鬼さん鬼さん、こっちを向いて4
「先生ぇー!」
「うるせい。玄関の戸は静かに開けな!……って、か、からまつさん……!?」
「栗きんとんが美味いと噂の甘味屋を見つけてな!お土産に持ってきた!」
「あ、ああ……ありがとう、ございます……後で彼女に渡しておくよ…」
「ああ!よろしく頼む!!」
すっぱーん!と大きな音を立てて戸が開かれたもんだから思わず反射で口答えしてしまったけれど。戸口に居たのは昨日の極道様様。とりあえずお茶でも出しますよ、と座っていただいたのはいいものの。かれこれ数分。互いに特に話すこともなく。
じぃ。穴が開くほど見つめられてひどく居心地が悪い。なんだって昨日の今日だぞ。『お市ちゃん』の情報を教えてやっただけなのに。あたしゃ、なんにもしてねえよぉ!
その情報も出任せだから早速違和感を覚えられたのかもしれないが。
「え、ええと。あたしの顔に何かついてます?」
「ああ!すまない!何でもないんだ!」
「何でもないなら、何故……あ!お市のこと、何が知りたいですか?」
「いや、それは…ああそうだな、お市ちゃんはよくここに来るのかい?」
「ああ、まあ」
「そうか!今呼んでもらう事は可能か?」
「い、今ですかい!?」
「駄目か?」
「え、ええと今は多分お稽古のほうに行ってるんで、そうですね…酉の刻には戻るかと」
「そうか、ではまた来る」
「は、はい。お待ちしてます」
戸が閉じてようやく息をつく。さっきはああ言ってしまったけれど、非常にまずいことになった。酉の刻までそんなに余裕があるわけではない。早々に対策を考えねば。
十四松をちょいと借りてくることが出来れば無問題なんだが。
急ごう。

郭といえば来るのは男性しかいないもので。芸者を巡って問題が起きることは珍しくないのだ。だからそれに対策できるよう郭には用心棒を雇っているところもある。トド松の郭で十四松は用心棒の役をしているのだ。確かほかにも居たはずだし一時ばかり借りるのも問題ないだろう。
「十四松、トド松いる?」
「あれ?にーさん!昼間にこっち来るの珍しいね!待ってて!今呼んでくる!」
十四松が店の中へ消えてから数秒、いそいそと奥からトド松が出てくるのか確認できた。
「一松兄さん?血相変えてどうしたの?」
「ちょいと相談なんだが、十四松を今から戌まで借りることってできるかい?火急の用なんだ」
「うーん……今混みだす時期だからあまり穴開けたくないんだけど……」
「件の極道サマを呼び戻すことができるって言っても?」
「……何か企みがありそうだね?だったらいいよ、上乗せ、期待してるね」
「恩に着る。十四松、来い」
「あいあい!」
十四松を連れて酉の刻に青い極道が来ること、その間おれは芸者に化けるから、十四松に『先生』の役をやってほしいということを簡単に説明した。
ちいと稚拙な感じもするが、あれは随分とおれを疑っているみたいだし、あれの興味をおれからお市に戻せばいいだけだ。
おれの振りをさせるのに一番適してるのは十四松だ。幼い頃より一緒に過ごした日々はおそらく誰よりも永い。逆もしかりだが、如何せんおれには筋力がなくていけねぇ。
「――とまぁ、こういう訳なんだ。この間だけ、十四松、お前にはおれの振りをしてもらいたい」
「つまり極道にーさんを一松にーさんが相手してる間、一松にーさんの衣借りて文机に向かってればいいんだね?」
「そういうこと。もしあの極道に話しかけられても無視してくれていいから」
「でも、ぼく一松が手籠めにされそうになったら抑え効かなさそう」
「馬鹿。そこの心配はいらないよ、だっておれはすぐ退散する予定だからね。……そろそろ刻だ。頼むな」
「一松の衣借りるの久し振りだね!昔もどっちがどっちだっていたずらしてたよね」
「懐かしいね、おそ松兄さんにはすぐスッパ抜かれちまうだろうけど」
「ちげぇねえ!」
十四松に紫の羽織を着せてやって、昨日書きかけていた文章を文机に広げる。おおっといけねえ、墨も磨っておかねぇと。そうして自分はくるりと宙返って女に化けてやる。今日は別に客へのもてなしってぇわけじゃあないからそんなに目立たなくて良いか。
「おおー!にーさん!美人っすね!」
「はっ。そんなに褒めるんじゃあないよ。ほら、十四松」
「へーい」
十四松はだらんと腕を下げ、背を丸くしながら文机に向かっていく。さすが、おれの相棒。背中だけ見りゃ本当の『作家先生』が仕事しているようにしか見えない。全く恐れ入る。
さて。あたしも腹括らにゃあならんな。もし長くなるようなら相手は三味線になっちまうけど、まぁ問題はないか。
「よぅ!先生!!遊びに来たぞ!!!」
「……もう来ちまったのかい。早漏な男は嫌われるよ?」
「!!あんたは!!」
つかつかと歩み寄ってきた男は少し顔を赤くして息を巻いた。
「旦那ぁ、もしやこんな昼間っからもう呑んでるのかい?」
ぺと、と頬を撫でてやると頬はひんやりと冷たかった。かかか、と男の頬がまた赤く染まる。
もう神無月の半ばだというのに襟巻もせず、走ってきたのだろうか。お熱いことだ。
「の、飲んでないぞ!まさか本当にお前さんがいるとは思わなくって!俺はもうお前さんにとーんときちまってよお……今はこおんなあばら家に通ってるんだぜぇ?」
「こおんなところで悪かったね。さ、早く入ってあったまりな。寒かったろう」
「ああ、すまない」
「お茶でも出すよ。お前さんに貰った栗きんとんをいただこうじゃないか」
「先生は?いいのか?」
「一松は筆を取ると何も聞こえなくなるんだ。後で食うだろう」
「へぇ殊勝なことだな」
十四松。何より甘いものが好きなのに、今にだって食いたいだろうにすまない。も少しだけ我慢していてくれ。祈るように十四松の背中を見ていたらカラ松さんもじっと十四松の背中を見ていた。今朝と言い、今と言いどうしてあんなに見つめているのだろう。出会って何日も経ってないというのに。……まさか、もう芸者遊びに飽きたのか!?それはそれで有難いけども。いやはや惚れっぽい人だとは思っていたけれどこんなに早いことってある!?やくざ分かんねえよこええよ……。
うろ、と目線を泳がすと眼に入ったのは黄金色の甘味。そうだった栗きんとんを貰ったのだった。極道様の買ってくる菓子たぁちょっと恐ろし気ではあるが、ええいと栗きんとんを口に放る。あ。
「……あんまぁ〜!」
「美味いか!?珍しく美濃のほうの菓子が入ったらしくてな?売り切れ御免のところを寸で買えたのさ」
「ああ。やっぱりか。栗きんとんといえばすやのが一等美味いもんなぁ」
「喜んでもらえてよかった」
にこりと笑って喜んでいるところを見ると飽きられたわけではなさそうだ。心底嬉しそうな顔を見て少しだけきゅんと胸が鳴る。しかし咀嚼している様をまじまじと見られて先ほどのときめきは即刻消え去った。なに、怖いんだけど。居心地が悪かったが、菓子は美味いので気にしないことにする。ずずず、とお茶を飲み干したのを見届けると、男はすくっと立ち上がり、帰り支度を始める。
「ん?もういいのかい?」
「ああ。少し確認をしたかっただけだから」
「確認?なんの?」
「何でもないよ『お市ちゃん』。またお前の店に寄らせてもらうな?」
「あ、ああ。たんとサービスしてやるから懐を温かくして来ておくれ」
「はは。肝に銘じておくよ」
たん、と戸が閉まるのを確認して。はぁぁとため息を付く。
「なんなんだあん人は。怖いわぁ……。十四松?」
「……終わった?」
「ああ。お疲れ様。甘味、我慢させて悪かったね、残りも食っちまっていいよ」
「いいんですかい!?」
「うん。お茶淹れなおしてくる」
「あざまーす!」
カラ松が残していった手土産はすべて十四松の胃の中に納まった。おいしかったっす!と喜ぶ弟のなんとも微笑ましいことか。
十四松から自分の衣を返してもらい、それを羽織る。そんじゃまたひと仕事してきまっす!と駆けていく姿を見送った。

『やっぱり、先生が』

戸を閉めるとき、風に乗って己の名前を呼ばれた気がした。にゅっと生えてきた狐の耳をぴくぴくと立たせる。狐の耳は人間に比べて聴覚が優れている。
「――誰だ……?」
中に、誰か、居る?
「……」
ぶる、寒さを感じて腕を擦る。こんなに寒くっちゃいけねえ。疲れているのか、風の音すら話し声に聞こえちまうな。
かさかさと入り込んだ落ち葉を拾い戸口をしっかりと閉めた。



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