鮮やかな桃色に染まった木々が揺れる。開いた花弁に当たる太陽の光のせいで辺りに粒子が舞って、春先の風で俺の髪が鬱陶しく浮き上がった。東京の自然に囲まれた山奥にある、お世辞にもキレイとは言えないこの建物で、俺は今日から数年を過ごすことになる。……にしても、寮生活ねぇ、と若干の不満を抱えつつ溜息をついた。そりゃあこんなとこまで毎日家から通うのは面倒な事この上無いが、外観がコレの学校の寮なんて少しも面白みが感じられない。いや、寧ろボロすぎて笑えるかもしれない。





「あ、あの!」
「……あ?」





突然、背後から声をかけられた。知らない女の声だった。振り返った先には同い年くらいの女子が立っていた。別に想像から逸脱するような箇所もない、特別変わったところのない女。俺の顔を見ては驚いたように大きく目を見張って、その奥にある瞳をゆらりと左右に揺らしたのに、何だよ、と機嫌悪そうな声が零れた。小さく唇を開いてぽかんとしていた女は俺の声にハッと体を揺らしてから、下げていた鞄の中を漁り、小さなメモ帳を取り出す。一歩、何故か物凄くおずおずと近付いては何度も紙の上に視線を落とし、やっとのことで彼女は口を開いた。





「ここ……と、東京都立呪術高等専門学校……で、あってますか……?」





俺を見て、妙に緊張した様子で尋ねてきたその女の第一印象は"明らかに俺と合わない面倒臭そうなヤツ"質問内容から察するに、恐らく俺と同じ今年入学の1年生。こんなのと同級生になるのかよ、と先が思いやられた俺とコイツの前に桜の花弁がゆっくりと舞い落ちた。満開と呼ぶにはまだ少し早い、そんな春の日に、俺と捺は初めて出会った。








ペットボトルのコーラを手に教室に戻ると、捺が俺の渡したダウンを羽織って丸くなっていた。そりゃあ俺が上着を渡したのは話している時も指先を擦り合わせたり、くしゃみをしたりと明らかに彼女が寒そうにしていたからなのだが、実際にその現場を目撃すると湧き上がる感情が押さえられなかった。正直に何を言ったのかさえ思い出せないくらいに反射的に出た言葉だったんだろうけど、何にせよ彼女がもっと小さくなって申し訳なさそうにしていた事は分かった。失敗した、と脳裏に浮かんだその言葉と、いや、何の失敗だよ、と否定する冷静な俺が自らの中に生まれている気がして最近はどうにも落ち着かない。自室のベッドに転がりながらゆっくり吐息を吐き出す。最近の俺は、何かがおかしい。






こうなったキッカケは、どう考えても去年の末に俺達全員で向かった廃工場での任務だ。……いや、正確にはその後、だが。閑夜捺、俺が初めて高専に来た時に出会った女。正直パッとしないし、傑や硝子に比べると随分影が薄い女だった。アイツらと話す時はそうでもないのに俺と話す時は妙に硬くて面倒だし、明らかに俺と距離を取ろうとしているのが伝わってくる。俺が何をしたのか、何があったのかは知らねぇけど、そんな態度のヤツと別段仲良しこよししたいつもりもない。最低限やるべき事をやるなら俺は構いはしなかった。


閑夜は真面目な女だった。座学は俺達の中で誰よりも真面目に受けていたし、訓練にも手を抜くような人間ではない。任務でも言われた通りにキッチリとこなす力があった。だが、それと同時にふとアイツは諦めたような顔をする事があった。訓練で俺にボロボロにされた時、任務で死にかけた時、俺が暴言を吐いた時、決まって少し驚いてから眉を下げて、苦く、乾いた笑みを浮かべるのだ。……俺は、それが特に気に入らなかった。別に態々女を虐める趣味なんて持ち合わせてはいないが、俺にどんな風に当たられても決まってそうする閑夜は半ば気味が悪い存在だと思った。少しは悔しそうな顔をしろよ、少しは生きたいと泣き叫べよ、少しは怒ってみせろよ、そんな思いが沸々と湧いてくる。だから俺は、アイツに良い感情を抱く事が無かった。俺にとって彼女は何を考えているのか分からない変な女、そんな認識だった。……あの日、あの任務に向かうまでは。





呪力の使い方が下手くそで無駄出しし過ぎた結果術式が使えず、崩れ行く工場から俺たち全員を身一つで運び出し、肋骨をバキバキに折った馬鹿女。俺が今まで見てきたどの閑夜にも当てはまらない、根性のある行為。あそこで意識を飛ばしてしまった事をぼんやりと悔やむくらいに珍しいソレ。それを聞いて何のプランも何が言いたいのかも決まっていないのに高専をボロボロの体で走り抜けて、やっと見つけた非常階段に座る小さな背中に酷く動揺した。少しは根性のある女だと思ったのに、それは迷子の少女のようにも思えた。



夕陽に溶けそうな輪郭と、赤く染まる、潤んだ目元。初めて見た姿だった。なんだ、お前もそんな顔出来るんじゃないか、場違いにもそう思う俺がいた。彼女の口から溢れた悔しいという言葉も、隠さない涙も、無理しながらも笑って強がる姿も、全てが俺の瞼に焼き付いて離れない。閑夜はただこの一年、必死に背伸びして俺達に追いつこうと足掻いて、もがいて、苦しんで……俺を苛立たせたその行為が抱えた感情を隠そうとする故の行為だったんだと、無理をしていただけなんだと、そこで初めて、気づいた。俺が思うより閑夜捺は強い女だった。俺にそれを今日まで悟らせないほどに、彼女には強がる才能があった。




1日考えて、俺は彼女の才能を認めた。結局こういうのは引き摺る程に曲げられなくなるものだと身を持って体感していたから、少しは素直になってもいいか、と思った。自分なりのケジメを込めて呼び方を捺に変えた。傑と硝子には天変地異でも起きたのかと言わんばかりの顔で見られ、捺本人は逆に眩しいくらいに目を輝かせて照れ臭そうに頷いていた。よく分からないが彼女のそんな顔をまともに見るのも初めてで、少しだけ息がし辛くなった。捺が俺に向ける表情も日に日に増え始め、毎日物珍しいものを見たような気持ちにさせられる。案外表情豊かな彼女には退屈しなかった。





「そんなに気になる?」
「……は?何が、」
「捺のこと」





年が明けて直ぐの事だ。不意に目の前に座っていた傑が俺にそんな事を尋ねてきた。俺は視線を窓の外の捺と硝子から逸らし、不可解そうに眉を顰めながら彼を見た。傑はいつにも増して楽しそうな表情を浮かべている。こういう時のこの男の言う内容が碌でもない、ということはもう既に分かっているので、少し警戒しながら何の話だと聞き返せば、自覚ないの?と馬鹿にするように笑われた。んだよその態度、と分かりやすく不満を示すと「前とは悟、別人みたいだし」と傑は喉をクツクツと鳴らす。





「……どういう意味だよ」
「分かってない?それとも分かってるから誤魔化してる?」
「…………」
「最近ずっと捺のこと見てるだろ、お前」





傑の言葉にピクリ、とボールペンを回していた手が止まった。俺が、捺を見ている?低い音を立てて心臓のペースが少し早まるのを感じる。傑は俺の戸惑いに笑みを深めながら、前は少しも目に入れたくないって感じだったのに、と机の上に肘を付いてにこやかに俺を見る。何が言いたいんだ、と怪訝な視線を向けても、傑は相変わらず笑い、ふと窓の外を見てから「あ、捺が転んだ」なんて呟いた。反射的に俺も雪に染まった地面を見たが、そこにはもう既に捺も硝子も居なくなっていて、代わりに目の前の男からの非常に面白そうな様子がひしひしと肌に伝わってくる。




「ごめん、今の嘘」
「ッハァ!?」
「謝ったんだから許してくれよ。でも……今のでハッキリしたんじゃない?」
「ハッキリ、って……」
「悟、素直になりなよ」




素直になりなよ、という響きが頭に残って離れない。取り繕うように……何のことだよ、と吐き捨てた俺に傑は態とらしく肩を竦めている。それに文句を言うより先に、ただいまぁ、なんて緩い声で教室の扉を開けた硝子とそれに続いて入ってくる捺の顔が寒さのせいで赤く熱っているのを何となく見ていられなくて素早く目を逸らした。……なんなんだよ、一体。









……波立騒ぐ心が落ち着かない。自室で考えれば考えるほど微かな苛立ちにも似た感情に支配されていくのを感じる。喉に刺さった魚の小骨が外れないような、指先に細い棘があるような、そんな違和感。彼女の顔が頭を浮かんでは離れなくて気分が悪い。壁の方を向くように寝返りを打って布団を肩のあたりまで引き上げた。少し前まではこんな事なかった筈なのに、捺の事を思う程に居心地が悪くなって仕方がない。今日だって、そうだ。着ていた上着を丁寧に返された時のふわり、と香った頭の中がぼんやりとするような甘さにおかしくなりそうで部屋に帰った瞬間ダウンを適当に投げ捨ててしまった。そして、床に転がって彼女に畳まれていたのが解けたのを見ると、不思議と胸が痛くなって結局椅子の背もたれに掛ける二度手間するハメになった。自分で自分が信じられない、それくらい今の俺はどう考えても変だ。


今日捺の話を聞いた時だってそうだ。彼女の語った生い立ちは、確かに明るい話ではなかったが、この呪術界の腐り加減から思うに珍しい話では無い。きっと、相伝の術式が継げずに落ちこぼれた人間の話は五万として存在するだろう。そして、結果的に捺は父親が跡形もなくこの世から消されたお蔭で対してその皺寄せにあっていないのも事実だ。俺は彼女の家族に会った事はないが、曲がりにも閑夜捺とは1年間を過ごしていた。当たり前だが思い入れがあるのは彼女の家族ではなく、彼女に対してだけなのだ。そして、今日はっきりと理解した。


彼女が妙に死に急ぐのは、父親のせいだ。 父親に認められず否定されてきた過去が、現在の彼女にとって重荷になっている。自分に自信がなく、何も出来ないと思い込み、尻込みしている。そのくせに父親の凄惨な最期のせいで、その術式のせいで、常に最悪のパターンを思い描いている。"自分より優れた人を助けるのを厭わない。もしそれで自分が怪我を負って死にかけたとしても、自分の体を担保に契約すればこんな自分でも少しは力になれる"……なんて、馬鹿な考えなんだ。そんな事は誰も望んでいないし、それを見せられ、残された奴らの気持ちなんて考えない、自分勝手な行為だ。




「お前、いつか死ぬぞ」
「……私も、そう思う」




……あァ、腹が立つ。ムカつく。自分が死んでも何も変わらないし、何も困らないと思っていそうな、あの人畜無害に見える顔が気に入らない。自分の犠牲だけで済めばいいと本気で考えていそうなのが気に入らない。俺がここまで考えてしまっている事実も、何もかも、気に入らない。

1人の部屋で舌を打ちながらほぼ無理やり目を閉じた。これ以上考えても答えは出ないだろう。明日も任務がある。こんな事に睡眠時間を削ってられる余裕はない、そう言い聞かせながら自分自身に暗示をかけるように俺は暫くそのまま寝転がり、次第に意識を夢の中へと沈めていった。












「ご、じょう、くん」
「…………お前、何しようとした?」






最悪ってのは続くものだ。彼女の着ている黒い服を掴み上げて、思い切り木の幹に押し付けている今この状況は、最悪以外の何者でも無かった。今日の任務は何の因果か捺と2人だった。傑と硝子が気持ち悪いくらいの笑顔で俺を見てきて意味が分からなかったし、隣に立つ捺は微妙な笑みを浮かべて、頑張ろうね、と伝えてくるだけだった。昨日の今日で思う所しかない中でよりによってコイツかよ、と息を吐きながら向かったのは東京でも信じられないくらいのド田舎。バスなんざロクに来やしないし民家なんて数えられるくらいしか存在しない。さっさと終わらせて帰るぞ、と声を掛けつつ任務地の林にまで別に面白い会話も無く、俺達は歩いて行った。


呪霊はすぐに見つかった。面倒に飛び回る奴だったが、特別苦労をする訳でもなく追い詰めることが出来た。……だが、その呪霊は生意気にも言葉にならない声を発しながら彼女を人質に取ったのだ。刃物のように尖った鋭い腕を彼女に突き立てて、傷を付け、ニタニタと嫌らしく笑う。こいつが惜しければ見逃せとでも言いたそうなその態度が憎たらしくて仕方ない。俺がこいつを祓うのは造作もない事だ。何なら今すぐぶち殺すぐらい数秒で完了するが、その際彼女に被害が無いとは断定出来なかった。俺の術式は細かなコントロールが必要になる場合にはあまり向かない、だからこそ、俺は一瞬、悩んだ。それを見た彼女は俺を見つめて、やけにスッキリとした表情を浮かべる。まるで全てのしがらみから解放されたかのようなそれに、嫌な予感がした。彼女の掌が呪霊の刃に"自主的に"触れる。捺の白い腕に血液がゆっくりと腕を伝い、何をしようとしているのか、すぐに分かった。考えるより先にその行為に明らかに動揺した呪霊と距離を詰め、呪力を込めた渾身の力で殴り飛ばした。吹き飛んだ首から黒っぽいモヤが溢れたかと思うと、霧のように掻き消えた呪いと、支えを失い地面に落っこちた彼女の体。……捺が立ち上がるよりも俺が彼女に掴みかかる方が幾分か早かった。





「私は、」
「言えよ。今お前、父親と同じ事やろうとしただろ」





ヒュ、と息を呑んで俺を見つめてから、抵抗の意思を無くすようにだらりと垂れ下がった腕を見て、俺も彼女から手を離した。ずるずると座り込むように木の根に背を預けた捺はこくり、と首を縦に振る。……こいつは、本当に…………そんな思いと阻止できた安堵感がやっと込み上げて深く息を吐き出しながら俺もその場に蹲み込む。膝を抱えて「ごめんなさい、」と小さく謝るのを見るに、自分がしようとした事の重大性は理解しているらしい。俺も、呪いと対峙している以上、昨日彼女があんな話をした後だということを念頭に置くべきだったと若干反省しつつ、確認する意味を込めて口を開いた。





「……さっき、死のうとしてただろ」
「……たぶん、そうだと思う」





頼りなさげな声が2人だけしかいない森の中に静かに落とされた。……人間は、都合の悪いことを忘れられる生き物だ。忘れるからこそ前に進むことが出来る、忘れるからこそ、改めて前を向ける。彼女にとってもそれは同じで、高専で過ごす忙しない日々の中で父親と向き合う記憶を少しずつ自分から遠ざけていたのかもしれない。それが、昨日改めて振り返り、思い出す中でいつの間にか彼女は"そういうモノ"と近い場所に立っていたのだろう。俺達呪術師は日々溜まっているちょっとした負の感情が高まりやすい場所で生きている。だからこそ、メンタル的な不調には気を使う必要があった。そうじゃないと流石の捺もあんな敵に、ましては俺との任務で簡単に切り札を使おうとなんてしなかった筈だ。……さっきの彼女は自己犠牲にも満たない、ただの死にたがりでしか無かった。





「……昨日夢でお父さんが出てきたの」
「……」
「なんで、お前の為に死ななきゃならなかったんだって、言われて、」





呟くような小さな声で言う彼女の夢の話は胸糞悪いものだった。乾いた笑いを零しながら、その通りだと思った、と答えた捺は俯き加減で酷くやつれて見える。所詮夢で戯言に過ぎない、俺がそう言うのは簡単だろうが、それでは根本的な解決は望めない。俺は、彼女の父親のことなんて何も知らない。想像も出来ないし、もちろん会ったことも見たこともない。だからこそ、思った。きっと彼女は、





「お前、親父に呪われてるだろ」
「…………え?」
「親父の言葉とか、最期とか……その全部に囚われて生きてどうすんだよ」
「でも、私に出来るのはこれしか……」
「ないって?笑わせんなよ、お前が考えるの諦めてるだけだろ。テメェの親父を辿っても破滅しか無いって身を持って実感したなら、それを反面教師に生きろよ」





つらつらと並べた言葉に捺はいつの間にか顔を上げて俺を信じられないものを見るような目で見つめていた。失礼な奴だなと思いつつ、これもまた譲ってやるつもりはなかった。この馬鹿を放っておけば何処かで野垂れ死ぬであろう事に、どうしても納得がいかなかった。捺は親父の影を見て生きている。親父の代わりになろうとしている。自分には叶わなかった事を押し付けては目の前で勝手に死に晒した男の後を、追おうとしている。それを立派だと呼ぶヤツもいるかもしれないが、俺はそうは思わない。自己犠牲で華々しい最後を飾れるなんて、フィクションだけの世界だ。





「俺はお前なんかが身を張らなくてもあんな雑魚に殺されねぇし、俺より弱いヤツがお前のくだらない自己犠牲で絶対に助かる保証はねぇぞ」
「それは……」
「場合によっちゃ頭数が減ってもっと不利になるかもしれない、その責任、取れんの?」
「……責任、は、」
「自己犠牲なんて漫画の中だけの綺麗事だろ、他人の自己犠牲の所為で背負わさられるこっちの身にもなれ。……そんなもん、呪い撒き散らしてるだけだわ」





自分が誰かを呪うことになる、そう知らされた彼女は言葉を失っていた。こんな時でさえ丸く、透けるようなその色に少し目を奪われかけて、流れるように顔を背ける。……呪いと戦う呪術師が他人を呪っちゃ世話が無い。俺に言わせればコイツの親父はその時点で呪術師として失格だ。肺に溜まった空気の全てを吐き切るように深く深く肩を落とす。俺だって別に、こんな言い方をしたい訳では無かった。





「……俺に本気で投げられても喰らい付く根性も、俺ら全員を担ぎ出せる力もある」
「……!」
「お前が、自分なりにその呪いから逃げようとしてんのは分かる。無意識なのか意識的なのかは知らねぇけど」
「そんな、私は全然……」
「自分が助けなきゃ崩れた建物の下敷きになってた奴に言うか?」
「うっ、」





同級生全員を助け出すっていう"ヒーロー"みたいなことをしたクセに、それを指摘されると何よりも困ったような顔をする捺を鼻で笑った。こういうところが馬鹿だと思うが、別に、俺は嫌いでは無い。少しは自分の事を認めてやれよ、と、やっと1番言いたかった事を告げた俺に捺は様々な感情が入り混じったような、情けない顔をしていた。

捺は自分にできる事を探すのが上手かった。それ故にフォローに回りがちで勝ちへの拘りはあまり感じられない。もし自分がダメでも俺達がいると無意識下に考えているのか知らないが、だからこそ、無理をする。無理をして人を助けようと庇い、怪我をして、結果的に死にかけても奥の手がある、そんな事を思いながら戦ってもきっと彼女は何にもなれない。あまりにも無責任で、他人任せだ。





「……お前はもっと勝ちに拘れ。お前が死んで、代わりがいるなんて考えるな。お前が死ねば、お前の護りたいものも死ぬぞ」
「それは嫌だけど、でも、どうすれば……」
「別に今すぐそうなれとは言ってないだろ!その方法を見つける為にお前は高専来たんじゃねぇのかよ」
「五条くん……」
「"呪術を学びたい"んだろ?大差ねぇよ。その自己犠牲術式だって極端な使い方しなけりゃ弱くは無い」





ここまでやれてんだから自信持てよ、と締め括り、言いたい事を軒並み言い切ってから膝に力を入れてグッと立ち上がる。俺を見上げる彼女の腕を引っ張り上げ、その場に立たせてやったが、相変わらず捺は呆然とした顔で化石みたいに動かなくなっている。着いてこようとする様子もないのに呆れつつ、手首を掴んで犬の散歩のような原理で彼女の腕を引いた。軽くつんのめりつつも何とか堪えて俺の後ろを続く彼女だったが、次第に待って、だとか、止まって、なんて言い始めたので仕方なく足を止めて振り向いた。





「あ?」
「……どこ、いくの?」
「……は?高専に決まってんだろ。お前怪我してんだしサッサと帰るぞ」
「こう、せん、」





じわり、と彼女の目元に光の影が溜まり始める。あ、と俺が思った時にはもう遅く、長いまつ毛を濡らして少しずつ、溢れ出すように捺の瞳から涙が頬を伝い始める。キュッと唇を噛み締めて堪えようとはしているが、その意に反して彼女の顔は涙で歪んでいった。つーかなんで泣いてんだよコイツ!?どうして良いか分からず戸惑う俺の前で、ぼろぼろと、そんな音が聞こえそうなほどに泣き腫らしていく姿にかつてないくらいに動揺が走る。前に見た時と比べても、もっと感情的で、子供みたいな泣き方。 どうすりゃ良いんだよこんなの!!





「何泣いて……つーか俺が泣かせたと思われんだろ!?」
「ごめ、なさい……っ、うれし、くて、」
「ハァ!?当たり前だろこんな、」
「っ、ありがとう五条くん……」





助けてくれて、と彼女の口から零れたのは心からの感謝の言葉だった。嘘も偽りも感じられない素直な言葉と、泣き笑いの微笑みにギュ、っと胸の奥が痛くなる。肋骨を内側から折りそうな勢いで心臓が動き始める。どうしようもない泣き顔の筈なのに、それが不思議と美しく、どこか気が抜けるような安心感すらも俺に与えていた。別何かした訳でもない、俺はただ彼女の生き方や精神が気に入らなかっただけだ。コイツにはもっと特筆できる所があるのに、それを理解していないとこがムカついただけだ。俺はただ彼女に、野垂れ死んで欲しく無かっただけだ。……それは、何故なのか。ふ、と自らに湧き上がった疑問を胸に抱えつつ、まだ車が来るまで20分はかかるバス停の古ぼけた青いベンチに2人で腰掛ける。足を広げて疲れた、とぼやきながら座る俺をチラリと見た彼女は目元こそは赤いが、大分涙は落ち着いている様子だった。





「……どうして五条くんは、こんなに……アドバイス、してくれたの?」
「別に。見ててムカつくから」
「そ、そっか……後は鈍臭いから、とかかな……」





乾いた笑みを浮かべて自虐する捺の顔をじっと見つめた。アドバイスと呼べるような大した事をした覚えは無いが、先程から渦巻く疑問と彼女の質問の答えは近しい気がする。見ていてムカつくのもすぐ死のうとするのも無理するのも気に食わないし、その後の自信無さそうな顔も嫌いだ。俺といるとよくそんな顔をするクセに、硝子や傑の前だと少し気が抜けたリラックスした表情になるのも腹立つ。でも、前みたいに雪ではしゃいでんのも、俺の服着て暖かさにホッとしてんのも、たまに、何にも囚われずに柔らかく甘く笑ってるのも、こう、よく分からない感情にさせられる。つい、眺めていたくなるような女。俺の知らないどっかでボロ雑巾みたいに死なれんのは、嫌な女。でも、五条くん、なんていじらしく呼ぶ声は嫌いじゃなくて、つーか寧ろ気に入ってて、見上げてくる時の動物みたいな瞳とか仕草が可愛くて……だから、俺は、






「……お前のことが、」
「あ!バス来たよ五条くん!!良かったぁ……」
「…………」
「……五条くん?」






雷に打たれたような、衝撃。口を窄めて、殆ど次の言葉を言い掛けていた俺を遮るように捺が喜びの声を上げたが、全く反応が出来なかった。不意に鳩尾を突かれたような、はたまた、頭を殴られたようなショックが俺の全身を貫いた。放心している俺に戸惑いつつ彼女は俺の手を取るとバスの中に連れ込んで、空いた席へと腰を下ろした。五条くんも、と促されるままに隣に座ったは良いものの、俺は今それどころではないのだ。グルグルと以前言われた傑の言葉が頭の中を回る。俺がずっとアイツを見てる?素直になれ?信じられなかった客観的な意見が胸に深く突き刺さって抜ける気がしない。だって、俺はたった今、人生で一度も発することが無いかもしれないそんな言葉を、サラリと彼女に発しようとしていたのだ。







"お前のことが好きだからだよ"






信じられないくらい臭いセリフ。どっちが馬鹿なのか分かったものじゃない、そんな言葉ありえない、そう思う程にじわじわと顔に上る熱が現実だと訴えかけてくる。認めたくない、認められない、そんな思いとは裏腹に先程思い浮かべまでいた彼女への質問の答えを振り返り、ここ最近の俺が彼女をどれだけ見ていたのか、何を思っていたのかがハッキリと映し出されている事に愕然とした。震える手で携帯を取り出して、傑、と書かれた名前の所で決定ボタンを押す。カチカチ、と焦って何度も書き直しながら完成した「やばいおれ捺のことすきかも」という稚拙な文章への彼の返答は「え、今更?」という更に簡素な物で、思わず頭を抱えた。お前、知ってたのかよ!!!!!





え、今更?



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