少年少女は旅をする(完)


「よう、左京の坊主」

莇となまえが今日、ここに来ることは聞いていた。何にせよ無礼なことを言うのはわかっていたから、こうして莇の世話役である左京が挨拶という名の尻拭いに来たわけだ。

みょうじ会を訪れた左京は、機嫌が悪くなさそうなみょうじ会長から今回の事の顛末を聞いた。この食えない爺さんは、見た目の機嫌に騙されてはいけないのだけれど。
話は大方、左京の予想通りだった。
そもそも、なまえを溺愛しているみょうじ会長が、孫が絶対に嫌がるとわかりきっていることを理由なくやるはずがないのだ。縁談というもの自体、存在すらしないのではないか。どうせなまえを泊めていた会の者だって、皆会長の回し者のようなものだ。何かしら言い含められていたに決まっている。例えば、今日、莇となまえが二人でここに来るようにする方法、とか。
なまえも今年十六歳。法的に結婚できる年齢になる。
自称老い先短い身としては、可愛い孫の恋路を少しでも応援してやりたかったのだろう。しかも、相手が超がつくほど素直じゃない男だから。とはいえ、この爺さんなら百を超えても生きそうな気はするが。

しかもこの古だぬき、二人の後に来る左京に愚痴を聞かせることまで、ちゃっかり計算に入れていたのだろう。目の前に置かれた酒を見て、内心溜め息を吐きながら、左京はくい、と眼鏡を上げる。
これも莇の世話役だからだろうか、とんだ役回りだと思いながら、左京はその盃を煽った。


***


いつも通りなようで、なんとなく気恥ずかしいような、ぎこちないような、そんな雰囲気。
お互いにそれを感じながら、なまえと莇はみょうじ会からの道を歩いていた。

「ありがとう」

何度目かになるお礼に、莇は「別に」とそっけなく答える。大したことをしたつもりはない。

「あの、ね。莇」

言いづらそうに、というより、緊張した面持ちでなまえが莇に話しかける。それは先ほどまで伝えていた感謝の気持ちとは違うこと。聞きたいけれど、少し聞くのが怖いこと。久しく聞いていなかったから……ううん、こうもはっきりと聞くのはもしかしたら初めてかもしれない。

「私はこれからも莇のこと、好きでいていいんだよね……?」
「はぁっ!?」

直球な質問に莇は例のごとく顔を真っ赤にして、ぱくぱくと口を開ける。
けれどやがて落ち着いてきたのか、視線を落とし、「……俺は、」といつもより低めの声を出す。
莇だって、わかっている。いつかは伝えないといけないこと。
みょうじ会長が今回用意した場は、結果としてそんな莇の背中を押すものでもあった。

「俺はまだ夢を叶えられてねーし、これからも全力でそのために進んでく。だからきっと、他のことに構ってる余裕なんてねぇ」
「うん、応援してる」

夢を叶えたい。叶えると親にも、周りにも約束した。
まだそれを叶えてもない状況で、責任を持ってなまえを幸せにするなんてこと、莇が言うはずも、言えるはずもないのだ。
だから、いくらなまえが自分を好きだと言おうとも、たとえ自身も昔からこの一途な少女を想っていようとも、なまえの好意を受け入れることは絶対に出来なかった。それは、今も変わらない。

「それが叶えられたら――」

莇が足を止めて、なまえを見る。
翡翠色の瞳が、どこか寂しそうな色をしているように見えた。

「なんて、なまえはそれまで……」
「私、それまで待ってるね」

当然のように、なまえは口にした。言葉を止めた莇を見つめて、にこりと微笑む。

「小さい頃からこれまで、どれだけずっと莇のこと好きでいると思ってるの?約十年だよ?それでもずっと、これだけ好きなんだから、あと十年、何十年経ったら、私どれくらい莇のこと好きになるんだろう!」

何故か楽しみと言わんばかりのなまえに気圧されつつ、莇が戸惑いを口にする。

「お前、本気で待つ気かよ」
「うん」
「つーかそんなにかかんねぇし」

あまりに自信たっぷりになまえが頷くから、ふっと力が抜けて、莇は笑った。
そうだ、幼少時からコイツがこうなことはずっと知ってるはずだ。
多分、死ぬまでずっと変わらない。莇のことが最初から大好きで仕方がない、なまえという女の子。

「ね、ねぇ莇」
「ん?」
「そんなにかからないってことは、数十年も経たないうちに……私、莇と手を繋いだり出来るかもしれないってこと?」
「……なまえが待てればな」
「ま、待つー!」

ひゃあーっと照れた顔で声を上げるなまえに、莇は恥ずかしくなって、少し足を速めて歩き出した。なまえが簡単に追いつける程度の速度で。

「でもそれなら、先取りってことで実質今、手を繋いでもいいことに……」
「なるか!」

勢いよくなまえ振り返った莇は、軽口を言っていたなまえが、見てみれば実は莇以上に頬を赤く染めていたことに気付いて、咄嗟に息を呑む。莇に見られているとわかったなまえは立ち止まり、わたわたと両手を動かした。

「は、はずかしいから、今はあんまこっち、見ないで……」
「……っ」

そんなことをなまえが莇に言ったのは初めてで、……でもそんなことを言われたら、見つめたくて仕方がなくなるに決まっている。なまえはそんな心理を理解出来ていないらしい。そう開き直れる莇でもないけれど。
目を潤ませるほどに照れているなまえと、眉を下げて照れる莇。
目を合わせてはお互いに戸惑い、照れる様は初々しいことこの上ない。
それでもいつまでも立ち止まってはいられないと莇が動こうとしたものの、なまえは全然そんな素振りを見せなかった。まだまだ照れが収まらないらしい。

「なまえ、いつまでそこで突っ立ってんだよ」
「だって……だって、莇のことが好きなんだもん」
「……知ってる」

莇の、これまでとは少し違った反応に、視線を下ろしていたなまえはちらっと彼を見上げて、それから恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、笑った。

「うん」

知っててくれて嬉しい。そう言わんばかりの笑顔に、莇も安心したように口元が緩む。
なまえが一歩莇の方に踏み出して、隣に並ぶ。そうすれば、いつも通りの、昔からずっと一緒の、二人の帰り道だ。

結局、昨日も今日も変わらない。
なまえは莇が大好きで、莇はそれに応えない。でも、それでいい。それが今は一番いい。
……ああ、でも昨日と違うところが一つだけ。
今日は久しぶりに、家出少女は自分の家に帰るのだ。

そうしてまた、二人の「いつも」は続いていく。ほんの少しだけ未来の約束を共有して。

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