いちばん寂しかった日3-3



「……」



跡部邸で行われる『跡部景吾誕生パーティ』のことを、どうやら不二は知っているらしい。

跡部の実家は巨大グループの直系で、彼もまた世界屈指のセレブリティだということは氷帝学園だけでなくテニス関係者は皆知っている。
不二、菊丸ふくめ青春学園の面々も、跡部の財力に助けられたこともあり(中等部全国大会の決勝・越前失踪事件含む)、合同で合宿を行う際は彼の別荘を提供してもらったこともあれば、AtobeLandの無料招待、レジャー施設、Atobeジム……と、関連企業の招待券、割引券、と氷帝学園の連中ほどでないにしろ、同じテニスで汗を流す仲間には寛容な跡部景吾という存在に、大いに世話になっている部分もある。

さすがに『跡部景吾誕生パーティ』の招待を受けるのは、基本的に氷帝でも仲の良いチームメートに限られてはいるが。


「…知ってるの?」

「うん。もうそろそろ始まるんじゃないのかな」

「何なに?なんだよ〜」

「跡部の誕生パーティ」

「え、そうなの?10月4日?」

「彼の家で、毎年盛大なパーティなんだって」

「凄そうだな〜それ」

「氷帝のメンバーも毎年参加してるんだよね?」

「…って、え?そうなん?じゃ、何で、芥川、何してんの?!」

「……」



自分は一体、何をしているのだろう。



跡部と今日、話してないし会えてない。ただ、遠くから女の子たちに囲まれる姿をちらっと見ただけだ。
毎年のこととはいえ、何で今日に限ってそんなことを思ってしまったのだろう。

去年と同じく、精一杯のオシャレで、お気に入りのブルーのカットソーとパンツ、デッキシューズ、帆布かばん、そして彼にもらった少し背伸びしたシャツ。
学校から直接向かう皆よりは少し遅れての到着になるけれど、それでも受付で『景吾さんの同級生、氷帝学園の芥川慈郎です』と告げて、会場で皆と合流したらビュッフェに突撃!
いつもいつも、氷帝メンバーの大好物も用意してくれる跡部だから、豪華で高そうな料理が並ぶなかに自分の好きな料理もいれてくれているはずだ。
去年のように。


昨年は、フレンチ中心のビュッフェの中で、ポンとおかれた納豆や牛皿、さらにデザートコーナーのぬれせんべいに招待客が疑問符を浮かべるなか、氷帝メンバーだけはソレに大笑いした。


『いくら俺でも、こういうところで納豆食わねぇっつーの!』


なんて向日が叫べば、樺地は『ウス』と相槌?なのか、向日に返しつつも牛皿をとって、跡部に感謝の意を表す。
それに倣ってでもいるのか、日吉もとりあえずぬれせんべいを取り、色とりどりの洋菓子が並ぶコーナーに不似合いながらも自分のためにとメニューに加えてくれたことに感動したようだ。
となれば向日もしょうがねぇなと言いつつ、高そうな小鉢にいれられた納豆を皿にのせて、隣の忍足にも食わせようとしてケンカになっていた。

ムースポッキーが市場から消えてしまったと嘆いた年は、デザートコーナーにポッキーが置かれていて。
跡部家お抱えのパティシエと、この日のために海外から招いた跡部家と交流のある著名なパティシエに、今は無いムースポッキーなるものを説明し、作らせたという事実に芥川を除く氷帝メンバーは呆れると通り越して感心したらしい。


『まじまじ?!すっげぇ!あとべ、すっげぇよ!!』


招待客一人一人に挨拶してまわる跡部のもとへ突撃し、ぎゅっと抱きついては何度も『すっげぇ!』『ありがと!』を繰り返し嬉しさを爆発させる可愛らしい少年と、照れたように笑いつつ彼の頭を撫でてる跡部景吾、というシーンが印象的だった、と後の招待客は語ったんだとか。


世界一高いポッキーだと出来のよさに感動すら覚えた氷帝メンバーは、各自デザートプレートにムースポッキーを取った。
また、セレブな招待客の面々も、珍しいポッキーに皆手を伸ばし、終わってみればデザートコーナーの一番人気になった年だった。


今年もきっと、豪華な料理の列に、氷帝メンバーの大好物な庶民の食べ物も紛れ込んでいるはずだと、容易に想像できてちょっと笑えてきた。



「ほら、行きたそうな顔してる」

「え…」


過去の『跡部誕生パーティ』を思い出しては、だんだん心がぽかぽかしてきて自然と頬がゆるみ、表情も柔らかくなっていった芥川へ、すかさず突っ込む不二。


「行くつもりだったんだよね?」

「………うん」


普段のカジュアルな格好に比べたら、格段に服装に気合入れている本日。
休みの日に何度か会ったことのある不二だから、いつもの格好とは違う、いわゆる『お出かけスタイル』だということもお見通しなのか。


「何か、引っかかることでもあった?」

「……」

「じゃなきゃ他の皆のように、もうとっくに着いてるよね」

「……引っかかる、というか」



ただ、寂しいなと感じただけだ。

自分でもどうして降りるべき駅を通り過ぎて、青春台で降りてしまったのか今でもよくわからない。
跡部の誕生日は、跡部本人に近づけなくて、あまり話せないし会えないなんて毎年のことなのに。
『今年も跡部の周りは凄いな』なんて皆と笑って、少し跡部に同情して。

ただそれだけで終わり、跡部邸でパーティを楽しんだら、用意された客室ではなく跡部の部屋のあるはなれに向日や宍戸とともに突撃して。
本人が戻ってくる前に散々遊んだらキングサイズのベッドを占領して就寝し、翌朝、ベッドの隅で寝るはめになった跡部に怒られて。
それはそれで楽しくて、パーティが終わればいつもの跡部で、近づけるし話せるし、いつでも会える。
一緒のお昼ご飯たべて、部活ではラリーの相手をしてもらい、ベンチで寝こけたら『中学時代は目を瞑ったけど、高校じゃそうはいかねぇぞ!』なんて怒鳴られて。


今日も学校では寂しさも覚えたけど、パーティを楽しんだら跡部の部屋で遊んで、またいつもの日常に戻る。


ただ、それだけだったはずだ。



跡部はいつもいつも、最終的にはどんな形であれ助けてくれて、面倒みてくれて、傍にいてくれる。
学校行事の遠足(海外)で一人迷い、ラスベガスの砂漠で途方にくれたときも、上空からヘリで颯爽とあらわれ、頭をコツンと軽く叩かれたけれど、『もう大丈夫だ、ジロー』とその後ぽんぽん撫でてくれた。
商店街のガラポンで温泉旅行を引き当て、お店を休業して北海道定山渓へ2泊3日家族が不在だった時は、泊りにこいと誘ってくれた。
(慈郎はテニスの大会も控えていたため留守番となった)


両親は『跡部くんのお家にお世話になりなさい』と、子供を一人で残すこと……特に、一番危なっかしい次男を置いておくことに心配になり、跡部本人からも3日間泊めますよと提案されたので、迷惑かけてすみませんと跡部に任せることにしたのだが、慈郎本人が『家にいるー!!おれだって、留守番くらいできる!』といって聞かなかった。

隣には生まれたときからの幼馴染・向日さんちの岳人くんもいるため、それならばせめて向日宅へ―としても、慈郎は首を縦にふらず。
なら、岳人くんに芥川家に来てもらおうと向日家の奥様にお願いしようとしたら、息子は頬を膨らませて高校生の男だ!子供扱いするなと声をあげた。



『そんな台詞は一人で起きれるようになってから言ってみろ』 実兄は呆れ

『いまだに玄関の鍵開けっ放しで出かけるのに、危なっかしくて戸締り任せられない』 実妹は一人留守番を反対した。



困り果てた芥川家母に、お隣の岳人くんが自分が毎朝・毎晩芥川家の戸締りをちゃんと確認するし、慈郎の面倒も注意して見るので、安心して旅行してきてくれと伝え、結果的に岳人くんに合鍵を預け任せようとした。
…のだが、心配に心配した両親に、跡部さん家の景吾くんが『じゃあ俺が泊りましょうか?』との予想外の声。

向日が泊るのはNGだったくせに、跡部が泊るとなると急にはしゃいで、『え、まじまじ?あとべ、うち来るの??』なんて喜び、いそいそと客人を迎え入れる準備をして、跡部景吾のお泊り2泊3日となったものの、結局キッチンにたったことのない跡部と、料理がからっきしな芥川を見かねて、忍足、滝も『2泊3日のお泊り』に参戦。
ついには向日、宍戸も加わって、結局『ひとりで留守番するC!!』は何だったのかと帰ってきた兄と妹は、楽しそうに3日間の出来事を食卓で話す真ん中に呆れる反面、弟(兄)に付き合ってくれた同級生たちにありがとうと心の中で頭をさげた。




(そっか……。いつも、跡部なんだ)


皆でわいわい集まって楽しいのも、いつも跡部が切欠を作ってくれる。
家族のいない家も、寂しくなかったのは皆がきてくれたからだ。
一人で留守番できるし、幼馴染に泊りにきてもらうなんてと意地が勝って、それでも旅行の日が近づくに連れてちょっとしたどきどき感とともに、少しの寂しさもあって。
やはり泊りにきてもらおうかなと思った矢先の『跡部のお泊り』に、芽生えていた不安がさーっと消えていった。


―跡部の『大丈夫』って、絶対的に安心できるものなんだ。


『大丈夫だ、ジロー』


その一言で、不安や寂しかった気持ちが、花が咲いたかのようにパァーっと明るくなる。
どんなに大変な事態に陥っても、跡部が後ろでどーんと構えていてくれれば、何だって怖くない。
自分ではどうにでも出来ないことがあったとしても、絶対に正しい正解と道筋を示してくれる存在。



今朝から放課後まで、女の子たちに囲まれて身動きのとり辛そうな姿を何度か見ていて、今年の跡部も大変だと思う反面、何だかおなかがモヤモヤしている自分に違和感を覚えた。
イライラ?
むかむか?

でも、一体、何に?


昼休みの屋上でも、一緒に弁当を広げていた滝にいつもとの様子の違いを探られ、このもやもや感をうまく説明できなかった。
しかも今現在、跡部邸に揃っているであろう皆の中に唯一、芥川一人いない状況。
鋭くて優しい滝のことだから、きっと昼のことが関係しているのかと心配しているかもしれない。


皆の誕生日の時は、芥川本人の5月5日を含め、何だかんだ跡部がセッティングし、毎年お祝いをしてくれる。
時には部室、時には跡部邸、そして時には誕生日本人の自宅の回もあれば、誕生日当日は家族とだろ、とその前後に開いたりもする。

今年の5月5日は、芥川の誕生日だというのに会場は跡部邸となり、氷帝だけでなく交流のある他校テニス部の面々も招いて、盛大なテニストーナメントを開いた。
こんなにたくさんの人に『おめでとう!』と言ってもらったことは無いとびっくりするくらいの人数で、皆も楽しそうにテニスで熱戦を繰り広げ、終わった後はビリヤード、ダーツ、カードゲーム、テレビゲーム、と一通り揃ったレクリエーションルームで遊んで、夜は大宴会。

毎年5月5日は祝日ということもあって、北海道に連れて行かれ美瑛の大自然を眺めながら星空の下でバーベキューだった時もあった。
他のメンバーの時も、都内ではなく軽井沢の跡部家別荘でテニス合宿と称し夜は誕生会とお祝いしてくれたこともあれば、美術の時間になんとなく作った彫刻がどういう経緯か出品されて、数ヶ月後に学生美術展関連を通り越して『日展入賞』という輝かしい結果とともに表彰され、新聞に載ったときはプライベート機で沖縄の離島へ連れて行ってくれた。



いつもいつも、皆のお祝いを全力でやってくれるんだ。



でも、跡部のお祝いは…



跡部の誕生日は、毎年跡部邸で盛大に行われる。
ただし跡部グループの会長、直系の孫ということもあってか、グループ関連企業、取引先ら親の仕事関連の人たちも多数招待される。
交流のある著名人や、いわゆるセレブリティの人たちが多く招かれ、跡部景吾本人もたくさんのお祝いを述べられつつ、一人一人挨拶にまわりとても忙しそうな日だ。
そういう生まれなのだからしょうがないことだし、本人もある程度はわかっていて、覚悟していることでもある。

息子の誕生日が毎年このような、コネクション作りや果てに見える仕事関連の取引だとか、そういう場になっていることに両親も思うところがあり、ある程度招待客を制限しようとしたこともあるが、息子本人が『利用してくれて構いませんよ』と大人だった。
そのかわり、好き放題やらせてもらっているのだからと、誕生日には顔を売って、笑顔で挨拶し、最大限の協力をしている。
多くの招待客、特にその中でも本物のVIPの人々は、幼少期から跡部少年を知る人たちばかりなので、本人としてもさほど苦労することは無いらしいのだが。


そんな、跡部の誕生日。
どんなときも全力でお祝いしてくれる跡部に、自分も精一杯のお祝いをして、おめでとうと伝えたい。
さすがに跡部みたいに、料理も会場も、プレゼントも、あんなに規模の違うことは出来ないけれど、それでも。

5月5日は一緒にいてくれて、何度も『おめでとう』と言ってくれる跡部みたいに、自分も10月4日はずっと一緒に、隣で笑って、何度も何度も『おめでとう』と言いたい。
女の子たちに囲まれて、それこそ何百回も、いや、何千回も『おめでとうございます』と言われているだろうから聞き飽きているかもしれないけど、それでも、彼が表現してくれる『おめでとう』の数かそれ以上は自分からも返したい。


けれど、10月4日は一年のうちで、一番跡部に近づけない日だ。


去年までは……いや、つい先週まではそんなこと何も気にしなかったし、考えたことも無かった。
それなのに、どういうわけか今まで跡部がしてくれた全てのことを思い返しているうちに、彼がしてくれたうちの10%も自分は返せていないんじゃないかと疑問に思ったら、止まらなくなった。

一番お祝いしたい日にそばにいけなくて、近づけなくて……寂しくて。



跡部のことを、一番お祝いしたくて、一番そばにいたいのは自分だ。






(え……オレ、今、なんて―)





女の子たちを遠めで眺めながらモヤモヤしたことを、一つずつ整理しながら不二と菊丸の前で述べていったら、とんでもない回答に行き着いた。





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