「劇は観に行きましたけど、こうして密くんの知り合いの方に会うのは初めてです」
「俺も、いつかご挨拶したいと思っていたんですよ」

声が弾んでいるのは自分でもわかった。それが伝わっているのか、卯木さんは控えめな笑みを浮かべる。


「密がいつもお世話になっています」

丁寧な挨拶をした卯木さんは、最後にそう言った。密くんの、昔からの知り合い。
突然名前を呼ばれるし、最初こそ警戒心を抱いたものの、「みょうじさんのことはよく話を聞いています。いつもあいつが押しかけた上に寝てばかりですみません」と密くん経由で聞いたであろう話に、更には「最近、何か悩みがあるみたいで……」とまで言われたら、信じる以外になかった。だってその言葉には、思い当たる節があったから。アパートの前にいた密くんは、いつもと様子が違ったし、元気がなかった。
だから、密くんを元気付けるために協力してほしいという卯木さんの言葉に私は二つ返事で頷いたのだ。

「あいつとはどういう関係なんですか?」
「か、関係!?友達というか、昼寝場所を提供する人とされる人というか……!」

言外に恋人関係を示唆されているのだろうと、大慌てで否定する。それにしても、やっぱりいざ口にすると私達は奇妙な関係だ。……友達、なのかなぁ。
奇妙といえば、家から一番近いカフェでお茶をするのが、まさか密くんより先に初対面の卯木さんとになるなんていうのも予想外で、おかしな出来事だなって思う。

「あいつの悩みについて何か思い当たることはないですか?」
「ごめんなさい。全然ない、です」

密くんのことをよく知らないのは、自分でもわかってる。普段の彼の話を聞いていても、不満なんて、有栖川さんの詩がうるさいとか、有栖川さんがくれるマシュマロがお徳用ばかりだとか、高遠さんに床で寝るなと怒られたとか、そんな他愛もないことばかりで、おおよそ悩みになるようなことではない。
私の返事に、卯木さんは熱のない、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。……って、そんなわけないよね。見間違えだろう。一瞬よぎったおかしな考えを振り払うように、ぱちぱちと瞬きをする。
だって……うん。ほら、穏やかに笑っているじゃない。

***

「送ってもらってすみません」
「いいえ、帰り道なので」
「――」

当たり障りのない回答に、言葉が詰まった。にこりと笑う卯木さんの顔は、最初に声をかけてきた時と全く変わらないように見える。つまり、暫く二人で話したものの、彼の方からは全く打ち解けてくれてないってこと、とも取れる。
カフェにいた時から少しずつ、少しずつ感じていた違和感。
なんだろう、なんかこの人……。

「あいつと次にいつ会うか、もう約束はしてるんですか?」
「いいえ、いつも偶然会ってるだけで。密くんの公演に行った時以外に、会う約束とかしたことないんです」

私の返事が意外だったのか、卯木さんは「へぇ」と少し考えるような動作をした。

そこで、ふと気が付いた。
卯木さんの口元には出会った時から微笑みがたたえられているけれど、目は、一度だって笑っていた……?

肌がぴりぴりする。
ここにきて、やっとわかった気がする。
ずっと、卯木さんは笑っているようで笑ってなんかいなくて、私はどこか敵意に似たものを感じていたのかもしれない。しかもきっと、彼は私が段々と勘づくよう、意図的にそれをやっている。そう感じさせてくるものがあるのが、空恐ろしい。
ここはもう私の家なのに、玄関前なのに、どうしようもなく居心地が悪い。

「あいつとの関係は?」

今日、二度目になる質問。
それを最初に向けられた時の慌てた心境とは、今は全然違っていた。びりりと痺れるような緊張感が身体を走る。
束の間言葉を探してから、私は一度目とは違う返事をした。

「私は、密くんのことが好きです」

はっきりと言い切ったことに自分でも驚いて、そして私の言葉を聞いた瞬間冷ややかな視線を向けてきた卯木さんに、もっと驚いた。
瞬時に露になった、敵意とも、侮蔑とも取れる視線にぞくりと戦慄く。
──怖い。
きっと今まで生きてきたなかで一番純粋に感じた、恐怖。畏怖。

「好きって、どんなつもりで言ってるんだ?会う約束もしないあいつに何を期待する?どうやってあいつを縛り付ける?」

鋭い眼光で私を見据える彼には先程までの愛想の欠片も残っておらず、その言葉も疑問を呈しているようでいて、実際には抑圧しか感じない。
冷汗をかいている。恐ろしいほど喉が渇く。
でも、頭のなかの冷静なところで、この人が言ったことは、よくわからない、と感じた。

「よく、わからないです」
「は?」
「あなたが何を言っているのか」

その「よくわからない」を放っておいてはいけないような気がした。ここで私が怖いからと逃げたら、二度と密くんには会えないんじゃないかと、どうしてか、思った。

「どんなつもりとか、期待とか、縛り付けるとか、なんだかよくわからないです」

眼鏡の向こうの卯木さんの瞳は揺らぐことなく、ただ真っ直ぐに、冷ややかに、私を見下ろしている。それを私も見つめ返す。

「そもそも私は密くんがいなくても生きていけるし、密くんだって別に私がいる必要とかないって知ってます。それでも、密くんと一緒にいられたら嬉しいと感じるし、一緒にいられたらいいなって思うから。だから好きって言ったんです」

生きる上で必要不可欠なわけではない。いなくたって生きていける。でも、相手を必要だと、心が感じている。一緒にいるという選択をしたいと思う。勿論、相手もそう思ってくれたなら、それは一番嬉しくて、幸せ。
私の傍は寝やすいと、会うのが好きと言った密くんが、安心して、居心地がいいと思ってくれているからだったら、うれしい。私も、そう思うから。
たった今まで形にする勇気がなかった「好き」は、私がこれまで思っていた形よりももっと柔らかくて、大きくて、ふわふわしていた。だからこそ、認めるのが怖かったのかもしれない。

「二度とお前があいつと会うことはないと言ったら?」
「悲しいです」
「追わないのか」
「密くんが追いかけていいって言うなら追いますけど、来るなって言われたら行かないです。それに、会おうって気になったら、密くんのことだからふらっと現れそうだし」

だからきっと、これまで同様私はココアを作って、ちょっと念入りに床を掃除でもしていればいい。
考えてみれば、それで「好き」だなんて世間一般からしたらおかしいのかもしれない。でも、

「密くんがどう思っていようが、もうここには現れなかろうが、私は密くんが好きですよ」

喧嘩腰に言う台詞じゃないよなぁと、内心苦笑した。
でも、ずっと言葉にするのを躊躇っていたものの、抱いたこの気持ちは確かだと、他の誰でもなく私が知っている。
例えるなら、休日の昼間、窓から射す光の下でぬくぬくと丸まって密くんが寝ている時に感じる、温かさや穏やかさ。きっと私の恋心は、あれと同じ温度をしている。私のクッションよりもふわふわしていて、時折捉えどころがなくて、でも確かに心の中をいつもいっぱいに埋めている。

密くんと私の関係はふしぎだ。
私は密くんに会いに行かないし、いつもこちらに来る密くんだって、直接私の家を訪ねてきたことは一度もない。大体の場合、近くで寝ている密くんを私が発見して、家に来る。密くんが来なければ私は彼に会えないし、私が見つけなければ密くんも私に会えない。どちらも積極性が足りなくて、どちらも、相手の行動がなければ会うことはないのだ。
でも、お互いに少しだけ手を伸ばしてはじめて触れあえるその関係を、私は悪いとは思わない。

そして、これはあくまで密くんと私の間での関係であって、この人は、関係ない。
そんな思いで見つめ返せば、卯木さんがドン、と私の顔の横に手をついた。

「ひっ」
「知り合いの名前を出されたからって、初対面の人間を家まで連れてくるなんて、愚かにも程がある」

殺される、と思った。
そして、妙に納得した。
ああそうか、このまま殺されたっておかしくはないのか。

そもそも密くんを拾った時だって、そうだった。あの時はあまりに心配だったから、家に招き入れてしまったけれど。
息をするのも憚られるのに、恐怖で息は荒くなる。ひぃ、ひぃ、と浅い呼吸を繰り返す私を何を考えているのかわからない瞳が見つめている。
でも……それでも、どれだけ怖くても、今すぐにでも意識を手放してしまいたくても、目だけは彼から離すまいと思った。それが、恐怖で動けない私の身体に出来る、唯一の決意の表しかただったから。……なんて、情けないけれど。

その後の記憶はない。気付けば私は、ふわふわクッションを抱きしめて、部屋の床で眠っていた。
うまく働かない頭で最初に思ったのは、まるで密くんだなぁ、だった。

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