巡り合うまでの長い時間



 先月、誕生日を迎えた。世間でいうアラサーと呼ばれる年齢だ。
 私は洗面台の鏡に映る自分の顔を目を凝らして見つめた。目尻の笑い皺が増えた気がする。ほうれい線も以前よりくっきりと見えているのは気のせいではないだろう。
 頬骨の上にはよくよく目を凝らせば小さいしみが散らばっている。今の時代は手軽なレーザー治療もあるし、化粧を施せば簡単に隠せる程度ではあるが、若い同僚や部下と比べると明らかに違う肌質に最近は気落ちすることが増えた。
 友人や会社の同僚の結婚と出産をこの数年でどれだけ祝福してきたことだろう。都内でOLをしながら慎ましく暮らす私は完全にご祝儀貧乏というやつだ。
 次は自分の番と期待に胸を膨らませもう数年が過ぎてしまった。先日、「女は30歳を過ぎたら一気に需要が下がる」という心無いネット記事を読んでしまったばかりの私の焦りは現在ピークに達している。結婚どころか彼氏もいない私に、果たして幸せな未来は訪れるのだろうか。
 そうかと言って、童話のお姫様のようにお城で首を長くして待つばかりでは王子が来てくれないことも経験済みだ。出会いは自分で掴みに行くしかない。この世界の人口の半分は男であり、最近ではマッチングアプリの偏見も減りむしろ主流になってきている。
 出会いは街中に溢れているのだから、自分の運命の人に出会うため就業後の婚活パーティーに備えてオフィスのトイレの洗面台で、小さなしみをつぶしていくように念入りにファンデーションを塗りなおす。
「名前さん、今日は気合はいってますね!」
 私の隣で同じように化粧直しをする蜜璃ちゃんが楽しそうに声をかけてくる。張りのあるマシュマロのような透き通った白い肌は間違いなく20代の特権であり、思わず羨望の視線を向ける。同じ化粧直しでもかかる時間の圧倒的な差は明白だ。
「まあね。今日はアラサー限定の婚活パーティーだから。前回はあまり気にしないで行ったら、男が集まるのは若い子ばっかり!お陰で一人寂しく帰ってきたよ」
「そんな…。名前さんの魅力に気が付かない男性なんて、その程度の人ですよ」
 蜜璃ちゃんが少しむっとした様子でフォローしてくれたことに安堵する。そうはいっても、仮に私が男性側で自分と蜜璃ちゃんを天秤にかけるとしたら、間違いなく彼女をとるだろう。若くて、可愛くて、優しくて、おっぱいも大きいときたら、他に何を望むのか。
 神様は不公平だと、蜜璃ちゃんのようなパーフェクトな女性を見るとつくづく思う。そんな不平を自分の親に溢そうものなら、五体満足の幸せを持ち出され論破されてしまう。勿論何不自由ない身体で生んでくれた両親には感謝している。だが、それとこれとは少し話が違うと思う。
「あ、伊黒さんからメールです。もう外で待ってるみたいなので、私そろそろ行きますね」
 手早く化粧直しを済ませてしまった蜜璃ちゃんは、ポーチをしまう代わりにバックからスマートフォン取り出して、嬉しそうな声を漏らす。
「相変わらずラブラブだね〜。伊黒さんにも宜しく伝えてね」
 勿論ですと陽だまりのような笑顔を残して、蜜璃ちゃんは楽しそうに女子トイレを後にする。
 伊黒さんは蜜璃ちゃんの彼氏で、化学教師として教鞭をとっている。蜜璃ちゃんの繋がりで何度か会ったことがあるが、まぁ彼女以外には愛想がない男性だった。でも蜜璃ちゃんへの愛情は十分に感じられたので良しとした。順風満々な彼女達を微笑ましく思うと同時にやはり羨ましいという意地汚い気持ちは拭いきれない。
 ふと社会人3年目の冬のボーナスで奮発して購入したお気に入りの腕時計に目を移すと、長い針はパーティー開始30分前を指している。会場まではオフィスの最寄駅から20分はかかってしまうので、呑気に化粧直しをしている時間はない。
 私は先日デパ地下で購入したばかりの珊瑚色のリップを唇にひき、フレグランスを手首に散らすと、7cmのヒールをかつかつと鳴らして駅までの道を急いだ。

 結果としてこの日の婚活パーティーは最悪の結末に終わった。
 会場で出会った自分よりも少し年上の大手建設会社に勤める男性と盛り上がった私は、顔や体格がタイプだったことは元より、収入面の魅力にもひかれ、交際を迫られ二つ返事でOKした。
 中々順調な滑り出しで、身体の関係を持った2週間後に奥さんと思われる人物から仕事中に連絡が入り、私が旦那を寝取ったということでその関係には呆気なく終止符が打たれた。
 そもそも婚活パーティーには既婚者は申し込めない仕組みではないのか。純粋な出会いを期待した私は完全に悪役となってしまった。いや、大して好きでもない男性の告白を鵜呑みにして有頂天になっていた私にも非があったのかもしれない。
 歳を重ねるにつれ「好き」という胸が締め付けられるような切なく苦しい気持ちを感じることは殆どなくなってしまった。そんな自分の気持ちよりも、「将来性」「年収」「肩書」を重視するようになってしまった私には、純粋に人を好きになる資格なんてないのかもしれない。
 このような形で度重なる苦い私の男性経験を、いつも興味なさそうに聞いてくれるのが幼馴染の冨岡義勇君だ。
 無口な彼だが実はメガバンクに勤めるやり手バンカーで、端正な顔立ちも相まって女性社員からの人気が絶えないのではないかと私は勝手に想像していた。
 だが言葉少なな所があるので女性から誤解を招いてしまうことも多いようで、彼の浮いた話はあまり聞くことがなかった。
 そして私は今日も例にもれず、オフィスビル街に店を構える定番となった少し小洒落た和食料理屋のカウンターに腰を掛け、義勇君の大好きな鮭大根をつつきながら先日の話をぐちぐちと語り始めるのだ。
「それでね、仕事中に電話がかかってきてね、その男が『もう会わないって約束してくれ』ってまるでこっちが悪者みたいに言うんだよ!?酷くない」
「…そうか」
「来週末の花火大会も一緒に行こうって話してたのに、もう予定もめちゃくちゃだよ」
「…そうか」
「あ、あとね、信じられないことに、どうやら奥さんのお腹には子供がいたみたいなの。最低の男。私も知らなかったとはいえ、結果的に奥さんに申し訳ないことしちゃったな。訴えられたりしなくて本当によかったよ」
「…お前、またしたのか?」
 義勇君が心底呆れたというように侮蔑を浮かべた双眼で私を見る。悔しいけれども反論できない。「いいでしょ、もういい大人なんだから」と手元のサワーをぐびりと喉に流し込んで誤魔化すが、直ぐに体を許してしまう自分に嫌悪を感じているのは間違いない。だがこの年になると本当に人肌が恋しくなる時があるのだ。時折感じる心にぽっかりと穴の空いたような寂しさはどうしても自分では埋めることが出来ない。
「もっと自分を大切にしろ」
 義勇君が美味しそうな湯気をたてる半透明の煮大根を、自身の箸で丁寧に割りながら、不愛想に呟いた。20年以上の付き合いがある私は彼のこの淡々とした棒読みの台詞の様な口調に愛があることを知っている。
「うん。いつもごめんね義勇君」
 今度は美しい碧眼をこちらに向けて、がっくりと項垂れる私の肩を義勇君がぽんぽんと優しく叩いてくれるものだから、昔から変わらない淡白な優しさに目頭が灯をともしたように熱くなる。
「それで、花火大会はどうするんだ?」
「え…」
「行かなくていいのか」
「一緒に、行ってくれるの」
 しょうがないなというように口元に小さな笑みを湛えて頷くと、義勇君は再び鮭大根に視線を戻して言葉を続けた。
「…丁度大学時代の後輩たちと約束をしていた。一緒にくるか?」
 なんだそういうことねという言葉を無理やり引っ込めるが、相変わらず言葉が少ないなと恨めしい気持ちが沸き上がる。一瞬どきりとした胸のときめきを返して欲しい。
「え…でも、大学生に交じっていくのは…どうなんだろう。ノリとか、ついていけないかもしれないし。そもそも義勇君がその中にいるのが想像出来ないんだけど」
「気にするな。そんなに悪い奴らじゃない」
「そお〜?」
 折角彼が誘ってくれているのだから、今回はその好意に甘えておこう。義勇君なりに元気づけてくれているのだ。
 そうそう、あるTVドラマで見たことがある。恋愛において、最初から可能性を否定してしまうことは一番あってはならないことらしい。
 ふとその教訓を思い出すが、それでもあれはあくまでの作り話のドラマの中のことであったと苦笑して、私は3杯目のレモンサワーを注文した。




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