いちばん寂しかった日3-2



『もう大丈夫だよ』


ソファでハーブティのカップをかかえている姉の隣に腰掛けて、『綺麗なお姉さん』の微笑みとよく似た優しげな瞳で、男を連行した後のことを話しだす。
不安げな芥川への第一声は、もう大丈夫だという柔らかな声ながらも力強い、きっぱりとした一言。

前から付き纏われていたのかとヘンタイ男について聞かれ、ぶんぶんと首をふって初対面かつ急に声をかけられてカツアゲされそうになった経緯を伝える。
単なる『金出せ』な恐喝とも呼べる行為から始まったものの、最終的に不二たちが取り押さえる少し前に男の雰囲気がかわり、見たことも話したこともない赤の他人なのに、何だかこちらを知っているかのような口ぶりだったこと。


「前にさ、氷帝と練習試合やったでしょ、うちの高校で」

「ああ、インハイ終わって一発目の?氷帝とーウチと、裕太くんのルドルフも合同でやったやつ?」


不二にカフェオレボウルを渡して、芥川の隣の位置に戻る菊丸は、青春学園高等部テニスコートで8月末に行われた合同練習と試合を思い起こした。
全国大会が終わり各校が新部長・新副部長と代替わりしての最初の他校との試合だ。
氷帝だけは部の長に変わりは無かったけれど。


「氷帝は専用バスできて ―そういや芥川だけ後で来たんだっけ」

「……ちょっと寝坊しちゃって」


シングルスのゲームで、菊丸の対戦相手に『芥川』とコーチに告げられたものの、当の本人不在で氷帝側に確認とれば、『寝坊して、一人電車だ。さっき青春台についたと連絡あったから、もうすぐ来る』と宍戸に説明され、他の皆がゲームを始めるなか芥川を待っていたことを思い出す。


「その時に、青春台の駅で君を見かけたそうだよ」

「え…」


あれだけこの街に近づくなと忠告したんだけど、なんて呟き、鋭さの交じる瞳で遠くを見つめる不二にビクっとしたのは菊丸で、引きつった笑みを浮かべホットココアを一口のみ、隣の芥川を横目で見ればポカンと口をあけてびっくりしている。


「確かに、練習試合のとき、電車できたけどすぐバスに乗ったし、あんなヤツ、知らない……」


あの日のことを一から思い出してみる。
母親に慈郎宛の電話だと起こされて、受話器に耳をあてた途端に『おら、何やってんだ!もうバス出るぞ!!』と一喝。


『ししど…?なぁに、日曜なのに…』

『今日、青学との合同練習だろーが!集合時間とっくに過ぎてる。もう置いてくぞ!?』

『え?………あ。』


そういえば前日、跡部に何度も何度も大丈夫かと念を押され、もう高校生なのだから中学のようなことはしない!
一人で起きれる、大丈夫、最近は大会も遅刻しないし、まったくもって問題ない!!
…なんて大口たたき、中学の頃海外合宿に寝坊して以来、毎回きっちり迎えにきてくれる幼馴染にも『大丈夫。いっちばん先に学校に到着するもん』と断言した。
不安は残るものの幼馴染の成長のためにと向日は忍足宅へ泊りにいき、毎度続く『芥川を迎えに行ってから一緒に行く』を今回だけは止めた……途端にコレかと、集合場所の氷帝学園正門に忍足とともにやってきた際、不在の芥川に『やっぱりな…』とため息をついたんだとか。

迎えをよこすという跡部に、前日と同じ『もう高校生だから一人で行ける!!』と豪語するも…


『昨日と同じこと言ってんじゃねぇ。遅刻してんじゃねぇか』

『だーかーらー、もう起きたからだいじょーぶだって』

『電車で寝て、どうせ終点で起きるんだろうが』

『そんなこともうしねぇもん。オレ、高校二年生だしー』

『集合時間にも来れねぇで、何が高校二年生だ』

『電車で青春台までいって、そこからバスで青春学園前、デショ?ばっちりだもん』

『奇跡的に青春台まで着いたとしても、バスで寝こけるだろうが。迎えをやるから、大人しく家でじっとしてろ』

『だぁ!だからさー、大丈夫だって言ってんじゃん!あとべ、うるさいC〜』

『どの口がうるさいって言ってんだ、ア〜ン?』

『ブー!もう切りマス。ばいばい。じゃおれ、これから電車で行く〜』


切られた電話にすぐさまかけ直そうとした跡部だったが、そろそろ出ないと氷帝学園全員が遅刻するぎりぎりの時間という事実に加え、向日から『ジロー、もう家でたって』と報告が入り、迎えを手配しても本人不在でどの辺にいるかわからないとなるとそれも無駄かと諦め、本人の言葉を信じる……ワケにはいかないが、もうどうしようもないと出発を決めた。

そんなことなど露知らず―な芥川は、久しぶりに青学と試合、不二くんとやりたいな〜♪
なんてうきうきした気分で、『わっくわくだC〜!』なんてのんきに鼻歌うたいながら、それこそ跡部のいう『奇跡的』に寝こけず青春台につき、いつかの立海見学時のようにバス停の列とケーキ屋さんの行列を間違えることもせず、ストレートに青春学園に姿をあらわした。



「おれ、ちゃんと寄り道もしてないし、まっすぐ青学に着いたし…」


あのカツアゲ男が青学との合同練習の日に、青春台の駅で―といっても芥川にはまったく覚えが無いことだとあの日のことを一つずつ思い返した。


「うん。だから、アイツの一方的な一目ぼれ?みたいな」

「なんじゃそりゃ…って、不二。さっきの男って結婚して、家族いるんでしょ?」

「ああ、姉さんに聞いた?」

「うん。さっきね。子供もいるって」

「そ。まぁ、単なる変態なんでしょ」

「不二ぃ…変態って」


妻帯者ながらも仕事で出会った美人にストーキングさながらの行為をすること自体が犯罪だといい、さらに次のターゲットが男子高校生だという事実に変態でなければ何なのかとバッサリ。
レズ、ゲイ、バイ、ヘテロ……そういうことが『変態』なのではなく、あの男そのものが、妻と娘がいながら犯罪行為を犯すことが異常だと切り捨てる。
目をつけられたらしい芥川といえば、今日この日まで何をされたわけでもなく、接触があったわけでもなかったことがせめてもの幸いか。


「一目ぼれといっても芥川には迷惑な話だけど、とりあえず君にもう一度会いたくて二ヶ月近く青春台の駅をうろついていたみたいだよ」

「……」

「青学の生徒だと思ってたんだって。馬鹿だよね。あの日、芥川は氷帝のジャージ着てたのに」

「青学って制服もジャージも『青学』ってすぐわかるくらい目立のにな〜。つーか、学校付近はうろつかなかったんだ?」

「まぁ、僕が通ってること知ってるしね。青春学園の付近に出ようもんなら―」

「…ナルホド。学校ならともかく、不二はバス通学だから青春台の駅も行かないもんね」

「そう。僕が電車通学だったらすぐに気づけたから、早く警察に突き出せたんだけど」

「あ、あぁ、ソウデスネ……って、不二、怖いから!」


つまりは二ヶ月前に見かけたジャージ姿の男子高校生が気になり、それ以来青春台の駅で同じ姿を探していて、ついに本日見つけ、彼の後を追って接触してきたのか。
『話してみたかっただけ』だといっていた男が、何故カツアゲ行為にはじまり催涙スプレー、スタンガン、果ては『部屋に連れて行く』発言になるのか、まったくもってこういう人間の思考回路はわからないと、男との一連の出来事を不二にも説明すれば、『まぁ、アレはただの変態だし、もう二度と目の前に現れないから気にしないほうがいい』と返し、菊丸のフルーツプレートから葡萄をつまんで口へ運んだ。


「それよりも、芥川。今日はどうして青春台に?」

「え…」

「しかも一人なんて、珍しいよね」

「あー確かに。いっつも隣に跡部とか、向日、宍戸?あと、丸井かー。誰かいるもんな〜」


うんうん頷く二人に、自分はそんなに普段誰かと一緒にいるように見えるのかと不思議に思う。
芥川自身は、一人で出かけることもあるし、立海見学に行くときなんかは氷帝から立海までもちろん一人移動だ。


「オレ、ひとりでどっか行くこともあるC」

「ふふ。そりゃそうだよね」

「昼寝も、ひとりでするもん…」

「あはは、中学の合宿のときはよくおチビと寝っ転がってたよなー」

「越前も、もうおチビって感じじゃないけどね」

「大きくなっちゃったもんな、あいつ」

「芥川がいつも誰かとっていうことじゃないんだけど、誰かが常に君の傍にいる、というか」

「…?」

「放っとけない感じ?だよなー」

「…おれ、そんなに頼りないの?」

「いやー、そういうんじゃ無いんだけど。なんていうかさー」

「なんて言おうかねぇ」


庇護欲そそられるとでも言えばいいのか。
不二も菊丸も、彼のプライドを傷つけないように言葉を選ぼうとするも、そもそもプライド云々なキャラクターではないと思いなおす。
本能のままにプレイする―と評されたように、覚醒しているときは元気いっぱい、はしゃいで走りまわって騒ぐ芥川慈郎。
ふわふわとした可愛らしい見た目と中身の意外性。
バッチリ目覚めて興味のあるものを前にすると、ぐいぐい積極的なアプローチと憎めないキャラクター、そして意外に男らしい。
反対に寝ているときは『トドだ』と向日・宍戸が呆れるくらい、動かず起きず、丸くなって地蔵のように動かない。
どんなに揺らしても起きなくても、『ジロくん、テニスしよーぜ』だの、『ジロー、起きろ!俺様が相手してやる』等といった一言には瞬時に立ち上がり覚醒するのだから、彼に慣れていない人には『芥川慈郎』という人物の二面性にひたすらびっくりするだけだ。

寝ているときと、バッチリ覚醒しているときはともかく、起きているときに常に『覚醒状態』なわけではない。
後はボーっとしているか、ふわふわしているか、眠そうにしているか、……とりあえずは見知らぬ人も『この子、大丈夫?』と気にかけるくらい ―つまりは庇護欲そそられるわけなのだが。


「と、いうか。今日、青春台にいていいのかな?って」

「え?今日ってなんかあんの?」

「10月4日、でしょ」

「4日4日〜金曜?なんかあったっけ」


壁にかけられたカレンダーを一瞥するが、祝日でもなければ何かの日だという記憶もない。
菊丸にとって10月4日は、ただの平日・今年は金曜日だ。
普段通り学校があったし、部活は自主練習のみで無かったため不二と二人、放課後は寄り道して遊んで。
不二家にお邪魔する途中、家にいくショートカットだと進んだ細い路地の先に、見覚えのあるひよこ頭にびっくりして、さらに押さえ込まれているシーンにも驚いて。
対する不二は、泣きそうな表情の芥川と、彼に物騒なものを向けて物騒な発言をしている男がこれまた見覚えありすぎる男だったことに、静かな怒りがこみ上げてきて、今にいたる。


「10月4日は毎年イベントなんでしょ?」

「イベント〜?」

「芥川。他の皆はもう行ってるんだろう?君は行かなくて、いいの?」





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