5.学習室のシャイボーイ 練習終了後の合宿所の夜は、自主練を行う者、レクリエーションルームで遊ぶ者、自室で音楽や映画を見たりと休憩する者、学習室で勉強する者、と各自思い思いの過ごし方をしている。 「ここがわかんねぇ」 「大問の初っ端やんか。これができんと次の設問も……ってこのやり取り、3回目やん」 「わかんねーもんはわかんねー」 「…まず、問題が何を聞いているかはわかっとん?論文読解は―」 館内施設の一角、学習室では数人の中学生が学校の課題らしき宿題に取りかかっており、持参したテキストを前にウンウン唸っているのは氷帝学園の三年生・向日岳人。その前の席で文庫本片手に向日の課題をみてあげている忍足侑士は、自身に出された課題は合宿序盤でやり終えており、学年でも上位の成績を保っていることもあってか学習面で問題を抱えることはない。 「…もう、だめっス」 「まだ2問目だろ。このプリントだけは今日中にやらねぇと真田にどやされんぞ」 「だってわかんねーもん。てか何で真田副部長……学年違うし、関係ねーじゃないっスか」 「立海大として合宿に参加してんだし、学校は公休扱いだけど課題をやることが条件だろ。俺も、お前も」 「そうですけど…でも、だからって何で先輩が後輩の宿題まで口出すんスか」 「お前がちゃんとやらないからだろ。基本的には『自己管理』で皆、各自で課題やってるし…真田以外はお前に言ってこねぇだろ」 「……勉強見てくれんのは助かりますけど」 「それだって真田から頼まれてだぞ?俺も、柳も」 「……」 「ほら、続きやんぞ。ここでメアリーが困っている理由は、ケンが―」 柳や幸村相手だと文句の一つも言えず、ただただ問題と睨めっこするしかできない切原赤也も、教えてくれる相手が桑原だと多少の甘えが出てしまう。ぶつくさ言いながら、煙だがっている『真田副部長』が先輩たちの中でも一番自身を気にかけてくれる存在だということもわかっているが、それでも文句を言いたいのであって。そんな彼を宥めながら受け入れてくれる先輩といえば、同じ立海大の中ではこの苦労人しかいない。 「う〜ん……やっぱだめだ。ここだけ教えて」 「凄いじゃないか英二。ここまで一人で全部解けた。今までで一番出来てるぞ」 「へへ〜ん、俺だってやれば出来るんだよーん」 「よし、最後の問題だな。ここの関数は―」 青学ゴールデンコンビは、定期考査で毎回トップ5に入る優等生大石がダブルスペアの菊丸の五教科を見てあげるのが定番。同じクラスということで不二が菊丸の宿題や試験勉強を手伝うこともあるようだが『不二はスパルタだから出来れば遠慮したい』とは菊丸の弁で、なるべく大石のもとを訪れているらしい。 各校が自主学習を行っている中、沖縄比嘉中のように学習室ではなく自室で課題に取り組む者たちもいるけれど、大阪四天宝寺は青学や氷帝と同じく、ここ学習室を利用することが多い。 そしてかの学校にはIQ200の天才がおり、彼は学校から出される課題なぞ『解けない』ことが無いため、いかに難しい設問につまずいたとしても四天宝寺生は金色に頼れば何とかなることを知っている。ただ、四天宝寺は部長の白石を筆頭に、忍足、石田、と比較的成績優秀な者が多いため、各中学で一斉に試験を行えば平均点が一番高いのは恐らく大阪四天宝寺になるだろう。 「謙也、手ぇ止まってんで」 「……」 「おい?どうしたん?」 「……」 氷帝ペアの席から少し机を隔てて四天宝寺中のクラスメート同士、白石と忍足がテキストを進めていたのだけれど、ふと顔をあげて隣を見た白石の視線の先には、硬直状態でとある一点を見つめる忍足謙也が…。 思わずもう片方の隣で読書中の金色に目配せすると、IQ200の天才児はため息をついて文庫を閉じた。 「謙也きゅん、数日前からずーっとこの調子なんよ」 「何を見とるん?侑士クンと、向日クン?…あぁ、侑士クンの方か」 「違うで」 「?従兄弟に用事あるんちゃうん?」 「謙也くんが誰を見てるか、ちゃんと見てみて」 「…?」 数分前まではくるくる回しながら設問を解いていたペンは、先ほどからずっと止まったままで、体の向きは正面だけど首だけ左側で固定していて、じっと一角をみつめている謙也。その視線の先、というと…? 「………芥川クン?」 「せやねぇ」 課題中の向日の前の席は文庫片手に彼を教える忍足侑士の姿。その向日の右隣は、今回の合宿で向日と同室でありチームメート、生まれたときからご近所さんな幼馴染らしい同じく氷帝の芥川慈郎が、なにやらノートにイラスト?落書き?―とりあえず勉強はしていないようだが、ボールペンでお絵かき中で、斜め前の忍足侑士に『ジロー、遊んでんねやったら、岳人教えたって』とお願いされている。 「ヤだ。ジロー教え方下手だし」 「…って岳人がいーっつも言うから、勉強は一緒にやんないもん」 「ほな何でここにおんの…学習室やで?」 「終わったら岳人とビリヤードで勝負すんの。だから終わるまで待機中〜」 「さよか……なら岳人、早よ終わらせ」 「わーってるよ!」 苦手科目は国語・古典という芥川だが、それでも向日が取り掛かっているテキストの内容くらいはどうとでも無いらしい。いわく、他の教科に比べれば苦手ということのようで、向日に言わせれば『その点数で苦手教科とか、嫌味か!』だそうだが。 「芥川クンに用なら、とっとと行けばええやん……謙也?」 「あー、ダメなんよ。謙也くん、恥ずかしがりやさんでなぁ」 「恥ずかしがりやって。用事あるんちゃうん?」 「ただ、楽しくお喋りして、仲良ぉなりたいんよ」 「なおさら話しかければええやん」 「それが出来ないシャイボーイやねんから」 「シャイボーイて…」 交流を深めたいのなら自ら近づいて、話しかけるなり何なりすればいいのにじっと見つめるだけ?なんだそりゃ。 呆れ顔の白石とため息をつく金色に見守られながら、謙也は氷帝メンツの一角を眺めて、眺めて、物言わぬ視線を投げるだけ。このごろ、彼のこんな様子に何度か遭遇している金色としては今日も声をかけられないまま終わるのだろうな、と思うのであった………というところで終わろうとしたが、今宵の謙也は少し違っていたようで。 「しゅ、宿題終わったんか?」 「「……」」 (ようやっと話かけたで) (けど謙也きゅん、アレやと誰に向けてか…) (せやな……侑士クンはもともと文庫読みながら向日クンに教えてるし) (芥川クンもイラスト描いてるなぁ) (宿題してんの、向日クンだけやん) 一見すると氷帝の面々に話しかけているようだが謙也の視線は落書き中のふわふわ金髪に釘付け……なのだけどそのセリフが『宿題』だと氷帝三名の中で唯一、必死に問題を解いている向日に向けて、と捉えられてしまうだろう。現に、向日はペンをとめて顔を上げ、きょろきょろと左右を見渡し始め、家庭教師役の忍足侑士に『ええから、設問続けて』とペンを動かすよう促されている。 (謙也……何やっとんねん) (謙也きゅん、もっとビシっと行かなアカンで!) 四天宝寺の傍観者2名は、ともに口をはさむつもりは毛頭ないので、ひとまず見守ることにした。 度々同じようなシーンに出くわした金色にしてみれば、ようやく勇気を振り絞って声をかけたといっても相手に伝わっていなければ結局前回、前々回と同じように何もできず終わるだろうとしか思えない。かといって本人が無自覚なら、協力しようとしても以前のように拒否されるだけだ。 友情を育みたいのか何なのか、たとえそれが謙也のどのような感情なのかはさておき。 「何やお前んとこ、そんなに課題出とるん?」 放置もとい傍観を決め込んだ白石・金色とは異なり、氷帝の天才は自身の従兄弟に何を思ったのか、誰もが謙也の問に返答しない中、唯一反応を返してくれたようで。 「俺んとこも色々とあるけど、もう終わったしな」 「侑士、そ、そうなん?」 「おー、ジローも全部終わってんで」 「あ、あ、芥川、も?」 「コイツな、こんなんでも成績ええねん」 「合宿くる前に全部終わったC〜」 「そういや昨日の夜、追加課題きてたなぁ」 「うっそ。メールみてない」 「第三外国語のヤツ。共有アドレスに添付ついて送信されてたやろ」 「えー、じゃ跡部に聞きにいこ〜っと。第二ならともかく、第三は全然わかんねぇ」 「自分でやらな意味ないやん」 「ギリシャ語だもん。ぜったいむりー」 大量に出された学校の課題も、成績優秀者にとっては何ら苦ではないようで、跡部を筆頭に芥川、忍足、と合宿始まる前、または合宿の初日・二日目あたりで全て終わらせてしまった者もチラホラいる。 氷帝学園中等部では複数の選択授業があり、第一外国語は全生徒共通で英語、第二は各自自由。第三に至っては教科選択の一つなので語学を選ぶ生徒もいれば、別の学問や絵画、音楽など技術芸術系、と幅広く選ぶことができる。芥川は言語に興味があるわけではなかったようだが選択を決める際に、流れで語学を選択することになり、多種言語の中から所属しているテニス部部長に馴染み深いギリシャ語を選んでいる。たまたま第三の選択についてチームメートと雑談していた際に、第三外国語ともなると基礎中の基礎だから楽、という先輩たちからの忠告、助言に基づいて『俺、第三は語学にする』の向日を筆頭に、それなら……と滝、宍戸、忍足、と揃って語学に決めたらしい。ちなみに部長様は氷帝で選択外語として扱っている言語はほぼ馴染みがあり、日常会話は問題のないレベルのため何も第三で外国語を選ばずとも良かったが、そこは右倣えで言語選択にしたという。教えあえるから、という意味で皆が同じ言語を選択した中、何故か芥川だけが異なるギリシャ語を選択したため残念ながら試験前の勉強会では『第三外国語の勉強中』の皆に混じることは出来ないが、そこはギリシャ語を得意とする部長様がマンツーマンで教えてくれるため、試験の結果だけは上位に食い込んでいる。 「謙也、お前は……終わってなさそうやな。歴史か?」 「あー、教科書家に忘れてん」 「記憶科目は教科書ないとわかれへんし。パソコンルームで調べながらやるしか無いやん」 「一応最初は自力でやるっちゅう話や」 「んで、詰まっとん?」 「そろそろ自力に諦めかけてたところやな」 隣に座る白石や金色、同校のチームメートは手伝ってくれないのかと暗に問う侑士の視線には、首をふって『最終的には教えてもらうしかないけどな』との謙也、それに頷く傍観者の四天宝寺二人。最初から『教えてもらう』ことを前提にテキストを開いた向日にとっては『わからないならすぐ聞くほうが早く終わるじゃん』という意見だけど、謙也のやり方のほうがためにはなるとわかっているので口ははさまず、そんなもんかねぇと呟いて軽くペンを回せば、教師役の侑士に最後の設問をトントン指されたので黙って続けることにした。 「金色はともかく、白石も自分の課題中やろ。なら、お前の歴史、うちの優等生が付き合うたろか?」 「…は?」 「さっきからずっと、暇してて落書きしとるヤツ」 「ゆ、侑士…」 「ほらジロー、あそこで勉強中の四天宝寺のヤツの勉強見たれ」 「んー?別にいいけど、オレ、教え方下手なんでしょ〜?」 「岳人みたいな出来へんタイプにはアカン教え方やけど、ある程度勉強できるヤツはお前の説明でもわかるから、大丈夫や」 「おい侑士、それどういう意味だよ。クソクソ、ジローの教え方は意味わかんねーんだよ」 ノートにさらさらとペンを走らせ、落書きもといイラストを書きなぐっていた氷帝の寝太郎は、おもむろに席を立って四天宝寺三人が机を寄せ合いテキストを広げているところへ寄ってきた。 (あら、謙也きゅん。思わぬ展開やないの〜) (謙也硬直しとるで?というか、謙也は芥川クンと友達になりたい、でええねんな?) (どうやろうねぇ〜) 「ジロー、ちゃんと宿題みてやってや」 「はーい。岳人が終わるまでね〜」 (あ、芥川、が……っ、顔、近っ!) 目の前にふわふわの金髪がやってきた。こんなに間近で彼を見たことがあっただろうか? パッチリした大きい目だとは思っていたけれど、睫が長くて色素が薄い。そして、肌が驚くほど綺麗で吹き出物が何もなく、適度に日焼けしていて健康的、そして心なしかいいニオイがする― なんて思いながら数センチだけ距離の離れた彼を見つめること数秒。 従兄弟がくれたせっかくのチャンスを生かすべく(チャンス?)、こ、こ、声をかけて― ……なんて淡い期待は、当然叶うことはなく。 「ここ、ちょっと違う」 「あ、ホンマ?」 「いまチラっと見ただけやで?すごいなぁ、芥川クン。蔵リン、そこもう一回やな」 一瞬、何が起こったのかテンデわからない謙也だったけれど、ゆっくり隣を見てみれば、高校数学のテキストを広げている白石蔵ノ介、そして芥川が指差すのは白石が解いたばかりの質問。さらにお隣の金色は、ここにいる必要が無いほどの学力を誇るIQ200なので当然白石のミスもわかっていたようなのだが、最初は『自力』という四天宝寺流のもと、間違えたとしてもそのまま放っておいて、白石が自力で気づくか、質問された際に教えてあげるべく見守る立場を取っていた。特に白石が解いているのは学校からの課題ではなく、自ら用意した自主学習用のテキストで、高等数学の分野が大多数を占めているため金色からみても中学生が解くにはいささか難しい部類だ。科学や理数系を得意としている白石でも中々難解な設問を、一瞥しただけで『答えが間違っている』と指した氷帝生に感心した金色に、氷帝エリアからは『ジロー、数字は得意やねん』たる声が飛ぶ。 「あのねー、ここ引っ掛け」 「これ?」 「使う式がねー、これじゃなくて―」 ついには前の席の椅子に座り、白石の机にひじをつきながら談笑し始めた。 「もうこんなとこまで授業しとんの?」 「んー、クラスの授業はここまででじゃないけど、選択科目の数学は結構先までやってるー」 「さすが氷帝、進んでるなぁ」 「選択はねー、オレと跡部と忍足だけ取ってる。岳人は違う科目」 「結構選択科目多いねんな」 「うん。基礎科目はあるけど、あとは選択して単位積む感じ」 「海外の学校みたいやん」 「そだねー」 和気藹々と話しながらも設問を解く手を止めず進める白石と、それを目で追いながら時に首をふり『ちょっと違うC〜』と一応は教えている(つもりの)芥川。 何がどうしてこうなってしまったのか。 氷帝の天才は大阪の従兄弟に対して『教えたって』と落書き中の暇人を促したのではなかったのか? 「謙也きゅん……ドンマイやで」 金色の慰めが空しく響く中、氷帝の忍足も哀れみを称えた目で、立ち尽くす四天宝寺の忍足を見つめている……気がする学習室の夜だった。 >>湯煙の奇跡? >>目次 |