「わざとでしょ」
「……と、仰いますと」






明らかに緊張した様子の伊地知くんが先を促すように口を開く。私の隣にどっかりと腰掛けている五条くんは明らかに怒っていた。無感情にも思える声で"わざと"の理由を説明していく彼の言葉は最もで、私の感じた違和感とほぼ同じ内容だった。お偉いさんにとって宿儺を内に有した虎杖くんは直ぐにでも排除したい対象だったはずだが、五条くんが感じた彼への可能性と期待から虎杖くんには実質無期限の執行猶予が与えられていた。五条くんは最強であることを惜しまない人だ。だからこそ、それを面白がらない人もそれなりに存在する。……でも、これは悪質すぎた。本来成熟した呪術師にも頼むことが憚られる特級を祓う任務に加えて生死がわからない5人の救助……まだ少年である彼らにとってあまりにも荷が重すぎる。確かに呪術師として成長する上では惨い現場を経験したり、他者の死に触れることは避けられない、と思う。でもそれは、今ではない。






「いや、しかし、派遣が決まった時点では本当に特級に成るとは……」
「犯人探しも面倒だ……上の連中、全員殺してしまおうか?」





辺りを凍てつかせるような冷気。肌を刺す彼の怒りがじくじくと伝わってくる。それは薄い刃物を当てられるといった生易しいものではない。圧倒的な力を持つ存在に諸共握り潰されるかのような、ほんの少し彼が力を込めれば血肉へと自身が変貌することが分かっているようか、そんな戦慄。寒いくらいの安置所に居るはずなのに背中に汗がたらり、と流れるのを感じた。動けない。それどころか声を発することも出来ない。五条くんは、多分、本気だ。気圧されて立ったまま震える伊地知くんは今にも失神してしまいそうな程顔が真っ青になっていた。





「珍しく感情的だな」




そんな空気を一変させるかのような落ち着いた声。ハッと顔を上げて見えた、開いた扉の奥から歩いてくる白衣の彼女は今日も眼の下に濃い隈を携えて笑っていた。硝子、とやっとのことで喉から絞り出した声は情けないほど掠れていて、それを聞いた彼女はやれやれと大げさに肩を落としてから「捺と伊地知が怖がってるじゃないか」と五条くんに進言した。彼はその言葉にすぐに私の様子を確認すると、ごめん、と一言謝ってから纏わせていた空気を解いた。……解いた、と言うと語弊があるかもしれないけれど、本当に一瞬で張り詰めていた緊張がほどけたように感じた。ここも換気しないとね、なんて、地下の部屋で冗談交じりに呟きながらベッドと呼ぶには固すぎる安置台の側にまで近付くと、その上で形を保っていた白い布を剥ぎ取った。


現れたのは、眠るように目を閉じる虎杖くんの姿だ。雨の中ずっと見ていたはずなのに、まだ彼のこの姿に私は慣れていなかった。血を綺麗に流したせいか、胸郭に空いた深く暗い穴が筋肉質な体にアンバランスに存在する痛々しさにゆっくりと床に視線を落とした。




「役立てろよ」
「役立てるよ、誰に言ってんの」




五条くんの言葉に堂々とそうやって返せる硝子は昔からあまり変わっていない。自分の能力に自信を持っていて、彼らとも対等に話し合える強さが彼女にはあった。少し大人になって落ち着いてヤンチャもやめた彼女が、この日までにどんな苦労をしてきたのか想像も出来ない。日々運び込まれる呪術師や生徒たちをここで静かに迎え入れる精神力は並ではない筈だ。それ故の自信なのだろう。自信を見せなければ、自信が無ければ、自分の腕が重要なこの仕事でやっていくことはできない。隈はある種勲章近いのだろうけれど、その苦労が滲んでいる気がしてなんだか切なかった。



硝子が解剖の準備を始めるのをぼんやりと見ていた私の手にふ、と何かが触れた。膝の上の私の手背の、さらに上を覆うように置かれた、五条くんの手。身長が大きい分比例して大きな掌はあっけなく私のものを隠してしまっている。驚いた私は彼を見上げたが、五条くんもまた硝子を……というより、その奥で横たわる虎杖くんを静かに見つめている。黒い布で覆われた彼の表情は、見えない。






「捺も現場に向かってくれたんだって?」
「……うん、何も出来なかったけど」






嘘はない。私がたどり着いたときには全てが手遅れだったのだから。死んでしまった生徒と見届けた生徒。2人の無念が渦巻くそこで、ただ座る事しかできなかった。私に出来たのはそれだけだった。護れなくてごめんなさい、と自然と出た担任である彼への謝罪に五条くんは首を横に振る。君のせいじゃない、と気遣うような声色がなんだか不思議だった。厳しかった彼に慰められた覚えが今までに無くて、どうやって反応するのが正しいのか分からなくて口を噤んだ私に五条くんは続けた。





「恵の側に居てくれたんだろ、それだけでも救われたと思うよ」
「……ほんとに?」
「僕がアイツの立場なら安心してる」




知り合いが死んだ時は誰かに居て欲しいものだよ、と、今日ここに来てから初めて口元を緩めた彼に少しだけ唾を呑み込んだ。多分、深い意図はない。私が勝手に過大な解釈をしているだけに過ぎないのかもしれない。でも、私は事実、去年、彼の側に居ることは出来なかった。知り合いの、友人の死の瞬間に、五条くんの近くに私は居なかったんだ。今度こそ黙り込んでしまった私に彼は少し困ったように白い髪に触れると、ゆっくりと椅子に深く座り込んだ。そして、誰にという訳でもなくぽつり、と呟いた。




「僕はさ、性格悪いんだよね」
「え?」
「知ってます」




間髪入れず隣に立っていた伊地知くんが彼の言葉を肯定すると五条くんは後でマジビンタ、と彼に宣告してから話を続ける。彼は自分を"教師なんて
柄じゃない"と称しながら、その先の展望を語った。……口は悪かったけれど、簡単に言えば呪術界の所謂お上の腐った考え方や制度が納得できず気に食わないこと、その為に自分の力を使うのではなく"教育"という手段を選んだことについてだ。……正直、驚いた。五条くんがこんなに合理的な手段を取るために教鞭を取っているなんて、私は知らなかった。確かに昔の彼は誰かに何かを教えるのではなく、自分だけで完結出来るならば全て一人で片付けてしまうタイプの人間だった。彼はそれを可能にする力を持っていた。今の呪術界でも最強に君臨する、五条悟。彼が呪術師として一線を張るだけでなく、態々教師という立場を選んだのは私もずっと疑問だったけれど、こうして本人の口から語ってもらえるなんて思いもしなかった。昔より柔らかくなった雰囲気、変化した口調、初めは戸惑っていたけれど、彼にとってこれは生徒達と良い関係を築く為、導く者として立つ為の工夫だったのかもしれない。期待を込めた少し穏やかな声色で、優秀だ、と生徒を褒める五条くんは、すっかり指導者の顔をしている。彼も大人になったんだなぁ、なんて、今更そう感じた。……でも、不意に彼の触れている手に力が込められ、五条くんが珍しく悔しそうな表情を浮かべたのを見て、緩みかけていた口元をギュッと引き締める。そんな未来ある若者の1人が、失われてしまった。それは変わらない事実だった。


ほとんど衝動的に未だ重なったままの彼の手の下から抜け出し、今度は私の手が上になるように重ねた。私が握り込むには大きすぎる手をどうにかして、少しでも覆えるように指を広げる。何を伝えればいいのかははっきりしていない。でも、確かに何かを彼に伝えたかった。驚いたようにそれを見て、軽く唇を擦り合わせてから「捺、」と私の名前を呼んだ彼はそのまま、ぐ、と私に顔を近づけると、





「ちょっと君達、もう始めるけどそこで見ているつもりか?」
「おわっ!!フルチンじゃん!!」





硝子の越しに見える、たった今目覚めたかのように体を起こした死んだはずの彼は自身の体を見て驚いた声を上げた。皆の動きが一瞬止まり、唯一自由な虎杖くんだけがキョロキョロと辺りを見渡す。……生きてる?そう認識した時には既に五条くんは驚き戸惑う伊地知くんに笑いながら立ち上がっていた。おかえり、と爽やかに本当に嬉しそうに手を出した彼に虎杖くんも笑顔でハイタッチを交わす。それに何だか鼻の奥の方がツンと痛くなって思わず立ち上がった私も2人の元に駆け寄ろうとしたけれど虎杖くんに「捺さん俺フルチンだから!!!」と物凄く必死に止められてしまったので叶わなかった。






かれの夢



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