頬を軽く叩かれた。
「んんっ……」
聞き慣れた誰かの声が私を呼んでいた。
「おーい、アホ毛、起きろ」
「……誰が……、アホ毛ですかッ!」
私の頬を叩き、あろうことか「アホ毛」呼びにした人物に私は取ってかかる。
「おう、ようやく起きた」
スパーダははにかむように笑って、私を立ち上がらせた。
「スパーダ、これは……」
私は辺りを見渡した。
仲間たちはぐったりとその場に伏していたり、立ち眩みにでもあったかのように頭を押さえつけたりしている。
私の足元ではチトセさんが穏やかな寝息を立てているし、さらにその近くでは実に胡散臭いいびきをハスタがかいていた。
「……彼は、あれ起きているんですよね?」
「別に放っといていいだろ」
「いやいや、良くないですよ……」
私は先ほどスパーダが私にしたように、ハスタの頬を叩いた。
「……キスで起こしてはくれないんだ」
「私にそういうのを求めないでくれるとありがたいですね……。というか、キスで目覚めるのはお姫様でしょう」
普通は……だが。
ハスタは満足な起こされ方がされなかった為か、少し不機嫌そうに起き上がった。
それでもすぐに笑顔になるのだから、彼らしい。
「世界は……ひとつになった?」
目が覚めたイリアが景色を見回しながら言った。
「ああ、そうみたいだぜ。見てみろよ、外を」
スパーダが向こう側を指差した。
全員で創世力によってひとつになった世界を見つめた。
「―――」
美しかった。
……真に美しいものを見た時は、単純な言葉しか出てこないというのは本当だった。
「あの子が見る事が出来なかった……幸せな世界、ね」
何とも……滑稽な世界だ。
美しく其れ故愚かで、生命に溢れかえったこの世界は……。
「嘘みたいな世界だねぇ」
「……そうですね」
全てが幸せな世界なんて、嘘っぽい世界だ。
「でも、これが、これから私達が生きていく世界なんですよね」
頬の力が緩んだ。
らしくもなく、私は世界に対して愛おしいという感情を抱いているらしい。
「……………………ああッ!そうや、そうや!そうやってん!」
世界の美しい景色に全員が見惚れている中、唐突にエルが大きな叫び声を上げた。
「なによ、エル。いきなり……」
「ウチ、思い出した!天上界はな、消滅したわけやなかってん。地上とくっついてしもててん」
「はぁ!?」
衝撃的なエルの発言に、全員が目を丸くした。
驚いている私達にエルは遠い目をしながら語り出す。
「ヴリトラはな、アスラとイナンナが創世力を使うたあと、ぎょうさんの魂が地上に落ちるのを見てん。天上界を支えてた地上人の魂と天上人の魂が光になって地上に降り注いでてんなぁ。きっと、ひとつになろうとしてやろな。そのあと、天上界と地上が融け合うように重なって……でも、それが途中で終わってしもてん」
……それは、つまり……。
「アスラ様とイナンナ様の願いが同時に叶ってしまった……って事ですか?」
「アスラの『天と地をひとつに』。イナンナの『天地融合の拒絶』。このふたつが同時に叶うてしもたせいで、世界はムチャクチャになってしもうたんやろな」
天地が同時に存在する為に、地上にも関わらず転生者が存在した……。
レムレースの湿原にラティオの民の魂が縛られていたのも、それが原因だったんだろう。
「天と地が同時に存在するが故の不完全な世界……か」
「あ〜!じゃあ、結局あたしが……イナンナが余計なことしちゃったせいなの……世界があんな風になっちゃってたのは……」
「い、いや……不幸な世界が廻るよう施した私……テュケーにも、責任ありますから……イリアが気負う必要ないですよ」
前世の行いに悔いる私とイリアに笑いかけたのは、意外な人物だった。
あんなに前世に固執していた、ルカだった。
「前世のことを悔やんでも仕方ないよ。イナンナだって、そんなことを望んで天地の融合を拒絶したわけじゃないんだから」
ルカの笑顔と言葉に絆される。
まあ、確かに……彼の言う通りなんだ。
失くなった過去に対してとやかく言うのは、あまりにも無粋。
「そんなことより、見ろよ。ほら、お前らの願った世界だぜ。天と地がひとつになった世界……」
「うん……」
みんなは再び、変わった世界を見つめる。
みんなから少し離れながら、私はハスタを手招いた。
「……あの、ハスタ。ちょっとお願いがあるんですけど、いいですか?一生のお願いです」
「リトスちゃん人生まだまだこれからなのに、もう一生のお願い?」
「ええ、それほど大切な事です」
私は眠りが深い彼女の額を一度撫でた。
「彼女の事なんですけど……」
私の一生のお願いを聞いたハスタは実に嫌そうな顔をした。
嫌悪感をちっとも隠そうとしないのにいっそ清々しさを感じる。
しかしそれでも首を横に振らないのは……私の一生のお願いだからだろうか。
「……で、みんな、これからどうするか?」
「帰るのさ。俺たちの帰るべき、元の生活へ」
私がハスタに頼み事をしている間に、彼らは彼らで話を進めていた。
「じゃあ、まずはとりあえずレグヌムに帰りましょうよ。この旅が始まった場所。あたしとおたんこルカが初めて会った場所だから……ね?」
それに異論を唱える者は誰もいなかった。
「……それじゃあ、ハスタ。チトセさんはお願いしますね」
「……へいへい。俺はー……リトスちゃんのお帰りを待ってるよん」
帰りを待ってる―――まさか、ハスタからそんな言葉を聞こうとは。
苦笑はしなかった。
ただ、笑ってしまった。