鬼さん鬼さん、こっちを向いて1
(へそウォ派生極文+青九)




松野組には、鬼が居る。

2代目頭領、松野おそ松。ひとの生かし方、殺し方、扱い方に長けており恐ろしさを持ちつつも誰もが憧れるその力量。まさにカリスマ。朗らかそうに見えて腹の底は覚(さとり)でさえも見抜けないという。
次第に赤鬼と揶揄されるようになったのはいつだったか。そしてその話題は次第に尾がつき鰭がつき、松野組頭首おそ松はあやかしの類いではないのかと言われるようになる。
松野組に睨まれたらたった1匹の鼠でさえ地の果まで追い詰められる、こわやこわや、と世の中でまことしやかに囁かれ始めた頃のお話である。


「一松兄さぁん!助けてぇ!」
「なんだよトド松」
「今日来るはずの女の子が風邪で寝込んじまったんだよぉ!」
「そうさなー最近寒くなってきてるもんな。トド松お前も気をつけなよ?蜜飴渡しておくな」
「あ、ありがとう。じゃ、なくて!その子が応対するはずのお偉方の予定が早まって今日来るらしいんだよ!」
「ああ?そんなら風邪で寝込んでるんだから約束の日にまた来いって言やあいいだろう」
「そう言えたらいいんだけどね!!ねえお願いだから!」
「おれに女に化けてくれって?」
涙目になってぶんぶんと首を降る弟はこの世の終わりとも言える顔をしていて、兄心を擽られるものではあるのだが。もちろんおれだって化け狐の端くれだ。女に化けて男を誑かす悪戯なんて数え切れないほどしているし、遊女芸者に化けて夜を共にした人の数などとうに忘れてしまった。化けることにはそれなりに自信はあるつもりだ。だけど、そもそもの性格は男をもてなすのに向いていないのも自覚しているつもりなのだ。
「だって、おれだよ?そもそもの相手とは違うわけだし、逆に機嫌を損ねちゃうんじゃない?」
「兄さんそれマジで言ってる?さんざ人を誑かしておいて」
「あぁ?」
「人をその気にさせるのに一松兄さんに右に出るものはいないって言ってるの!」
「買いかぶり過ぎだ、それにおれはお前ほど口が上手くないし…ああそうだ!トド松お前だって雪ん子の格好も可愛かったじゃないか」
「ボクはかわいくって女物が似合うだけ!女にはなれないの!そこで兄さんに頼んでるの!」
「おお。清々しいほどの自信に溢れた頼み方だな」
「ね?ね?いいでしょう?」
「んんんでもなぁ。いくら非人道なお人であろうとそもそもは遊びの席だろう?そんな切羽詰らなくてもいいんじゃないか?」
「馬鹿!この普通松!なんでも今日来るのが松野組の次男坊らしいんだよ!」
「ああ、青鬼の……。そりゃあご愁傷さまだねぇ」
「そんなお人の機嫌を損ねたらと思うと…!」
「お前の首が飛ぶ?」
「そういうのやめてよ!!可愛い弟が路頭に迷ってもいいって言うの?ボクが路頭に迷ったら兄さんたちも住む家無くなっちゃうんだからね!」
「前の野生生活に戻るだけさね」
「にいさぁん……」
ぐずぐずと本格的に泣き出してしまったようだ。ちぃと虐めすぎたか。確かにトド松の収入でそれなりの衣食住にありつけているのも事実だ。いつまでも甘ったれで仕方がない子だね。しかし松野組といやあ赤塚の方だろ?なんだってこんな深川の方に来るのかねえ。
どうせ面白半分で来ているだけさ。
すぐに飽きて帰っちまうだろうよ、と能天気に考え二つ返事で了承したのだった。

所変わって深川近辺の老舗の郭。ここから出ていったおんなは数知れず。何代も続いているトド松の店だ。兄弟贔屓、職権濫用?なんやかんやして臨時として一等の座敷に入ることを許されたのだった。大きく開かれた窓からは大きな深川が見下ろせる。
(こんなところ、滅多に来られないから緊張する)
座敷に招かれ久しぶりに着る芸者の羽織に身を任せながらぼんやりと考える。今日は何をしたらいいのだろうか。トド松からはいつもの兄さんでもいいから失礼だけは無いようにして!と念を押されたが、いつものでいいのに失礼は無いようにってどういう事だ。いつものおれは失礼の塊だと思うのだけれど。
先刻参った使いのものによると今日いらっしゃるお方は数分遅れて来るらしい。へえ。おんなとの逢瀬に遅れて来るたあ随分とお忙しいご身分のようで。遅れても許される身分たあ羨ましいねぇ。
――まぁいいさ。しばらくぶりの芸者だ。錆び付いた腕を慣らしておかねば。深川芸者は吉原芸者とは立場が違う。粋と張りを看板にする立場故に殿方の相手をするには芸を極めねばならないのだ。中には色を売るおんなもいるが基本は芸に秀でたものが揃う界隈だ。トド松の郭もそう。色を売るのは商売外。個人的に色を売ってもらうには客が芸者を「おとした」ときのみなのだ。
だからか深川の芸者は男前で強気なおんなが多い。名前も男の名を名乗っているものも多くいる。そんな芸者としておれは今ここにいる。
筝を引っ張りだし、ぴんぴんと何音か弦を弾く。うん。よく手入れされていていい子だな、こいつは。いい子は好きだ。
肩慣らしに唄う歌は幼き頃より育ての親、名山に住む名高い天狐が歌っていたあの歌だ。おれたちはこの歌を聞いて育ち、眠り、遊んだ。大好きだった、兄さん。あの黄金色のふさふさの尻尾にもう一度沈むことが出来たなら。絵空事を夢見ながら曲を終える。ふと気がつけば、随分と時間が経って居たようだ。ぼんやりと視線を上げれば歌舞伎芸者のような派手な羽織を靡かせた色男が襖に凭れて腕を組んでいた。
頭首に次いで恐れられる男。凛々しい眉には強い意志が宿っているのだろう。長男が赤鬼なのに対して青鬼と揶揄される次男は、その名の通り青い衣で闊歩するらしい。派手好きだと知ってはいたが、その衣が随分とギラついていて。これはまた歌舞伎にでも出てきそうなぎらぎらと金銀の刺繍が散りばめられた羽織である。目が痛い。思わずうげぇと顰めかけた顔をしっかりと直す。
「いらっしゃい。旦那、来てたんなら声を掛けてくれりゃあ良かったのに」
「いや、随分と綺麗なお嬢さんが美しい音色を奏でていたものだから思わず聞き入ってしまった。」
「お褒めに預かり、光栄だよ。早速だが何して遊ぶ?分かっているだろうがあたしゃ色は売らないよ」
「勿論だ。そのためにわざわざ深川まで来たんだから」
「……ほぉ。お若いのに色事には興味が無い?」
「と、いうか吉原が苦手でな…。女は好きだがああいうところは息が詰まる。なぜあんな牢屋みたいなところがあるんだろうな」
「同感だ。だが仕方がなくそこに身を落としてるものもいる筈だろ。一概にあそこにいることが悪いとも言えねえさ」
「おっとこまえだねぇ。惚れちまいそうだ」
「あたしに惚れると後が怖いぜ?」
「へぇ。そりゃあ楽しみだ」
「とりあえずは、飲みましょうか」
夜空を見上げて、ふたり。弦月ははらはらと座敷と我らを見下ろし優しい光を放つ。お酌をしてやりつつ少し話をする。碁を打ち、将棋を指し、歌を歌う。芸者だとしてもやはり素直に歌や演奏を褒めてもらえるのは嬉しいものだ。
お酒は美味いし、月は美しい。相手はとっておきの色男。
今日はなかなか良い夜だ。
「今日はいい夜だな。 美しい舞に、美味い酒、隣にはとびきりのいい女」
「……お前さん、女殺しってよく言われるだろ」
「えっ、そんなことないぞ?」
「無自覚なのかい?怖いねぇ…… 」
「ど、どういうことだ?」
「さぁ?」
詳しく教えてくれときゅっとてのひらを握られて少し体温が上がる。馬鹿野郎。お前が素直に褒めるもんだから恥ずかしくなったなんて言えるかい。なんて無言で返事を返す。
しばらく見つめあっているとするりと裾に熱いてのひらが這い回る。
それに気付き、ぱしんと邪な手を軽く叩いた。
「す、け、べ」
「ぬ、」
「お触りは、禁止だよ。せいぜい通って『おとし』な」
そっと厚ぼったい唇を指で押す。その指が不意にぺろりと舐められた。びくっと反応してしまうのは許して欲しい。
「ん、こら」
「ふっ、気の強い女は好きだ」
「へぇ、そりゃどうも」
「ならば今、この美しい手に愛を贈ることを許してくれるか」
「……まぁ、及第点かな」
へらりと笑ってそっとその唇がしろいてのひらに触れる瞬間、襖の奥からどたどたという足音と誰かの嘆くような叫び声。
『……さん!今はお待ちください!』
「「?」」
すぱん!と開かれた先に立っていたのは真っ赤な着流しを洒落に着こなす若者の姿。腕をだらしなく袂に仕舞っているのも妙に様になっている。
「……兄貴」
ぼそりと呟かれる言の葉にはいい所で邪魔しやがってこの野郎という恨みがありありと込められていた。ひえ、怖。
……松野家次男の兄貴。つまり松野組の現頭首か。
「お楽しみのところ悪いねー!カラ松、火急の用事だ」
「なんだ」
「アレが密かにうちを取り込もうとしているらしい、父さんが戻れって」
「父さんが動くなんて珍しいな」
「ま、そういうことだよ、急げよ」
「く、仕方がない……今夜は一緒にいられそうにないみたいだ。だが悲しむことはない、おれはいつだってお前を――」
「早くしろ。ってぇわけでごめんねぇお嬢さん……ってアレ?」
「なに」
「……カラ松、おれはこのお嬢さんと話してから行くから――、」
「なっ!おれが先に見つけたんだぞ!」
「違う違うそういう事じゃないから安心して先に行ってて」
「奪ったりしたら許さないからな!!」
「へいへい。」
またドタバタと足音を立てて青い衣が去っていく。
ところでなんでコイツは残ったんだ?おれ何かしたっけ。初めて会うはずだけど。じいいっと見られて少し後ずさる。おれの変化、まだ解けてないはずだよな。まだ美人の芸者のはずだ。
「へぇ……随分と、化けるのが上手くなったな、一松」
「な、なんのこと……?」
「あっひっでえの。育ての親のこと忘れる?普通。」
「えっ、育ての、って……」
にいっと笑って鼻の下を擦る仕草は覚えがある。
幼い頃ぷるぷると震えていたおれたち兄弟を拾ってくれた天狐。おれたちに寝床と食べ物と知識をくれた人。赤い目の兄さん。
「お、おそ松……?」
「そう!みんなのお兄ちゃん、おそ松でーす!」
「な、なんでこんな所に……」
「それはお前もだろ?お前、この郭で働いてんの?」
「いや、臨時。今日あの青いのを相手する子がばてちゃって。トド松に泣いて頼まれた」
「なるほどね。まぁお前化かすの得意だったしな」
「女に化けるの、絶対誰にも負けないと思ってたのに」
「その化かしを教えたのはだぁれだ?」
「お前だね……ちぇ、やっぱり敵わないか」
バレてしまっては女には化けている理由もない。どろんと元の姿に戻って楽な格好に戻る。やっぱり女の服は重くてしょうがない。あれ、戻しちゃうの。なんて残念そうに笑う兄にお前に媚びる必要も無いだろと笑った。
「お兄ちゃんの元でもっと修行すれば良かったんだよ」
「兄さんが急に出てったんでしょ。おれ、結構寂しかったんだから。十四松も小さいのにチョロ松兄さんに全部任せちゃうし!」
「いやーごめんごめん。人間界の食いもんって美味しくてさぁ」
「まさかまた会えるとは思ってなかったけど……」
「今までどう生活してたのも気にはなるけど、如何せん用事があってな」
「ん、さっきのだね。わかった。おれは今深川んとこのあばら家に住んでるから用があれば来なよ。あ、それともおれから赴いた方がいいのか?」
「いや、こっちから向かわせてもらう。会いに行くから。」
「待ってる。」
「ん、じゃあな。可愛い弟よ。」
わしゃわしゃっと頭を撫ぜられてたじろく。一瞬の出来事に上手く反応出来なかった。へへへと悪戯っぽく笑い、赤い衣を翻しておそ松はその場を後にした。
「お触りは禁止だよって言ってんのに……全くあの兄上は……」
松野組頭首はあやかしだという噂が聞いていたが、まさか本当にあやかしだったとは。そしてそれが自分らの兄だったとは。
焦がれてやまない、あの兄だったとは。久方ぶりに頭を撫ぜられた感覚にぼう、と過去の幻想に思いを馳せた。そこへばたばたとこちらに向かってくる足音。この音は分かる。おれの愛しの弟たちだ。

「一松にーさん生きてる!?」
「兄さん!大丈夫!?今柄の悪そうな連中がぞろぞろ表に来てて!」
「十四松、トド松」
「あれっ!?にーさん変化解けてるけどいいの!?」
「いいよ、上客さまはもう帰っちまった」
「さっきすごい金銀置いていったから一松兄さんになにかあったのかと思って……!」
「いや、問題なく…すごいいい客だった……十四松、松野組の頭がおそ松兄さんだった……」
「うおおそうだったんすか!ぼくも久し振りに会いたいっす!」
「え?兄さんたち頭領と知り合い?」
「ああ……トド松には言って無かったっけ?おれらがまだひよっこ妖怪だったとき育ててくれた人がいて、まぁいろいろあって別れることになったんだけど、その人が、」
「まさかの松野組の頭だったってえことっす!」
「へええ……縁って色々あるんだねぇ……」
「ともかく、今日は終わりでいいだろ。久々に疲れた…十四松、おれの事背負ってってくんない?」
「ハイヨー!十四松運搬でございやす!」
「うんうん!お疲れ様!青鬼さんもまた来るって言ってたから上々だよ♪」
「えー……なにあいつまた来るの?」
「一松兄さんにまた会いたいって!さすがに本名は悪いと思って今日の相手は『お市』って言っておいたけど――、ねえねえどんな手を使って誑かしたのさ?」
「え?ってかおれもうここ来ないよ?」
「ええ!?嘘でしょ!!」
「だって今日限りの約束だったろ?おれは文字書きに戻る」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「十四松、出発」
「往来!」
「待ってよ、にいさぁん!今後の売り上げぇ!!」

***

お江戸の真ん中。大店商屋、松野屋の二階に影三つ。晩酌を楽しみながら今日の成果を伝達する。赤い衣、青い衣、緑の衣。それぞれの背中には松を象った紋が光る。
「うーん……父さんが乗り出した割にはあっけなかったね」
「でも、あすこは今のうちに芽を摘んでおかないと後々脅威になってくると思うからそんなに骨折り損ってわけでもないんじゃない?な?カラ松」
「あんなのおそ松とチョロ松で畳めた仕事だろう!!俺は今日久々の休業だったんだぞ!」
「……いやーそれに関してはゴメンネ?」
「誠意がないぞおそ松!!」
「うるせい。もう丑初刻だ、大声だすんじゃあない」
「だってチョロ松!俺は、俺は素敵なお嬢さんと運命的な出会いをしていたんだぞ!もう一度会えるってえ確証もまだないのに!!」
「あ“あ”?つまりそれぁおれたちが働く間てめえはしっぽりするってえ事かい?それこそ許せんケツ毛燃すぞ」
そのまま人ひとり射殺せそうな眼差しに刺されて肩を揺らす。今日のチョロ松は如何せん酒の進むペースが速い。もう結構な量が回っているのだろう。
ここには味方がいない!こんな刻に出歩いたってやっている店などそうそうない。ふて寝するしかない。
「そうだおそ松」
「なぁにぃ?」
「お市ちゃんについて詳しく教えろ」
「ええ?だぁれそいつ」
「今日郭に一緒にいたお嬢さんだ。お前知り合いなんだろ」
「あいつあんな名前なの…えぇー……ってか俺何も知らないよぉ」
「なんでだ!」
「だって知らんもんは知らんもん!」
「仕事終わりに見に行ったら彼女は飛び入りだっていうし、名簿に無いから住んでいる場所すらも分からない!」
「あーそうも言ってたなぁ……」
「お前とあの子はどういう関係なんだ?知ってることを洗いざらい話してもらおうか」
「ええっとぉ……そうさなぁ…ああそうそう深川のあばら家に作家先生がいるんだけどよ、そいつに一回聞いてみれば?多分お前にとっていい情報を呉れると思うぜ」
「作家先生がなんで……」
「まあまあ騙されたと思って」
にこにこ笑うおそ松がなにか企んでいるような気がしないでもないが、現状当てもないのが事実だ。仕方がない。明日にでも駆り出してみようかと晩酌会場を後にする。

「――なに?お市ちゃんて」
「今日あいつがしっぽりしたがった芸者さん」
「あいつ芸者遊びなんてしてたのかよ…吉原?」
「いんや辰巳」
「へぇ?あんなとこまで行ったの?珍しいじゃん」
「な?しかもその芸者に一目ぼれだってよ」
「騙されてない?」
「それはない。いや、ある意味騙されてるのかなぁ?」
「?そういえばお前は知ってる体だったけど、そんなに美人なの?」
「そりゃあ美人よ、息をむくらいに。……だってそいつ一松だもん」
「いちまつ……ってあの一松!?あいつここに居るの?」
「俺も今日知ったんだけどね。チョロ松兄さんにお礼言いたいって言ってたぜ」
「お前があの狐狗を放ったせいでずいぶん世話したからね……ってかあれ?カラ松って一松のこと知らない?」
「多分知らねえんじゃないかなーあの二匹が居たときって俺が山に居たときだったし、丁度あいつが放浪しまくってたときだし」
「騙されてるってそういうこと……」
チョロ松はしかしアレに懐かれるってなかなか心が折れるぜ、がんばりな一松と小さく弟へエールを送ったのだった。




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