「その術式でバカみたいに正面突破してんじゃねぇよ」
任務で負った傷を硝子の反転術式で治してもらってすぐ。教室に足を踏み入れた私の目の前に立つ彼は、明らかな苛つきを隠さない様子でそう言った。
確かに今回の任務ではそれこそ彼の言う正面突破≠ニいう手段を使った。一緒に現場に出た灰原くんが呪霊の腕に突き刺されそうになったのを見て、咄嗟に間へと割り込む形で飛び込んでしまったけれど……五条くんの指摘は尤もだ。日が昇らない時間帯かつ、廃病院の中。私が影を渡る≠スめに必要な条件は揃い切っている。元々反論なんてするつもりはなかったが、その言葉すらも見つからず口を噤んだ私に、遅れて戻った硝子が「捺は意外と好戦的だからな」と口角を持ち上げた。
「そうだよ。硝子の言う通り居ても立っても居られなかった=c…そんなとこだろう?」
「それで怪我しちゃ意味ねぇだろ!」
「捺を心配しているのは分かるけれど、もう少し上手い言葉を選べばいいのに」
「あァ!?」
その言葉にグイッと首から先を逸らし、彼を睨みつける五条くんとそれでも
顔を絶やさない夏油くん。それなりに見慣れた光景に曖昧な笑顔を浮かべつつ、私はひとり、任務での自分の行動を振り返った。灰原くんが負傷するのを止めたかった、それは私の確かな行動理念だったが……もうすこし、彼を信じても良かったのかもしれない。灰原くんは動物的直感が優れているし、私が割って入った時も「しっかりと」反応出来ていたのだ。ならばあの時私がすべきだったのはきっと、自身の後輩の力を作戦の内に入れること、だったのだろう。やっぱり五条くんの言い分は、正しいと思う。
「……ありがとう、五条くん。私の今回の判断はやっぱり良くなかったよね」
「……全くだわ」
感謝を伝えた私にチラリと視線を向けた彼は、夏油くんとの争いに不毛さを感じたらしい。どっかりと木製の椅子に腰掛けると呆れ混じりに吐き出した。大体な、と前置きしてから五条くんは私を大きな瞳を見上げる。私なんかよりよっぽど背の高い彼の顔をこうやって見るのは、少しだけ新鮮な気がした。
「お前はいい子ちゃん過ぎんだよ。影を使えんならもっと最低最悪で性格悪ィ戦い方出来んだろ」
「ッ、何だァ!?」
呪術師として、補助監督として。この呪術界に身を置いてもう十年になる。ここで生きる内に当たり前のように私は彼の言った性格の悪さ≠理解出来るようになった。ある程度の狡さや歪みがないと、この世界では生きていけないと身を持って知ったのだ。だからこそ虎杖くんの考え方がひどく眩しくて、尊く感じることがあった。現実的ではないと思う。でも、だからこそ、その生き方が肯定されるような場所にしたいと感じた。……そんな彼が今、歪みを知った。知ってしまった。変えられない事実が、苦しかった。
「───貴方が秤くん、だよね?」
「……おま、何処から……!?」
驚愕に目を見開いたのはギラギラと攻撃的な紫色を携えた彼……秤金次くんだ。鍛え上げられた肉体故に地面に落ちた影は広く、扱いやすい。彼の背中へ蛇のように、巻き付くように体を寄せた。同時に首に手を添えて、喉頭隆起の上に指先を触れる。ゴク、と上下した感覚に秤くんが唾を呑んだのが分かった。……これが私の考える狡さ$ウ面突破ではなく、文字通り背後から。この解釈もまた彼に言わせれば単純なのかもしれないな、と当時の五条くんが顔を顰める様子がありありと想像できた。
私はあくまでも、彼が虎杖くんとの対話から逃げられないように、その場に縛りつけただけ。相手は敵ではなく協力すべき仲間であり、学生の一人なのだ。これ以上危害を加える必要はない。……きっと秤くんと虎杖くんは仲良くなれる。理解し合える。だからこそ私がすべきは時間を確保することだ。
「俺は部品だ。部品には役割があんだろ。……呪いを祓い続ける俺の役割。それに秤先輩が必要だっていうのならアンタが首を縦に振るまで付き纏う」
「……!」
「先輩、アンタの役割はなんだ?」
気圧されたのは、秤くんだった。頭上から飛ばされた彼女の指摘に秤くんの筋肉に込められていた力が、フッ、と抜ける。きっと交渉は成立だ。……そして、それと同時にグイッと私の体は秤くんから引き剥がされる。視界に飛び込んできたのは赤いメッシュと口元に開いたピアスが特徴的な女の子だった。
「……っつーか!アンタ金ちゃんにくっ付き過ぎ!」
「同感です」
不満です!そんな感情を隠さずに私を睨みつける彼女は威嚇してくる猫のようだ。続いていつの間にか隣に立っていた伏黒くんも彼女と似たような表情をしている。……一応、何の他意も無いことを伝えてはみたけれど、あまり信じて貰えそうではない。ごめんね、と敵意を失った秤くんに改めて謝罪しながら向き直ると、彼はマジマジと私の顔と体を見据えてから、いや、と首を振る。
「アンタの俺に抱きついてまで止めるタフネスは気に入った。……あと、おっぱいめちゃくちゃ当たってたし」
「……――鵺=v
「ちょ、伏黒!?」
秤くんの一言に「へ?」と間の抜けた声を漏らした私と同時に伏黒くんの額に青筋が浮かぶ。手のひらを重ね合わせて翼を作った彼を慌てて止めた虎杖くんと、金ちゃんの浮気者!なんて叫びながら秤くんの胸元を叩く赤いメッシュの女の子。先程までの緊張感が転がり落ちてしまったかのようの光景に「なんか騒がしくなったな」とぼやいたパンダくんに思わず私も同調するように頷いた。
「マジで?五条さん封印されたの?」
マジです。揃って答えた伏黒くんたちに私もそっと頷いた。コンクリートが露出した階段に座る秤くんと綺羅羅ちゃんは驚きを隠せない様子だ。顔を見合わせてから自身の髪を掻き上げる彼等もまた五条くんには世話になったらしい。死滅回游の平定には協力すると約束してくれた。
一先ずここにした目的が達成されて小さく息を吐き出す。五条くんも認めている高専の生徒なのだから悪い子達では無いと考えてはいたが、思ったよりスムーズに事が運びそうだ。
「じゃあアンタはもしかして捺サン=H」
「え?……あ、うん。私は閑夜捺です。ごめんね、さっきは突然押さえたりして」
ブンブン、と音が聞こえそうな勢いで首を振った秤くんは綺羅羅ちゃんに耳打ちをしながら私を見つめる。何の話をしているのかは気になるけれど……そう考えつつふと頭に浮かんだのは乙骨くんの顔だ。私の名前を知っていて、かつ下の名前の印象が強いとなるとやはりそういうこと≠ネのだろうか。つい、彼らが何か言うより先に……五条くんは何て?と問いかけてみれば二人は肩をびくりと揺らしてから再び首を横に振る。
「捺サン、五条さんが起きてもさっきのことはノータッチでお願いします」
「そうそう!金ちゃんがボコボコにされちゃうのは私も困るんで。……ね?」
……一体二人は彼から何を吹き込まれているのだろうか。苦笑しながらも頷いた私に秤くんは露骨に肩を下ろし、綺羅羅ちゃんは彼の背を「良かったね」なんて言いながら撫でている。五条くんは私についてどんな風に説明してるのか。彼が戻った時に聞かなくてはいけない内容がまた一つ増えてしまったらしい。
『泳者による死滅回游へのルール追加が行われました!総則九!泳者は他泳者の情報……名前∞得点∞ルール追加回数∞滞留結界≠参照できる!』
――突如鳴り響いた、けたたましい警告音。
宙に浮いた小さな呪霊のような生き物が知らせたのは死滅回游内に適応されるルールの追加についてだ。直様伏黒くんは追加した相手が誰なのかを確認するために、総則九を使用する。そこに現れた「鹿紫雲」という人物にはルール変更を表す回数とは別に、百の文字が刻まれている。……既に二百点の持ち主。それは四十人近くを殺めたという証拠だ。現在の結界位置もルールに追加しているあたり、こちらの味方になる相手には思えない。……しかしこのルール追加は私達にとって不利な話ではなかった。
「……でもこれで俺達は人を殺さずに死滅回游を進められるかもしれない」
伏黒くんの発言に自然と私も頷いた。死滅回游の特性上、必ずしも皆が好戦的だとは考えづらい。……勿論だからと言って一筋縄で行く相手とは思えないが、希望はある。彼らが人を殺すのではなく、既に殺した奴から奪い取る≠ネんとも呪術師らしい計画だ。
彼が作戦について共有している中、私はコガネと呼ばれる端末からもう一つの目的である「天使」の存在を探すが、それらしい存在は見当たらない。天元は見れば分かる……なんて、補助監督をしていた身としては到底良い仕事とは言えない情報開示をしていたが、やはりこうしてるだけでは埒が開かないことは理解できた。
秤くんも考えは同じらしい。彼は自身とパンダくん、伏黒くんと虎杖くん……そして、私と綺羅羅ちゃんを待機≠ニいう組み合わせで死滅回游に臨むことを提案する。……理由を聞いてもいい?と問いかけた私に彼はハッキリと分かりやすい返事をくれた。
「理由は幾つかあるがまぁ、適材適所だな。アンタの術式は伏黒きゅんの術式と似て、影を操るんだろ?」
「きゅん≠ヘやめてください」
「……うん、そうだね。影と関係のある術式だよ」
「俺の後ろから出てくるのを見る限り、あれ以上情報伝達向きな術式は少なくとも今は存在しない。……だろ?」
彼の見立ては的確だ。……何よりも、私自身そう感じている。ここに来るまでは死滅回游に泳者として参加するつもりだったが、パンダくんと秤くんの戦い方を踏まえ、今後ルール追加に動くのだとすれば内部での伝達よりも外界と繋がる手段はあったほうがいい、と考えた。現段階で結界間の移動ができない以上、私が内部にいても違う結界に参加したメンバーに情報を与えることが出来ない。それでは、私が入るメリットは決して多くはないだろう。総則を追加すれば機能するだろうが……ポイントの使い道としてはまだ、そこまで優先順位は高くない。それを踏まえた秤くんは「伏黒きゅんと示し合わせて影のトンネル≠作れ連絡手段を一つ確保できる」と続ける。影の術式を使う人間同士でしか成し得ない手段。電波が通じない以上、古典的だがわかりやすい方法だ。
……しかし、それは子供達だけを戦いの場に送り出すのと同義になる。胸に残されたしこりへの思いのやり場を考えた。恐らく、お姉さんのことが関係している以上伏黒くんは妥協しない#、だ。これは今まで補助監督として彼と接してきた勘のようなものだが、間違ってはいないと思う。……私の同行すら拒んでいたぐらいだ。私が結界に入り、自分が外というカタチにはきっと納得しない。どうすれば、いい?彼だけでなく、私も、私自身をどうすれば納得させられるだろうか? 一体、どうやって……
「今度は信じてくださいね!」
「……」
「……異論、あります?」
浮かんだのは、もういない後輩の笑顔。判断を誤った私が誤った時の、あの言葉。今出来る最善を理解しているのであれば後はきっと、信じることしかできないのだ。窺うような秤くんと目を合わせて私は苦渋ながらも頷いた。これが今私にしか出来ないこと。私がしなくてはいけないことだ。
「……私の術式は正確に言えば影を操る≠フではなくて、影に独立した魂を与える≠烽フ」
「……!魂を?」
「それがコロニーに私ではなく別の個体として認識されるのであれば、」
「情報伝達に関してはほぼ問題解決……ですね」
上手くいけばルール追加を一つ減らせる。伏黒くんの補足にその場にいる皆が視線を重ねる。やってみないとわからない……それでも、やってみる価値がある選択だ。「異論、ないよ」私の答えに秤くんは口角を上げる。いいね、と呟いた彼の声には熱が篭っていた。
「五条さんがアンタを選ぶ理由、今分かったぜ」
「……ありがとう」
前にも、似たようなことを言われたな。と、黒い髪に白がよく似合う彼の笑顔を思い出した。私はその言葉を否定はしなかった。……私にとって、誰よりも、何よりも美しくて、眩しくて、憧れた人。握った拳から小指だけを立てて、ひっそりと彼とのつながりを感じた。昔は貴方に並ぶなんて、烏滸がましいと思っていた。そんなこと、ありえないと思っていた。
……だけど、今はそうなりたいと思う。五条くんの隣に、立派とは言わずとも、立っていたいと思う。都会から外れた栃木県の隅っこで、私たちは自身の役割を再確認した。あとはもう、走り抜けるしかない。