「俺が本気で、お前のこと……ただの同級生だと思ってる、って?」







正直動揺した。彼女と再会してから暫く、僕なりに彼女に色々とわかりやすくアピールをしていたつもりだったし、彼女も初めは戸惑っていたけれど、最近は僕の愛を否定せずに笑って受け入れてくれていたから、少しは伝わっていると思い込んでいた。でも、現実は違う。彼女にとって僕の行為どれもがただの"悪戯"にしか見えていなかったなんて、そんなの、考えてもなかった。確かに彼女がよく知っているであろう僕は意地悪だったかもしれない。悪戯や、それで済ませられないようなことも沢山重ねてきた。何度も怒らせたし、嫌な気分にさせていたと、思う。だがそれはあくまで過去の話で今の僕の本当の想いはきちんと、届いていると信じ込んでしまっていたのだ。

本当はこんなことをする予定なんて無かった。実際ほんのりとした悪戯心や揶揄いたい気持ちが全くないとは言えないけど、どちらかと言えば彼女を僕の家に呼んで、それからこう、ちょっとはいい雰囲気にならないものかと画策していただけだった。ずるい手を使うつもりも、彼女に無理やり何かをするつもりも本当に無かった。無かったけれど、こんなに簡単に僕を家まで善意で送り届けて、部屋にまで寝かせてくれて、少し思い上がっていたのかもしれない。もしかしたら彼女が、僕に、僕と同じような感情を向けてくれるかもしれないと勝手に期待していた部分もあった。だから彼女が笑って言った「十分びっくりしたから」というもういいよ、と明らかに線引きされたような言葉に胸が詰まった。彼女にとって僕は、当時と何も変わらない子供っぽくて少し性格の悪い"ただの同級生"でしかなかった。……そんな事実、知りたくなかった。





彼女が俺のベッドに横たわるのを上から眺めるのは酷く気分が良かった。高揚した。丸くなった瞳が俺だけを見ていて、俺だけが彼女を見ている。名前を呼ぼうとした捺を制するように彼女の手首を片手だけで捕まえて押さえつける。細くて、折れてしまいそうなそれにバクバクと心臓が大きく動いた。こんな距離で彼女を見たのは初めてだ。キメの細かい肌は滑り心地が良さそうで、小さく、暗い中でもほのかに染まっているのがわかる唇は見るからに甘美だった。美味そうだ、という動物的な本能のまま更に体を落として捺をマットレスと俺とで挟み込んでいく。ますます近付いた俺にぐ、とわかりやすく息を詰めた彼女の瞳がゆっくりと揺らぎ、はくはくと酸素を求める魚みたいに口が小さく動いた。そこに映し出された彼女の感情は俺の感じている興奮とは比べ物にならないほどの……畏怖の念。それに気づいた時、俺の体はごく自然と彼女を解放した。表情筋を動かしてにっこり、と笑顔を作って手を上げた俺に彼女は何が起きたのかよく分かっていなさそうだった。怖がらせたいわけじゃない、と湧き上がった素直な想いを口にして、それに捺はやっと自身を固めていた筋肉の力をすとん、と抜いた。……よかった、俺はまだ、間違っていない。


ふ、と頬がゆるみ、安心したような彼女の表情に俺がやろうとしていたことがどれだけ愚かだったかを痛感しながら彼女をベッドから起き上がらせてセクハラに当たらない程度に軽く服を整える。ゆっくりと深呼吸して精神を落ち着かせながら当初の予定だった部屋の案内のために手を差し出した。一瞬、躊躇った彼女の目線に胸が締め付けられる。彼女は、俺を恐れている。祈るように捺をただ見つめた。俺を、拒絶しないで欲しい。受け入れて欲しい。そんな一心で。




……そっと、俺の手の上に小さな彼女の掌が重なった。少しずつ視界が明るくなっていくような気がした。彼女からの赦しを丁寧に、壊してしまわないように、でも、逃さないように握り込む。いこうか、と告げた僕は随分幸せそうな顔をしていたと思う。でも、それが本心だった。まだ僕を信じようとしてくれる、彼女の意思が、心の底から嬉しかった。












昨日の夜の出来事がフラッシュバックするような夢を見た。ゆっくり開いた目に勢いよく注ぎ込んでくる光の線はカーテンの隙間から漏れる朝日が溢れたものだ。ゆっくりと首を回して、そこにまだ眠っている彼女の姿に自然と口に口元がにやけていく。なんてあどけない、少女みたいな寝顔なんだろう。……かわいい、そんな想いを込めてそっと、ふわふわとした髪を撫でる。指を滑り抜けていくような触り心地に満足しながら、ただただ捺を眺めた。飽きる気がしない、なんだこの可愛い生物は。初めは耳を疑ったけれど、彼女と一緒に眠るのも悪くない。寧ろそれどころか天国だ。



僕の部屋を案内し終わった時、すでに時計は11時近くになっていた。今から帰すのも忍びない……というか元々ここに連れてきた時点でそのつもりではあったのだが、彼女にお風呂を貸してそのまま泊まってもらうことにしたのだ。最初は遠慮していた捺だったが僕がお風呂の機能を推しに推したせいかどうなのか、暫くしてからゆっくりと仕方なさそうに首を縦に振った。捺は今着ている仕事終わりのスーツしか持っていなかったので、これまた計画通り僕の服を貸してあげることにしてワクワクと彼女が風呂から上がるのを待った。……効果は絶大。明らかに大きすぎる僕の服に着られるようにだらん、としたシルエットが信じられないくらい愛らしくて倒れそうになった。可愛いと騒ぐ僕に大袈裟だよと笑っていたが全く大袈裟に言ったつもりはない。ただひたすら可愛くて抱きしめたい衝動に駆られるのをグッと堪えながらほぼ無理を言って彼女の髪を乾かす権利を得た僕はもう心の底から満たされていた。今死んでもいいレベルだなこれ、と思いつつ僕と同じシャンプーの匂いがする彼女の艶やかな髪にマジで信じられないくらい興奮したけれど気合いで耐えた。僕が言うのもなんだけど彼女はもっと警戒したほうがいい。物凄く丁寧に気を抜かず乾かしてすっかりとふわふわに戻った捺に満足するように頷いて終わったよと伝えれば嬉しそうに彼女は「ありがとう」と笑って見せた。


え?これ付き合ってない?大丈夫??なんて幻想に囚われながらも撫心地のいい彼女の頭をひたすら触っているとこく、こく、と次第に船を漕ぎ始めるのが分かった。あり得ない、可愛すぎる、とだらしなく頬が緩み切っていくのを感じながら「もう寝る?」と聞くと子供みたいに捺はゆっくりと頷いた。立ち上がった彼女が向かっていくのはうちの自慢のソファ……ってエ!?と僕が振り返った時には彼女は既にソファに横になろうとしていて慌てて制止する。客人で、しかも女の子、そして僕の好きな子をソファなんかで寝かせられる筈がない。ベッドを貸すことを伝えて促したけれど捺は酷く渋い顔を浮かべて泊めてもらう立場だからダメだと首を横に振った。何度僕が説得を試みても頑固に断り続ける彼女はこういうところは変わっていないというか……呆れてついに「じゃあ一緒に寝る?」と口に出た冗談に「五条くんがいいなら」と返された言葉に目が飛び出るかと思ったが、爆速でそれを肯定した。いや、そりゃこんな機会逃さないでしょ。



……そして結果が、これだ。何もしないと心に決めて心を清らかに保った僕はベッドに入ってすぐ眠ってしまった彼女をただひたすら眺めて一夜を過ごした。簡単に眠れるほど薄い想いでもないし、かといって今すぐ襲いたいと思うほどの衝動はこの時にはかなり薄れていた。ただ愛おしい彼女を眺めていられるだけで心から幸せでたまらなかった。流石に恥ずかしいからと背中を僕に向けていた捺が暫くしてからこちらに寝返りを打ったので恥ずかしいも何も無かったことをきっと知らない。そのおかげで僕はこんなにも満たされている訳なので感謝しかないのだけれども。あぁ、本当にかわいい。シたい、とかそんな直接的な感情はあまり湧かないけれど途中から物凄くキスしたくて堪らなかった。というかした。ほっぺにだけど。これは可愛すぎる捺が悪い。




このまま彼女が起きるまでずっと見ていられる気がした。でも、今日の僕はその為にこんなに早起きしたのではない。よし、と気合を入れながら隣で眠る愛しいひとを起こさないようにそっとベッドから抜け出してドアを閉めた。そう、向かうはキッチンだ。


まだ夏らしい暑さを感じない朝方。冷蔵庫から卵と牛乳を取り出して、更に砂糖と薄力粉、ベーキングパウダーなんかをテーブルに揃える。ついでにポッケのスマホを隣に置いて検索するのは事前に調べておいたキラキラとした写真付きの「女子ウケ抜群!ふわふわパンケーキ」の文字列。よし、と頷きながらボールに材料を混ぜていき、程よい硬さにまで仕上げていく。一応、練習はしたのだけれども上手く作れるだろうか。目指すは店に置いているような白くて綺麗なめちゃくちゃ見栄えのいい姿……!予定より少し多めに材料を加えて予備を用意しながら僕は朝から勝負に出る。全ては彼女のハートを射止める為……健気な僕をどうか、見守っていてください








……と、そうしている間にもいつの間にか時計の針が半周回る。皿の上に置かれているのは、焼き過ぎて少し焦げ目がついてしまった二枚の失敗作パンケーキと、やっと一つ、真っ白で綺麗に焼けた完成品。こんなに焦げ目を許さないことが難しいなんて……と眉を寄せつつも取り敢えず彼女が食べる分だけは確保できた。僕は最悪後でこっちを食べればいいかな、なんてぼんやりと考えつつメープルシロップと生クリームを写真映えするようにキラキラと盛り付けた。ちょっぴりラズベリージャムなんかも垂らして贅沢に。お洒落なカフェのブレックファーストに早変わりしたそれをテーブルに持っていって、僕の最近ハマってるオレンジジュースも一緒にグラスに注いだ。彼女を受け入れる準備はこれで完璧だ。


後は……と、寝室のドアに目を向けると丁度いいタイミングでそろ、と捺が顔を出したのが見えた。おずおずとした仕草からは遠慮が見え隠れして思わず少し笑いながら「おはよう」と手を振れば辺りを警戒する小動物のようにキョロキョロと首を回しながら、お、おはよう……と捺は僕のほうに近づいてくる。相変わらず彼女には大きすぎるサイズの服が揺れているのになんとも愛らしさを感じつつ、椅子を後ろに引き、どうぞ?と軽く頭を恭しく下げれば、意図に気付いた彼女は気恥ずかしそうに口元を緩めながらちょこん、とそこに腰掛けた。不思議そうな顔を僕に向けてくるのにニコニコと機嫌よく笑い返しながら、しっかりと捺が座ったのを確認する。そしてついに主張するように置いたクロシュの持ち手を掴み、一思いにぐいっと上に持ち上げ、口で奏でる効果音と共に中で待つ僕の愛の塊を彼女へと"お披露目"した。





「じゃーん!今日の朝ごはんは僕が作ったスペシャルパンケーキです!」
「……わ!!」





子供みたいな声を上げて捺は思わず立ち上がる。朝日に照らされたパンケーキは更に自身を雪のような白に染め上げ、クリームと粉糖がキラキラと輝いている。赤く熟れたラズベリージャムとメープルシロップ、彩りのために置いたバジルが“らしさ"を演出している。うん、我ながら良い出来じゃない?とその完成度を称えつつ、彼女の顔をそっと覗き込もうとしたけれど、それより早く捺は僕に丸っこい瞳を向けて「凄い……!!」と感動の言葉を口にする。これ五条くんが?と尋ねながらも緩み切っているその表情にニヤニヤとつられながら、そうだよ、と肯定すると、彼女は既に限りなく喜びに満ちた顔を、もっともっと輝かせた。あァ、眩しい…………と最早召されかけながら「ほら、食べて?」と促せば、何度も何度も頷いた捺はそっとナイフで切れ込みを入れて一口分を器用にフォークにくっ付けると、あむ、と口の中に迷いなく放り込んだ。これは緊張の一瞬……さぁ、どうだ!?






「っ〜お、おいしい……!!」
「……でしょ?」





ッシャァ!!!と心の中で全力のガッツポーズをしながら外面だけはどうにか平静を保った。正直今すぐにでも自分を褒めてやりたいけれど、やっぱり男心というのはややこしい。少しでも格好付けたくて気取った態度で彼女の前に座る。隣でも良かったんだけど、幸せそうに頬張る顔を沢山見ていたかった。あっという間に吸い込まれて、最後の一口を何だか寂しそうに味わった捺はきっちりと両手を合わせて「ご馳走様でした」と告げる。美味しかった?と分かりきった質問を投げ掛けた僕にも彼女は首をぶんぶんと縦に振っている。すごく甘くて、ふわふわで、と感想を溢すその顔もどうしようも無いくらい可愛い。うん、うん、と相槌を打ちながら彼女をひたすら見つめる。僕の部屋に捺がいて、僕の料理を食べて、こんなに嬉しそうにしてくれる。これ以上に綺麗で幸せな朝はきっとない。





「ほんとに美味しかった……ありがとう五条くん」
「ううん、喜んでもらえて良かったよ」





これシンクまで運ぶね、と綺麗に上に乗っていたものがなくなった皿とフォークを持ち上げた彼女がキッチンの方へと歩いていくのをぼんやりと眺める。うーん、捺がそこに立つのもいいなぁ、めっちゃアリだな……なんてぼんやりと考えている途中ではた、と気づいた。そういえば僕、失敗作何処にやったっけ?アレ、もしかして、片付けて、






「あれ?これ、」
「あァ〜ッ!!?こ、これは……えー……っと、」
「……五条くん?あの、後ろの」
「ン??」
「…………それ、パンケーキ?」





気付いた時には全てが手遅れだった。咄嗟に走り抜けて壁になったけれど、明らかにもう捺は僕の失敗作達をしっかりとその視界に捉えていた。できるだけ笑顔を貼り付けて誤魔化そうとしたが、挙げられた"パンケーキ"という言葉にガラガラと僕のプランが崩れていくのを感じる。どうにか良い言い訳はないか!?といつにも増して脳味噌をフル回転させたけれどこういう時に限って何も浮かばない。最悪だ、全てが終わった……あんなにカッコ付けてたくせにめちゃくちゃ失敗してるって信じられないくらいダセーじゃん…………客観的に見てもダサすぎる……つーか痛すぎる……





「……五条くん、さっきのって何枚目?」
「さ、3枚目……でも!ほら、綺麗な方がいいでしょ?だから……!」





俺を見上げた彼女は少し驚いたように眉を持ち上げた。それから手に持っていたお皿を一旦キッチンに置いて、その上のフォークを手に取るとするりと俺の背中へと回り込む。間違っても白とは言えない狐色のそれを見つめた捺はあろうことか端の方を器用に切り離して、そのままパクリ、と口の中に入れてしまったのだ。


「あ!?」とつい俺があげてしまった声も気にせず捺はもぐもぐと噛み締めてゆっくり喉の奥へと飲み込んだ。彼女はほんの少し黙りこみ、そして、くす、と笑った。口元に浮かんだ微笑は何だか楽しそうで、反応を伺うみたいに名前を呼ぶと「確かに、ちょっと固いかな」俺に素直な感想を伝え、捺はすぐにまたもう一口、唇の奥へと運んでいく。




「うん、かたいけど、」
「……」
「ちゃんと甘くて、おいしい」
「いや、でもそれ、失敗作で……」
「……綺麗なのもいいけど、私、これも好き」





私のために練習してくれたんでしょ?とちょっとだけ呆れたような、それでも怒ってるわけじゃない柔らかい雰囲気で捺は目を細めた。どき、と心臓が動いて、バツ悪く目を逸らしながらも頷くとそっかぁ、と彼女は笑う。小さな蕾が花開いた時のような、慈愛に満ちた笑顔だった。美味しい、と愛しそうに落としながら、たしかに俺に向けられたその言葉にもっともっと胸の奥が苦しくなる。五条くん、と捺は俺を呼ぶと、ゆっくりケーキから顔を持ち上げて、そして、





「私のために頑張ってくれて、ありがとう」





ガツン!と殴られたみたいな衝撃が俺を襲った。頑張ってくれてありがとうなんて、そんなこと、言われるなんて思ってもみなかった。何も言えなくなってしまった俺は彼女の小さな口にどんどん食べられていくブラウンのパンケーキをただただ眺めることしかできない。息をするのを忘れてしまうほどの艶やかな笑顔。何でこんなに、お前は……そんな想いがこみ上げて溢れてポツリと「カッコ悪く、ない?」なんて。馬鹿みたいなことを問いかけた俺に捺はゆっくりと目蓋を閉じる。もしかしたら俺にだけそう見えていて、実際にはもっと一瞬の出来事だったかもしれない。ただ、それでも捺は真っ直ぐ伸びた睫毛を押し開き、信じられないくらいにきれいな顔で一言、答えた。






「かっこいいよ」






……ギュ、と音が聞こえてしまうのではないかという程に、無意識に拳を握った。身体中の細胞が一斉に湧き立つみたいな感覚が脊髄を駆け巡って、爆発しそうな思いを必死に奥歯で噛み締めながら喰い止め、胃の奥へと無理やり押し込む。嫌と言うほど突き上げてくる衝動に頭がくらくらする。こんなに、こんなにも、揺さぶられるものなのか。苦しくなるくらいの激情と昂りを押さえつけるようにグッと顔を掌で覆って上を向き、深い、深い息を吐き出した。五条くん?と何も知らない彼女が不思議そうに俺の名前を呼ぶ。……何でもねーよ、と意識が回らず荒れた口調にまた失敗した、と思いながらも何も考えられる気がしない。あーあ、こんなに俺、ダメになってたのかぁ、と自嘲した笑みが溢れる。知らずのうちに完璧を求め始めた自分。完璧を求められる自分。いつの間にか慣れてしまっていたし、それを苦だと思うこともあまり無かった。何かを高めることは楽しかったし、自分の中の好奇心が刺激されることは嫌いじゃない。


でも、だからこそ、とっくに忘れ去っていたむず痒いような感覚と過程自体への肯定が不意に胸の奥の方に突き刺さった。完璧じゃない、失敗している自分をこんな風に認められた経験なんて、今まであっただろうか。他人にはまだしも、己に対する一番以外の価値なんて、本当に久しかった。……しんど、と、やっとのことで名付けた今の気持ちを表す語彙力が足りない。何もかも足りない。ただ、これだけは、痛いほどに理解した。






俺は、捺が好きだ。





パンケーキと激情



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