真希ちゃんの華麗な太刀取りが決まり、唖然としている三輪ちゃんが映し出されているモニターのちょうど隣の画面には頻繁にノイズが走っている。……何かを決めつけたい訳じゃない、けど、じんわりと滲む不穏な空気に何となく嫌な予感がしているのは気のせいだろうか。後ろに座る冥冥先輩はクスクスと笑いながら真希ちゃんについて「面白い子」だと評価していて、それに対して五条くんは禪院が邪魔してるくさいんだよねぇ、と大袈裟に息を吐き出しながら深く椅子にもたれ掛かった。





禪院が昔から色々と気難しい家系なのは知っている。真希ちゃんも真依ちゃんもそのしがらみに振り回されているのはこうして外野で見て居ても不憫で仕方がない。呪力を持たない真希ちゃんと、術式と呪力が釣り合っていない真依ちゃん。境遇が違う二人の姉妹どちらとも関わってきた私は複雑な気持ちだ。……真希ちゃんと真依ちゃんは、似てないと思う。赤の他人が似てる似てないを語るのはナンセンスだとは思うけれど、本質的な性格の違いは、やっぱり仕事をする上で感じていた。


真希ちゃんは一本曲がらない芯が体を貫いているような女の子だ。彼女なりの信念を持ち、強く逞しく美しい人だと思う。私が見ていても羨ましくなるような、そんな人だ。真依ちゃんは逆にしなやかで繊細な女の子だ。確かに少し憎まれ口を叩く時も多いけれど、彼女は感受性も豊かで誰かの弱さに寄り添うことが出来る人だ。任務に出ているのを見ていても、意外と子供と相性が良かったり、何かと車内でも気遣ってくれることが多い優しい子だった。真依ちゃんは自分の姉について話すことは少なかったけれど、刺々しい口調の裏には"それだけではない"何かがあることは容易に想像がついていた。あの頃の私は真希ちゃんのことを知らなかったからそれが何かまでは分からなかったけど、今なら少し分かる気がする。きっと、学生時代の私と同じ"羨望"や"憂惧"に似たような感情だったのだろう。五条くんや硝子、夏油くん……唯一無二の才能を持つ彼らを羨ましく思い、そして、置いていかれるのではないかと不安だった当時を思い出すと、どうにも苦笑してしまう。感情って身勝手だ。彼らはそんな事、少しも思ってなかった筈なのに。






「それよりさっきから悠仁周りの映像切れるね」
「動物は気まぐれだからね。視覚を共有するのは疲れるし」





深く考え込みそうになっていた私を引き上げるような五条くんの声が聞こえた。首をもたげて冥冥先輩の方を向く彼と、目を伏せて相変わらずの様子で笑う彼女の間には不思議な緊張感が漂っている。「ぶっちゃけ冥さんってどっち側?」とあっけらかんとした調子で尋ねた彼に私の方が肝が冷えた。私も、ほんの少しだけ考えた。冥冥先輩は一級術師で、決して無理をするようなタイプではない。事前に自分が限界を感じるほどのモニターを無理に作動させるのは彼女らしくないし、決まって途切れるのは"虎杖悠仁"が映っている画面だけなのだ。冥冥先輩は事前にカラスを従え、森の中に監視カメラの要領で設置し、視覚を共有している。だからカラスがいない場所には当然ながらスポットは当たらないし、カラスの視界から外れれば映らなくなる。なので映る生徒は基本状況によって変動しているのに"何故か"虎杖くんだけは常に一つのモニターに映されており、此方から確認できるようになっている。彼が動いていないと言えばそこまでかもしれないが、多少それぞれの生徒が映し出されるモニターが変化していく中、同じモニターで常に彼を監視出来る、というのは疑わない方が難しい。何か訳あって冥冥さんは虎杖くんを常に見て、画面を途切れさせている……そう考える方が自然だった。





「どっち?私は金の味方だよ。金に換えられないモノに価値はないからね……なにせ、金に換えられないんだから」
「いくら積んだんだか!」





指で円を作って見せた彼女に口を開けて笑った五条くんは焦ってはいない。彼がこの態度なのを見る限り緊急性は無いと信じたいけれど……冥冥先輩がどの程度"京都"に味方するように契約しているのかは分からない。これは、ある種彼女がお金の前では分かりやすい女性で助かったともいえるだろう。五条くんの言う"内通者"に彼女を使うのは向こうもかなりのリスクだ伴う筈だ。きっと冥冥さんは今回は単純に楽巖寺さんに協力をしているだけで、それ以上何かを疑うには早計だ。と、そこまで考えているうちに五条くんが「おっ」と声を上げた。壁に貼られた赤く燃えた札は東京校の誰かが放たれた呪霊を祓ったことを意味している。……すっかり忘れていたけれど、そういえば交流会の勝利条件はエリアの呪霊退治で相手チームを戦闘不能にすることではなかった。同じ事を思っていたのか歌姫先輩も2校の仲の悪さを嘆き、五条くんも生徒のゲーム自体への関心の無さに軽く口を尖らせている。


まあそういう五条くんも交流会でまともにルール通り戦っているところはあまり見なかったけどな……と思い返していたが、突然歌姫先輩が立ち上がった事で思考が止まった。モニターの一つには地面に倒れ込んでいる三輪ちゃんが映し出されており、どうやらそれは狗巻くんの呪言の影響らしい。確かに二級と言えども呪霊を侮るわけにはいかない。一人で運ぶのは大変だろうからと「私も行きます」と立ち上がろうとしたが五条くんに止められてしまった。……物理的に繋がった手のせいで。





「ッお前……!!いつまで捺の手握ってんだよ!!」
「いいじゃん別に。ね、捺?」
「えー……っと、」
「捺!嫌なら嫌ってちゃんと言いなさいよアンタ!?」





歌姫先輩が声を荒げながら私に詰め寄った。彼女の言う事はもちろん分かるのだけれども、正直、何だか五条くんにそう言われると一々逆らう気が起きなくなってしまう所がある。というか諦めに近いのかもしれないけれど……一々離して欲しいと訴えるのも少し面倒だった。普段の彼を見ていればわかる通り、飄々として掴めない彼は、例え私が"やめてくれ"と言っても、もっと自分が楽しめる事を探し出しそうな、そんな気がしてならない。曖昧に笑い返すことしかできない私に先輩は思うところがあるのか心配そうな表情で口を開こうとしたが、それよりも早く"異変"が起きた。





「あ……!」
「……え?」





突如、一斉に燃え上がった札は真っ赤な炎に包まれる。一見すると大きな火の手になりそうなそれはすぐに収まり焦げ跡になったが、つい先程まで、まだまだ残っていた呪霊全てが一瞬にして東京校の生徒によって祓われた事を意味している。すぐにモニターに目を向けたけれど、相変わらず彼らはほぼ一対一の状況で競い合っているばかりで、誰も呪霊に見向きもしていない。





「GTGの生徒たちが祓ったって言いたいところだけど」
「……未登録の呪力でも札は赤く燃える」
「外部の人間……侵入者ってことですか?」
「天元様の結界が機能してないってこと?」





それぞれが見解を述べる中、私はそのままモニターを皿のように見て確認するが異常はまだ見られない。今映っていないのは伏黒くん、加茂くん……後は狗巻くん、だろうか。敵は侵入してきたばかり……?それともこの3人の誰かのところに?考えても正解は出ない。何にせよ彼らの保護が最優先になる筈だ。学長たちは其々に指示を出していく。こんな時でも落ち着いていられるのは流石に皆、呪術師という職に身を置いているだけあるというか、不測の事態には慣れ切っていることを表している。





「……冥はここで区画内の学生の位置を特定。悟達に逐一報告してくれ」
「委細承知。賞与期待してますよ」
「捺、お前もここで冥と共に……」
「……夜蛾学長。私の術式は学生の退避には有用だと思います。だから私も、」
「駄目だよ」





ピシリ、と音がしそうな調子の彼の声は部屋の中の空気を緊張させるには十分すぎた。怒鳴ったり、荒げている訳ではない。静かだけど人に口を開かせないような厳しい重さのある声だった。思わず目を開いて五条くんを見上げる。なんで、と溢れた声に「こっちは僕達だけで足りるよ、冥さんも1人だと何かと困るだろ」と尤もらしい言葉を口にする彼は少しも私から目を逸らさない。彼の指示の意味は分かる。冥冥先輩ほどの実力のある術師でも人数のアドバンテージは恐ろしいものだ。もし何かあった時、それを伝えられる要因が必要なのは事実だった。……だった、けれど、正直私は……今になって彼からこんな事を言われるなんて思っていなかった。

喉の奥に突っかかる物を感じる。息が苦しくて、トクトクと規則的に打つ拍動が耳のそばで聞こえる気がした。わたしは、やっぱり彼にとってはお荷物なのだろうか?昔も今も変わらずに、頼れない存在なのだろうか?





「捺に話すと気にするって分かってた。……でも、僕が今こっちで手放しに信頼できるのはお前ぐらいだったからね」




ついさっき彼に言われた"ソレ"が頭の中をグルグルと回る。彼は、私のことを、どこまで信頼しているのだろうか。どんなところを信じているのだろうか、何を期待して、頼んだのだろうか。突然足元の床が抜けてしまったような感覚に陥る。……分からない。五条くんは、私を、





「……いや、」
「……捺?」
「……嫌です。夜蛾学長、冥冥先輩は鴉を使役出来る点でフォロー出来るし、伝達役にもなれる。私の術式は影がある限りそこから無限に彼等を安全な場所まで運ぶことが出来ます」
「ッおい、」
「生徒の安全が、一番です。……お願いします。特例の許可を」





夜蛾学長は少し驚いていた気がする。それから一度だけ私の隣に立つ彼を見て、ゆっくりと息を吐き出した。何だか少しだけその仕草は私たちの担任だった頃の"夜蛾先生"を思わせるものだった。彼は一言「……行け。誰も死なせるなよ」とそっと私の肩を叩く。ハッと顔を上げた時に見えた先生の顔は仕方なさそうな、ほんの少しの呆れが滲んだものだった。ありがとうございます!と頭を下げて走り出そうとしたが、それを引き止めるように誰かが私の腕を強く掴んだ。……誰か、ではない。それが五条くんだということは私が一番理解していた。





「……捺、僕は、」
「ごめん……離して。私、行かないと」
「ッ捺!!」





半ば無理やり彼を振り解いて門の所まで走っていく。後ろから付いてくる足音はすぐに私との距離が縮まった。少しだけ振り向くと歌姫先輩と楽巖寺学長が居て、胸を撫で下ろしてしまった自分が醜い物のような気がしてならない。五条くんじゃなくて良かった、そう思ってしまった私は、どれだけ酷い人間なのだろうか。歌姫先輩が心配そうに私の名前を呼んでいたけれど、それに笑顔を作って「大丈夫です」と答えた。今はこんなこと考えている場合じゃない。私に出来ること、すべきことは未来ある学生たちを守ることだけだ。


3人で石畳を蹴るように走り抜けていると、視界の端に屋根の上を伝って追いついてきた五条くんの姿が見えた。すぐに目を逸らしてしまったけど、どこか少し安心してしまったのはやっぱり私にとって彼が強さの象徴だからなのだろうか。徐々に降り始めている何者かが使用した帳が完全に塞がる前にと歌姫先輩が彼に声を掛けたが、五条くんはそれを一蹴し、そこに全員がついてから、自らの腕を帳の中に入れた。……だが、結果的に彼の腕は大きな音と共に弾かれてしまった。彼が弾かれるほどの結界、となると相手が単なる呪霊だけという線が薄くなる。これでは益々中にいる生徒たちの安否が危ぶまれることになるだろう。




「……ちょっと、なんでアンタがハジかれて私が入れんのよ」




どうやって助けに行くべきなのか、と考えている私の思考は歌姫先輩の一声に中断される。とっぷりと沈み込むように片腕が入っている彼女を見て私も倣うように押し込んでみたが、さっきまでの彼への拒絶反応とは打って変わって何の抵抗も無く吸い込まれていくばかりだ。私と先輩に大きな繋がりがあるとは思えない……だとすれば、と一つ思い当たった可能性は彼も同じだったようだ。この帷はおそらく"五条悟"を入れない為の結界。特定された個人を弾く帳があるなんて聞いたことはないけれど、彼ほどの呪力を持つ人物が敵に居ると分かれば警戒するに越したことがない、という考えは理にかなっている。その代償が"その他全員"なのであれば一応吊り合いは取れている、のかもしれない。

……だがこれは裏を返せば今回の敵は五条くんに匹敵するような力を持ち得ていないということになる。五条くんさえ帳の中に入れれば、負けは無いだろう。兎に角、帳を下ろした犯人を探しながらも生徒の命を最優先すべきだと判断した私達は順番にその中へと入り込んでいく。楽巖寺学長が先行し、次に歌姫先輩、最後に私が深い闇へと手を触れた。足を踏み出すその瞬間に残された彼は私の肩にぐ、と手を置く。見るべきか、見ないべきか。一瞬の迷いの後、少しだけ顔を向けると、彼は私の想像していた顔とは全く違う表情を浮かべていた。





「…………気を付けろよ」
「……五条くんも、気を付けてね」





絞り出すような彼の苦い声。最後に交わした言葉はそれだけだった。私を心配する言葉が、どうにも嘘には思えなくて、どんな反応をすれば良いのか分からないなりにそう返した。私も彼が心配だった。今度は先程よりも丁寧に彼の手を剥がす。もう一度だけ「ごめんね」と伝えてから今度こそ私は帳の中へと沈み込んでいった。

















「ごめん……離して。私、行かないと」





彼女からの明確な拒絶に振り払われた腕は2度は届かない。走り去っていく背中を呆然と見つめた僕はその場で立ち尽くす事しかできなかった。夜蛾学長はもう一度歌姫達に指示を出し、少し戸惑いつつも彼女と楽巖寺学長も捺の後を追いかけていく。「言葉にしないと伝わらない事もあるんだよ、五条君」椅子に優雅に腰掛けながら冥さんはそう言って少し笑った。

……ぐうの音も出ない。こればかりは冥さんの言う通りだ。言葉足らずだった自覚はそれなりにある。彼女の術式が誰かを救難するのに最適だってこともよくよく理解していた。実際にそれに救われたことがある身としてはそこに文句は付けられない。……これは僕のエゴだ。


恐らく、読みが正しければ今回の襲撃は前に僕や七海が出会った特級が少なからず関わっている。こういう時の予感は悲しい話、外れたことはそう多くない。あの特級は僕にとっては大したことない、祓えなくないレベルだったが"彼女"にとってはそうではない筈だ。ただでさえ昔から無茶も自己犠牲も大得意なアイツ。もし生徒と自分の命が天秤に掛かれば、迷いなく自分を切り捨てるような、そんな女なのだ。これがもし七海が出会った改造人間を生み出すような呪霊であれば、尚更そんな場所に彼女を……好きな、女を、行かせたいと思う男は居ないはずだ。

僕は少しだけ甘えていた。今の自分が彼女に向けた感情が否定されずに受け入れられている事に。彼女が呪術師を辞め、一線から退いている事に。現在の彼女に直接的な死が付き纏うことは、少ないと、思い込んでいた。





「……捺は、僕が心配だと言っても聞くようなヤツじゃないよ」
「例えそうであっても、言うのと言わないのじゃ天と地の差だ。女ってのはそういうものさ」





君が恋愛なんかに悩むタマだと思わなかったよ、と長い前髪を弄びながら微笑みを浮かべ続けている冥さんはそうしながらも相変わらず視界を烏と共有し続けている。「お前も少しは器用になったかと思ったが……こういう所は変わらんな」と言いながら、隣に立つ夜蛾学長は深く息を吐き出すとバシン、とそれなりの強さで僕の背中を叩いた。響いた打撃に少し眉を顰めたが、言ってやれよ、と呆れた顔の先生の言いたい事が分からないほど俺はもう子供ではなかった。

少し出遅れたロスを補うように窓から飛び出して屋根の上を走っていく。先頭を走る捺は真剣な表情を浮かべていてほんの少し唇を噛み締めた。俺は彼女のああいうところが嫌いではない、寧ろ好きに近いと思う。何事にも一生懸命な捺には昔からどうしようもなく心惹かれた。だが、それが彼女の死に急ぎの“悪癖"であることも俺は知っている。



確認した帳は俺だけを弾く高度な物で学生達を少しでも危険に晒さないためにも歌姫達は先にその中に入っていく。踏み入れる直前に歌姫は俺に目を向けると「はなせ」と声に出さずに口を動かした。それが誰に対してのものなのかは分かりきっている。……最後に帳の前に立った彼女の肩に触れた。また振り払われるかもしれないと思うと腕には触れられなかった。





「…………気を付けろよ」
「……五条くんも、気を付けてね」





たった一言。俺がそう言うと捺の固かった表情が少しだけ緩んだのが分かった。数回の瞬きの後に俺を気遣うような声掛けをしてから彼女は帳の中に消えていく。彼女を護れる位置に立つことができない自分に酷く歯痒さを感じた。ただそこに居ることしか出来ない俺は一度舌打ちをしてから忌々しい黒壁を睨みつけた。……彼女の実力は分かっている。すぐに死ぬようなヤワな奴じゃない。そう言い聞かせて精神を落ち着かせるように、俺は深く深く息を吐き出した。






両者のエゴ



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