▽ ただ胸が痛いだけだ・3
ようやく目に溜まっていた涙が、頬を伝ってボロボロと下に落ちていった。
溢れて溢れて、止まらない。
……私、泣いてるんだ。
ヤバいなぁ……なんか……止まらない……。
「うっ……あ、な、なんで……?」
拭っても拭っても溢れ出る涙に、私はとうとう拭くのすら止めた。
私は寄宿舎エリアの倉庫へと駆け込む。
隅っこの方に埋もれて、体育座りで俯いた。
「……」
薄暗い倉庫が、何故か、すごく落ち着いた。
こういう雑ってした場所、私は好きだ。
秘密基地みたいで……ひとり泣くのには、うってつけの場所。
「おい、流火!?ここか!?」
「うわ……」
乱暴に開いた扉に、決して穏やかじゃないし優しくない声。
ああ、大和田くんだとすぐにわかった。
追って来たんだなと思った。
なんで?
どうして?
……どうして私、嬉しいなんて思ってるの?
「ここに居んだろ?お前、自分の部屋より、暗くて陰気なとこ好きだもんな」
「そういうこと言うの、失礼だよっ……当たってる、けどさ……っ」
鼻をすすりながら、私は大量の物資の間から顔を出した。
私を見つけた大和田くんが安心したように肩を下ろす。
「どうした?泣いてんのかぁ?」
「べつにッ……!」
「何で隠すんだよ」
目の前。すぐ目の前にしゃがみ込まれた。
だけど私は俯いて、顔を上げる気なんてまるでなかった。
大和田くんは軽く私の頭を叩いて、私の名前を呼ぶが、それでも目の前の大和田くんを見ようなんて思わなかった。
「俺、なんかしたか?」
「…………」
「言わなきゃ、分かんねーよ」
たぶん、今、彼は笑ってる。
困ったように、笑っているんだろう。
声は、優しかった。
実際はどう思っているのか分からないけれど。
しょうがない子供って思ってる?それとも、面倒な子供と思ってる?
「ねぇ、」
「?」
「……不二咲さんと、私……どっちが……」
「……はっ?」
「あ、いや……なんでもない。なんでもないから気にしちゃダメ」
私嫉妬してました……なんて口が裂けたって言うもんか。死んだって言わない。よし、墓まで持っていこう。
大体こいつが不二咲さんに告白したら何だ?断られるに決まってるだろう。絶対「ごめんなさい」って大泣きされるに決まってる。今までの彼の戦歴を見てみろよ、私。10連敗だぞ、10連敗……。
「……」
あれ……私なに心配してたんだろ。
「そうだよ……君に彼女ができるとか、それって、明日世界が終わりますレベルの話じゃん……ありえないことじゃん……」
「……テメェ、涙引っ込めたと思ったら何だ?ケンカ売ってんのか!?」
嘘のように涙も乾いた。
涙の跡を乱暴に擦って、私は笑う。
「うん……どうせ告白したって玉砕するんだもん!大和田くんとっとと告白してフラれてきなよ!慰めてあげるから!」
「うるせぇし!つーかこ、告白って……誰にだよ!」
「え?不二咲さん。好きでしょ?ああいう子」
「流火、歯ぁ食いしばれ!!」
次の瞬間、私は頭に強い衝撃を感じた。
歯を食いしばれとか言ったくせに、歯を食いしばる暇すら与えず殴りやがったぞ、この不良……。
「いったいなぁ……」
別の意味での涙が出てきた。
「俺は……あの女のことなんとも思ってねーし、第一そんなこと考えてる暇でもねーだろうが」
「考えられる暇があれば好きとか思う?」
「……食いつくなぁ、お前」
「そんなことないけど」
「……あ。嫉妬してんのか?」
大和田くんを見上げると、彼は面白そうにニヤニヤしていた。
気持ち悪いと罵ってやろうかと思ったが、そんな余裕もなかった。
「バ……バカじゃないんですか!」
「図星かよ。顔真っ赤だぞ」
「ここが暑いんですー!バーカバーカ!君なんか嫌いだこのロクデナシ!」
その辺にあった物で大和田くんに殴りかかる。
まぁ、大和田くんに手首を掴まれたせいで殴るにはいたらなかったが。
「……っぶねーな、お前。そんな物で殴りかかろうとすんじゃねーよ」
そこで私は、自分が手に持った物を見てみた。
適当にとった物だったので何だろうと思えば、血の気がさーっと引いていくのが分かった。
私が手にとっていたのは、ガラスの置物だった。それなりの重量感を持ち、割れたら大怪我は必至だろう。
というか何で日用品が中心の倉庫にこんなものあるんだ。モノクマの仕業か、あのパンダの出来損ないみたいなヌイグルミめ。
「わっ……ごめん」
「いや、いいけどよ……気をつけろ」
「うん……」
大和田くんは、怒鳴らない。
怒鳴るのが癖なのに怒鳴らないなんておかしいなと思った。ついでに言えば、私は未遂とはいえ怒鳴られても当然のことをしたと思うのに。
「……はー……嫉妬してたのか、お前……」
小声で、大和田くんが楽しそうに呟いた。
「……」
そうか……機嫌がいいのか、今の大和田くんは。だから怒鳴らない。
「そうだよな。流火には俺が必要なんだからな?他の女に取られたらって気が気じゃねーよな、そうだよな!」
「……大和田くん、気持ち悪いよ、マジで……」
「照れんなよ」
「照れてないし、そのニヤケ顔やめなよ。本っ当に気持ち悪いから」
照れ隠しの貶しではない。
本気で緩んでいる大和田くんの顔が気持ち悪いのだ。
昔、犬の大群に囲まれた時のことを思い出した。
あの時の大和田くんも、締まりのないデレデレとした表情を浮かべちゃって……私は思いっきり引いていた記憶がある。
……私に対して向けられている感情だと思えば、悪い気分はしないが。
「で、流火。どうする?」
「どうするって?」
「メシだよ、メシ。まだ気持ち悪いとかあんのか?」
「ああ……」
どうしよう。
空腹感はあるが、体内に何かを入れたい気分ではなかった。
「……もう一眠りしようかな。お昼になったら、朝兼昼ご飯でも食べる」
「そっか」
「うん。部屋、行く」
「んじゃ、送ってく」
「すぐ近くだよ?」
「いいんだよ。……ほら」
大和田くんは立ち上がって、私に手を差し伸べてきた。
普通だったらここで手を取りながら、立ち上がるんだろうな……。
「……」
……そんなベタベタなシチュエーション、誰がするか。
「あー帰ろ帰ろ」
私は大和田くんの手を取ることなく、自分でどっこいしょなんて言ってわざとらしく立ち上がる。
大和田くんが露骨に傷付いた顔をしていて、私はほくそ笑んだ。
「お前……本当に可愛くないな」
「可愛いとでも思った?」
「昔は可愛かったはずだぞ」
「昔でしょ昔」
でも……やっぱりなんか可哀想だから、手だけは繋いであげようとか思った。
手を繋げば、大和田くんはホッとしたように安堵を浮かべる。
「……ごめんね、大和田くん。心配かけて」
「お前に心配かけられるのは馴れてるからな。これくらい何でもねーよ」
心配、ね。
その言葉、そのまま返してやりたいくらいだ。
私から言わせれば、大和田くんも十分私に心配をかけている。
大亜にぃが死んでから……いいや、それよりも以前から。
「あ、流火、起きたら俺呼べよ?部屋にいるから」
「うん。……でも、もしかしたら夜まで寝てるかもよ?」
「じゃあ……どうすっかな……。まぁ、とりあえず部屋か食堂にはいるわ」
「え、君に会わなきゃいけないのって絶対?」
「当たり前だろ」
……君、私に依存しすぎていない?
そう言いたくなって、やめた。
言ったってどうせ……「依存してるのは流火の方だろ」って冗談めいて、でもかなり本気で言い返すに決まってるから。
君の他者依存の精神が、私を心配にさせること。
私が君を頼らなければと強迫観念に駆られること。
君は、知ってるのかな?
……知る訳ないよね。
知ったって君は、自分のその『弱さ』なんて認めないんだろうから。
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