の包みを引っ張り出す。──…あかい。

「りんごだ!」

 男の宣言は、やっぱりわざとらしい。
──けれど、子どもはまんまと引っかかる。ほとんど駆けるようにして、男のもとへ帰ってきた。





──少女に、飴を剥いて食べさせる。

 飴をつまんだ男のゆびに、少女のやわこい吐息がかかる。こどもは、むじゃきに口をあけて・・・いた。
──…ひなどり・・・・のよう。
 誤飲しないよう、おとこが見守るそのそばで、少女はころころ飴を舐める。

「──…おいしいでしょう?」

 ちいさな乳歯。──真珠のように小粒なそれらが、ふいに、とざされた。……うわあごと、したあごが、噛みあわさる・・・・
──…ほのかにあかい、澄んだ砂糖のたまを──乳歯たちは、噛み砕く。

「おやおや……。」

──…硝子ガラスを砕くようにして。





『ペパーミントキャンデイ』 02



 
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