数秒前まで風格ある洋館だったはずの建物は、彼がほんの一振り指を振っただけで、まさに木っ端微塵に崩れていく。地盤沈下が起こったようにすっぽりと穴が開き、洋館はただ瓦礫の山になっていた。巻き起こった砂埃が私達を包もうとしたけれど、彼が術式を使うより先に3人揃って彼の服を掴んでいたので無下限に弾かれ、特に被害を被ることは無かった。彼……五条くんが遠慮しないことなんて最早日常茶飯事なので、彼が派手なことをする前にはとりあえず五条くんの側に待機する、というのが私達の中での通説となっている。まぁ……流石に"救援"目的で向かった任務でここまでするのはどうかとは思うのだけれども、これも一応先輩たちへの尊敬を込めた行動なのかもしれない。







「助けにきたよ〜歌姫……泣いてる?」
「泣いてねぇよ!!」






……いや、やっぱり違うかも。彼の歌姫先輩への酷い態度に思わず苦く笑ってしまい、先輩に向けてごめんなさいの意を心の中から伝えたけれど無事に届いているだろうか。でも、あんな瓦礫に巻き込まれたのにすぐ起き上がって五条くんに声を荒げるあたり彼女も十分丈夫な人だなと感じる。相変わらずだなぁと少し離れたところで成り行きを見ていた私だったが、不意に肩をポン、と背後から誰かに叩かれ、反射的に振り向いた先には高い位置で長い髪を一つに纏めた冥冥先輩が立っていた。




「やぁ捺助けに来てくれたのかい?」
「冥冥先輩……はい、その……一応、そのつもりで来ました」
「それは嬉しいね、五条くんも泣いたら慰めてくれるとか」
「冥さんは泣かないでしょ」




強いもん、としっぽに付属された言葉に青筋を顔に浮かべたのは未だ抜けた底に立つ歌姫先輩で「五条!私はね……助けなんて!!」と声を張り上げたが、その背後にゆらりと背丈の大きな呪霊が立ち上がるのが見えた。咄嗟に私も影に触れようと腰を落としたが、それより先に地面から飛び出した"見知った"芋虫のような呪霊がすっぽりとその口で丸呑みにしてしまった。飲み込むなよ、と指示しながらゆらりと出てきた彼の姿に私もゆっくりと立ち上がる。彼……夏油くんは既に歌姫先輩の所にまで降りていたらしい。彼は弱い者イジメは良くないよ、と穏やかな表情で五条くんを諭しているが、それは結局歌姫先輩を弱いと言っているのと同義な気がする……なんて思っていたら案の定上に立つ2人に突っ込まれてしまっていた。






「歌姫センパ〜イ無事ですか〜?」
「硝子!!あっ、よく見たら捺も!!!」
「歌姫先輩、ごめんなさい無茶しちゃって……」





五条くんへの怒りで周りが見えていなかった先輩はかなりのスピードで穴をよじ登り、その先に立つ私と硝子はすぐさまぎゅっと強く抱きしめられた。アンタ達はあの2人みたいになっちゃ駄目よ!!と言う先輩に軽く笑いながらあんなクズ共にはならない、と告げる彼女は今日も平常運転だ。……にしても、なんだか腑に落ちない気がするのは何故だろう。2人を助けて無事に呪霊も夏油くんが捕縛したのに何かを忘れているような……確かここに来る前五条くんが何か、





「……それはそうと君達、"帳"は?」





あ、と零したのは誰の声だったか。冥冥先輩の指摘にストンと納得が行った私はそれと同時に帰ってからこってり絞られる未来を覚悟したのだった。












「そもそもさぁ"帳"ってそこまで必要?」





不満そうに眉を顰めつつそう呟いた五条くんの頭には立派なたんこぶができている。高専に戻った私達はモニターに映される洋館の爆発事故のニュースの麓できっちり4人揃って正座せられ、夜蛾先生に叱られた。元はと言えば五条くんが「帳は俺が下ろすからサッサと向かおう」と言い出したことが原因だったが、結果的に普段呪術師は帳を下ろす習慣がない為、全員がその約束すらも忘れてしまっていた訳で、私にもそれなりに責任がある。とはいえ名乗り出るのは……と考えていたら硝子が私の手諸共に五条くんを指差しており、元々予想がついていたであろう先生は彼に見事な鉄拳制裁を加えた。先生のパンチはなかなか重くて訓練でも受けるのが大変なので、こんな風に彼の頭が綺麗に腫れる事態になり、ちょっとだけ可哀想だけど、自業自得な所は否めない。

彼は暫くお前ら俺を売ったなと文句を言っていたが、今は一周回って帳の必要性について疑問を示している。机に肘を付いて盛大に足を投げ出す五条くんは別に一般人に見られても良くないか?と誰にと言うわけでなく問いかけたが、夏油くんがそれをすぐに否定した。





「呪霊の発生を抑制するのは何より人々の心の平穏だ。そのためにも目に見えない脅威は極力秘匿しなければならないのさ。それだけじゃない……」
「分かった、分かった」





面倒臭さが半分の返事をしつつ、彼は硝子に手を差し出して遊ばれていたサングラスを回収すると少し頭を振ってから耳にしっかりと掛け直す。弱い奴等に気を遣うのは疲れる、と短く息を吐いた彼に少しだけ視線を机に落とした。彼ほどの力を持っているとやっぱり不自由である、加減をする、ということはストレスに感じるものなのだろうか。夏油くんはそんな彼に穏やかな様子で"弱きを助け、強さを挫く"のが社会のあるべき姿だと語り「呪術は非術師を守るためにある」とまで主張した。……彼の考えは美しい。理想論に近いものかもしれないが、もし全ての術師がそんな思いを掲げていたのならば世界はもっと平和になるのかもしれない。夏油くんの姿が一瞬昔の父のように見えてキュ、と目を細めた。彼の思う術師はヒーローに近しいのかもしれない。そう思える彼のことが好きだし、この世界に触れつつもそう信じられる彼を私は密かに尊敬している。私がそんな夢を語るには、わたしはまだ、力が足りなすぎる。





「それ正論?俺、正論嫌いなんだよね」
「……何?」
「呪術に理由とか責任を乗っけるのはさ、それこそ弱者がやることだろ。ポジショントークで気持ち良くなってんじゃねーよ」





舌を出して気持ち悪そうな仕草を示した彼を皮切りに、ピシャリ、と冷ややかな声が教室の中を支配する。これは、と思った時にはもう2人の空気は止まらない。五条くんの言葉選びはやっぱりこう……褒められたものではないけれど、言いたいことは少しだけは理解できる。私の場合は寧ろ"強いから"こそ呪術に対する理由を紐付けできる、という考えだけれども、夏油くんの語る理想はやはり今の段階では現実味は薄い。だからこそ、それを信じられる夏油くんは立派で凄い人だと思っているけれど……術師であった私の父も次第に呪いに当てられ歪んでしまった。そういう意味も含めて五条くんはきっと"綺麗事"だと言いたいんだと思う。だからといってやっぱりその態度はどうかとは思うけど……





「……外で話そうか、悟」
「寂しんぼか?1人で行けよ」
「夏油くん抑えて……!五条くんもあんまり煽っちゃ、」





立ち上がった夏油くんの背後から空間が切り裂かれ、彼の操る呪霊が今にも顔を出そうとした時、ガラガラ、と教室の扉が開き夜蛾先生が入ってきた。腰を上げかけていた私の腕を掴んだ五条くんは勢いよく床へと引いて椅子に座らせまるで何も無かったように隠蔽している。夏油くんもまたにっこりと爽やかな笑顔を先生に向けるだけで、さっきまでの不穏な空気を全て消し去ってしまっている。……こういうところが似てるんだよなぁ、と思わず息を吐いた私はいつの間にかこの場を離れていた硝子を羨ましく思った。彼女の危機管理能力を少し分けてほしいくらいだ。





「硝子はどうした?」
「さぁ?」
「便所でしょ?」
「……まあいい。今回の任務は悟と傑、お前たち2人に行ってもらう。捺は後で詳細を硝子にも伝えてやってくれ」
「……あ、分かりました」





私は出たほうがいいのか、と聞く前に指示をくれた先生に軽く頷いてから背中を伸ばして話を聞く体勢を作り出す私と特に変わらない彼らの対比にらしさを感じる。夜蛾先生は2人の顔を見てから"荷が重い"という言葉を使って任務の概要を話し始めた。






「依頼は2つ、"星漿体"天元様との適合者その少女の護衛と抹消だ」






天元様、という言葉にコクリ、と息を呑んだ。なるほど、これは確かに荷が重い。天元様は高専や呪術界を作り上げている核のような存在だ。結界術の強度の底上げを担うその存在はここにきてすぐに習った重要な概念だ。五条くんはあまり覚えてはいないみたいで夏油くんが説明してあげているけれど……概ね私の認識とは差異はない。天元様が天元様としての意思を保つ為には500年に一度肉体を変え、進化を止める必要がある。天元様と新しい肉体である星漿体の同化は満月の夜である"2日後"無事に同化が行われるように、同化を阻止しようとする"呪詛師集団「Q」"と"宗教団体盤星教「時の器の会」"から少女を護衛するのが2人の今回の任務のようだ。












「ふぅん?」
「……反応薄いね、硝子」





だって言うことないし?と喉を鳴らす彼女は非常階段に座ってタバコを吹かせていた。先生から聞いた話を頼まれた通り伝えたけれど、硝子の反応はいつもとそう大きく変わらない。寧ろ興味がない時の反応に近い気がする。硝子は術式の特性上、私を含める他3人の任務を常にざっくりと把握しておくようにお触れが出ているので夜蛾先生は私に頼んだのだろう。もし何か大怪我があった時に出られるようにと期待されている彼女は、こうしてたまに逃げるように教室から去る日があるけれど、半分は彼女の性格、もう半分は真面目に聞きすぎると疲れてしまうからなのだろうか。少なくとも私はそう思っているけれど……今日に限っては面倒なオーラを感じ取ったので私に押し付けただけというのが濃厚な気がしなくもない。





「それ聞いたバカ共の反応は?」
「あんまり普段とは変わらなかったよ、自信もありそうだったかな」
「相変わらずの戦闘狂だな」





はっ、と鼻で笑う彼女だが、任務前の様子というのは重要なファクターだ。任務の前から動揺していたり、何か悩みがある様子だったら注意力は散漫になりやすいし、逆に自信があり過ぎても驕ってしまう可能性が高い。だからこそ私に尋ねたんだろうけど、概ね心配はない、というところだろうか。まぁあの2人だし余程の事がない限り大きなミスは起こらない気はするけれど……でも、





「……いくらあの2人がここ何年かでも特に優秀な術師だとしても、こんな任務を学生に頼むのかな…………」
「さぁね……上の考えることは正直よく分かんないし、まぁ口外出来ないこともザラよ」
「え、本当?」
「嘘。……だと思う?」





試すような問いかけ。何度か瞬きした私は少し考えたけれど確実な答えは出なかった。正直私も呪術界自体への信頼は大きくはない。こうして高専にはとてもお世話になっている分悪いことは言えないけど、それはあくまで私の周りにいる人たちが良い人なだけで、全体的な評価には結び付かないであろう、というのが本音だ。そっと首を横に振った私に、だよね、と彼女は先に付いた肺をトントン、とコンクリートに落とした。ふーっと大きく煙を吐き出してそれが上っていくのを2人で眺めてから「……何も無いといいね」「そりゃあね」と呟き合う。なんとなく、嫌な胸騒ぎを覚えつつ隣で膝を抱えた私を見た硝子は、その顔あいつらにも見せたの?と意味がよく分からない疑問を口にした。自然と首を傾げて、どんな?と聞き返した私に彼女はうーん、と少し思案してから言い放つ。





「飼い主に置いていかれる犬……?」
「……何それ」
「不安そう、みたいな?」
「硝子が疑問系なら私もわかんないよ……でも、」
「でも?」





そっと自分の髪に手をやった。思い出すのは任務を伝え終わった先生が去った後の教室での出来事。何だか珍しい彼の動作とそれを見守る生暖かい視線。未だ残るその感覚にそっと想いを馳せた。











「……大変な任務だね」
「はぁ?」




先生が出て行った教室の中で私の呟いた声は思った以上に大きく響いた。それは声に出すつもりもない、ただの感想だったけれど、五条くんと夏油くんの耳にはバッチリ届いて居たらしい。夏油くんは目をこちらに向けるだけだったが、五条くんは露骨に呆れた声をあげる。行かないお前が何を言ってるんだ、とでも言いたそうな顔をしていた彼だったが、私と目が合うと少し瞼を大きく開いて、ぎゅ、と眉間に皺を寄せた。夏油くんは捺、と私の名前を呼んで、大丈夫だよと安心させるような柔らかな声を掛けてくれたけれど、中々心は晴れない。呪術界において重要な天元様に関する任務をただの2年生の学生2人に行かせるなんて、正直考え難い話だ。夜蛾先生がああ言うのも頷ける。





「……なんか言いたそうな顔してんな」
「悟、今は……」
「お前は黙っとけ。……捺、言いたい事あんならハッキリ言えよ」





椅子から立ち上がった五条くんが私を呼ぶその声は、夏油くんのものとは違ってかなり刺々しいものだった。威圧的な声と上からの視線に萎縮し、体が重くなるのを感じつつ、それでも確かに自分の中に在る感情がわたしの唇を、舌を意識するより先に動かしていた。





「……私は……心配。2人のことが」
「……捺」
「他は?」
「怪我も、あんまりしてほしくないし……1番はちゃんと帰ってきて、ほしい」





素直な気持ちだった。極論私にとって任務の成功よりも何よりも、重い任務を背負わされて赴く2人を案じる、案じたい気持ちが強かった。私にとって2人は大切な友人だ。硝子が抱える苦しさとはまた少し違うかもしれないけれど、それでも心配なものは心配だ。勿論私がそこに配属されたからといって何かが変わるわけではないのだから心配しても無駄かもしれないけれど、でも……と、考えるほどに憂鬱が覆い被さってくるような気がする。しかし、思わずそっと息を吐き出したその瞬間、ぽす、と何かが頭の上に乗せられて、そのままゆっくりと、触れているのか分からないくらいの優しい動作で"それ"が動かされた。顔を上げるとなんとも言えない複雑な表情を浮かべた五条くんが居て、ぽつ、と彼の名前を呼ぶと、ハッと少し肩を揺らしてから今度はわしわしと音が聞こえそうなほど乱暴に髪を掻き回される。わっ、と声をあげたのも構わずに一頻り続けた五条くんはやっと私の頭から手を離すとぶっきらぼうな口調で、





「……んなヘマしねぇし帰ってくるに決まってんだろ」





と、ぐいっと目を逸らしながらそう言った。それを側から見ていた夏油くんはクスクスと口元を覆いながら笑い「……だって?」と私に返事を促すように声を掛ける。彼らを交互に見つめてから、五条くんのその態度が私を安心させるための物だと理解して何度も何度も首を縦に振った。……嬉しい、五条くんがそんなことを言ってくれるなんて。

ありがとう、と溢れた想いを言葉にして、それを聞いた五条くんは、一瞬、驚いたように瞬きしてから盛大に舌打ちをすると、そのまま廊下へと飛び出してしまう。慌てて追いかけようとしたけれど夏油くんがそれを制して「私が行くよ、捺は硝子のところ行っておいで」と優雅に手を振ったので、私が行くよりよっぽどいいか、と思い直して彼に甘えることにした。去り際の夏油くんもまた、頑張ってくるよ、と優しく目を細めてくれて、私は先程よりも少し気が楽になった。そして、硝子を探す為に五条くんが走って行ったのと反対の道を歩き始めたのだ。









「アイツがそんなことしたの?ウケるな」
「で、でも私は嬉しかったよ!五条くんがあんな風に言ってくれること無いし……」





馬鹿にしたように笑う彼女に反論するように私は騒いだけどあまり相手にされている感じはしない。はいはい、と適当に宥めつつ、なるほどねぇ、なんてぼやく姿は割と楽しそうには見えるけど、私にとっては結構大きな出来事だった。五条くんがあんな風に言ってくれるのも、頭を……な、なでてくれるのも、珍しい事この上ない。前の硝子の言葉を借りるとするならば余程私は頼りない……それこそ"飼い主に置いていかれた犬"のような顔をしていたのだろうか。それはそれで少し複雑ではあるけれど、彼の不器用な優しさに触れられたのは純粋に嬉しい事であった。……私は五条くんの言ってくれた言葉を信じたい。確かに不安は大きいけれど、彼が約束を破るようなタイプだとは思えなかった。夏油くんもいるし何かあれば彼がセーブしてくれるはずだ、だから絶対、大丈夫。そうやって自分の中の漠然とした負の感情をぐいっ、と押し込めた。私は私でみんなの心配をしているだけではいけない。明日は私も彼らとは違う任務に向かう予定だし、そこでは私が一応先輩に当たる事になるし気合を入れないとダメだ。硝子にそのようなことを伝えると、捺は誰と任務なの?と尋ねられ、そういえば2人のことは伝えたけれど私のことは言っていなかった、と思い出し、慌てて彼の名前を口にする。あぁ、と納得したように頷いた彼女はまぁアイツとなら大丈夫でしょ、と励ましてくれたけど、後輩と2人の任務は初めてでちょっと緊張している自分がいる。う、うん、と曖昧に頷いた私に表情固ぇ〜!とゲラゲラ笑った彼女に失礼だよ!と肘で軽く小突き、不平を訴える。少し傾き出した夏の日差しを受けながら、私達はまだ暫くはそこに座って取り留めのない、普通の、どうしようもないような話を続けたのだった。






不安を飲み込んで



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