忘れられない日









刺すような風に煽られながら、私は満点の星空の下を静かに歩いた。其処彼処が崩れ落ちて無惨な姿になった学舎に切なさと懐かしさを感じ複雑な想いを抱く。お互いにヒートアップした彼等が容赦なく術式を発動させ、由緒ある建物を散々倒壊させた挙句、夏油くんの未登録呪霊が高専のセンサーに引っ掛かり、慌てて駆けつけてきた夜蛾先生にこっぴどく怒られているのを見掛けたのはもう何年も前の話だ。硝子が肘を付きながら「あいつらホント馬鹿だよね〜」とライターの火を灯し先端を焼いたタバコを咥えて笑う気持ちは分からなくもなかった。普段あんなに温厚な夏油くんをあそこまで盛り上げてしまう彼にはある種才能を感じたし、夏油くんもまた自由に力を使えることを少なからず楽しんでいたと思う。







「……捺にも恥ずかしいところを見せてしまったね」






頬を気まずそうに掻いた苦笑い。あの時の私は冷静じゃなかったよ、と後悔混じりに綴られる言葉が何だか微笑ましく見えて笑みが溢れた。そんな私に「……面白くはないと思うけど?」と口を尖らせる年相応の仕草に彼もまた、同じ高校生なんだと実感出来たんだ。












「……さとる、くん」











ぽつり、と名前を呼んだ。昨日の百鬼夜行が嘘のように静かな12月25日の夜。クリスマスがもう終わろうかという時間帯の今、あれだけの戦いの後でも幸か不幸か崩れなかった私の思い出の場所……校舎の裏側の非常階段。彼は私より先にその場所に座っていた。白い息を口元から吐き出した彼は顔を持ち上げて捺、と呟いた。普段のギラギラと眩い光が隠れ、儚く、繊細な色を灯した瞳が私を誘っているように見える。導かれるように彼の隣にまで階段を登った私がそっと腰掛けると悟くんはそれを待ち侘びていたかのように大きな体をずっしりと私の肩に預けた。



疲弊し切ったため息。ぐ、ぐ、と自らの手を握っては開くその動作。五条悟によって粛清され、死亡が確認されたという文面の通達を頭に思い浮かべて衝動的に彼の掌を握る。少しだけ震えた指先が戸惑ったように動いてからそっと、丁寧に私の手を悟くんは握り返した。暖かくて優しいこの温もりは、決して親友を殺す為に生まれたものではない。……実感は無かった。新宿で対応に追われていた私は実際に彼の姿を見た訳ではないし、彼の最期を看取る事もできなかった。夏油くんが死んだなんて、信じられなかった。



凄く、複雑な気分だ。あの頃の面影が薄くなっていた教祖夏油傑を祓い、ただの夏油くんに還してあげられたのなら、それは悪いことではないと思う。今の彼にとってきっと一番幸福な終わりを迎えられた、きっとそうだ。……そうやって思い込みたいのは私のエゴなのかもしれない。直接夏油くんと話した訳じゃない。もしかすると彼はまだ死にたくなかったのかもしれないし、まだやるべき事が残っていたのかもしれない。だから私達を恨み、呪いながら死んだのかもしれない。どちらにせよ“死人に口なし"今更彼の真意や本意を読み取ることは出来ないのだ。




私は正直、もうずっと、夏油くんとの関係はこのまま続いていくものだと思っていた。十年近く高専から逃げ続け、活動を行い、力を蓄える彼との決着は付かず、ついには曖昧にいつか全てが終わるのだと思っていた。それで良いと、願っていた。たとえ彼がどうであれ、生きていてくれれば十分だとそう言い聞かせてきた。……それでも、終わりは突然訪れた。乙骨くんを狙った今回の奇襲は夏油くんにとっても命懸けの選択だったのだろう。高専に直接出向くのは彼もそれこそ学生以来だった筈だ。それでも一歩踏み出そうとした彼の覚悟は私の想像を遥かに超えていた。夏油くんは本気だった、と。……それでいて真希ちゃん達や他の学生を完全に殺さなかった彼はやはり甘いのだ。私の、私たちの知る彼のままなのだ。







「……わたしね、夏油くんがこの世界の何処かで生きてるならそれでも良いかなって思ってたの」
「……」
「甘い、よね。沢山の被害も出てるし、殺された人間もいる……甘すぎるってわかってるんだけど、ずっとそう思ってた」
「……否定は、しねぇよ」
「……でも、悟くんが正しいと思う」







冬の高専の夜空は不純物も遮蔽物も無くて、とても美しい。星の輝きを邪魔する存在が居ない広い空は今日も例外なく私達を穏やかに見下ろした。あの中のどれかに夏油君が居るのだろうか、もし居るのなら、何を思っているのだろうか。私の言葉に悟くんは少し眉を顰めてから繋がっていない方の指先を私の目元に優しく充てがうと「……泣くなよ」と呟いた。そう言う彼も、私には何処か泣きそうに見えた。頬に伝う水滴を丁寧に拭った悟くんはそっと私を自らの腕の中に抱き入れて、しっかりと強く、強く抱きしめる。古くなった階段がギィ、と音を立てたのも気にせずに、彼はひたすら私を抱きしめる。








「……正しいとか、間違ってるとか……そんなもん分かんねぇよ」
「さとる、くん」
「お前も俺も……アイツも、わかんねぇ」








当たり前の話だった。それでも私は彼の言葉に何度も首を縦に振った。そう、分からないのだ。きっと誰もこの結果の真偽や評価は出来ないのだ。正しいことだけ分かるのであれば私だってやり直したいことは幾らでもある。あの時ああすればよかった、こうすれば何も起きなかったのではないか、それは全て机上の空論に過ぎない。誰にも正解は、分からない。








「……夏油くんは、最期どんな顔してた?」
「……笑ってたよ、昔みたいに」
「そっ、かぁ」








彼の評した"昔みたい"という言葉だけで私の頭にはあの頃の彼が浮かんでくる。忘れられるはずがないのだ。眉を下げて口角を持ち上げて、仕方なさそうに笑う穏やかな笑みを記憶から引き剥がすことなんて、今後一生、ずっと出来るはずがない。……例え今回の選択が数年後過ちだと判明しても、彼が最後に親友に見せた顔が笑顔だったという事実は変わらない。夏油くんが、私たちと同級生の彼として逝けたことには変わりないのだ。それだけで私は、悟くんの判断を肯定出来た。元より否定する気もないけれど、穏やかな最期であったことを蟠りなく受け入れられた。









「……あいつに……傑に、言われた」
「……何を?」
「十年経っても指輪はしてないのか、って」









へ、と思わず抜けた声を零した私に悟くんも少しだけ笑った。呆れたような、それでいて確かに愛の込められた馬鹿らしい笑顔を浮かべた彼は私の左手のちょうど薬指のあたりを指の腹でそっと撫でた。その仕草で意図に気付いた私がじわり、と頬を染めたのに悟くんはもう一度喉を鳴らして「自分が死ぬって時にそんな事言うヤツいるか?」と独り言みたいにぼやいていた。一つ息を吐き出した彼は私にキラキラと金粉が振り撒かれたような瞳を向けると、捺、と名前を呼んだ。落ち着いた響きだった。








「馬鹿にされたんだよ、相変わらずヘタレで踏み出せないのかって」
「へ、へたれって、」
「……ムカつくから言ってやった"お前殺してからプロポーズする"って」
「……!!」
「告白も、結婚も、アイツに背中押されてるみたいになるのは納得いかねぇけど、」








悟くんは白い髪をぐっ、と掻き上げた。流れ星みたいに夜明かりに照らされて靡いたその一つ一つが宝石みたいに綺麗だ。昔からずっと変わらない。悟くんは、五条くんは、うつくしい。もっと計画を練って言うつもりだった、全部用意して指輪も持って言うつもりだった、そんな前置きをしながら彼は真剣な眼差しで私を見つめた。まっすぐで、濁りのない澄んだ青は何者にも穢されない気高さすらも感じられる。悟くんは、口を開いた。








「……好きだ。これから先もずっと、ずっと愛してる」
「っ、わたしも、すき……愛してる……」
「……今はただの口約束だけど、落ち着いたら全部揃える。ドレスも、指輪も、場所も全部、お前が一番綺麗に見えるのを用意する」
「さとる、くん、」
「だから……だから、俺だけの物になってほしい。俺とずっと、生きて欲しい」
「……っ!」
「……絶対幸せにする。結婚しよう、捺」









真摯で、ストレートな言葉だった。飾り気なくて素直な彼の気持ちが痛いくらいに伝わってきて、私はそれに頷くことしか出来ない。喉の奥が震えて上手く言葉が出てこなくて、しゃくり上げそうな声を飲み込んだけれど悟くんはそれでは許してくれない「お前からも、聞きたい」そんな願望を口にする。張り付いたみたいに緊張で乾燥した声は多分、可愛いものではない。掠れていて、聞くに耐えないかもしれない。それでも私は彼の想いに応えたいと思った。彼のお願いを、聞き入れようと思った。









「私、も、大好きだし、離れたくない」
「……うん」
「服も、指輪も嬉しい、嬉しいけど、でも、そんなの関係なくて私は……」
「…………」
「わたしは、悟くんの隣で一緒に居られるならそれでいい、それだけで、幸せだよ……」
「っ、捺……」
「愛してる……悟くんのこと、あいしてる。私で良いなら……結婚して、ください」









言った、すこしだけ、言った。私が思うことを、今伝えられる範囲でどうにか伝えた。ほんとはもっとたくさん言いたいことがある。彼に伝えたい想いがある。でも纏まりきらなくて、私の声も枯れていて、それでも精一杯伝えた。私は悟くんが好きだ。悟くんを愛してる。彼がどれだけかっこよくても、どれだけかっこわるくてもいい。どうだって構わない。彼が彼でいる限り、私が悟くんを嫌いになることなんてありえないことなのだ。



悟くんはもう一度私を抱きしめた。一生離す気がなさそうな抱擁に押し潰されて、冬の寒さなんて何処かに消え去ってしまった。私が熱いのか彼が熱いのか、もう分からない。でも、どちらでもよかった。きっと2人とも、熱いのだから。夏油くんはこんな私達を見てどう思うのだろうか。有言実行な悟くんに驚いているのか、それともあぐらをかいて笑っているのか。それともその両方なのか。それを知る術はない。でも、彼の事だからきっと「やっとか」なんて言いながら控えめな輝きの星の上から私達を見てくれているに違いない。









「私たち、不謹慎なのかな」
「他の奴等の意見とかどうでも良いだろ……それに、」
「……それに?」
「……傑だって、毎年クリスマスに誰か落ち込ませんのは本意じゃないだろ、多分」









それなら今日を俺達の結婚記念日にしちまえば良くね?と悪戯っぽく笑う顔にはもう、曇りは無い。命日なんかしんねーよ、と唇を歪めつつも空に向けた視線はきっと、その言葉が相反していることを意味している。悟くんは案外マメな人だ。彼の、親友の命日を忘れる事なんて死ぬまで起こり得ないだろう。……私だって、忘れない。2人の記念日に死んで尚お節介な彼が居たことを、ずっと、わすれない。









「今度適当な星を買い取ってスグルって名付けてやろうかな」
「……それはなんか夏油くん嫌がりそう」
「だからそーするんだよ」








フン、と鼻を鳴らした悟くんの声が耳元で聞こえて微笑みが溢れた。随分彼らしい言い草だと思った。色気もムードも放り出した彼のプロポーズを受けた私は泣けば良いのか笑えば良いのかもう分からない。悟くんはひどい人だ。私に死者を弔う時間も与えないつもりらしい。そして悟くんは堪らなく優しいひとだ。私の心を無理矢理引き上げてくれる、強くて逞しい、大好きな人なのだ。








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