稽古前、稽古後

「わ、」
「おっと」

洗面所から出たら、万里くんと鉢合わせた。
一緒にゲームをしたりして少しずつ万里くんに慣れてきていたつもりだったけれど、ポートレイトの中間発表以来、なんとなく前以上に距離を感じることがある。
普段そういうことはないから、それで避けられてるとか、嫌われてるってことはない。……と、思ってる。
万里くんが対抗心を持っている十座くんのポートレイトを見て私が泣いたから、確実にそれが引っかかっているんだろう。だって、時々あの時のことを言われるし。そういう時の万里くんは、意地悪だ。普段は普通の万里くんなのにな。

「なんか濡れてね?」
「今、お風呂掃除してて」

間違ってちょっとだけシャワーがあたってしまったのだと、服の色が変わってしまっているところを指差す。
ほらね、普通の、そして意外と小さなことに気が付いてくれる万里くんだ。

「よくこんな面倒なことばっかやってられるよな」
「MANKAIカンパニーが初代みたいに盛り上がって、前みたいに活気づいた劇場を見るのが、私の夢だから」
「夢って大体、将来こうなりてー、とかじゃねぇの」

ちょっとおかしな夢という自覚はある。しかも、役者でもない私が抱く夢としては更におかしいことも。

「役者でもないのに人任せな夢なのかもしれないけど……でも、絶対に見たいって思っちゃったから。私に出来ることならなんだってやりたいんだ」
「へー」

大して興味のなさそうな相槌をうった万里くんに、「早く着替えねぇと冷えて風邪ひくぞ」と急かされて部屋に戻る。
こうして気遣ってくれるのだから、いい人だと思う。
ただ、十座くんと喧嘩をすると怖いし、お芝居に対するやる気が一向に見えないことに不安と心配を覚えるけれど。
いづみさんは少しでもわかってもらえればと万里くんに声をかけていて、左京さんは自分で気付くまではどうしようもないと言っていた。
万里くん、どうするのかな。十座くんに対抗して劇団に入ったのは知っているけれど、もし本当にお芝居がつまらなくてやる気がないなら、もうやめているんじゃないかと思う。きっとまったく楽しくないってわけじゃないと思う……なんていうのは、私がそう思いたいだけなのかな。


着替えを終えて部屋を出たら、台所で十座くんに会った。飲み物を飲みに来たみたいだ。

「苗字も飲むか?」
「ありがとう」

麦茶を入れてくれたコップを受け取る。

十座くんのポートレイトを観た時、こんな想いでお芝居を始める人もいるんだって思った。
雄三おじちゃんの言う通り、技術はまだまだで、足りない部分が多いことは素人目でもわかる。けれど、自分の内側に抱えているものをすべて吐露するような彼のお芝居に、胸が熱くなって、つられるようにして胸の奥からこみ上げてくるものがあった。それが、十座くんのポートレイトだ。
ポートレイトの中間発表をしたあの日、稽古後に「私、十座くんのこと応援してるからっ」と伝えたら、「あざす」とどこか照れたように目線を逸らしながら言ってくれた。あれから、十座くんとは割と打ち解けてきたんじゃないかと、自分では思っている。

「これから稽古だよね。前に練習してた冒頭のところ、どんな感じ?」
「左京さんにコツを聞いて、多少言えるようにはなったが……全然出来てねぇ。まだまだだ」
「そっかぁ」

底なしの向上心は、彼にこれからどんな演技をさせるのだろう。
MANKAI劇場の舞台で、どんなお芝居が観れるのだろう。
そう思うと楽しみで、自然と笑顔になる。

「楽しみだなぁ、秋組の舞台」
「……ああ」

***

ジャージが入ったカゴを確認して、念のため秋組のみんなに声をかけに行く。
稽古後にみんなのジャージを洗うのは、秋組が加わっても変わらず私の仕事だ。

「ジャージ、もう他にないですか?」
「ああ、頼む」

左京さんの返事に頷いて洗濯物をしに行こうとしたら、万里くんと目があった。稽古をする時の万里くんは、前髪が邪魔だからか、ヘアバンドをつけている。

「万里くんっておでこきれいだよね」
「んだよ、その微妙な褒め言葉」
「いいことじゃん」

呆れたように笑った万里くんだけど、ニキビ一つないおでこは本当にきれいだと思う。羨ましい。
……と思ったら、私の額に手が伸びて、前髪を全部上げられた。

「名前も普通にきれいだろ」
「ひぇ」

えっ、なにこの体勢。
顔近い。
おでこ見られてる。困る。
でもこうして見ると、やっぱり万里くんイケメンだ。
……なんて、色んなことが頭のなかをぐるぐると巡る。

「おい、苗字がびびってんだろ」
「はぁ?どこがだよ」

十座くんの一言に、万里くんが青筋を浮かべながら私から離れる。
……たすかったぁ。
二人の喧嘩に助けられたのは初めてだな、と思いながら急いで洗濯機の方へと向かっていると、後方から左京さんの怒鳴り声が聞こえた。ドアの向こうから聞こえて来ても怖いその声に、万里くんの顔をあまりに近くで見たせいで若干熱を帯びていた頬が、一瞬にして冷める。
助かった、なんて思ったけど……やっぱり喧嘩はおっかないなあ。
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