今思えば、あの初夏の日から"何か"が変わってしまったんだと思う。










私と硝子が夜蛾先生の授業を受けていた時、門前に無数の呪力反応、更には薨星宮の本殿で未登録の呪力が確認されたと連絡が入った。アラートが響く中、その時高専に残っていた私と先生で薨星宮参道へと続くエレベーターに乗り込み、念の為硝子に控えて貰いながら今地下で何が起こっているのか確認に向かうと、腹部から血を流して倒れているメイド服姿の女性を見つけた。上では大量の血痕だけが残されていたのに、今度は肉体まで……私は彼女のことを知らなかったが、ここで穏やかではない事が起こっているのだけは明白だった。咄嗟に首筋に手を当て脈を確認すると微弱ではあるが血管への抵抗を感じ、まだ彼女に息があると分かる。咄嗟に先生を見上げて指示を仰ごうとしたが、参道のさらに奥、本殿の方にぼんやり見える灯りの麓でもう一人、誰かが倒れているのが見えた。……嫌な予感がした。忙しなく動き始める心臓のあたりを押さえて、後ろから先生が私を呼ぶのを振り払いトンネルの中を走り抜ける。そこに居たのは、彼だった。





「……ッ夏油くん!!!」





思わず声を上げて滑り込むように倒れた彼の隣に蹲み込んだ。反応は、無い。手首と頸動脈に反射的に触れ、そこに先程の女の人よりも強く拍動が感じられるのに一瞬喜んでしまった自分を軽蔑した。だめだ、こんな事に一々後悔する時間も惜しい。咄嗟に左右に頭を振り、血液を心臓に出来るだけ戻すためにも彼の足を少しでも高く上げようと自分の膝の上に乗せた。まずは、状況整理。いつか習った授業での内容を必死に脳内で反復し、出来るだけ冷静に事態を飲み込もうと彼の状況を目からの情報で確認していく。鮮血で小さな池を作る彼の胸部は刃物のようなもので十字に切り裂かれ、顔には打撲痕と擦り切れたような血が滲んでいる。鼻から垂れるそれを見る限り最後は殴られて意識が無くなったのだろうか?夏油くんも体術が弱い訳ではないのにここまで……敵は相当の手慣れだ。側に落ちていた大樹の影に触れ、辺りを索敵するも今は近くに相手の気配らしきものは感じられない。が、その代わり彼の近くにも小さな血溜まりが残っている。


頭に浮かんだのは美しい白髪。まさか、と最悪のケースを想像し、固まった私の背中がバシン、と強く叩かれた。振り向いた先に立っていたのは夜蛾先生だった。彼は私に「お前の影で硝子に連絡!ここは電波は届かない」と端的な指示を投げ掛けた。それを呑み込んでから何度も頷き、私は自分の影を上で待つ彼女の元へと向かわせた。傑、おい、聞こえるか傑!と低い先生の声が境内に響いて、嫌でも私の耳に入ってくる。怖い、恐い、こわい。今、この瞬間にも彼の命が失われるかもしれないという恐怖がじわじわと指先を伝っていく。動ける私がここで引いてどうする、と歯を噛み締めて必死にそれを堪えようとしたけれど、どうしようもないくらいの不安に押し潰されそうになった。なんで、こんなことに。





「捺!センセイ!!一体何が……」
「硝子、直ぐに傑の傷の修復だ!ここで何があったか確認する為にも絶対に死なせるな……!!」
「……っ、分かりましたよ!!」





夏油くんを視界に入れて一度は言葉を失った硝子だったが、先生の声掛けに直ぐさま反転術式を使い始めた。慣れた手つきで傷口に触れ、柔らかな光を掌に宿しながら呪力を夏油くんへと流し始めるその姿に私は彼女の強さを身を持って感じる。たとえ患者が自分の同級生であっても、焦らず……もしくは焦っていてもそれを態度に出さず、出来る仕事を全力でこなそうとする硝子は、術師としてプロの領域に踏み出している。それに比べて私は何も出来ない、ただ黙って座り込むだけ。情けなくて、悔しくて、たまらない。




「捺!アンタコイツの手握って!!」
「っ、え、」
「ちょっとでも刺激与えんの、早く!!」




刺すように飛ばされた彼女の声に導かれるようにして乾いた血で汚れた大きな手をしっかりと握り込んだ。少し冷たくて、血の通わないようなそれに泣きそうになりながら、必死に彼を呼んで祈るように顔を伏せる。どうか、目覚めて欲しい。どうか、帰ってきて欲しい。硝子の首筋から伝う汗が地面にポツポツと染みを作る。真っ直ぐに彼を見つめて呪力を流し続ける彼女の集中力は並外れていた。……どのくらいの時間が経ったのだろう。ゆっくりと彼の手に、爪先に、色が戻り始めた。次第に温まってくる皮膚温を私が自覚したと同時に丁度ゴホゴホと彼の口から黒く染まり古くなった血液が少量吐き出され、むせ返った彼はまつ毛を震わせながら、そっと、瞼を開いた。




「…………しょう、こ、捺……?」
「夏油くん……!!」
「……地獄からおかえり、クズ野郎」




彼の名前を呼びながら飛びついた私を鈍い声を洩らしながら受け止め、目覚めた彼は状況が飲み込めていないらしい。はっきりしない目で3人を見つめ、困惑気味に私の名前を呟いていた。硝子は彼の背中を補助しながら助け起こし、その場に座らせ、頭は痛くないかと夏油くんと視線を合わせながら尋ねると、彼は軽く後頭部を押さえて目を細め、この辺りは、と答えている。硝子はくつ、と喉の奥で笑うと起立生低血圧だなと笑った。




「ここまでハッキリ疎通ができて捺も受け止められてんなら、大丈夫でしょうセンセイ」
「あぁ、良くやった硝子。……傑、悟はどうした?星漿体の少女は?」
「さとる……そうだ、悟が……!」




夜蛾先生の問いかけに大きく目を開いた彼はぐっと私の肩を掴んで引き剥がすと「ここに来るまでの道に悟はいなかったか」とすごい剣幕でそのまま私に聞いてきた。その目には縋るような必死さが滲んでいて、一旦は落ち着いた鼓動がまたドクリ、と鳴り始める。戸惑いつつも首を横に振って外には血痕があり、参道の途中にはメイド服姿の女性が居た事を伝えると夏油くんは安心と焦りが混ざったような顔で、行かないと、と答えた。フラつきながらその場に立ち上がった彼を両脇から私達が支え、先生は前から夏油くんを止めながら何があったのかと夏油くんに声を掛け、やっと、ここで何が起きたのかが明らかになる。天与呪縛で呪力を持たない男に襲われ星漿体は死亡"さらに男は"五条くんを殺したと宣言"していた。彼の口から語られたそれは俄には信じ難い出来事だった。何よりそんな事が起こっていたのに高専に居ながらも私たちはそれを全く察知出来なかった。……天与呪縛と言えど、全く呪力が無い事は過去を遡ってもあまり記録が残っていない。そんなイレギュラーが、あっていいのだろうか。





「悟は、死んでない。多分アイツを追ってる。理子ちゃん……星漿体の死体がないから盤星教の支部の何処かに……!」
「傑、その体では次は……」
「先生、お願いします……!!私達の任務なんです、失敗の後始末も、私達がしないと、」





夜蛾先生は静かに彼を見つめていた。それから深く息を吐き出して、頑固な生徒だよお前らは、と呟くと"任務続行"を夏油くんに言い渡した。直ぐにその場を走り去っていく彼の背中を私は握り拳を作りながら見つめ、勢い良く先生を見上げた。何を今自分が言いたいのか、正直分からない。でも、あの状態の彼を向かわせるのも、任務がこのまま続けられることも、そのどれもが私を悶々とさせる。……だが、先生の顔に浮かんでいた苦々しい表情が目に入ると、今にも口をついて出そうになった言葉を飲み込まざるを得なかった。先生も辛い立場なんだと思い知り、自身の短慮に嫌気が差した。




「……俺達も上に戻ろう。俺は任務失敗を天元様に伝えないといけない。硝子はさっきの女性を……」
「……死んでましたよ、もう」
「……そうか」




メイド服姿の女性は、硝子が到着した時点で既に息を引き取っていたという事実にまた胸が苦しくなった。私が触れた時点ではまだ、確かに生きていたのに。私は結果的に夏油くんを"選んで"しまったのだろう。それでいて後悔を感じていない自分は、そうなったのが彼でなくて良かったと感じた私は、本当に、酷い人間だ。もう何が正しい事なのか、どうすれば良かったのか、何もかも分からなくなってしまった。





「……夜蛾先生。私達はどうすれば、」
「今回の任務は天元様が悟と傑を指名している……俺の勝手でどうにかなる問題ではない…………すまない、捺」





先生の掌が私の頭に触れた。優しい手付きにじわりと涙が滲みそうになってしまったのを唇を噛んで必死に堪えた。私に泣く資格なんてないし、謝られる理由もない。それでも何故天元様はまだ学生の彼等に星漿体の護衛なんて大役を任せたのか、何故彼らが死の淵に立つまでの怪我を負わされなくてはいけないのか、何故、何故、何故……と、考え込んでしまう。メイド服の女性を抱き上げた先生の隣に硝子と私は並び、地上まで上がるエレベーターに乗り込んだ。外に出た瞬間そこらかしこで感じる小さな呪力と虫のような羽音に頭の奥が痛む。そして、もはや何かを考える間も無く私は壁に映る木の影に触れ術式を発動させ、闇で包み込むように忌々しいそれらを祓い始めた。そうでもしないと延々と考え込んでしまいそうで、囚われてしまいそうで、嫌だった。先生もまた、私の勝手な行動に何も文句は言わなかった。呪力配分なんて考えない、周りの影を使役しては、溶かすように覆う無茶な戦いを蠅頭が全て死滅するまで、ただひたすらに私は動き続けた。












カチ、カチ、カチ、と、規則正しい音を奏でて動く秒針の音に私の意識はゆっくりと暗い海の底から浮上する。まだ体と起き抜けの意識が上手く繋がっていないらしく、思うように動かない事を鬱陶しく思いながらも、窓から見える景色が暗く重い事に息を吐き出した。全て夢ならいいのに、そう思っても月明かりに透かして見えた私の掌には夏油くんの手を握った時に付着したであろう乾いた血液が見え、それが現実だと訴えかけてくるような気がした。


曖昧な記憶の糸口を手繰り寄せながら、ゆっくりと上半身を起こす。ここは、私の部屋だ。あの後私は子供みたいな癇癪で蠅頭を祓い続けたのだと、思う。無謀で必要以上の呪力を爆発させ続けた結果エンストしてしまったらしい。迷惑しか掛けていないな、と自らの失態に最早笑いしか零れない。任務はどうなったのだろうか、夏油くんと五条くんは無事なのだろうか、彼等は処罰を受けるのだろうか、何もわからない。未だぼんやりと霧掛かったように晴れない頭を少しでもスッキリさせようと覚束ない足でベッドから起き上がった。鏡の前を横切る時に見えた自分の制服に黒い染みや固まって鱗のように剥がれ落ちる血の塊に乾いた笑みを零しつつ、上着とタイツを床に脱ぎ捨てて、よれたシャツとスカートだけで靴を履き、ドアノブに手を掛けた。



しん、と静まり返った廊下は嫌味なほどに綺麗な夜空から注がれる星灯りと月光で青白く見えた。もう少し晴れやかな気分であれば綺麗だと感じられただろうな、と思いながら洗面所まで足を進める。電気のスイッチを押そうか、と思って途中で手を止めて、そのまま蛇口を捻った。眠い頭を覚醒させるような冷たい山水が全てを洗い流してくれる気がして、長い間流水に手を浸け、暫く私はそうしていた。勿体無いことをしている自覚はある。……戻ろう、とやっとの事で決めた時には最早その冷たさに感覚が慣れてしまうような頃だった。きゅ、と音を立てながら水を止め、少し悩んでから来た道とは反対の廊下を歩き始めた。遠回りだと分かってはいるけれど、何となく直ぐに部屋に戻りたい気分では無かったのだ。





ぺたり、ぺたり、と引き摺るように歩く自分の足音だけが高専の中に響いている。時間を確認するのを忘れていたけれど、きっともう相当な夜更けなんだろう。人影どころか、人間が動く気配すら全く感じられない……そう思っていた時だった。角を曲がり、更に続く廊下の先に目を向けるとそこに誰かが立っているのが見えた。何となく先程まで気にしていなかった足音を殺しながら少しずつ、確かにその人物に近づき、輪郭がハッキリと見えた時、思わず私は歩みを止めていた。



ポケットに両手を入れ、背中に緩いカーブを描くように立っていても尚、スタイルの良さが伺えるその長身。窓の外の一点を見つめるようなキツくもなく、柔らかくもない不思議な色を持つ視線。普段よりも少しボリュームを失い下がり気味でありながらも、その輝きは月光で増している真っ白な髪。その神秘的な姿はまるで幽霊でも見たような気にさせられた。……五条くん、と呼んだ私の声は想像よりも小さなものだったが、物音ひとつない今夜では知覚するのに十分だったらしい。彼はゆっくりとこちらを振り返った。






「……捺?」






青い目を上下に動かして、私の全身を確認した彼は少し驚いたように此方を見ていた。何してんだよこんな時間に、と不思議そうな声色で続けられた言葉を耳に入れつつも、私の体は、足は、彼の方へと向かっていく。そして、五条くんの質問に答えるよりも先に正面から彼の腰にぎゅ、と腕を回した。細く見えるのに筋肉が付いて硬い、がっしりとした体付き。皮膚越しに確かに伝わってくる彼が生きている証拠の、音。それを感じたのと同時に私は完全に無意識に気張っていた体の強張りを解いていた。五条くんは、生きている。幽霊なんかじゃなくてちゃんと、触れられる。


彼は驚きのせいか一度びくりと全身を揺らしたが、すぐにそれは収まり、私の行動にも何も言わなかった。五条くん、と確かめるようにもう一度彼の名前を呼ぶ。数秒の沈黙の後「……なんだよ」と帰ってきた声にぎゅ、と腕の力を強くした。五条くんはやっぱりそれにも何も言わなくて、ただ静かに私をくっ付けたまま、そのままでいてくれた。私も彼の優しさに甘えるように、気が済むまでそうして寄り添っていた。













「ごめん……急に変なことしちゃって」






本当だよ、と返したい気持ちをグッと堪えて、別に、と愛想がない返事をした。何処か名残惜しそうな顔で離れていく彼女に先程まで無心に近かった俺の全ての感情が乱されるのを感じて、なんだか妙に生を意識した。





別に、何かをしていたわけでは無かった。明らかに昨日までとは比べ物にならない呪力が漲っているのを感じて、目を閉じられる気がしなかった、それだけの理由でただ無駄に澄んだ星空を眺めていたのだ。ガス欠になるくらいまで神経を張り巡らせていた今朝とは違い、今は幾らでも無尽蔵に力が溢れてくるようで落ち着かないが、それに嫌な気はしなかった。寧ろそれが俺の本来の姿であるように、馴染んでさえいる。

今日起こったことを思い出しても、自分の心は波風を立てない。俺はおかしくなってしまったのだろうか、それともやるせ無さが天元突破して、最早悲しむ気さえも起きないのかもしれない。……結局、俺も傑もお咎めは無かった。重要な任務であった筈なのに本当に何も"なかった"のだ。先生も戸惑っていたが、結局の所、その真意は分からない。ただあの時、俺は任務に失敗し、自分の矜持も護れないほど弱く、一人の少女を殺してしまった。その事実は今後一生着いて回るのだろう。






「五条くん…………」





不意に掛けられた声にゆっくりと体を向ける。そこに居たのは捺だった。普段では考えられないくらいに皺が入ったシャツとスカートから覗く白い足が倒錯的で、青白い夜に立つ彼女は言葉に出来ない不思議な空気を纏っていた。たった数日顔を合わせていないだけなのに懐かしく感じつつ、何をしているのかと理由も無く起きていた俺が尋ねた。が、返事は返って来ず、気付けば彼女は細い腕を俺の身体に巻き付け、必死に縋り付いていた。何が起こったのか思考がついて行かず、反射的に彼女の小さな背中に回しかけた自らの腕を理性で制する姿が窓ガラスに映って、ひどく間抜けに見えた。たった一枚の薄い布に守られた彼女の体の柔らかさが肌を伝い、俺にしっかりと記憶として焼き付けられていく。引き剥がしたい気持ちと離れて欲しくないソレが相反して、ただでさえハッキリしない考えが溶けて流れてしまいそうだった。どうすりゃいいんだよ、こんなもん。




「五条くん、」




確かめるように呼ばれた俺の名前。それが意図するものを汲み取れないほど俺は馬鹿ではない。高専内での事件だ、彼女が知らない筈もなく、きっと心配を掛けていたのだろう。硝子に捺は無理してそのままバタンキューだと教えられたが、今目が覚めたのだろうか。……どちらにせよ、無関係のコイツにも無駄にストレスを与えてしまった自分が腹立たしかった。それでも尚、なんだよ、と返したそれが相変わらずぶっきらぼうで自身のどうしようもなさを自覚した。





「……五条くん、怪我は、」
「治した。自分で反転術式使って」





そっと俺から離れた彼女は一瞬驚いたような顔をしてから、そっか、と頷いた。想像よりも静かな反応にそれだけかよ、と突っ込んだが捺は眉を下げて笑いながら「いつか出来ると思ってたから」と答えられてしまい今度は俺が言葉を失う。そこまで素直に答えられるとこっちの調子が狂ってしまうのだが、彼女はそんなこと構ってもいない。少し潤んだ瞳で俺を見つめながら複雑そうな表情でポツリ、と呟いた。





「ちょっと……変わったね」
「……何が」
「雰囲気って言うか、難しいけど……」





もっと凄くなった、と曖昧な表現をした彼女に少し眉を顰めた。別にそれが嫌だった訳でないし、自分が変化したことは分かっている。でも、ただなんと無く、少し彼女との間に線引きをされたような気がしたのだ。凄くねぇよ、と吐き捨てる俺に可愛げなんて存在しない。すぐにそれを否定しようとした捺に先手を打つように「凄いなら今日失敗してない」と意地の悪い事を口にすると、彼女は酷くショックを受けたように固まってから、ごめん、と視線を下げて謝った。俺はこんな事、捺に言いたいわけじゃないのに。





「……謝る事じゃねぇよ、事実だ」
「そんな事ない……そんな事ないよ、五条くんは強くて、私じゃ到底届かなくらいで、」
「捺、」
「ごめん私……上手く言えなくて。こんな事言いたい訳じゃないの……わたしはただ、」





生きてて、よかったって。蚊の鳴くような声で彼女は言った。捺が俺を案じていることぐらい知っていたのに、無駄に困らせて曇らせてしまう俺は、最悪な男だ。……分かってる、と落とした言葉は彼女に届いただろうか。少し顔を上げた捺に一歩、近づいた。捺はその場に立ち尽くし、逃げる様子はない。白い肩が見えるのに軽く舌を打って、襟のあたりを引きながら適当に服を整えてやった。目を丸くする彼女に、こんな格好で彷徨くな、と釘を刺し、ご、ごめん、といつもの調子で謝って見せたのに少しだけ息を吐き出した。変に落ち込んでいる顔はコイツには似合わない。





「風邪引く前にさっさと部屋戻れ」
「……五条くんも、戻る?」
「それは……」
「…………」
「……わぁったよ、戻る。お前が戻んなら」





これでいいんだろ、とヤケになって答えると捺はやっと今日初めてのまともな笑みを浮かべて頷いた。おやすみ、五条くん、と柔らかく空気を揺らした声に「分かったからさっさと行け、」なんて、追い払うような真似しか出来ない辺り、俺は結局、体と力だけ大きくなった子供のようでどうにも決まりが悪かった。彼女の背中が完全に見えなくなるまでその場で見送り、せめてその小さな約束を守るために俺もまた自身の部屋への道を歩き始めたのだった。






成った



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