踏み入れた瞬間に身体中に感じる刺すような悪意や憎悪の塊。場所が断定出来ないほど広範囲に広がる呪いの気配はただの呪霊との格の違いをありありと見せつけている。先に入っていた楽巖寺学長や歌姫先輩も思わず眉を顰めていたが、そんな私達に何者かが声をかけてくる。荒っぽい足取りで階段を一段一段降りるその姿は人間ではあったが、異様であることに変わりは無い。





「おいおいおいおい!!五条悟いねぇじゃん!あの生臭坊主騙しやがったなぁ」





五条くんを探しているエプロンのようなものを身につける筋肉質な男は一帯を包んでいる呪いの元凶では無いが、侮って掛かれる相手でも無さそうだ。“生臭坊主"という明らかに人間らしき相手を指す言葉を聞く限り、まだ呪詛師が潜り込んでいる可能性は高い。咄嗟に構えた私と先輩だったが、隣に立つ学長が一歩前へと進みながら「お前達先に行け。学生の保護を優先、極力戦うな」と指示を出した。ほぼ同時に視線が合わさった先輩と頷き合う。男の左右を走り抜けるように二手に分かれた私達に斧のようなものを向けた呪詛師だったが、背後から聞こえるロックなギター音に胸を撫で下ろす。……あの人なら大丈夫だろう。階段を揃って駆け上がりながら歌姫先輩が右に行く!捺は左!と端的で分かりやすく訴えたのに大きく頷いた。





「ッ生徒の、確認が取れ次第連絡します!この帳が五条くんの言う通りなら多分、電波は生きてる……!」
「分かった!後でね!……アンタも死ぬんじゃないわよ!」
「できるだけ、頑張ります!!」






歌姫先輩のそこは言い切りなさいよ!!!という声を聞きながらほんの少しだけ口元に笑みを浮かべる。私は生徒を助けるまでは絶対に死ねない。何が何でも全員を無事に高専へと連れ帰る。それがきっと、私の補助監督としての使命だ。頭に過るのはあの日、酷い雨の中倒れ込んだ虎杖くんと小さく蹲った姿……もうあんな思いはしない。あんな風に悪戯に命を落とす生徒も、仲間が死んだことを背負う事になる子供も、作りたくない。作り出さない!そう誓いながら門から続く石畳をひたすら走っていく。部屋を出る前に見たモニターでは森の中に居る生徒の様子は確認出来たけれど、それ以外の彼らは一体何処にいるのだろうか。当てなく彷徨っても時間が過ぎて行くだけならば高いところにでも、と、そこまで考えて突然現れた道端に堂々と居座る"それ"に足を止めた。


真っ黒な宝石みたいな目と嘴がじっと私を見つめる。何かを訴えかけるような視線と共にカァ、と一声鳴いた鴉は翼を羽ばたかせてあまり高くない位置を一定のペースで飛んでいく。それはまるで私をどこかへと案内しようとしてるように見えて、彼女の姿がすぐに頭に浮かんだ。きっとこれは冥冥先輩の使役している一羽だ。しばらく滑空するようにしていたソレは森を抜けて開けた場所に立つ御堂のあたりで一際大きく羽を動かして飛び上がり、一つの屋根の上でクルクルと円を描いている。


あの場所に誰か……?と目を細めながら近付くにつれて徐々に辺りの様子が鮮明になっていく。通常の入り口の近くにはたくさんの瓦礫が散らばっている。木で出来たバルコニーは一部が削れ、瓦も大きな衝撃が加えられたように無残な状態になっている。ここで何かが起こったのは明らかだ。思わず眉を顰めながら近くの影の中に飛び込み、屋根の一部に通じる木の葉の影の所まで泳ぐようにして移動し、そこに倒れている彼らに目を見開いた。




「……狗巻くん!加茂くん……!」




私の声に反応が無いことにひどく肝が冷えた。崩れ落ちるように倒れ、口から血を流している狗巻くんの喉元に手を当てる。少し押し込むように動脈を刺激し、血管に弾力性と拍動を感じてゆっくり息を吐き出す。……良かった、生きている。でもここまで彼が無理をするくらいの相手となると相当な実力者の可能性が高いだろう。触れた時についた血液の量がその激しさを表している。

次は、加茂くんだ。少し緊張しながら同じように喉元に添えるように指で刺激し、確かにそこにドク、ドクと動くものを感じて肩の力を抜く。良かった……彼もとりあえずは生きている。綺麗な顔は何かが強い力でぶつかったように傷が付いていて痛々しいが、この程度なら早く硝子に見せれば跡は残らないだろう。すぐに携帯を取り出して歌姫先輩に連絡を取る。生徒2人を見つけたと状況だけ伝えてから彼女との電話を切り、流れるように硝子にも連絡を入れた。簡潔に怪我の状態を伝えて受け入れ準備してもらってから先程出てきた木の影に触れて、そっと唱える。





「……"影踏"……この子達を高専の家入硝子の所まで、」
「……あれ、捺さん?」





ふわり、と私の頭上に注ぐ光が制限される。高くて可愛らしい声で呼ばれた私の名前にハッと見上げると箒に跨る桃ちゃんがそこに浮かんでいた。不思議そうに私を見ていた彼女だったが、倒れている2人に気付くと目を見開いてすぐに屋根の上にまで降りてきた。真っ先に加茂くんに駆け寄った彼女に大丈夫、生きてるよ、と伝えると桃ちゃんは分かりやすく安心した評定を浮かべる。……当たり前だけど、やっぱりみんな不安なんだ。早く他の子達も見つけないと、と気合を入れ直してから、改めて具現化した影に彼らを運ぶように命令した。





「捺さん、私は何をすればいい?」
「桃ちゃんは私の影が2人を運ぶのを見ていて欲しいの。このまま硝子……家入の所まで向かわせるけど、万が一呪霊と会敵したら危険だから」
「……分かった。上から見ておくけど……捺さんはこれからどうするの?」
「私は他の子達も探しに行くね。桃ちゃんは終わったらそのまま家入の所で待機しててくれるかな?」





桃ちゃんはパチパチと何度か瞬きしてからこくりと頷いた。その反応にほんの少し違和感を感じて、どうしたの?と尋ねると彼女は「ううん、頼もしくてびっくりしただけ」と笑ってから屋根を蹴って飛び上がった。桃ちゃんの答えに今度は私が少なからず驚いている間に彼女はみんなをお願い、と告げると直ぐに影を追い始め、その小さな背中が遠ざかっていくのが分かった。……頼もしくて、びっくりかぁ、と可愛い生徒からの評価を噛み締めながら思わず私にも笑みが溢れた。大したことをしている訳ではないけれど、そう思ってもらえたなら良かった。非常事態において安心できる、という事は落ち着いた思考にも繋がる。彼らも立派な呪術師だ。パニックにさえ陥らなければある程度までの出来事に対処するために"考える"事ができるだろう。そして、ある程度以上をどうにかするのがきっと、私たち大人のすべき事だ。



受け身を取りながら抉れた瓦屋根から飛び降りる。モニターで確認できなかったのは狗巻くん、加茂くん……そして、伏黒くん。2人はひとまず見つけたけれど、伏黒くんの姿は近くには無かった。彼は一体どこにいるのだろうか。ひとまず御堂を抜けて続く石畳へと戻り足を進めるが、検討が付かない。相変わらず強い呪力が蠢いているのは分かるが帷全体があまりの呪力量で包まれているため、中々特定できるほど正確な位置は掴めない。そもそもここまで張り巡らせるように伸びる呪力を一体どこで、と、そこまで考えて、ふ、と足を止める。ここまで走ってきたが弱まる場所が無い、ということは呪霊は帳の中心……所謂この森の奥に居るのでは無いだろうか。呪いと言えど限界があることは経験上よく分かっている。規格外中の規格外なら分からないけれど……少なくとも無尽蔵では無いはずだ。それがここまで均等に行き渡っていると言うことは"水面の中心"を目指すべきなのかも知れない。半円球状の帳を見上げ、天球の丁度てっぺんに当たる部分へと進行方向を切り替えた。学生時代の私の記憶が正しければこのままいけば川を突っ切る事に……と脳内地図を描く私の耳に、突然、集中力を断ち切るような大きな地響きが聞こえる。発生地点は丁度正面で勘が当たったことに喜びたい気持ちと、ここから先は油断出来ないという緊張感に唾を飲み込みながら、目だけを周囲に向ける。幸い木々が多くまだ日は高いが地面にはいくつもの影が伸びている。これなら多少は対応出来るだろうか。……いや、違う。私は対応しなければならない。その為に五条くんの静止を振り切ってまでここまできたんだ。出来る全てを賭けるしかない……!





「……葵くん!虎杖くん!!」





続いた森が終わり、川のせせらぎが聞こえる。思わずそこに立つ2人の名前を呼んだが、彼らが対峙する呪霊にハッ、と息を飲み込んだ。肌色に近い図体に黒の紋様が刻まれた異形。両目からは木のようなものが生えており、明らかに只者ではないと理解できる。"ソレ"を中心として巻き起こる呪力は一級を優に超えており、それ以上判別できない時に名付けられる『特級』の称号を得ていることが本能的に感じ取れた。





「え、捺さん!?何でここに……」
「捺か、お前も戦うなら中々捨て難いが……今の俺はマイフレンドとの蜜月を楽しみたい!パンダとコイツらを連れて帷から出ろ!」
「……真希ちゃん!?伏黒くんも……!」





葵くんの腕の中にはぐったりとした真希ちゃん、その近くには苦しそうに噎せ返る伏黒くんが辛うじて立っているが、その後ろにはパンダくんが控えているのが分かる。彼の今の言葉は「ここは任せろ」の意に近しい筈だが……特級との戦いに戦力は多いに越した事がない。影だけで怪我人を退避させるべきか?だが、あの葵くんが無理をするようにも思えない。彼には勝てる算段があるのだろうか?





「待て!!いくらアンタでも、」
「伏黒、……大丈夫」
「……!」





私と同じようなことを考えていたのだろう。伏黒くんがボロボロになりながら叫んだが、それに振り返った虎杖くんは驚くほど落ち着いた笑顔を浮かべた。そこには少しの迷いも無い、自信と可能性だけが溢れている術師の姿がある。似たような感覚を私は知っていた。私の同級生にも……五条くんにも、同じようなモノを見た事がある。そしてそれは私がどうこうできるような事象ではないことも分かっていた。伏黒くんはキツく唇を噛み締めたが「次死んだら殺す!!」と半ば怒鳴るように訴えた。彼がパンダくんに抱えられたのを確認してから、深く息を吸い込んで、葵くんよろしくね!!!とできる限りの大声を張り上げ、私も思い切って踵を返した。足に触れた角の鋭い小石を拾い上げつつ、2人を抱えて走るパンダくんの後ろに付いて森を駆け抜ける。途中幾つかの影に触れて顕現させ、極め付けに手の甲を一思いに小石で切りつけた。たらり、と滲み出した鮮血にたまたま私を見ていた伏黒くんが目を見開いたのが分かった。






「"影響"……私達の前を先導して惹かれてきた呪霊の相手を!」





人差し指に血を付けてから実体化した影の一つに手の甲を押し付けながら命じる。影の体の一部に指先でぐるり、と円を書くことで"捺印"をした。手の甲を包み込むように影が覆い、流れた血液が全て吸収されると複数の影は私が捺印した影と一体化してその体を巨大化させる。地面の中に潜り込みパンダくんたちの足元を通って前に躍り出た影は大きな黒鳥へと変化して地面から飛び立つ。取るに足らない4級呪霊をその翼で蹴散らせながら羽ばたく姿は雄大だ。……冥冥先輩に影響されたかな。





「捺!あれはお前の術式か?」
「"陰影操術"って言うんだけど……詳しい話はまた今度ね!」





パンダくんの驚きの声に返事をしながら今は兎に角2人の救命が優先だ。幸い帳の中にはあの特級以上の存在は確認されていない。このままいけば大きな邪魔もなく硝子の所に辿り着けるはずだ。……葵くん、虎杖くん無理はしないでね、と胸の中で呟きながら、私達は勢いのままに森の中を抜け出す。ここまで来れば後は来た道を戻るだけだ、と黒鳥の隣にまで走り出た私はパンダくんに抱えられた伏黒くんがはじめに目が合った時からこの瞬間まで、ずっと此方を見つめていたのには、まるで気付かなかった。






陰影操術



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