少量の温めた牛乳でダマにならないよう気をつけながら、しっかりとココアを溶かす。かき混ぜながら更に牛乳を加えれば、すぐに出来上がりだ。甘いにおいが鼻腔をくすぐって、自然と笑顔になる。
今日はココアにコーヒーを足すことにした。ちょっとビターな味にして気分を落ち着かせたい時、よくこれを飲む。一口味見して、もうちょっとだけコーヒーを足して……うん、いい感じ。

「どうぞ。今日のはちょっとコーヒーが入ってるんだ」
「ありがとう」

早速マグカップを手に取り、おいしい、と呟いた密くんにホッとして、私も自分の分を飲む。
はあ、今日もココアがおいしくて幸せ。休日万歳。

「なまえ、今日疲れてる?」
「そう見える?」
「うん」

頷いた密くんに、びっくりする。確かに今週は仕事が立て込んでいて、ひどく疲れたから。ほんと、日本人のはずなのにまともに日本語が通じない上司を持つのはつらい。最悪。
でもその分、昨日はぐっすりたっぷり寝たんだけどなぁ。

「なまえ」
「うん?」

つんつん、と密くんが自分の眉の間をつつく。
どうやら仕事のことを思い出したら顔に出ていたらしい。眉間に寄ったシワを指摘された。
やっちゃった。今絶対ものすごい不機嫌な顔してた。ひどい顔を密くんに見られてしまった。

「い、今のは忘れてください……」
「どうして?」
「すっごい顔してたでしょ」

恥ずかしい。いや、結局それも私の顔なんだけど。それでも不機嫌な顔なんてそう見られたいものじゃないから、「もうやだーっ」と両手で顔を覆う。うう、上司のことなんて思い出さなきゃよかった……。

「なまえはかわいいよ」
「えっ」

今、さらっと可愛いって言われた。密くんが、可愛いって言った。可愛いの概念あったんだ、と大分失礼なことを考えるけれど、それが正直な感想だ。
ううん、本当はそれだけじゃなくて、真正面からそんなことを言われて、照れた。それはもう、とっても照れた。

「ひ、そかくん」

って、お世辞言えたんだ。
そう続けようとして、続かなかった。だってやっぱり、密くんってお世辞とか言えるように見えない。でも、やっぱり私よりずっと整った顔した密くんが本心から可愛いなんて……

「どうしたの?」
「あ、ううん!えっと、こんな風に可愛いなんて言ってもらえることそうないから、びっくりしちゃった」

あはは、と笑って誤魔化そうとするけれど、私の言葉に密くんはきょとんと首を傾げる。心底ふしぎとでも言うように。

「かわいいのに」
「ひぇ」

また言った……!
ドッドッと心臓が脈打つ。
「あ」とか「う」とか意味をなさない単語がぽろぽろと口から溢れる。なんで私、こんなに動揺してるんだろう。

「あー! そういえばね、最近この辺りで泥棒が出るんだって!」
「え?」

話題の変え方があまりに無理矢理であからさまだ。それくらい自覚はしてるけど、ほかにどうしようもなかった。あのまま会話を続けることも、密くんと目を合わせていることも、絶対無理だもの。

「大家さんに聞いた話なんだけど」

注意喚起として回ってきた泥棒の話を密くんに伝える。

「密くんも外で寝てる間にお財布盗られちゃうかもしれないし、気をつけてね」

密くんはふらふらしてるから、寝てるどころか歩いていても「あー」とか言ってる間に身ぐるみはがされちゃいそう。あれ、でも密くんいつも手ぶらだけど、お財布ちゃんと持ってるのかな。マシュマロは持ってるって知ってる。
お財布を盗られるで済むならまだいい方で、最近出ている泥棒は暴力沙汰も起こしているらしい。余計に怖い。
私の言葉に、密くんは心外だと言わんばかりに「そんなに不用心じゃない」と顔をしかめたけれど、全然用心しているように見えないからなぁ。

「怖いし心配だから、本当に気をつけてね」
「オレより気をつけないといけないのはなまえの方」
「それはそうだけど」

なんてったって、その泥棒が出ると言われている地域に住んでいるのは私の方なんだから。一人暮らしじゃ家を留守にすることも多いし、というか家にいる時に泥棒に来られたとして、私、ちゃんと防げるのかな。

「怖い?」
「……うん、こわい」

じっと私のことを見つめる瞳からは今だけは眠気を感じなくて、密くんが私のことを心配してくれているのがわかる。

「オレも心配」

密くんの言葉は、飾りがないと思う。平らかに、思ったことをそのまま言葉にしている感じ。だからさっき可愛いって言われたのもあれだけ戸惑ったんだけど。でも今は密くんが本当に心配をしてくれているんだとわかって、私に心を傾けてくれているのだとわかって、それがすごく……嬉しいと、感じる。

「なまえ、泥棒だってことわからずに家にあげそう」
「そんなことしないよ!」

心配してくれたと喜んだ途端これだ。憤慨する私をよそに、「知らない人にココアご馳走しちゃダメ」とマイペースに諭される。そんなこと言われたって知らない人にココアなんて──

「……それってさっきから密くんのこと言ってる?」
「オレは大丈夫」
「大丈夫って何が」

むぅ、と頬を膨らせる私に、密くんが口の端を上げる。
その表情がかっこよくて、ついドキッとしてしまった。

「なまえには枕とココアの恩がたくさんあるから、何かあったらオレが守ってあげる」
「それは、どうも……?」

意外な言葉に、照れるとか驚くとかより、ぽかんとする。

「うん、約束」


そう言って絡んだ小指の感覚を、密くんが帰って十分経ってからやっと実感して、あれはいったい何だったんだろう、なんて後から私は一人で困惑した。バタバタと宙を蹴りながらお気に入りのクッションを力いっぱい抱きしめたら、ふわりと密くんのにおいがした気がして、「ひゃあ!」と声を上げてクッションを放り投げた。
なんか、おかしい。調子が狂いすぎてる。……やっぱり今週忙しかった疲れ、まだ抜けてないのかな。

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