「開始1分前でーす。ではここで歌姫先生にありがたーい激励のお言葉を頂きます!」
「はぁ!?え、えーっと……あー……ある程度の怪我は仕方ないですが……そのぉ時々は助け合い的なアレが、」
「時間でーす!それでは姉妹校交流会……スタァートォ!!!」
先輩を敬え!!という歌姫先輩の声までがきっちりとマイクに乗ってから今年の交流会の幕が切って落とされた。先程まで私と五条くん、歌姫先輩の3人が居ただけのその部屋には冥冥先輩と各学長も参加している……の、だけれども……改めてみれば何故私がこのメンバーに数えられているのか、正直よく分からない。五条くんから聞かされた内通者の話が終わってから当たり前のようにその場から離れようとしたけれど、これまた五条くんは"当たり前"の顔をして私を止めた。今や呪術師ではなく補助監督の私には身の丈に合わない場所だと慌てて伝えたけれど、首をかしげた彼が「捺もみんなの成長みたいでしょ?」と言ってきたのが最後。東京の子も京都の子もどちらも馴染み深い私にとってはこれ以上ないくらいに魅力的なお誘いだった。とは言え、去年までは生徒たちに頑張ってねを伝えてから自分の事務作業に入っていたので交流会の観戦をするのは初めてだし……どういう視点で見学すればいいか見当もつかない。一先ず十中八九何か根回しをしたであろう五条くんの隣に腰掛けて、並んだモニターを見つめた。
6台ほど並べられたモニターにはそれぞれの学校の生徒たちの様子が常に映し出されている。不思議なことに定点カメラではなくて生徒たちを追いかけるように撮影されていたり、一瞬の暗転の後全く違う場所にいた生徒へと切り替わることも多かった。高専にこんなハイテクな機構があったなんて……と思わず感心する私の背後から不意に「気になるかい?」と声が掛けられた。
「……もしかして、これって冥冥先輩の……」
「そう"黒鳥操術"の応用だよ」
久しぶりだね、捺。と艶っぽい笑みを浮かべた冥冥先輩は歌姫先輩と同じく私や五条くんにとっての先輩に当たる人だ。彼女も何かと良くしてくれる事が多かったけれど……歌姫先輩に比べると色々と読めない人ではある。一見して魔女のような見た目の彼女は勿論普通に優しい時が多いのだけれどもお金に目が無く、目に見えない信用や信頼より"金"を基準に動く人だ。そういう意味では逆に分かりやすい、とも言えるかもしれない。京都に居た時はよくちょっとしたお迎えを頼まれていたけれど、東京に来てからは中々機会が無く、先輩の言う通り顔を合わせるのはかなり久しかった。お久しぶりです、とペコリと頭を下げる私の隣で、五条くんは私の椅子の後ろに腕を回しながら冥冥先輩の方へと振り返ると「冥さんおひさ〜」と緩い挨拶を交わしていた。反対側に座っている歌姫先輩がそんな彼の態度を見てムッとしているのに苦笑いする私とは裏腹に冥冥先輩は五条君も久しいね、と目を伏せて笑っていた。
「硝子も元気かい?働き詰めだろう、あの子も」
「一応元気そうです。お酒も相変わらずよく飲んでるし……最近はタバコもやめたみたいで」
「……そうだ捺!硝子ちゃんと禁煙続いてる?」
「あ、はい!一緒に飲みに行った時もちゃんと禁煙席って言ってましたよ」
私の返事に良かったぁ、と心から安心したように息を吐き出した歌姫先輩を不思議に思ったけれど、すぐにそれに気付いた彼女は禁煙勧めたの私なんだ、と説明してくれた。「あの子いつ見ても不健康そうだし……」と嘆く姿を見ても、こうして後輩の健康まで気にしてくれる先輩は相変わらず面倒見が良い。硝子のヘビースモーカーっぷりは昔から相当だったのによく矯正できたなぁと感心するのは私だけで無く彼もだったみたいで、アイツ散々ヤンキーだったのに、と思い出してクツクツと喉を鳴らしていた。
私のちょうど目の前にあるモニターでは虎杖くんと葵くんが会敵して殴り合っている。だが、葵くんが彼の顔を思い切り蹴り付けようとしたところで画面は途切れ、真希ちゃんと三輪ちゃんが鍔迫り合いしているシーンへと切り替わった。その近くには伏黒くんと加茂くんの姿もあるが、伏黒くんは綺麗な顔を歪めて口をパクパクと動かしている。音までは聞こえないので何を言っているのかは分からないけれど、険しい表情を見るにあまり良いことではないのは察することが出来た。この二人の繋がりといえば思いつくのはやはり"御三家"の事だろうか。伏黒くんが禪院の血筋を引いているというのは五条くんに以前教わった。なんでも同じく御三家の五条くんが無理を通したみたいだけれども……まだ、詳しくは聞いていない。私の想い過ごしならいい、そう思いつつも漠然とした不安が胸にしこりのように残っている。交流会中に京都の生徒と会話するような事なんて私の経験上はあまり無かったからなのか、無駄に心配してしまう。私にとって東京の皆も京都の皆も甲乙付けられないくらいに優秀で自慢の生徒だ。だからこそ言葉にならないこの感情がなんなのか、なんでこんな想いに苛まれているのか分からなくてスッキリしなかった。
……それに加えて、他の画面を見ていても分かる通り、始まったばかりだというのにみんな順調に怪我を負い始めている。私が学生だった時は怪我なんてなんとも思わなかったし、自分の怪我で済めば寧ろラッキーだとすら考えていたのに、こうして大人になってから俯瞰するとやっぱり落ち着かない。日々呪霊と戦う彼等にとって本気の戦いというのは当たり前の事だ。それは勿論私も理解している。でも、こうして呪術師という大枠の中で"仲間"である彼等が行事の一環とは言えボロボロになるのを見るのは妙に緊張してしまう所もあった。当時の夜蛾先生も私達を見てこんな気持ちになっていたのか、と思うとなんだか少しだけ申し訳なく感じた。私達の代の交流会は何せ五条くんが居たから早く決着がつく事が多かったとは言え、心配だったろうに。……今もまたパンダくんとメカ丸くんがやりやっていた。メカ丸くんの鉄の体が削れていくのは肉体そのものが乖離していくようで、唾を飲むのも憚られる気がした。
「捺、」
不意に五条くんの声が聞こえた。反射的に彼の方へと顔を向けたけれど、彼自身はモニターから目を離していない。その代わりなのか私の手の上にはいつかのように五条くんの手が重ねられている。跡になるよ、と彼が言うのに自身の膝の上に目を向けると、私が無意識の内に握り拳を作っていた事が分かった。じんわりと赤くなった皮膚にそっと力を抜くと「良くできました」と子供を褒めるみたいに五条くんは笑った。それから、お前その癖あるよね、と呟く彼に肯定も否定も出来ない私が居る。意識しているつもりは無い、でも、知らずのうちに力が篭ってしまうことは確かに多いかもしれない。それにいつも私より先に気付く彼は落ち着かせるみたいにこうして自身の手を重ねてくれた。私なんかと比べて何倍も大きくて節のある手はまごう事なき男の人の掌だった。
「大丈夫、皆これくらいでやられるような特訓はしてないからね」
「……うん」
「少なくとも"僕は"だけど?」
「そんなの当たり前でしょ?私もそんなヤワな特訓してないわよ!」
明らかな挑発をするような口調に歌姫先輩が噛み付いた。でも、実際にそうだ。五条くんも先輩も生徒達のことを愛している。だからこそ実践で無駄に命を散らさないために最大限生き残るための、生きて祓うための力を会得させている。……私がこう悩むだけ無駄なのかもしれない。発展途上の彼らもまた馬鹿ではないし、ここはきっと彼らを信じるべき"シーン"なのだろう。「すみません、ありがとうございます」と素直に2人に感謝を伝えた。珍しく顔を見合わせた五条くんと歌姫先輩は「どういたしまして」「捺の気持ちも分かるから謝らないで良いのよ」と二様だったが、どちらも私を気遣ってくれていることが伝わってきた。私は人に恵まれている、と実感しつつ今度こそ目を逸らさないように、彼らの今の力を焼き付けるためにモニターに向かい直った。東京も京都もお互いに一歩も譲る気はないだろう。あとはどんな作戦でどんな風に渡り合うかが重要になる筈だ。"うち"は今3年生がいない分、戦略面では少し不利かもしれないなぁ……と思った所で、ふ、ともう一度手元に目を向ける。私の手は勿論もう余計な力は入っていない。
が、その代わりとでも言うべきか、開かれた私の指に私より長くて太い指がしっかりと絡められているではないか。暫くそれをじっと見つめて静止する。その手の主は言うまでもないが、五条くんだ。というか五条くんしかいない。所謂恋人繋ぎをされている現状になんというかこう……理解が追いつかなかった。何故私は今五条くんと手を繋いでいるのだろうか?取り敢えず彼を見上げたけれど、いつも通りの笑顔を口元に浮かべながら「おー」と感嘆の声を漏らして生徒同士の戦いを見ているだけで、少しも意に介していないように見える。……もう一度自分の右手を見つめた。パタパタ、と何度か握り返して遊ぶように彼の指は蠢いていた。かと思えばするりと五条くんは絡めた指を突然解くと、手と手の間に篭っていた熱を外へと逃がし、そしてすぐに今度は私の手の甲の上に自身の掌と指を乗せて、する、する、となぞるように撫で始めた。彼の予想外の行動にびく、と腕から肩にかけてが震える。く、くすぐったい……というか、もぞもぞするというか……!どうにか我慢していたけれど流石に耐えきれなくなって、思わず彼から離そうと動かした腕を五条くんは一瞥もせず手首を掴むようにして引き留めた。そのまま掴んだ手首から指先の方へと自らの掌を滑らせて、きゅ、っと最後に繋がったのは私と彼の"小指"だ。その行為は絵面として見ているだけでも恥ずかしくてじわじわと顔に熱が上っていくのが分かる。か、からかわれてる?もしくは暇つぶし……?どちらにせよこんな繋ぎ方人生で一度もされた事がない。漫画やドラマで見るような絵に描いたラブラブカップルぐらいしかこんなことしないのではないだろうか。
だ、だめだ……見てたら余計恥ずかしい……!と目を逸らすためにも手よりも上へと視線を向けたが、今度はバッチリ、と五条くんと向かい合ってしまった。彼はモニターでは無く、私を見つめていたのだ。あっ、と思わず溢れた声に五条くんはゆっくりと口角を緩めて「……可愛い」と溶けるようなどろんと低い声で一言、私に落とした。途端にぞわりと背中に駆け上がるものを感じてもっと顔が熱くなってしまった私は慌てて顔を伏せたけれど、後ろから聞こえた冥冥先輩の「こんな所でお熱いねぇ」なんて楽しそうに笑う声と、歌姫先輩の「捺にセクハラすんのやめなさいよ!!」という憤怒の声に益々恥ずかしさが込み上げてきて、暫くそのまま固まることになってしまった。