鬼さん鬼さん、こっちを向いて2
朝。
いつものように一松は目を覚まし近所のめし屋に足を運ぶ。給仕の女子にいつものきつねうどんを頼み、ずるずると啜った。あたたかい汁に甘い油揚げ。それらを胃に収め、ぽかぽかとしてきた体に一息付きながらぽりぽりと漬物を噛む。
「や。お前さんが作家先生かい?少し聞きたいことがあるんだ、座っていいか」
背中から声を掛けられ少し驚くが、作家をやっているとこう声を掛けられることも少なくないのだ。今日はファンか、冷やかしか、どっちだろうか、どちらでも構わない。どうぞ、と相手を見ずに応えるといつかの青い着流しを纏った男を確認し、ぎゃあっ、と声を上げそうになるのを必死で堪えた。
(あ、青鬼ぃいいいいい!?なんでここに!?)
男は机を挟んで作家の目の前の座布団へどっかりと腰を下ろした。矢張り青鬼はどこの界隈でも有名らしい。心なしか店内の気温が下がった気がするし、こちらを見てひそひそと何やら言われているのが聞こえる。
「な、なんの御用でございましょうか……?」
「お前さん、芸者に詳しかったりするのかい?」
「え?」
「かくかくしかじかで深川のあばら家に住む作家先生に聞けって言われたんだが……」
「そういう事かよ……あんにゃろう……いきなり本人に確認させるってどういう領分だよ」
「え?本人?」
「何でもないです……」
あいつ絶対事細かに説明するのがめんどくさくなったんだ。そうに違いない。そういうとこがダメなんだよ兄さん!
「改めて初お目にかかる。俺は松野家に生まれし次男、松野カラ松。カラ松って呼んでくれて構わないぞ」
「一松。燃やせないゴミですどうぞよろしく。……で?何が聞きたいの?」
「(ゴミ?)そ、そうだな……んん“っ…お市ちゃんの好きなものとか……」
(うっわー思っていた以上に純情なお人だった……)
「ね、ねこ……」
「猫?」
「あとは甘味とか、が好きだ…………ったと思うよ……」
(何が悲しくてこんな色男におれの好きなものを教えるなんて羞恥を受けねばならんのだ……おそ松……恨むぞ……)
「猫。猫かぁ……なんて愛らしいんだ……確かに彼女自身もお猫様のように人になつかない雰囲気を醸し出していた……」
「ソ、ソウダネ……」
「ありがとう!先生!先生は物書きなんだろう?先生の著書もまた読んでおくぜ!じゃあ!」
ぱたぱたと駆け出していく背中を見つめながらため息を吐く。お前さんの愛しのお市ちゃんは年も幾歳重ねたこんなあやかしだよ…すまないねぇ…。
がっくりと肩を落としているといやぁ極道ものってのはおっかないねえ一松さん、なにやらかしたんだい?なぁんて店主や給仕に心配されちまった。何でもないよ、と答えられたが、なんでもなくない!死にたーい!って思ったのが心情だ。
とりあえずいきなり刺客をよこしたおそ松を殴りに行こうと支度をする。
さすがに一介の物書きが正面から極道の門を叩くなんて騒がれそうだから夜更けに皆が寝静まった頃に遊びに行ってやろうかね。今日は十四松もトド松も帰ってこないはずだったし。
いつか呑もうと用意していた一級品を蔵の中から引っ張り出し、酒も飲むからそのまま寝てしまってもいいなとひとりごちる。



――深夜。草木も眠る丑三つ時。この時間と逢魔が時は我らあやかしのちからも強くなる。屋根を伝い、このお江戸でも目立つ商屋を目指し風を蹴る。
見えるは窓に佇み涼んでいる兄の姿。窓は開いていた。
たん。と窓の桟に立つ。兄はおれに気づいても特に顔色を変えることなくにこにこ笑っていた。(知らせを出していたし驚かれたらそれはそれで少し悲しいのだが)
「――よう。一松。いつもの着流しもいいが水干もいいなぁ。旨そうだ」
「寝ぼけてんの?」
「起きてるよ。今日は一松が来そうだと思って待ってた」
「へぇ。おれも兄さんが起きてると思ってたよ」
「以心伝心だな。結婚する?」
「しない」
「いけずぅ」
「そこで不機嫌にならないでよ……今日はいい酒持ってきたんだから。兄さん好みの強いやつ」
「お!気が利くじゃん!丁度寝酒したいと思ってたんだよねぇ」
「兄さんっていっつもお酒飲んでない?天狐じゃなくてほんとうは酒童子なんじゃない?」
「えへへそうかも?……で?こんないい酒用意してお兄ちゃんに何の御用?」
「カラ松」
「あららぁ早速そっちに行っちゃったわけね?あいつ無駄に行動力あるよなー」
「まずは殴っていいかな?」
「やめてよぉお兄ちゃん暴力はんたー……って痛い!!!!」
「一発で済んだことに感謝しな。はああ……ったくなんで本人に会わせるかなぁ?」
「え?なに?もう化けの皮がされちゃったの?」
「いいや?あいつの頭の中は『お市ちゃん』で一杯よ」
「へええ?面白くなってきてんじゃん」
「お偉方の余興でしょ?どうせすぐ飽きる」
「あいつが一人に熱上げるなんて珍しいんだよぉ?せいぜい愛されるのを楽しんでれば?」
「珍しい、ねぇ……。せいぜい逃げ回ることにする」
「やだ一松ぅ男の恋心を弄ぶなんて!」
「む。心外だな。思い人がこんなあやかしって教える方が残酷でしょ?芸者との一夜限りの思い出のほうが浪漫があるだろう?」
「そういうもんかねぇ?お兄ちゃん人間の心はわかんなぁい」
「人間ってのは手が届かないものほど欲しがるもんさ。これでいいんだよ。これで。」
「お前がそれでいいならいいけどね。ねぇ、カラ松に聞かせた唄を俺にも弾いてよ」
「兄さんには聞き飽きた歌だと思うけど」
「三味線は弾ける?」
「大丈夫」
はい、と差し出された三味線をべんべんと何弦か弾いて音を確認する。
聞かせるのは昔っから馴染みのあの子守唄。
おれと、十四松と兄さんの思い出の唄。
「あいつにきかせたのは筝だったけど、これでいいかい?」
「うん。今夜はよく眠れそうだ。今も俺の子守唄を覚えていてくれるなんて兄貴名義に尽きるねぇ。一松、今日は泊まってくだろ?」
「うん、まぁ今日も寒いしね」
「へっへ、久々の人肌だわー……」
「ふふ、なんだよそれ」
「灯り、消しちゃっていい?お兄ちゃんもう眠いよ」
「いーよー……」
「ふは、お前がもう寝てんの?おやすみ一松」
「おやすみ、にいさん……」
(あーぁ、明日も来られたら、どうしよう……)
そのときの対策もしっかり考えねばいけないし、文字書きもネタがない。いろいろやらねばならぬことがあるけれど、今はこの微睡のなかに埋もれていたい。



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