花火に消えた愛言葉



 それでも途中で帰る勇気は小心者の私にはもちろんなくて、重い足取りで一行の一番後ろをついて回った。「いい場所があるんだよ」と得意そうに笑った宇随さんが連れて来てくれた絶景の花火スポットは皮肉にも有名な縁結びの神社の近く。みんなで石段に並んで座っり、花火の開始を今か今かと心待ちにする。私が居たたまれなくて少し遠くに離れて座ると、なぜだか竈門くんが私の隣に腰かけた。チラリと視線を送ると、カナヲちゃんが傷ついたような表情をしているのが見える。いや違うのよカナヲちゃん。本当にこれはたまたまそうなっただけだから。
「もうすぐ始まりますかね。さっき上がってたのはテストだったんですかね」
 そわそわしながら竈門くんが私に話しかける。何で彼は私なんかに話しかけてくれるのだろう。義勇君やカナヲちゃんといた方が絶対楽しいだろうに。
「もう開始時刻は過ぎてるもんね。遅れてるのかな」
 腕時計を見て答える。竈門くんはまだそわそわしていた。よっぽど花火が楽しみなのだろう、と思っていたら竈門くんが思いついたように言った。
「そういえば金曜はOB訪問の際にお世話になり、ありがとうございました」
「ううん、私はお茶出しくらいしかしてないし」
「あのお茶、すごくおいしかったです。淹れ方にコツでもあるんですか?」
「ただのインスタントのお茶だよ……」
 私はようやく竈門くんが隣に座った理由を悟った。そうか、彼はうちの会社に入るために私のポイントを稼ごうとしているんだ。じゃなきゃ、こんなところに座る理由なんてない。
「竈門くんは、パン屋を継ぐんじゃないの?」
「俺ですか? 実はまだ、迷っていて」
「なんで?」
「父はどっちでもいいって言っているんです。他の兄弟でパン屋を継ぎたいって言っている子もいるから、譲っても、一緒に継いでも、どちらでもいいというか」
「そうなんだ」
 私は自分の思惑が少々外れたことを知る。もしもうちの社が第一志望なのだとしたら、ここで「絶対に就職したいです」という一言でも出てきそうなものだ。
 幸せそうに不確定な未来を語る彼に圧倒的な差を感じた。この年になったら、不確定な未来なんて怖いだけだ。誰かが決めてくれたらどんなに楽か、と思うこともたくさんある。結婚だってそうだ。誰かがいい人の一人や二人連れてきて、私の相手を決めてくれたらいいのに。
「いいよね、竈門くんには未来があって」
 努めて明るく言ったつもりだったけれど、心なしか声が震えてしまった。
「私なんて、もう何もないもん」
「何言ってるんですか、名前さん。名前さんだって、まだまだこれから」
「そういう気休めいらないから」
 何で私はこの子に八つ当たりしているんだろう、と思いながら、私は冷静に立ち上がった。
「ちょっと神社を一周してくるね」
 頭でも冷やすかと一人夜風にあたる。しかし、生ぬるい風が吹きつけるばかりで、ちっとも心が晴れなかった。
 神社を通り過ぎ、色とりどりの屋台を眺める。すれ違うのはカップルばかりで、心がより一層ささくれだった。もうこのまま帰ろうかな、と思いながらフラフラ歩いていると、不意に誰かに肩を叩かれた。
「もしかして、名前か?」
「……あなたは……!」
 今日は厄日だ、と思いながらも舐められたくなかった私はしっかりと相手を見返した。
「先日はどうも。奥様はお元気?」
「あ、ああ……悪かった。もう一度、ちゃんと謝らせてくれ」
 彼は既婚を隠して婚活に来ていたクソ野郎だった。まさかこんなところで遭遇することがあるなんて、思いもしなかった。
 こうなったら徹底的に謝ってもらおうと、屋台から外れて裏道に出る。人通りはまばらで、ここなら会話も気にならない。
「あの時は、本当に悪かった」
 クソ野郎は素直に頭を下げた。勢い込んでいた私は出鼻を挫かれ、怒りのやり場をなくしてしまう。
「俺、父親になるのが怖くてさ……だからちょっと、その前に息抜きがしたかったっつーか、現実逃避っつーか」
「お腹の子は、もう生まれたの?」
「ああ、女の子でさ。すごい可愛いんだ、これが」
「よかったじゃない」
 私の口を借りて別人が言葉を発したかのように、思ってもいない言葉が次々と溢れてくる。
「もう家族を悲しませちゃダメだよ」
「だよな。反省した! あぁでも、本当にもったいないことしたわ」
「何が?」
 和解の雰囲気を感じ取ったのか、男が口を滑らせる。
「お前、セックスはマジで最高だったからさ。本当はセフレとしてキープしておきたかったんだわ」
 世界から音が消えた。
 私の存在価値ってなんだろう。どうしてこんな最低な人間に妻子がいて、こんな奴が家族を作って、こんな奴が伴侶に恵まれて……私には誰もいないんだろう。どうして、誰も私を選んでくれないんだろう。私って、そんなに罪深い何かをしましたか?
 彼が苦笑する。手を合わせる。悪い、とその唇が形作る。私も曖昧に微笑んで機械的に手を上げ、不自然に揺らめかせる。立ち去るその背をぼんやりと見つめ、消えるまでずっと見ていた。何で私はここに立っているんだっけ。何で今日ここに来たんだっけ。何で今生きているんだっけ。
「名前さん!」
 私を現実に引き戻したのは、竈門くんの焦ったような声だった。
「大丈夫ですか? あの方、知り合いですか?」
「ちょっとね。……まだ花火、始まらないね」
 私は自分でも驚くくらいの低い声でそう言った。
「あの……なんか、酷いこと言われてましたよね」
 切り出しにくそうに竈門くんが訊ねた。私は無表情のまま逆質問をする。
「酷いことって、どんなこと?」
「いや、あの……」
「セフレとしてキープしておきたかったってやつ?」
「名前さん……」
 相変わらず人通りはまばらだった。いくつかのカップルが何事かを囁き合いながら通り過ぎる。いい見世物状態だ。
「私……あの人のこと、最初はそこまで好きなわけじゃなかったよ。だけど、知る度にこんないいところもあるんだ、とか、こんな表情するんだ、とか新しい発見があったの。だから、もっと好きになれそうだなって思って、だからいいかなって、ホテルに行ったの。それって、そんなに駄目なこと? そんなにおかしい?」
 竈門くんは明らかに戸惑った様子で私を見ていた。大学生にこんなに弱音を吐いて泣き喚いて、馬鹿みたいだ。年ばかり取って、気持ちだけは全然大人になれてない。
「別に、二人も三人も求めてないじゃない。たった一人が欲しいのに……何でそれが叶わないの……」
「……名前さんは、恋をしていたんですね」
「何言ってるの? 恋とか別にそんなんじゃないから」
「今回は残念な結果だったかもしれないですけど、立派な恋じゃないですか。それって素敵なことだと俺は思います」
「やめてよ。こんな年齢で恋とか、イタいだけでしょ」
「名前さんがいくつかは知らないですけど…… いくつになっても恋をしたっていいじゃないですか」
 綺麗事ばっかり並べないでよ。私は足元の小石を何度か踏みつけた。
「いいなぁ、名前さんは恋に落ちるような相手がいて」
 人の気も知らずに、竈門くんがしみじみと言う。今日ばかりは気持ちが晴れない。
「竈門くんだっているでしょ。周り、素敵な子ばっかりじゃん」
「えぇ? うーん……俺、全然モテないからピンとこないんですよね。恋はしてみたいと思いますけど。名前さんは、会社の人から大人気なんでしょう? 善逸から聞きました」
「そんなわけないからね。あの子、女性ならだれでも褒めるでしょ」
 竈門くんは微笑むと、私の頬にそっと手を伸ばした。
「もう涙は出ませんか?」
 年下のくせに。まだ大学生のくせに。社会人経験もないくせに。恋もろくに知らないくせに。なんでこんなに私を上手に扱ってしまうの。
「ねぇ、竈門くん」
「何ですか?」
「私と、恋をしてみる?」
 その瞬間、轟音と共に花火が打ちあがった。目を奪われるカラフル。夜空が次々と明滅する。赤く染まった彼の頬は、花火のせいなのかそれとも。



[prev] [Top] [next]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -