私が駆けつけた時、そこには伊地知くんが1人で立ち尽くしていた。私に気付いた彼は酷く複雑そうな表情ですみません、と一言謝り「虎杖くんを止められませんでした」と呟いた。






補助監督の、基本的な業務として呪術師が任務を円滑に行うためのサポートが挙げられる。円滑の解釈は人それぞれだが、場合によっては学生である高専の生徒には補助監督の判断で任務遂行を中止するように勧めることある。それは、将来有望な呪術師を育てる為無駄死にさせないという意味合いも勿論大きいが、それ以上に、私たちの良心に従って、子供達を守るためという側面もある。殆どの補助監督は皆、元々呪術師を目指していたので、彼らの悩みや葛藤はよくよく分かっていた。……だからこそ、学生を1人の呪術師と認めるかどうかという問題は常に付き纏う。子供である、大人である、その前に呪術師として向き合うのであれば基本的な決定権は彼等にある。彼等の考えに従い、それを全力で支えるのが私たちの仕事だと言えだろう。反対に"子供"として見るのであれば、時に、彼等の安全のために生徒の意思を無視し、"大人"として止めることも……きっと間違いでは無い、そう思っている。



私や七海くんのようなタイプはきっと、後者だと思う。汚い世界や死が隣り合わせの任務、それどころか自分の命を投げ捨てる覚悟で臨む必要がある任務も存在する中で、子供である彼等がそれを体験するのは正しいことなのかと考えてしまう。まだ学生である彼等に命を掛けることを美徳として欲しくない、そう思っている。でも……同時に、呪術師として成熟する上では避けられない道だとも理解していた。だからこそ、難しい。私も彼も学生の頃に経験した思い出深い任務があるはずだ。それのおかげで一回りも二回りも成長できているのは変えられない事実なのだ。




……伊地知くんは前者だった。いや、前者を"選んだ"のだろう。彼も補助監督についてからそれなりの年月が経過しているし、特に優秀な人だ。以前の特級に変態した呪霊と一年生が会敵した少年院の事件で彼が酷く落ち込んでいたのを良く覚えている。だからきっと、虎杖くんを止めたかったのだと思う。でも、止められなかった。虎杖くんはその性格上、その場で立ち止まることが出来なかったのだろう。彼は出来れば多くを助けたいと望んでいる。七海くんが自分がいないところで怪我を負ったこと、それでも彼により待機を命じられたこと。……歯痒かった筈だ。私も同じ立場ならそう感じていたに違いない。これで、もしも何かが起こった時、彼は向かわなかった自分に後悔してしまうのだろう。……何が正解なのかは分からない。何が正しいかったかなんて結果論に過ぎない。その中で伊地知くんは彼を一人の呪術師として見ていた。それだけの事だ。





「……私がここで待ちます」
「閑夜さん……?」
「なので、伊地知くんはこの件の担当として、二人がキチンと高専にまで帰れるように車を回してあげて下さい」





ここで待つ、という言葉の意味が分からない程伊地知くんは鈍感では無かった。元は切れ長な目を思い切り開いて丸くしてから、お願いします……!と深々と頭を下げて不格好に走っていく彼はやっぱりとても気の良い人なんだと思う。

彼が動けなかった理由は業務の一環に関係していた。今回の事件は元々映画館で起きた変死事件の調査だったが、改造人間、七海くんが遭遇したツギハギ顔の呪霊……と立ち入るほどに様々なイレギュラー発生している。一級術師である七海くんは会話が出来る呪霊との接触で怪我を負ったがそれでも尚今祓うべきだと主張し、私達に持ち掛けてきた。任務を担当している呪術師は今までの経験や活躍を考慮した上で現場での判断を下せる権利を有している場合がある。一級である彼は勿論それに当たるが……かと言ってだから好き勝手して良いわけではない。"だから"私達補助監督が存在する。呪術師の決定と勘を信じて、彼等が"なんでも"出来るように各位に報告、連絡、調整を行うのは欠かせない事なのだ。すぐに文章化して現場の報告を行う必要がある時には一々車で作業するのは中々困難だ。だからこそ伊地知くんは自分に任せてくれた七海くんを裏切らず、ここで自分の仕事を全うしようと決めていた……そんなところだろうか。元々今回の裏方は私の役目なのだから頼ってくれれば良かったのだけれど……彼が人に何かを頼む……ましては仕事を任せるなんてことは出来そうにないのでそこは目を瞑っておこう。



ふ、と目を向けた窓の外には暗雲が立ち込めていた。今にも振り出しそうな厚い雲は呪霊が活発になりやすい証拠でもある。デスクの上にスマホと固定電話をセットしながらパソコンを開き報告された内容を淡々と打ち込んでは保存するのを繰り返し、現場に向かった彼等を憂いた。どうか3人とも無事で帰ってきて欲しい、そう思うのが都合が良いことなのだろうか。……いや、いくら都合が良くても、少しでもいい未来を想像したい。そう思うのは悪くない事だろう。そんな事を考えている時ほど嫌な現実が訪れるのはそう珍しくなくて、何の感情もない電子音が規則的に響いたのを聞いてすぐに受話器を取り耳に押し付けた。広げたメモ帳とボールペンを片手に報告された別の補助監督からの「把握していない帳が降りている」という言葉に唇を噛んだ。私の元に連絡は来ていない。それはおそらく、私達側じゃない。





「ありがとうございます、場所は?」
「あれは……恐らく里桜高校一帯を囲む形っスね」





里桜高校。その響きには聞き覚えがあった。それはまさに、昨日私がファイリングした映画館キネマシネマでの事件の唯一の目撃者である「吉野順平」の通っていた高校の名前だ。すぐにペンを走らせてから電話を切り、一瞬迷いながらも七海くんの携帯へと今度は私から電話を掛ける。ほんの少し弾んだ息から察するに、彼も帳には気付いているようだ。それが吉野順平と縁のある高校である事を改めて伝えると苦虫を噛み潰したような声で「分かりました」と答えた彼は直ぐに自分から電話を切る。彼がこんな風に連絡を止めるのは珍しい事だが、それ程までに事態は深刻であるのが窺える。順番に伊地知さん、そして出てはくれなかったが虎杖くんにも伝えて、ゆっくりと息を吐き出した。


おそらく、七海くんが出会った呪霊の行為だろう。何が目的でこんな事を……とキーボードを叩く手を止めて、一つの可能性が思い当たった。シネマシネマで変死していた学生は硝子が解剖した改造人間と機構がよく似ていた。七海くんの報告からそれが言葉の分かる呪霊のせいだとは割れている。何故その呪霊が、目撃者の彼の高校に足を踏み入れているのだろうか。そもそも昨日まで吉野順平は虎杖くんと接触しており、特に大きな問題も無く、何なら連絡先まで交換して彼は帰って来ていたことを考えるとあの呪霊が彼に手を出していないことが分かる。ならば、彼等にはどんな繋がりがあるのだろうか。


物凄く嫌な予感がした。ロクでもない、楽しくもない、そんな気配をひしひしと感じながら先ほど帳の連絡をくれた新田ちゃんにもう一度コンタクトを取った。帳が分かったならまだ近くにいるはずだ。





「もしもし、閑夜さん?」
「新田ちゃんごめん、今から吉野順平の家にまで向かうことって出来る?」
「それは別に大丈夫っスけど……何かありましたか?」
「うん……杞憂なら嬉しいんだけどな、って事がちょっとね。お願いしていい?」
「はい、分かりました。今から向かいますね!また連絡します!」
「ありがとう。お願いします」





明るい声で了承してくれた彼女に安心しつつ、静かになったそこで私のため息だけが聞こえる。こういう時の予感は、外れない。経験からよくよく分かっている。もしかしたらもう全てが手遅れなのかもしれない。笑顔でいつも私の持っていく食材や日用品を受け取ってくれる虎杖くんの姿が頭を過った。彼はどうしてこうも、複雑な星の元に生まれてしまったんだろうか。……ごめんね、と何に対してかも分からない謝罪を口にする。きっと彼は今日何かを失い、何かを得る、そんな体験をすることになる。私にもあった、苦い思い出を感じることになる。そんな気がしてならなかった。



帰って来た彼がどんな顔をしているのか、何を感じ、何を話すのか、それを考えるだけでも鼓動が早くなって、苦しい。必ず帰ってくるかも分からない少年と真面目な後輩を頭から払おうとモニターに向き直った。私がこの他に出来ることはあるのだろうか。傷を少しでも癒すことは出来るのだろうか。何もかも分からなくて胸がつかえる。いい加減私はこの仕事が根本的に向いていない、と気付いてはいるけれど、これ以外に何か出来ることも思い付かなければ、それなりに生きがいも感じているのだから不思議なものだ。いつもこんな思いと隣り合わせに過ごしているのに、どうしてだろうな、と考えれば考えるほどに、いつか誰かが言っていた「狂っていないと呪術師にはなれない」という言葉を思い出して、どうしてか口を歪めてしまう。随分、的を得ている格言だ。こんなにも掻き乱されながらも組み上がっていく報告書と、癖で既に作ってしまった新規ファイルの存在が悲しい。このファイルをゴミ箱に後腐れなく捨てたい、そんな微かな願いは数十分してから慌てた声で掛かってきた「吉野順平の家に死体があった」という新田ちゃんの声と共に、霧となって、消えた。





補助監督という仕事



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