不毛!





人間、誰しも不毛な恋をした経験はあると思う。もう既に相手が居る人を好きになったり、そもそも恋愛対象が違っていたり、理由は様々だろうけど、そんなマイノリティの中で今、私は、パンダに恋をしている。







正確に言えば、彼はパンダではない。彼は人間によって作られた存在で、一応親と呼べるような人物は私達の学校の学園長に当たる人なのだ。だから広義で言えばきっと、彼も私も人間に"作られた"ことに変わりはない。……そう思い込んでいたかった。実際、叶わない恋愛というものはそれなりに苦しく、辛いものだ。少しでも可能性があるのなら多少は違ったのかもしれないけれど、もはや私には脈のひとつもありはしない。それどころか、彼の目にはもっと愚かで醜い生物として写っていても不思議ではない気がする。パンダくんには、私はどんな風に見えているのだろうか。





「捺?何やってんだこんな所で」
「……なーんにも?」





不思議そうに首を傾げた彼は大きな白黒の体を屈めて私の隣に腰掛ける。一瞬視線を逸らしてから、すぐに私を見つめ直し、なんかあったって顔に書いてるぞ、と、苦笑いに似た表情を向けてくるパンダくんは何処までも人間臭く見えてしまう。話してみろよ、と柔らかな声で促してくれた彼は優しい。動物園で見かける熊らしい獰猛さが抜けないパンダとは違って、あまりにも暖かい。ほとんど人間なのに、そう思ってしまう自分も嫌いだ。彼はあくまで人ではない、彼の自認もヒトでは、ない。それなのに私は彼を人間という枠組みに押し込んで、自分の感情を正当化しようとしていた。なんて自分勝手で、これこそ"人間"らしいな、と小さく自嘲した。




「……パンダくんは」
「ん?」
「けむくじゃらだねぇ」
「お、何だ?呪骸差別か?」




喧嘩なら買うぜ?と言いながらも彼は私がふわふわの手に触れる事を拒まない。見た目以上に硬くてごわついた毛並みは撫でて気持ちの良いものではないな、とよく思う。こうやって彼の手に触れるのはある種落ち込んだ時の習慣みたいなもので、パンダくんもそれを理解した上でこうして腕を出してくれる。可愛らしい複数の肉球の上には長くて鋭い爪が伸びていて、私がそれに指を伸ばすと決まって腕ごと退けられてしまうのだけど。怪我するぞ、と心配の言葉を貰えるのが嬉しくて、こうやってちょっかいを掛けてしまいたくなるのは、恋する乙女のサガなのかもしれない。彼はきっと真希でも、狗巻くんでも、同じ事を言う。怪我をするから危ないぞ、同じ事をしようとしたらきっと、そう言う。馬鹿みたいな事を考えて、虚しくて切なくて仕方ない気持ちになるのはくだらないと思う。くだらないのに、止められない。





「で、今日は何があったんだ?」
「……やっぱり聞くの?」
「聞いてくれって顔してるヤツを放って置けないだろ?」





俺でいいなら話くらい聞くぞと続けられた言葉は彼という存在を表すのに的確な発言だ。私はこういうところが好きなんだよなぁ、とぼんやり思いながらパンダくんの手を握る。深い意図はなかった、でも、少しでも何か届けばいい、そんな気分でそっと、恐る恐る私は「ナンパされたの」と口を開く。パンダくんはギョッと目を見開いてからナンパって、あの?と驚いた顔で聞き返した。失礼な反応だと突きながら、あの。と素直に頷いた私に彼は感心したように頷いている。





「お前もモテるんだなぁ」
「……別に嬉しくないよ。変な金髪の人だったし」
「ヤンキーみたいな?」
「そう、ガラ悪かった。……だから、ナシ」





ふぅん、と小首を傾げたパンダくんは人間の恋愛はややこしいな、と呟く。本当にその通りだね、とちょっとした嫌味も込めて応えれば、パンダくんはふと、口角を持ち上げて「捺は好きなヤツとかいないのか?」と冗談混じりにニヤニヤしながら問いかける。君だよ、と言えたらどれだけ楽なのか、そんな事を考えながら私も思わず笑ってしまった。好きな人にこんな事を聞かれるなんて少女漫画みたいなシチュエーションなのに、少しも嬉しくないのが逆に面白さすら感じる。名前を伝えるのは私のポリシーが許さなくて、だから、いるよ、とだけ答えた。




「ほぉ?」
「……言っとくけど乙骨くんでも、狗巻くんでも……真希でもないからね?」
「分かったわかった、で?どんなヤツなんだ?」




俺のお眼鏡に適うかな、と機嫌良さそうに目を細めるパンダくんに頭の中でため息を吐いた。……貴方にとって"あなた"は、私の相手に相応しい人なのだろうか。外見的な特徴以外の彼の良いところをぽつぽつと零していく。丁寧に、大切に、私が彼を好きになったきっかけや、日々感じている事を声に乗せて伝えた。芋蔓式に溢れ出す私の感情は止まる事を知らない。ウザいだろうな、めんどくさいだろうな、片隅にある不安の種を育てながらも留まらないパンダくんへの想いを綴り、ふ、と気付いた時には彼は酷く柔和な視線を向けていた。それは、子煩悩な父親のような仄かな温もりと愛情が込められていて、きゅ、と心臓が軋んだ。





「捺は本当にその男が好きなんだな」
「……わかるの?」
「分かるよ、そりゃあもう楽しそうな顔してたぞ?……ほら、いつも以上に可愛かったし」
「かわ、いい、」





かあっ、と火を付けられたみたいに顔が熱くなる。かわいい、なんて、そんな簡単に言ってしまうのは反則だ。そんな私に気付いているのか、いないのか。パンダくんは私の手を包み込むように両手で握ると「捺なら大丈夫だろ」と動物らしい感情に伴っていない鈍い表情筋で薄い微笑みを浮かべる。バクバクと煩くなる鼓動を必死に沈めようと奥歯を噛み締める私に彼は何度も何度も私なら出来る、と伝えてくれた。……頭がこんがらがりそうだ。自分がその対象だと自覚していない彼は娘や妹でも見ているような慈愛を私に注いでいる。喜んで良いのか、悲しんで良いのか、水の中に落ちたインクみたいに複雑に混じり合う。






「……小さくて、女の子らしい手だな」
「ぱんだ、くん、」
「俺みたいに毛深くもないし?お前なら直ぐソイツを射止められるよ」






パンダくんは肉球の表面で私の手の甲を撫でると頑張れ、と無責任な応援を吐き出した。私の手と彼の手は全然、これっぽっちも、似ていない。……もう少し毛があってもいいもん、と拗ねたように呟いた言葉を聞いた彼はパチパチと数の瞬きをしてから声をあげて笑った。俺を口説くつもりなら大正解だ、なんて。戯けたような口調と裏腹にポン、と宥めるような手が頭の上に置かれた。あぁ、なんて、不毛なんだ。育毛剤で解決できるなら今すぐにでも撒き散らすのに!そんな切なる願いは届かない。爽やかで面倒見のいい貴方に恋をしているのだと、素直に伝えられる日が訪れるのかどうか、それは誰にも分からない。パンダという生き物は涙を流すのだろうか?私はその答えを未だ知らないけれど、彼はパンダではないのだから誰にも分からないのかもしれない。ただ、ハッキリしているのは、私はきっと、ずっと。このマイノリティも、不毛な恋愛も、今後一生引き摺って、死ぬ間際にすら彼のことを考えてしまう、それだけなのだ。








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