運命への反逆者

 ───その空間を、どう表現していいのか。そもそも人間の扱う言語で言い表せられるほど、ありきたりな場所ではない。
 黒い空、黒い海、薄暗い、時なんてものは流れていないとさえ感じられるこの場所は、一体なんなのか。夢だと分かっているのに惹きつけられて思考してしまうのは、本当に何度も何度も繰り返し見続けているからだろうか。
 いまのところ、不快な感覚、嫌な感覚はないものの見覚えのない景色を見せられてもこちらができることは数が知れてるわけで。でもどういうわけか、私はなぜだかこの場所を知っている気がした。言葉で言い尽くせない雰囲気……とでも言えばいいのか。此処はほんとうに……どこだろう。視線を下げれば、そこには揺れる何かがある。

 海らしき何かが寄せては、引いて。

 一目見て大きな神殿と思しき建物に気配はなく、ただただそこに在るだけの存在は、より一層謎だけを残していく。いつもだったらぼんやりと無人のそこを眺めていれば何かしらの契機があって目覚めるのに、どうしてだか、今回は違う。さざ波の音色。それだけが彩る世界だったのに、突如としてその常識は崩れ去る。
 神殿の最奥、目を凝らしても中までは伺いしれないその先。……玉座の背後にあるそれ、、

 鐘の音が、きこえる。
 誰かを悼むような、まるで何もないところを慈しむような、そんな鐘の音。

 あ、と思った時には遅く。意識が引っ張られていく。私の魂が原点とする現実世界へ、殻に閉じこもることしか出来ない情けない自分が、目を覚ましていく。


****


 目が覚めたら、地獄でした───なんて。
 人は誰しも現実が辛い時は夢に逃げてしまうことはあれど、今回ばかりは私もそれに賛同してしまいたくなるぐらい、目の前で起きていることを信じたくないのだから。
 あちこちから聞こえる悲鳴や銃声、もはや人の命を命とすら扱わない聖府軍は……いや、コクーンの数え切れない市民はそれほどまでに下界パルスに関連する遺物が恐ろしいのだろう。

 ここは封鎖区画ハングドエッジ。コクーンの外郭に位置する掃き溜めで、ボーダムの異跡から発見された下界のファルシが原因でパージ対象者となった全市民たちが有無を言わさず連れてこられた場所。

 他の列車にもけしかけたように私の乗っていたこの列車にも最新鋭の兵器を寄越してくれたようで、一撃で屋根が大破していた。聖府軍の軍人であればそこかしこに落ちている乱射銃などでも応戦できるが、相手は自立型の無人兵器だ。だからこそ共に乗っていた妙に子供に優しい男は周囲の人間に逃げろと叫ぶ。
 だけれどもただひとり───。
 薔薇色の髪を揺らし、自分以外の存在を気にも留めない凛々しい女性は逃げ惑う人たちの道を逆走し、側面を足がかりとしてその勢いのまま、私を振り返る。交錯する、私と同じ蒼の眼。……不本意極まりないけど、何を求められているのか、分かってしまった。

「ミラ!」
「……うん」

 差し出された手に強く引き上げられ、性急だけど支えられ屋上へと降り立った。
 お礼は……言えるはずもなく。引っ張りあげてくれたこの人も特に気にせず、眼前に佇むどう見ても人を殺すために差し向けられた兵器に武器を向けている。

「下がってろ、どこかに隠れておけ」

 こっちを見ていないのに、背に目でもあるのか左太腿にある折り畳まれた武器を取り出そうとしたところで指示を受け、無言で後方車両の邪魔にならない物陰へ駆け出す。その間にさっきの男の人も自力で屋上に這い上がり、尻もちをついた。「おいおいおいおい! 冗談じゃないぜ!」一閃された攻撃をふたりともかわし、臨戦態勢に。
 元軍人と素人。私でも分かるぐらいだけど、男の人は十分に戦えている。
 ……お姉ちゃんは、言わずもがな。彼女が軍のどこまでを知っているのかは知る由もないが、並大抵の一般人よりはるかに強いのはもう、生まれた頃より知っているから。見せかけの強さだとしても、それで今日まで剥がれず生きてきているのだから強さといっても過言じゃない。

 …………というより。本当になんで、こんなことになっちゃったんだっけ。
 ああそうだ。強制的に列車に乗せられて、パージ政策が施行されて、それで。

「……ミラっ」
「うわっ!?」

 思考は、そこで途切れる。途切れさせる他なかった。
 いつの間にか深手を兵器に負わせていたお姉ちゃんたちがこちらまで後退しており、ぼんやりしている場合じゃないと奮い立たせると今度は鋭い叫びが鼓膜に届き、ようやく今いるこの場が危険だという事実にぶち当たる。
 どうやらこいつは、列車ごとひっくり返したいのか腕にエネルギーを充填させて───じゃない。早く後退しなければ。

「勘弁してよ……」

 お姉ちゃんの叱咤を受けて滑り落ちるようにさらに後方車両へ着地した男の人は唸るように声をもらし、先程よりも凶暴性を増しただろう兵器に二丁拳銃を構え、お姉ちゃんも同じで再び体勢を整え、戦闘に入ろうとしていた。
 目的は未だ相互理解ならずとも、生き抜くために。
 明確な意思はなくとも何もせず守られるだけなのは、これまでにも嫌になるくらいにされてきたのだ。皮肉にもこんなにも頼れる薔薇色はいなくて、頼りにする自分が酷く惨めで嫌いだったから変わろうと思って、いい顔はされなくても私自身も武器をとったというのに。流されるがまま、言われるがままに隠れ続けていたら結局は以前と変わらない。

 なら。
 ここで戦わなくては、私は単なるお荷物だ。

「……っ、頭を下げて、お姉ちゃん!」
「!」

 猛攻を防ぐ姉に呼びかけ、頭を下げたかどうかさえも確認する間もなく私は組み上がる武器……特殊製の弓の照準を接続部に合わせ、これもまた出処は表立って言えやしない矢弾を放った!
 よく耳にする魔法ではないが、バチバチと自然発火の如く雷をまとったそれは狙い通り腕と胴体の間にある機関部に入り込み、派手な音を立てて爆発する。そのまま兵器は車両から転がり落ち、暗い暗い、奥底の見えない下へと落下していきやがて、見えなくなった。

「は、はぁ〜………嬢ちゃんすっげぇの持ってんだな……とにかく、やったな」
「怪我は」
「あ? そこの嬢ちゃんが倒してくれたおかげで──」
「お前じゃない」
「……、…………きっついお言葉ですこと」

 感心さを滲ませて息をつく男の人になんて答えるか考えていると、真顔のお姉ちゃんに詰め寄られ、一瞬行動が止まる。
 見据える蒼の眼をまっすぐ見返すことなんてできなくて、ぎこちなく首を横に振れば離れていく。と思いきや突然頭を抱えられ、予想外にも強い力で膝を尽かされた。咄嗟に払おうともがこうとした途端、上空に戦闘機が過ぎりやめた。

 どこまでいってもこの人は私を守ろうとする。
 本来なら軍所属の人間は免除認定されているのに、全ての特権と平穏を投げ打って地獄に飛び込んだのは紛れもなく妹を救い、一緒に帰るため。だからこんな状況下でもその妹に当てはまる私も守ろうと必死になっている。
 いつからだろう。こんなにも、彼女ら、、、に対して後暗い感情を抱くようになったのは。

「軍人さんなら市民を守れよ」

 そうして腕を引かれて足早にお姉ちゃんが定めている目的地へ歩かされている途中、色のない言葉が届き足が止まる。私も、止まらざるを得ない。

「あんた、聖府の軍人だろ? なんでパージに歯向かってるか、そこんとこを聞かせて──」
「軍は抜けた」

 まさに一刀両断。それ以上の追随を許さず車両を飛び降りるお姉ちゃんが軍人だと見抜いたのは、彼女の肩には記章があったから。だがそれだけ。それだけでは男の人の目には軍所属のままここにいるのだと思われてしまった。だから、突っ込まれた。
 降り立った先も、劇的な変化は望めない道の風景で奥には完全装備のPSICOMが幾人もうろついている。おまけに転送装置からは無数に軍用獣が牙を剥き、容赦なく人々に襲いかかろうとしていて。

「いくらパージが嫌だからって、素人が軍隊と戦うなんてよ」
「軍より、下界送りを恐れたんだ。下界は地獄だからな」
「地獄ねえ……」

 警戒を怠らないPSICOMの部隊の目から逃げるように影に隠れながら、ぽつりと紡がれた話に、そっと耳を傾ける。

「ここも、そんなに変わらんぜ」
「まったくですね」

 パージ政策を強行する聖府と、それに抗う市民。どれだけ犠牲が出ようとも止めやしない聖府に、果たして市民を下界へ送り届ける意思があるのかすら分かりやしない。今もこうして私たち以外の場所でも抗戦が続けられ、空を飛びまわる戦闘機も増えている気がする。
 
「でも、ここにいるのはあの子のため、そうなんでしょう? お姉ちゃん」
「…………飼い慣らされた軍用だ。大した敵じゃない」
「はぐらかした」

 声を交わす最中に現れた軍用獣に走り去っていく後ろ姿に言葉を吐き捨て、慌てて追いかけた男の人に続くように弓を構える。
 人を殺すことに、なんとも思わないわけじゃない。だとしてもここで倒さなければ私がやられてしまう。それならば。覚悟を決めたのは随分と前だけれど。

「ほんとうに下界がこわいんだね」

 飛びかかる獣に矢弾を打ち込み、一歩下がる。
 前衛はお姉ちゃんが務め、私たちはそのサポートに似た戦い方で先を進んでいく。

「ねえ、おかしな話だと思わない?」
「余裕だな嬢ちゃん……!? …………で、なにが?」
「下界は地獄だって勉強とかで習うけど、じゃあ誰かが確認しに行ったのかな」
「そりゃあ……ルシを生み出したり、するだろ?」
「聖府のファルシも同じでしょ、それも」

 背後に忍び寄ったPSICOMの兵に一発放ち、折り畳んでしまう。

「真実ってものはさ、案外、簡単に偽りに呑まれてしまうものなんだよ」

 たとえば、人が人につく嘘のように。
 下界は地獄だという証言に、根拠はない。それを確かなものだと裏付けるソースはどこにもないのだ。間違った解釈や意図的にねじ曲げられた情報の可能性だって十分にあるのに。
 コクーンに住む人々は鵜呑みにして、下界や関わったもの全てを糾弾する。刷り込みと、先入観。思考能力を奪い、道を定めるファルシは万能なのかもしれない。……ファルシを盲信し、与えられる安寧を享受する私たちはどこか、どこか。

「……なーんて。これだと下界が地獄じゃないって確認しに行った人間もいないのに、虫のいい話だよね」
「いや……そうでもねえよ」
「お姉ちゃんが行っちゃう。追いかけましょう」

 分かっている。
 この提言は、穴だらけだ。私だってよく知っている。だって何故なら。
 賢いお姉ちゃんだって疑問を浮かべず生きてきた。だから反対のことを考えた。ろくにお姉ちゃんたちと話もしないで、自分の弱さを認められないで、反発する私の言動は子供の癇癪だ。

 でも。
 それでも。

 強くて、凛々しくて、美しくて、まっすぐさを持つ彼女たちと違って私は何もない。そんな私は、一体どうすればよかったのだろう。

「あなたなら、出口が見当たらないこの感情の矛先を見つけられるのかもしれないね……。ねぇ、───セラ」

 優しさの中に芯のある笑顔を浮かべ双子の私でも可愛いと思える、この場にはいない片割れに届くはずのない問いかけをこぼして、今度こそ私は前を行くお姉ちゃんを追いかけ始めた。

 ───私は、姉と双子と比べて秀でた才能も何もかもがない自分が大嫌いだ。ふたりは強くて、かっこよくて、小さい頃から憧れた大きな背中はいつしか、決して越えられない壁となり、勝手に私は自分の自尊心を破壊して、勝手に、彼女たちを苦手とした。
 誰かに必要とされ、誰かを望めるふたりはやっぱり眩しくて、それすら見つけられない自分が心底……嫌いだ。

 お姉ちゃんは多くを語らない。男の人に聞かれたって、答える気はない。答えても、深くはこたえない。

「引っ返すか?」
「時間がない」

 追いついた矢先に爆撃された向こうに道はなくなる。「どうすんだ?」「黙ってろ。……ミラ」相変わらず無愛想に振り向くお姉ちゃんについていくことしかできることはなく、呼ばれた通り側へ行く。
 指を弾き、重力が一時的に消え体が浮いた、とその瞬間。

「待てって! 置いてくな!」

 明らかに置いていかれると察した男の人が慌てて私たちにしがみつく。

「放せ!」
「こっちはな、くっついていくしか、ねえんだよ!」

 聖府の軍人に支給されるグラビティギアは様々な種類がある。お姉ちゃんが使用しているのは指先に貼り付けるチップ型で、何が言いたいかというと、個人用の装置が負荷を重くさせる私に加えて、男性の重量に耐えきれるとは思えず。一人だったなら今頃もう少し早く移動できていただろう苛立ちが助長され、遠慮なくイライラを発散するように蹴り飛ばした。顔面も躊躇なしに拳を振り抜き、うわぁ、と場違いにも程がある声が無意識に飛び出る。
 民間人にそう手は出さないお姉ちゃんだけど、これは先に進めないイラつきとほんの僅かに肉体に触れられた生理的嫌悪も含まれた打撃であり、それはあっちも分かっているのか非難せず、むしろ可能な限り道を見つけようとして、あ、とどこかを指差す。

「あれに乗れんじゃねぇか? なあ?」
「…………らしいな」
「連絡橋のアーム。たぶん、PSICOMもいるでしょ」

 まだ残る鈍痛に顔をしかめる男性に手を貸し、ここからでは到底見えない連絡橋内部に予想を巡らせて、先導するお姉ちゃんを再び追いかけ始める。

「よし、俺に任せとけ!」
「機械に強いの?」
「まあ、な!」

 痛みをこらえて初めて先陣を切る男性に驚くも、尋ねてる余裕などなく起動させた足場に移動し、安定した連絡橋へ横付けさせる。
 どこへ降りても敵はわんさか。仕方がない、ハングドエッジは万全の準備を整えた聖府軍しかいないのだから。その中でも……見た目だけでも溜息をつきたくなるぐらい面倒そうな相手が、いた。

「パージ対象者だな。武器を捨てろ、丁重に扱ってやる」
「抹殺する気のくせに。丁重って言葉、軽々しく使わないで」

 楽に死なせてやるという意を暗にひそませる投げかけにやけくそに言葉を返す。
 もちろん、武器を取り出しつつ。これまでに立ち塞がったPSICOMとは違う装いの兵士に後ずさる暇もなく、攻防が開始する。

 やがて。最後の一人が地に伏し、詰めていたい気をはき出す。

「……なあ、姉ちゃんたちよ。目当てはなんだ?」

 前進を続けるお姉ちゃんに問いかけるも、無言が返る。
 ここに来るまでの間に無視は基本だと理解しているために何かを言うこともなく、ただ男性は口を開く。

「軍事機密とかってやつか? もういいじゃねえか。軍は抜けたんだろ、話したって別に──」
「下界のファルシ」

 放たれたその一言に、絶句する。それ以上は語る気がないお姉ちゃんは動揺した男性の代わりに連絡橋を操りながら、告げる。

「ついてきたのは失敗だったな」

 自嘲するみたいに歪な笑みを貼り付けるお姉ちゃんに、私は何も言えず。

「…………そうでもねえよ」
「えっ?」

 一般人は下界送りを拒み、抵抗をしている。誰も死神的な存在にお近づきになりたくはない。
 だけれど、
 男性はお姉ちゃんの言葉に意味深な言葉を発した。失敗ではない。細やかな目的は違くても、この人なりの理由があるのだと今わかった。

 この中で、私だけが目的もないままふらついていることも、よく分かった。

「ひでえありさまだ。どこも、銃声がひっきりなしに聴こえてきやがる」
「封鎖区画だから、なにしたって咎めはない」

 それこそ、抵抗する市民を殺したって。何も問題はない。
 さっき言っていた男性の言葉を借りるのなら、ここも下界と変わらないほど、地獄の様相をしている。爆発音に、逃げ惑う市民。我が物顔で飛行する戦闘機の威力は思い知らされている。

 さしづめ、私たちは反逆者だ。


 覆ることはありえない運命への、反逆。
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