運と命の展開図


 祖父の口癖は、いつもこうだった。

『神さんはどこらでもいるからなぁ、彩花も、たくさんたくさん感謝して日々を過ごすんだぞ』

 不思議半分疑い半分で膝の上に乗って聞いていた幼いわたしは、たぶん深い意味を知ろうともせず大好きな祖父の言葉を鵜呑みにした。
 家の掃除や家族の手伝い、常に人のためにあろうと子どもながらに駆け回っていたけれども祖父の言う、神さん≠己の目に捉えることはできなかった。
 そして小学校中学年へあがって、どことなく現実を見る機会が増えたわたしは寝込みがちになった祖父の言葉はしつけとか、そういった類のものだったと理解した。だが染み付いた習慣は消えるものではなく、誰かのためにあろうとする姿勢はそのままで。
 視えたらいいな、とはおもった。
 姿形の輪郭さえも結びつかない神さんの背格好を一度でも視ることができれば、それは夢のあるお話になるだろうと感じていたから。

 そして────ある転機が訪れる。



「……あれ」

 稲荷崎高校にて三年へ進学し、その始業式が執り行われいつもより早めに帰路についたとある日。
 下校前に配布された新しい教科書たちが詰まって重たい鞄を肩に引っ提げて、家の用事があるからと普段は一緒に帰っている恋人とは校門で別れ十数分。この地域では有名な神社の前を通り過ぎたときに、わたしはそれを見つけた。
 足を止めて、スマホから目を離したのも偶然。ここは車の通りも少ないからブレーキ音が聴こえるはずもない。

「扇子? なんでこんなところに」

 立派な構えをもった赤い鳥居に立てかけられるように置かれていた、薄い橙色の扇子。持ち手の先には真珠みたいなものが括りつけられていて、遠目からでもそれなりに質のいい扇子だと伺える。ここの神社では大小問わずお祭りがあると巫女さんたちの舞が踊られている。その中の誰かの落し物だろうか。けど最近にお祭りは開かれたという話は聞かなかった。
 だとしても、そのまま放置する選択肢はわたしにはないわけで。

 とりあえず拾って社務所の人に届けてあげよう。
 そう思って腰を屈めて手に取ろうと指を伸ばした、瞬間。

「わっ、ぷ、あっちょ……風!?」

 強風が顔面を叩きつけた。
 慌てて急いで取ろうとするも吹き上がった風に遊ばれて扇子は茂みの奥へ飛ばされてしまい、自然と駆け足気味で追いかけ始めた。重たい鞄なんて気にならないほど、どうしてだか扇子を逃してはならないと本能が叫んでいる。

 走らなければ、追いつかなければ。

 ただそのふたつだけが思考を埋めつくし、まるで誘うように奥へ奥へと脚を進めさせる。木枝がふくらはぎや腕を掠めるのもお構い無しに、あと少しで届く……! というところで砂利に爪先をもつれさせてしまって転んでしまった。
 それはもう、盛大に。みっともなくも情けない声が喉からせり上がって、膝小僧を直撃させた激痛に悶え苦しんだ。
 周りに人がいたら誰もが振り返るぐらいの、勢いだった。
 ただ、そのおかげで脳内が澄み切ったようでいまは訝しむように視線を巡らせれば、目に入ったのはひとつの祠。ずいぶんと本殿から逸れてしまったのか、長年住んでいるというのに見たことがない祠の存在に、え、とこぼした。それだけでも驚愕の事実だというのに、手を伸ばした扇子は重力に逆らってふよふよ、ふよふよと石材のくぼみに自ら入り込んだではないか。

 いや、なに、はっ?

 固唾を飲んで成り行きを見守る。ほんとに何が起きているか分からない。

「ッ、ひぃ!」

 ぴったりと当てはまったくぼみのついた扉が、ギギギ、と錆びついた音を立てて独りでに開かれていき───左右に対の如く向き合っていた石像までもがじんわりと光を帯びていくもんだから、もうそんなの恐怖でしかなかった。
 足が地面に張り付いて動けない。じくじくという痛みが涙腺を刺激して、悲鳴さえも、霧散して。
 ……ツキン、と針を刺す頭痛におそわれる。
 刹那。あかるいこえが、あった。


─── 巫子さま! ───



 聞き覚えのない、でも、嬉しくて仕方がないふたりの声が頭にながれこむ。
 懐かしい、知らない、親しみが込められていて、知らない、知らない知らない知らない! 知らないのに、しらないのに識っている感覚が気持ち悪くて仕方がない!
 そうこうしている間に光は徐々に勢いを衰えさせて、まばゆいなかから影がふたつ、出現していて。危害を加えるものじゃない。大丈夫。
 やがて。

「──────あ、」
「は、ぁ……」

 お揃いの袴に、お揃いの獣耳。
 背に見える毛並みの美しい、四つに分かたれた尾。
 漠然と理解する。かれが、かれらが。

『神さんはどこらでもいるからなぁ、彩花も、たくさんたくさん感謝して日々を過ごすんだぞ』

 神さんであると。
 頭痛も倦怠感も忘れてその姿に魅入る。片方は稲穂を染め上げたような金髪に、片方は灰を埋めたような銀髪。面差しは似ていて、外れた思考で双子なのだろうかと考えた。
 正しい作法など知らない。平伏しなきゃいけないと分かっているのに、体が動かなくて。でも、目の前にいるふたりはバッとお互いに顔を見合せてふるふると肩を震わせる。そして。「み……」「みこ……」


「「巫子さまや〜〜〜〜〜!!!!」」


 迫り来る赤子が如く。
 全力でわたしに抱きついてきたのだった。



20221011
双子狐とのはじまり。





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