牛乳はあまり煮立たせないよう注意して。しっかりと軽量したココアと混ぜたら、今日は泡立てた生クリームを乗せた。もちろん、その上には更にマシュマロを欠かさずトッピング。
用意した二つのマグカップのうち、一つはマシュマロが山になっていて、運んでいる最中に一つころりと落ちた。それは間もなく、私ではなく、今家にいるもう一人の口へと消えた。す、素早い……。
ふんわりと香る甘いココアのにおいは、前回少しおかしな会い方をした私達の間の緊張や焦燥を和らげてくれる気がした。……密くんが緊張や焦燥を感じているのかはわからないけれど。

「おいしい」
「それはよかった」

ふわふわのクリームを乗せたココアはちょっと特別で、いつもより贅沢な気分を味わえる。
ゆったりと、いつも通りの反応をする密くんにホッとすると同時に、これでいいのかなと不安も感じる。だからといって、なんて言ったらいいのか、何かを言うべきなのかもわからなくて、結局その惑いを押し流すように、ココアを飲んだ。ん、おいしい。

「──記憶喪失だった」
「うん?」

きおくそうしつ?
記憶喪失、って……?
えっ、記憶喪失!?

「急にどうしたの?誰が!?」
「オレが」
「えっ!?密くん、記憶喪失になってたの!?」

まさか会っていない間にそんなことが、と思ったら、そうじゃないと密くんが首を振る。

「ずっと、昔の記憶がなかった」

うん……?

「それってもしかして……私と最初に会った時から、ずっとってこと?」
「そう」

突拍子もない話に唖然とする。
私が今まで会っていた密くんには、過去の記憶がなかった……?

気付いたらMANKAIカンパニーの寮の前で寝ていた密くんは(どこかで聞いた話だな、と思った)、監督さんに言われるがまま役者としてカンパニーに入ったけれど、それより前の記憶がないらしい。

ないらしいって、言ったって……。

まともに何も考えられないままポカンとする私を他所に、密くんはのんびりとマシュマロを食べて、ココアを飲む。それを見ているうちに私にも密くんのゆったりした雰囲気が移ったのか、段々と落ち着いてきて、少しずつ、少しずつ、密くんの話を飲み下していく。
……ずっと、密くんのことをなにも知らないなって思っていた。
自覚をしているそれは少し寂しくて、踏み込みたい気持ちはありながらも自信がなくて、私が自分に誤魔化してきたことの一つだった。
思えば、密くんは別に話をしたがらなかったわけではない。いつも質問をすれば答えてくれたし、起きている時には時々話をしてくれた。そしてそれはいつも劇団の話ばかりだった。
それは劇団が好きだからとばかり思っていたし、実際その通りなんだろうけど、まさか、密くん自身それより前のことを知らなかったなんて。

「でも、記憶喪失だったってことは、今は……?」
「うん。思い出した。……詳しくは、話せないけど」

少し表情を暗くした密くんは、本当は話したいって思ってくれてるってこと、なのかな。

「どうして、教えてくれたの?」

そもそも話す必要自体、別にないのだ。記憶喪失だったことも、私は気付きもしなかったのに。
今日アパートの前で寝ていた密くんは、多分、この話をしに来てくれたんだと思う。それがどうしてなのかが、私にはわからない。
もちろん、密くんが自分のことを話してくれたのは嬉しい。会いに来てくれたのも、記憶喪失だったことを私に話そうと思ってくれたことも、嬉しい。それは、私が密くんのことが好きだから。でも、密くんは?どうして、話しに来てくれたの?

少し緊張しながら投げかけた質問に、密くんはまっすぐに私を見ながら答えた。

「なまえに知ってほしかったから」

シンプルなその答えは、もしかしたら私にとって一番嬉しい答えなのかもしれない。密くんが……好きな人が、自分のことを私に話してくれるのは、心を開いてくれているようで、信頼してくれているようで、嬉しい。
ぽかぽかと胸の中から発した熱が、身体中に伝わっていく。

「あの、ありがとう」

お礼を言えば、ふわりと優しい微笑みが向けられて、ドキッと心臓が高鳴る。
私も密くんのことが知れて嬉しいと伝えるべく開きかけた口は、密くんの次の言葉を聞いて完全に閉じてしまった。

「なまえが好きだから、ちゃんと話したいと思った」
「……。ちょっと待って」

落ち着け、落ち着こう、私。
たしかに今、告白まがいのことを言われた。言われたけれど、相手は密くんってことをよく考えるんだ、私。
絶対、深い意味なんてない。密くんだもの。
今、絶対顔が真っ赤になっているけど、それはこの際忘れよう。それにしても、密くんは顔色一つ変わらないなあ。ほら、やっぱり、告白なんかじゃない。

「えーっと、密くん、その言い方は誤解を生んでしまうから、避けた方がいいんじゃないかな……?」
「誤解?」
「その、好きだからとか言うと、恋愛的な意味に取ってしまう人もいるかもしれないっていうか……」

冷や汗をかいてる気がする。目が泳いでいるのが自分でもわかる。
私はそんな勘違いはしてないから心配しないでねって風を装いたいのに。私、ちゃんと言えてる?
……ちゃんと言えてないことを証明するように、こてん、と密くんが首を傾げた。ああー、伝わらなかったかあー!

「そういう意味で言ってるけど」
「そうだよねそんなこと考えてなんか…………え?」

今、なんて言った?

「オレは前からなまえが好きって、何度も言ってる」

…………え?

「ええええ!?うそでしょう!?」
「こんなことで嘘なんかつかない」
「そもそも前からって、そんな、す、好きとか、言われてないし!」

私の言葉に、む、と密くんが口を尖らせる。ええ、そんな顔するの?かわいい、なんて思って、今はそれどころじゃないんだとぶんぶん首を振る。
好きという単語が密くんの口から出たのを覚えていないわけじゃない。むしろ、毎回不自然なくらい意識していたから、よく覚えてる。……もしかしたら、毎回あんなに気にしていたのって、私が既に密くんのことを意識していたからなの、かなぁ。

「まさか、ココアを飲みに行った時に言ってたの、とか……?でもその後すぐに私の傍はよく眠れるって言ってたし……」
「うん。他の日に、なまえに会うのが好きとも言った」
「それって、全部……」
「なまえのことが好きじゃないと、言わない」

わ、わかりづらい!絶対告白なんて、思わないよ!
思い返しても、やっぱり告白とはそうそう思えないと文句を言いかけたところで、視線を下げた密くんが「でも、過去のことが何もわからないオレがこんなこと言ってもいいのかなとも考えた」と呟いたから、もしかしたら密くんはわざとわかりづらく伝えたのかもしれない、と思って、言えなくなってしまった。だからって、好きって言ったなんて胸を張られても困るけど。

でも、過去のことを思い出して、その上で密くんは、自分のことを話して、そして、好きって気持ちも伝えようって思って、今日ここに来てくれたのかな。
そうだったら、すごく嬉しい。
私は、密くんの過去も、それどころか正直普段の生活だってまともに知っているとは言えないかもしれないけれど。でももしかしたら、一緒にここで過ごす「密くん」という人のことだけを見て純粋に彼自身を好きになれたのは、幸せなことでもあるのかもしれない。

「密くん、あのね……私も密くんのこと、好き」

なんとも分かりづらかったものの、好きだと言ってくれた密くんに応えるのは、とってもとっても緊張した。両想いって知ってたって、それでも声が震えたくらい。
密くんも、実は緊張してくれてたのかな。なかなか想像はしづらいけれど、でも、そうだったら嬉しいなぁって思う。

密くんは、私の返事が意外だったのか、言葉を失ったようにこちらを見て固まった。その反応に少し不安になって、段々そわそわしてきた頃、やっと、ふと息を吐いた密くんが一言、「うれしい」とだけ柔らかな声で言って……それは優しく、愛おしそうに微笑んだ。
その一言が、笑顔が、愛しくて。嬉しくて。大好きでたまらなくて。
きゅう、と心臓がこれほど強く締め付けられたのは、多分人生で初めてのことだと思う。

prev next
back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -