にじんだ絶望

「ミラ、です。ミラ・ファロン」

 どこを見渡しても凍てついた湖が続く視界の中、絞り出した簡潔な自己紹介を全員の耳に届いただろうか。別に届かなくても人付き合いが得意とは決して言えないミラにとっては大した支障はないけれど、初対面の相手が多くても前向きに明るく声を上げるスノウに勧められるから、断れなかった。

「気分は? 悪いとかは、ないな?」
「……平気」

 淡々と体調の具合を問いかけるお姉ちゃんからふっと視線を横にずらせば、意識を失う前と同じ顔触れの彼らがいて知らず知らずに息をもらす。
 夢だったならよかった、と素直に思えるのに。誰とも目を合わせられず向いた先にある烙印は、容赦なくわたしへ現実を突きつけた。ルシの証。

 ───ビルジ湖。先程は凍てついたと評したが、正確には違う。ファルシの力によってクリスタルと化した湖が、ただ単に氷のように見えるだけだ。スノウや名乗ったサッズやヴァニラの話を聞くに、どうやらわたしはだいぶ目を覚まさず、サッズが背負ってくれていたらしい。

「お嬢ちゃんが意識を取り戻さないから、あの姉ちゃんたちはもうぴりぴりしっぱなしだったぜ」

 軽く状況説明やら負担の軽減による一休みの際に、サッズがそう伝えてきた。

「余計な迷惑かけさせたかも」
「迷惑? あれはただの心配だ」
「……わたしを心配したって何も始まらないのに? それより、スノウ殴られなかった?」

 他者の視点からも見られる物言いを受け止められず、自分でもうんざりするほど人付き合いを苦手とした口調で尋ねれば、サッズはああ……、としばらく前に自身の殴られた頬を撫でながらなんともいえない表情を浮かべた。

 ……つまり、既に殴られた後だったか。

 前々からスノウが気に入らなかったお姉ちゃんはよく彼に食いかかっていた。そんな男を選んだセラもとばっちりに合いつつも、決してふたりの仲を諦めようとはしなかった。確かにスノウは少しばかり夢見がちな部分がある。それはファルシに挑む前にも露見していて、お姉ちゃんの神経を逆撫でしていたのだろう。

「まあ、……ありゃお前さんを運ぼうとした理不尽の殴りだったけどよ」
「……、……あとで謝っておく」

 頼むわ、と言わんばかりに頭をひと撫でしたサッズが緩やかに速度を落とし、今度はヴァニラに声をかけているのを見、ハッとなる。
 きょろきょろと視線を巡らせ、遠くない位置で歩みを進めるその人を見つけた。クリスタルと対極の暖色の上着を着た少年、ホープだ。忘れかけていたがわたしは彼のそばにいなくてはならない。……いや、いなくても、いいのか?
 いずれにせよ、わたしは大丈夫になるまで一緒にいるって言ってしまったんだ。今更、反故にはできない。先行するお姉ちゃんと殿を努めるスノウを一度見遣って、気だるく足を動かすホープへ近づこうと早歩きをした。「ホープ」聞こえた呼び掛けにビクッと肩を跳ねさせ、振り返った面差しは頼りないもので。

「……なんですか?」

 声をかけただけなのに全てが投げやりな返事に、胸のどこかが疼く。たぶんこうして何も話さないよりかはましだと珍しくも続けて言葉をかけていく。

「ねえ、ホープっていくつ? わたしより下、だよね」
「14、です」
「四つ下だ」

 と、いうことはミドルスクールに通ってる年代である。ボーダム出身とも思えないし、わたしはこれまでこの子を見かけたことがない。
 考えられるのは……ボーダムの花火大会を見に来て、そのままパージに巻き込まれた……のかもしれない。

「……さっき、サッズさんから聞いた。意識のないわたしを、見ててくれてたんだって?」
「……まあ、あの、戦ってないので、……目の前で、…………」
「じゃあ、ありがとう、だね」

 いくら子供で、誰かに縋らなければ自分の足で立つことすらできない少年でも目の前で死なれるのは寝覚めが悪かったのか、なんだか居心地が悪そうに翡翠の目を逸らされてしまった。しかしお礼を言えば言われると思わなかったために、驚愕の表情を向けられる。
 人付き合いが苦手で、あまり心を開かないといえども。
 一瞬の気の緩みが命取りとなるこの状況下で意識のないわたしを見ていてくれたのも、事実だ。覆しようのない、絶対的な事実。

「あの、ミラさん」
「?」
「ミラさん、も、ルシ……なんですよね」

 じっと向けられる視線の先、右上腕部の印は、夢の中で見た形と同一でどうしようもないほど現実だと突きつけてくる。
 まあそうだね、と自分でもよく分からない感情のまま告げれば、これまた読み解くには難しい表情で「そう、ですよね」と言われた。あの場にいて誰か一人だけがルシ化を逃れたなんて、考えただけでも末恐ろしい現象だ。
 ……そういえば、夢に出てきたあの女の子は、結局何を言いたかったんだろうか。選択する時じゃないとか、なんとか言っていたけれど。使命では、無さそうだった。

 妙な既視感。
 湧き上がる謎の感情。
 そして、何かを知る女の子の存在。

 自身がルシになってしまったことにも頭を悩ませるのに、立て続けに降り積もる意味不明の出来事になんだかやけくそになってしまう。大きく息を吐き出しかけたところで───前方で薔薇色の髪が揺れて、咄嗟に息を詰める。
 おねえちゃん、だ。

「使命がわからなければ、果たしようもない」

 刺々しく、見るもの全てが敵だと言わんばかりの口調はどこか、この状況で言うのもあれだけれど。なぜだか、人間くさかった。
 そんなお姉ちゃんの問いに答えたのは、うつむき加減でゆっくりと歩み寄る、ヴァニラだった。「……もう」

「『視た』と思う」
「視た?」

 たぶん、お姉ちゃんの疑問とわたしの内心での問いかけはぴったり重なった。
 みたって……なにを? 話の前後から察するに、使命をってことだよね。張り詰めた極限状態みたいな今でヴァニラが嘘をつく利点は何一つないから、本当のことで、誰も彼もが視たんだと思う。

 でも、わたしは何も視ていない。

 お姉ちゃんがサッズの説明を受けて視線を寄越したホープのおどおどとした答えを聞いても、パッとしない。それどころか、自分が異様であることしか、分からない。
 ややあって、彼らは指し示したように大きな巨躯を持つビジョン───魔を背負う獣、ラグナロクの名を紡ぎ出す。それは、使命を視た者にしか判り得ない太古の黙示録戦争の名残。ずきり、と頭が痛む。咄嗟に額を抑えるも何かを主張するかの如く増す痛みに小さく呻き、お世辞にもいい雰囲気とは言えない輪から離れ大きく息を吸い込んだ。

「……ルシは化け物」

 コクーンの中では当たり前の常套句が滑り落ち、は、と胸元の服を掴んで吸い込んだそれを吐き出した。
 じゃあ…、と、無意味なそれがこぼれる。

(ルシの使命が視えないわたしは、化け物以下なんだろうか)

 自虐にも似た卑下に無意味な笑いが頬に張り付いて。ようやく、夢であるが、夢とは言い難くなったあの空間での出来事を呼び起こす。
 さざめく波の音、わたしが歩く音、そして。小さくて、不思議な少女の言葉。
 なんて言っていた? 彼女は、なんと。

「……弾かれた………」

「あなたは、弾かれてしまった。ルシにすることはできても、力の弱い下位の存在は、あなたを縛りたくても縛れない」

 たしか、こう言っていた。何を、どのように、誰が、弾かれたのか。明示するものがない文面ではどれだけ思考しても答えが出てくるはずがなく、頭痛を除けば手持ち無沙汰だった。
 だから、なのか。因果関係はないかもしれない。かさかさ、と横切る後ろ足を見ただけでもわかる気持ち悪いモンスターに気づくのが遅れてしまう。しかも。

「───ミラ!!」
「っ……あぁもう!」

 お姉ちゃんに、助けられた。

 どうしようもない激情が心を燃やしながらも、牙を剥いて襲いかかろうとしたビルジバスを防いだお姉ちゃんに当たらぬよう、ルシになったことで得た魔力を紡ぎ上げ、脳裏に閃いたイメージそのままを口にした。
 消えてしまえ、燃やし尽くされ、灰燼と化せ───そう、右手を前面に押し出した、瞬間。

 ゴゥッッ、と。

 これまで前線で戦っていた誰よりも威力の桁違いな炎魔法……【ファイア】が音を立てて繰り出された。
 ああ……ほんとうに、意味が分からない。分からなくて、泣きそうだ。息を呑む彼らの顔も見れないし、なんだったら背後から刺さるような視線すら、痛い。誰かと踏み込んだ話をするのも苦手で、踏み込まれるのだって嫌いなのに。
 なのに。
 人からどう思われてるのかが気になって仕方がなくて、負の感情を向けられるのも、苦手なのだ。

「……ち、ちがう」

 意味不明な否定がもれる。
 魔法を放ったのを否定したいのか、自分自身を否定したいのか。もう頭はごちゃごちゃだ。
 この力を認めなくては生き抜けない。それは分かる。分かるのに。異質を、突きつけられたような気がした。

「───……よくやった! ミラ」
「…えっ?」

 身をちぢこませ、俯くわたしに元気な声をかけたのは、当然というべきか、スノウだった。顔をあげればニッとまるで妹に接するかのように頭を撫でられて。

「前に進むための、戦うための力だろ。おまえの、おまえだけのな」
「…………」
「そんな暗い顔すんなって! 一人で動ける力がなきゃ、生きるのもしんどいだろ?」

 スノウは、からから笑う。見る者全てを安心させる笑みで、わたしを諭す。
 それが、その不躾さがお姉ちゃんの逆鱗に触れたりすることはあるけれど。わたしは、わたしとセラだけは……裏に隠された苦悶を知っていた。こういう笑い方をするスノウは、つよがりだってこと。

(……うん)

 頷きたかったが、乱雑に真横から腕を引かれる感覚に口を噤む他なかった。
 ちらりと横を見れば忌々しげに顔を歪めるお姉ちゃんの表情があり、僅かに罪悪感が沸き起こり目だけでスノウに謝罪する。視線をずらせば、先程よりも怯えた光を緑の双眸に宿らせるホープがいて、どこか、胸が騒いだ。

 でも、当然だと思った。
 だってわたしにはお姉ちゃんやセラみたいに、かがやける場所なんてないから。最初から、何かに期待したって無駄なのに、期待してしまって。
 ばか、みたいだ。
 それでも、───わたしも、サッズさんも、ヴァニラも、ホープも、スノウも、……お姉ちゃんも、とにかく今は進むしかない。どんなに先が見えなくても追い続けてくる敵陣に捕まれば、待っているのは明らかな死刑。色濃く絶望をまといながら、わたし達は進んでいく。

 前向きなヴァニラの声とそれに呼応するスノウの言葉がやがて不自然に途切れる。
 広く開いた場所に、その人は在った、、、

 祈るための指を組もうとして、クリスタルとなったセラが、そこにいた。


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