あなたと私の融点・2





ノルナゲストに着いて、私は、自分が泣きそうな事に気付いた。
視界がぼやけてる。滲んでる。
涙というものが溜まっているんだ。瞬きをしたら、きっと落ちてしまう。
誰が泣くものかと、わたしは服の袖で痛いくらいに目を拭った。

「……あの子、狂ったフリをしてただけなの?全部、ゲイボルグの為に……?」

私が今思い出したのは、テュケーの苦しみだった。
ゲイボルグと会えた事が純粋に嬉しい。ずっと一緒にいたい。
だから、唯一の選択肢を選んだ。ゲイボルグの『使い手』になる事。
彼女は、戦争も死も嫌いだったが……隠した。
自分に嘘をついて、狂おうとした。

全て、ゲイボルグの為。

ゲイボルグの幸せこそ、彼女の幸せ。
でも彼の幸せは、テュケーの苦しさ。

矛盾している想いは彼女の心を殺して……やがて、彼女は本当に狂ってしまった。
永劫の迷子になった。彼女の堂々巡りは、永久に終わらない。

……あぁ、そっか。
スパーダが「何でお前は泣きそうな顔してるんだよ」って言ってたけど……悲しかったのね。
本当は、悲しくて泣きたくて、でも、そうしない。
理由は、ひとつしかない。

「あなた、それほどゲイボルグが好きだったのね」

好き、なんて生温い気持ちじゃないかもしれないな。
愛よりも、深く重いかもしれない。

「男運がないのね」

笑ってやろうとして、また涙が溜まる。
服の袖を目にぐっと押し当てた。

「泉……ウルドの、泉……」

そこにいる。
彼がいる。

「ゲイボルグッ!!」

わたしは叫んだ。

本当は「ハスタ」と呼ぶつもりだったのに、「ゲイボルグ」と言ってしまった。
なんだかゲイボルグって、聖なる泉の前じゃ似合わない名前だなぁ。
ついでに、ピンクもここの泉には似合わない。
なんて自然の似合わない男なんだと、私はそのうしろ姿を見つけて苦笑した。

振り返った男は、不服そうな顔をして私を手招きした。
私は笑顔になって、ハスタに近寄った。

さっきまで、とても苦しかったのに。泣きたかったのに。
そんな気持ち、今はどこにもない。会えたというのが、嬉しい。
私も、結局テュケーと同じだった。

「なぁんでリトスちゃん、昔のオイラの名前で呼ぶの?ならオイラも昔の名前で呼ぶよ、テュケーちゃん」
「ごめんなさい、さっき、いろいろと思い出して……だからつい、ゲイボルグって……」
「……思い出した。思い出した!?思い出しましたっ!?じゃあ何で坊やを刺したか、分かったかい!?」
「……え、ルカを刺した、理由……?」

私は首を傾げた。
何故、ルカを刺したか?……そんなの、あなたが逃げる為でしょう?

「リトスちゃん、本当にニブチンなのね。何も感じなかった?坊やが刺されたと・き」
「……嬉しかった?」

何故か疑問系。
あまり認めたくない感情なんだもの。
仲間が刺されて喜んでいるなんて。

私、冷血女だったのかって、結構深く暗く思い悩んでいるんだ……これでも。

「前世―――テュケーとアスラ様に、何があったの?」
「リトスちゃん、まだそこまで思い出してないのかァ。どこまで思い出しております?」
「あなたの、使い手になって、目が見えるようになった、とこ?」

テュケーの歯車が狂ったところだ。

「テュケーちゃんと鬼神に何があったのか!ヒントはですねぇ、坊やを刺したことです!」
「……ヒントどころかそれ自体が答えじゃないでしょうね?」
「さすがリトスちゃん!はい、全問正解また来週〜!」
「え……」

正解、という事は。

……刺した?

刺した……。

「アスラ様は、テュケーを、刺した?」
「うん、そう」
「もしかしてあなたがルカにやったように……お腹を、デュランダルでひと刺し?」
「そのとおり」

ハスタは、苦虫でも噛んだような顔をする。
あ、人間らしい顔……なんて思ってしまった。

「俺ァ、許せなかったんだよぉ。あのアスラの坊や。俺の大切な大切な大切なテュケーちゃんを殺しておきながら、生まれ変わったら仲良くしちゃうなんて。しかも本人はその事を思い出す気配ナッシング。リトスと、何食わぬ顔で一緒にいる。許せないでしょ?許せないよね?許せないのでぶっ刺させて頂きマシタ。ぶっ刺させて頂いちゃいマシタ!」

……はっ……?
テュケーを、殺した……!?

「待って、ハスタ!私追いついてない!!」
「はい?リトスちゃん走ってないでござるよ。もちろん拙者も走ってないでござるが……追いかけとんの?何か追いかけとんの?」
「そうじゃない!!話が飲み込めないの!!何……テュケーはアスラ様とデュランダルに殺されたの……!?」
「だからそうなんデスって。リトスちゃんは、あの若白髪の坊やに殺されたの!」
「……だから。だから、か……」

生死の狭間で苦しんでいるルカを見ても、ちっとも悲しみを抱かなかったのは。

テュケーは死の間際、アスラ様とデュランダルに強い嫌悪感を抱いた。
ハスタは、ゲイボルグは、それが現世でも許せずに……ルカを刺した?

「……あなた、が、憎しみから殺そうとするなんて、随分と人間らしいね。なんだか最近、人間らしい」
「人間らしい人間らしいって、俺はもう武器じゃありませんぞー」
「そうじゃ、なくってね……なんか、あなた変わった気がするの。だって前は殺戮の為に生きてたようなものなのに、今は、なんだか……」
「んー?」

ハスタは私の言葉を聞くつもりなどないらしい。
彼は私の手を握って、引っ張った。
……手を繋いで歩いている、という訳だが。
指と指が絡む。……俗に云う、恋人繋ぎじゃないんだろうか、これは……?

「リトスちゃん、とりあえず思い出そう。アスラの野郎に殺された事を、ハッキリとね」
「お、思い出すって……そんな簡単に……っ!」

あ……。

久しぶりの、頭痛……。

「見せてあげるから大丈夫だってばぁ。黙ってればいいんだから」
「ハ、ハスタ……やだ、私、頭痛くて……だから、たぶん思い出したくなんかなくって―――って、うわっ!?冷たッ!?」

頭は痛い。
そして、体が一気に冷たくなる。

ハスタが私の手を引いてウルドの泉に入ったからだ。
ばしゃばしゃと水を掻き分け、泉の中心部で立ち止まる。

「ちょっと、私もう水に浸かるのは勘弁……!」
「リトス」
「なっ……なに……?」
「お前も思い出せよ。俺だけ覚えてるなんて、不公平だろ?」

縋るような、滲むようなその表情に、私は息を止めてしまった。

だから、どうして、そんな人間らしい顔をするの。
あなたは、ハスタでしょ?ゲイボルグでしょう?
ただ殺しを楽しむ、狂っている殺人鬼でしょう?

「俺は後悔しているんだよ……?」

壊れものでも扱うように、ハスタは私の体を緩く覆った。
抱き締めてる、とは言いがたい。触れるか触れないかの微妙なところ。

腰から下は泉の水で冷たい。上半身だけは、不自然に温かい。

気まずくて、私は視線を下げた。

ゆらゆら揺れる水面の奥。
見覚えのある光の渦が巻いていた。




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