09/24 ( 18:37 )

おやすみベアカモマイル

「やっぱり小柄な女の子にでっかいぬいぐるみは、正義だよねぇ」
 十二月二十八日。閉店後のシモン内でそううっとりと呟くカレンを、みよと雪隆は胡散臭いものを見るような
目で眺めていた。はば学のクリスマスパーティプレゼント交換に、彼はでかいぬいぐるみの引換券を出品したの
だ。勿論受け取り場所はシモンを指定し正体はばれないようにしてあった。
 自宅で忘年会をしようと二人を呼んでおきながら、うっとりするばかりで閉店業務をしないカレンを雪隆が軽
くはたく。
「野郎が引き当てたらどうするつもりだったんだ」
「いいのいいの、結局はカワイイ子に当たったんだから気にしない!」
 お洒落な雑貨屋の現役高校生店長、しかもイケメンのスポーツマンと気味の悪いくらいに条件の揃ったカレン
の唯一とも言ってていい欠点がコレだ。可愛いものが大好きで、過剰にでれでれくねくねとしてしまうのだ。
「いやそれにしても、あれはいい娘に当たったものだ。きっと大事にされるだろう」
 目を伏せて満足げにそういうみよも、うさんくさいなと雪隆は訝る。無関心な時は酷く冷たいくせに、興味を
引いたものには裏から表から手を出すのだ。
「まあな」
 確かに、先程引き換え券を持ってきた大人しそうな女子は、ぬいぐるみを見てにこーっと心から嬉しそうに笑
った。そしてその横で穏やかに笑っていた眼鏡の彼氏もそんな女の子を大事そうに見つめていたのだ。配送料は
タダにしとくからと言うカレンの申し出をやんわり断り、車を回してきた彼氏がぬいぐるみと女の子を乗せてい
く光景は、実に幸福なものだった。
「それにしても高かったんじゃないか」
「あれ、クリスマスディスプレイ用の非売品なんだよ。商品はもっと小さいよ」
 カレンが指差す先には、安眠のお供におやすみベアと書かれたコーナーがあった。大柄で強面の雪隆は、あま
りこういった雑貨屋に入る機会がないので、何となくそのくまが山積みになったコーナーに足を向ける。
「リバティ柄コットンリネンの肌触りとアロマオイルがあなたを安眠に誘います…?」
 ただのくまかと思えばそうでもないらしい。花のようなにおいがするそれを掴んでまじまじと観察する雪隆に、
みよが補足の説明をする。
「花柄綿生地製の匂いつき抱き人形、とでも言えば分かるか?」
「みよがそう言うと呪いの人形みたいだからやめて」
 がっくりするカレンも売り場にやってきて、ついでに売り上げを目算し始める。
「結構売れてるなー、クリスマス終ったけどもうチョイ積んどくか」
「これ、俺も一つ貰う。いくらだ」
 Mサイズの片腕に納まる大きさのくまを差し出す雪隆に、カレンはともかくみよもぎょっとする。
「もう少し考えて買い物したら…」
「売れてるんだろ」
 無造作にレジにくまを置いてジーンズの尻ポケットから財布をだす彼に、まあ待てまあ待てと友人二人は宥め
るように背を叩いた。
「これほら、花柄以外もあるんだって」
「匂いも数種類あるから、僕が選んでやる」
 どうせ雪隆がくまを贈る相手など、一人しか居ない。あのひとは、いまレジの上で所在無さげにしている淡い
ピンクのくまさんと言うイメージではないだろう。
「…頼む」
 くまの微細な違いなどよく分からない雪隆は素直に頭を下げ、早速女子のように盛り上がる友人らに苦笑する。
 クリスマスにはちゃんとプレゼントを贈ったが、先程の女生徒の幸福そうな顔が目に焼きついたのだ。これが
衝動買いというものか、とふうとため息を吐く。
「そういやバンビさ、クリスマスは何あげたの?」
「手袋」
 性格か職業のせいか毛糸のミトンとスポーツ手袋しか持っていない彼女に、灰色の上品な手袋を贈ったのだ。
手首に黒い毛皮と銀の細い鎖飾りのついた細身のそれは、彼女の存外ちいさく女性的な手に良く似合った。勿論
日常で使えるように、掌にはスエードの滑り止めがついている。
 オーバーサイズのパンツスーツにダウンジャケットという通勤スタイルにそれは良く馴染んだらしく、登校中
の女子生徒に褒められたぞと嬉しい言葉を貰った。
「この子この子、どっちが良い?」
 ふと呼ばれ、意識を浮上させる。目の前に置かれたのは真っ黒でつやのある生地のくまと、僅かに起毛した深
いグレーのくまだった。瞳はどちらも金色で、まっすぐに雪隆を見つめている。
「これ、あの山になかっただろ。在庫出してきたのか」
「あ、ばれた?」
 最初からこの二つがあれば手に取っていたのに、と文句を言うとカレンは静かに笑った。
「これはトクベツな奴だからね、さあどっちにする?」
 目を閉じて、大迫があのくまを抱いている所を思い浮かべる。ガラじゃないと照れながら、でもきっと大事に
してくれるだろう。そういう商品だから、一緒に眠ったりもするかもしれない。
「黒い方を」
「はい毎度あり」
 恭しく黒いくまを布でくるみ始めるカレンと入れ代わりに、みよが小瓶を持って雪隆の前に立つ。
「香りつきおやすみくまだからね?」
 彼が瓶を開けると、りんごのような甘すぎずみずみずしい香りが鼻先に漂う。
「悪いな」
「そう思うなら、今からの酒代バンビ持ちな」
「じゃあ僕は日本酒をお願いしようか」
 ニタリと笑みを浮かべる頼もしい友人らに、今日ばかりは奢ってやってもいいかと青年は財布の中身を確認し
た。

おまけ

大晦日

「うわぁ!かわいいなこれ、しかもいい匂いがするぞ!」
 カレンの言っていた意味を身をもって知ることになり、雪隆はにやけそうになる顔を必死で抑えた。くんくん
とくまを抱えて匂いをかぐ彼女はとても愛らしい。いままでぬいぐるみの存在価値など分からなかったが、大迫
の凶器レベルのかわいらしさに十分すぎるほどの価値を思い知った。
「おやすみくまだそうだ。安眠できるらしいぞ」
「こ、この歳になってぬいぐるみと添い寝かあ…、ちょっと恥ずかしいな!」
 そう照れながらもくまを抱き締めたまま離さない彼女に、ああ買ってよかったなと満足する。三年生の担任だ
から、年末年始三学期は忙しいはずだ。すこしでもリラックスできればと、ガラにも無い事を思ってしまう。
「真っ黒だから、ヒグマっぽいよなぁ!強そうな名前にするか!」
「名前…?」
 きょとんと返事をする雪隆に、熊を抱いたままコタツに入った大迫の顔が真っ赤になる。
「…あ、あの…な」
「クッ…」
「わ、わらうなぁーーー!!!」
 くつくつと笑う青年に、クッションでぼすぼす殴りかかる。素の自分を見せるのがこんなに恥ずかしいなんて、
と涙が出そうになる。
「センセー、ほら、危ないぞ」
「わ、ぁ」
 くん、とコタツの電気線に引っかかりそうになりひょいと彼に抱き上げられる。
「熊、名前決まったら教えてくれよ」
「うぅ…、意地が悪い奴には教えん!」

もういっこおまけ

「よかったね」
「はい!あ、こどもっぽい…ですよね」
「いや、そんなことないよ」
 にこにこと助手席に座る雪子は、非常に上機嫌だ。クリスマスパーティには行かず玉緒とクリスマスを過ごし
てくれた彼女には、びっくりするようなサプライズが待っていたのだ。
 雪子のように出席申請をしていたのに来なかった生徒が複数いたせいで、プレゼントの配分が上手くいかなか
ったらしい。その余り分を、生徒会役員の雪子は貰ったのだが。
「遠慮して一番小さい箱を貰ったんですが…シモンの引換券が入ってるなんて」
「良く考え付くなぁ…」
 ちらりとバックミラーを見ると、おおきなラッピングがでんと後部座席に座っている。姉の部屋にもいくつか
ぬいぐるみはあるが、あれほどおおきなものはめずらしいのではないかとふと思う。
「今年は先輩からも…ふふ、もらいましたし、しあわせすぎてどうしよう…」
 頬を赤くして溶ける様に笑う彼女の首筋を彩るのは、紺野が悩んで悩んで設楽に小ばかにされつつ選んだネッ
クレスだ。リボンと木彫りの鳥、金の鎖とレースで編まれたそれは実に愛らしく、またお人形さんのような雪子
に良く似合った。
「お家の前に、車つけても大丈夫だよね」
「はい、…すみませんわざわざ」
 公園通りから海岸の方へ抜け、しばらく走る。冬の海は暗く、遠くイルミネートされた海岸公園が良く見えた。
オレンジ色の街灯がまだらに車内を染め、運転をする玉緒の横顔をフラッシュのように描き出す。運転をする男
の人は格好良く見える。だからドライブはデートにうってつけなのだ、それはもっともだと雪子は思う。
「あの、ことしも、もう直ぐ終りますね」
「…そうだね」
 ドキドキする胸を誤魔化すように口を開く。
「こ、今年も、あの、私と一緒に居てくださって、ありがとうございます」
「え?」
 本音がするりと口からでる。彼は、はば学を卒業して大学に進んで、たくさんたくさんあたらしいことやあた
らしいひとと出会ったのに、雪子が一番好きだと言ってくれる。それがどれほどに嬉しい事なのか、上手く伝え
ることが出来ない。
「すごく、すごく…」
 言葉にしようとすると、ぎゅうと胸に詰まる。すきで、しあわせで、それが伝えられなくて、涙が出てくる。
「…うん」
 いつの間にか車は路肩に止まっていて、優しい顔で玉緒がこちらを向いている。かちんとシートベルトを外し
て、勇気を出して身を乗り出しぎゅっと抱きついてみる。何時も泣いてばかりではだめだ、頑張って、伝えない
と。そう決意してごしごしと顔を拭う。
「…だいすき」
「―よく、できました」
 よしよしと頭をなでられ、我慢していた涙がやっぱりぽろぽろこぼれる。こうやって気持ちを伝えるだけでい
っぱいいっぱいな自分の幼さが嫌になる。もっといっぱい好きだと伝えたいのに、どうしようもない。
「すき…、たまおさん…すき」
「フフッ、どうしたの」
 子供のようにぐすぐす言いながら抱きついてくる彼女が可愛くて仕方がない。見上げてくる赤い目が、きらき
らと通り過ぎる車のヘッドライトを反射している。ふつふつと湧いてくる尽きない愛しさに、ほろっと青年の唇
から言葉が漏れる。
「あいしてる」
「―っ!ぅ…―!」
 好きでは足りないから、愛していると告げる。よくは説明できないけれど、その言葉の方がふさわしいと思え
た。自分でも、その言葉が口から出たことに驚く。
「う、ぅえ、うぇぇ…、ひっく、うぇぇ…」
「うんうん」
 色々閾値を越えたのか声を上げて泣き始めた彼女を抱き締めたまま、玉緒も満ち足りた気持ちでシートに背を
預けた。




09/20 ( 17:21 )

おやすみベアさくらのかおり

 勉強を教えるという名目で訪れた雪子の部屋。シンプルだが可愛らしい部屋にそぐわないおおきなテディベア
が、何故かベッドにでんと置かれていることに紺野は気が付いた。
 まさかとは思うが、彼女はあれと一緒に眠っているのだろうか。もしそうならば、絶句するほどに可愛いと悶々
とする。
「先輩?」
「あ、ああごめん」
 つい、と机から顔を上げた少女は紺野の視線を辿った。青年はさっと目をそらしたものの、狭い部屋だ。視線
の方向には限られたものしかない。
「なにか…、―っ!」
 ベッドを見られていた事に気付き、雪子が真っ赤になる。べき、とシャープペンシルの芯を折り、おろおろを
持て余してぎゅっと目を瞑って縮こまってしまった。そのあまりのうろたえぶりに、紺野も慌てて弁明する。
「いや、あのね、違うんだ。熊が…」
「くま…?」
 そっと見上げてくる彼女を撫でてやりながら、目線で熊のぬいぐるみを指し示す。すると、きっと軽い音をさ
せて椅子から立ち上がった雪子は、とてとてとベッドへと向かい熊を抱き上げまたこちらへと戻ってきた。
 やはりそれは大きく、小柄な彼女が抱えると上半身殆どが隠れてしまう。
「友達から誕生日にもらったんです、イイ匂いがしてよく眠れるよって」
「へえ」
 そういって彼女は熊のお腹に鼻先を埋めてくんくんと匂いをかぎ、恥ずかしそうに笑った。
「でも大分使っちゃったから、もうただのくまさんですね」
「そうかい?」
「もうあんまりいい匂いしないです」
 そして、はいとぬいぐるみを紺野に手渡してくる。なんでもない行動なのだろうが、彼女の愛用品に顔を埋め
るというのはどうも破廉恥すぎる気がして紺野は赤くなってしまう。しかし純粋に見上げてくる彼女の手前、軽
く抱き上げて臭いをかぐと、案の定ふわりと雪子の匂いがしてたまらない気持ちになる。
「最初はハーブっぽい匂いがしたんですけど…」
「そ、そうだね、もう…」
 ひきつった笑いを浮かべ、しかし一抹の名残惜しさを押し込めてぬいぐるみを雪子に返す。きゅっとまたくま
を抱きなおした彼女は、ふと思いついたように紺野に手を伸ばしてくる。
 ごく、稀に。デートの帰りに手を繋いで帰っていると、つんつんと彼女が触れてくることがある。それと同じ
調子でそっと眼鏡に触れられ、紺野は頬に血が上るのを感じる。
「ど、どうしたの」
「眼鏡、貸してもらえますか?」
 そしてもっとも性質が悪いのは、こうやってかるく触れてくるときの彼女は全くやましい気持ちがないという
ことなのだ。自分がけっこうなむっつりである、と紺野が自覚したのも無邪気に触れてくる指先のせいだった。
 これ以上良い様にされてはたまらないと眼鏡を外し、ぼんやりとした世界の中彼女にそれを手渡す。殆ど何を
しているのか見えないが、どうやらくまに眼鏡を掛けさせているらしい。
「ふふ、先輩だ」
「―っ」
 妙な恥ずかしさと、少しの嫉妬がぶわりと青年の体温を上げた。顔を覆った紺野が机に肘を突くと、雪子は慌
てて眼鏡を差し出してくる。
「ごめんなさい、あの…えと…」
「いや、いいんだ」
 何か機嫌を損ねてしまったかとおどおどと見上げると、目を眇めた紺野は顔を赤くしたまま微笑んでくれる。
先輩イコール眼鏡と言う位にあの黒フレーム眼鏡はトレードマークとなっているから、裸眼の紺野はまだまだ見
慣れなくて雪子もぽーっとしてしまう。
 普段から何でこんなにかっこいい人が私なんかを、とは思っているが眼鏡を外すとその気持ちがさらに増す。
琉夏みたいな派手な美形とも琥一のような男前とも違う、なんというか整った顔なのだ。童顔でくちゃっとした
自分とは、不釣合いだと思う。
「あ、あれ。どうしたの?」
 眼鏡を掛けなおしたいつもの先輩は、しゅんとしてしまった雪子を気遣ってくれる。なんでもないです…、と
小さく呟いてくまに抱きつくと、ひょいと抱き上げられて驚いてしまう。
「なんでもなく、ないだろう」
「えぅ…」
 くまごとぎゅうと抱き締められると、どっどっどっと雪子の心臓が早鐘を打ち始める。顔を上げることが出来
なくてくまに顔を埋めると、さわさわと首筋をくすぐられて驚いてしまう。
「ひゃぁ!」
「こっち向いて、ね?」
 さっきつつかれた事の仕返しのつもりだろうか、にこりと笑った紺野は雪子の頬にふにふにと指で触れてくる。
「やー…」
 真っ赤になってふるふる頭を振る雪子の隙を突いて、くまをそっと彼女が座っていた椅子の上に除ける。ぬい
ぐるみに嫉妬したなんて恥ずかしくていえないから、さてどうやって誤魔化すかなとよいしょと小さな体を抱え
なおした。



09/15 ( 11:54 )

告知

期間限定BBSのほうに幾つか文章をアップしてますー。



09/05 ( 12:16 )

違う名前で!

琉夏

「桜井くん!」
「…はい」
 バイト先ではさすがに名前で呼ぶのはまずいと、三年たった今でも沙雪は琉夏を苗字で呼ぶ。アンネリーでは
琥一が居ないから特に困る事はない、が。
「ホントやだ、苗字で呼ばれんの」
「仕方ないじゃない」
 呼ぶ度に機嫌が悪くなるのはどうにかならないかと思う。
「別に何時もどおり呼んでもいいんじゃないか」
「駄目です、真咲さんだって彼女さんから名前で呼ばれなかったでしょ?」
 偶に遊びに来るアンネリーOBの真咲はそう言うが、気持ちの切り替えというものは必要なのだ。

琥一

 桜井の家に招かれてかにをご馳走になる沙雪は、すでに父母と打ち解けてしまっている。幼い頃よく遊んでい
たからか、娘のように可愛がられている姿は実に微笑ましい。
 わいわい話す三人を尻目にもくもくとかにの足をほじる琥一は先程から漏れ聞こえる『琥一君』という言葉に
背筋が寒くなっていた。
 いつもはコウくんコウくん呼ぶくせに、と軽く隣に座る少女の腰をはたく。
「いったぁい!なにするの」
「ンでもねェーよ」



 昼休みの屋上。
 偶然居合わせた新名と嵐を巻き込んで、深雪とカレン円陣バレーをする事にした。
「じゃあ、バンビいくよー」
「はーい!」
 ぼんと心地よい音を立ててボールが跳ねる。
「ニーナ!」
「はいよ、花椿さん!」
「アタシ?もう、バンビ!」
「はい、嵐君」
 弧を描いた球は嵐の元へ飛んでいく。
「ん、返すぞバンビ」
「え?あ?…きゃ!」
 いたずらにそのあだ名を呼ばれ、動揺した深雪は顔面でボールを受けてしまう。
「わ、わりぃ!」
「何してるんスか、深雪さん!」
 顔を抑えてふらふらしている深雪に、傍観していたみよがタオルを差し出す。
「ほへんらはい…」
「ああんバンビぃ!だいじょぶ!」

 新名

「うんそうだ。悪い、頼むな雪音」
 嵐が雪音と通話をするのを聞いて、新名は決心した。
 ぎゅっと手を繋いで二人で歩くその日の帰り道、ドキドキしながらその決心を切り出す。
「呼び捨てにしてもイイ?」
「構わないけど、急にどうしたの?」
 怪訝そうに笑われ、ぐっと詰まる。嵐が羨ましかったなんて事は言えない。
「練習練習、雪音」
「なに?」
「雪音…」
「ん?」
「雪音…ちゃん」
「もう、一人で赤くなってどうするのよ」
 意外な所でシャイな年下の恋人に、少女はくすくす笑う。

紺野

 一流大のオープンキャンパスに来た雪子は、鼻息荒く紺野の腕をぎゅっと握った。
「今度はまけません!先輩の事だって名前で呼んじゃいます!いいですか!」
「…?いいよ?」
「はい、玉緒さん!」
 今度は大学生なんかに負けないもん私も先輩が好きだもん、と春の失態を繰り返すまいとキッと顔を上げた。

設楽
「聖司先輩って、携帯のアドレスフルネーム派なんですね」
 ぴこぴこと器用に設楽の携帯を操る小雪は、何気ない風にそう聞いてくる。
「普通そうじゃないのか?」
「私はあだ名ですよー」
 目の前にかざされた彼女の携帯の液晶には『toせーじせんぱい』とあった。その表記が妙に親しげで気恥ずか
しい。

藍沢

「店員さん」
「はぁい」
 大学の夏休み、相変らずアナスタシアでアルバイトをする雪代の前には藍沢が立っている。
「これと、これを」
「畏まりました。ふふっ」
 ままごとじみたやり取りに、お互い笑いがこぼれる。
「…あとひとつ、君が好きなものを」
 そう小声で囁かれ、さくらはチョコケーキを追加した。

平みよ

「宇賀神さん、彼氏が来たよー」
 バイト仲間がニヤニヤとそう呼ぶのが恥ずかしくて仕方が無く、ヘルメットを抱えてへらりと笑う平を思い切
り引っかいてやりたいと思った。
「何しに来たの」
「ケーキ買いに来たんだよ、店員さんのおすすめ、下さい」
 プロ級の接客を誇るみよが、彼相手にだけ見せるそのつっけんどんさに同僚達は悶えた。

太陽

「太陽ったら寝言で先輩って言うのよ?」
「あはは、仕方ないんじゃない?わたしも偶にマネって呼ばれるわ」
 プロニ年目にしてエース級の春日太陽の恋人と、柔道世界一の不二山嵐の妻は、実にほのぼのとした会話をは
ばたき駅前スーパーの野菜売り場で繰り広げている。
「懐かしかったから許しちゃったけど」
「そうね、…もう結構前なのにね」

大迫

 青色のリキュールを氷で薄めながら、大迫は昨日の事を反芻していた。初めてちからさんと呼んだ少女の声が
耳の奥でこだましている。
「名前呼ばれるのって、破壊力あるよなー」
「確かに」
 横でマスターと何やら話しこんでいた氷室はその大迫の独り言を聞きつけ、薄く笑った。
「未だに慣れん」
「俺も、そうなりそうです」



08/20 ( 22:30 )

桜井兄弟とパイ枕


桜井兄弟とパイ枕

琉夏

 アンネリーのシフトを増やし、短期アルバイトもこなす琉夏の夏休みは酷く忙しい。それに全ての働き先でへ
とへとになるまで働くから、ここ最近は珍しくエッチな事をする気力も無いようだった。
 しかし、そこは琉夏だ。
「さくらぁー…」
「寝るの?…するの?」
 微塵も体力が残ってないくせにぐずぐずと触れてくる彼を、さくらは苦笑いしながら撫でる。夜から朝まで働
いて今から少し眠り、昼からはさくらと共にアンネリーへと出かけるのだ。
 自室のベッドの上で横になった琉夏は、笑ったまま髪に触れる少女の手を引いてベッドへと誘った。
「…もう!」
 少し怒ったような声を上げた彼女は、しかし素直に横になってくれる。今日は暑いからか、胸元の開いたキャ
ミソール型の服を着ているな、と思った時にはもうそのやわらかな乳に顔を埋めていた。
「やーらかい…」
「ひっ!きゃ、琉夏くん!」
 僅かな汗のにおいと、彼女が最近使っている制汗剤の甘い香りが鼻腔をくすぐる。頬と顎に触れるやわらかな
感触は、もう既に限界に近かった琉夏の意識を睡眠の闇に引きずり込んだ。
 さて、困ったのはさくらである。自分よりひと回り以上おおきな彼に胸枕した状態というのは、結構辛いものだ。
「どうしよ」
 変な体勢だから、筋肉痛になってしまうかもしれない。立ったりかがんだりの多いアンネリーでの仕事は、筋
肉痛だととてもしんどいのにと危惧してしまう。
 しかし子供のようにしがみ付き、すうすうと寝息を立てる琉夏を起す気にはなれない。
「しょうがないなあ…」
 携帯電話のアラーム設定を確認してどうにかこうにか収まる姿勢を見つけ、さくらも目を閉じる事にした。
 早朝の潮風がカーテンを揺らし、遠い蝉の鳴き声を運んでくる。ビーチからは浮かれた人たちがはしゃぐ声も
聞こえ、穏やかな波の音に混じっては消えていった。


琥一

 家から近いから、と琥一は海の家で短期アルバイトを始めた。もともと、ウエストビーチ近くのサーフショッ
プオーナーが道楽で出す店だ、気兼ねなど無く店内のBGMも勝手に琥一がセレクトしていた。
 そんな居心地のいいバイト先に、さくらはよく顔を出した。もともとがアクティブで遊ぶのが大好きなクチだ
から、海の家は絶好の居場所となったのだろう。ただいくら儲けを気にしていないとはいえ、海の家は忙しいも
のだ。毎日居座るさくらも自然と店を手伝うようになり、ついにはオーナーから「いっそ働けば?」と勧告され
てしまったのだった。
 もともとが頻繁に遊びに来ているさくらにとって、その申し出を断る理由はなかった。
「いいんですか?いまのまんまでも私は別に…」
「いいよ。ただし、条件がある。働く時は水着でね?」
 一瞬びっくりしたものの、琥一が親指で指す先の隣の店では、キャミソールに短パンのお姉さんが働いていた。
「わかりましたー!」
「オイ、オマエ!いいのかよ」
 思いとどまらせようとしたのが全く効かず、慌てて琥一が割って入るもオーナーはケタケタ笑ってさくらの頭
を撫でた。
「よし、いいこいいこ」
 その仕草がまるっきり子供相手のもので、琥一はこの後にあるであろう一連の面倒に眉間をもんだ。
 あどけない顔と小さな体、元気一杯やんちゃな仕草。どれをもっても歳より大分幼く見える彼女なのに、なぜ
乳だけはご立派に育ってしまったのか。普段は、だぼっとした動きやすい服装をしているので分かりづらいが、
いざ露出の多い服装をするとそのロリ巨乳とも言える容姿は凶器に近いものがあった。
 真っ赤なビキニにジーンズのショートパンツ、そして琥一とお揃いのエプロンといった格好でオーダーを取り
料理を運ぶさくらの胸は弾んで、ばっちり男性客の視線を集めている。
 さくらの勤務初日から、琥一の不機嫌オーラをものともせず売り上げが何割か増加してしまったほどだ。
「あの、オーナーさんこんなにお給料貰って良いんですか?」
「いいよ〜、これはおっぱい手当…」
「おうオッサン!」
 日当として封筒を渡されたさくらは、いいのかなと首を傾げつつも、じゃくじゃくとカキ氷を食べている。い
らぬ事を口走りかけたオーナーの襟を捻り上げ、ぎろっと琥一は彼を睨みつける。
「いいじゃない、コウくんだけのおっぱいにしとくにはもったいないぞっ」
「ぶっ…」
 全てを察しているぞとの言外の脅しに、琥一はオーナーを放り出した。
「びっくりしたよ、その辺のおっぱい放り出してる若い娘よりバツグンじゃないの。ウチにも看板娘が出来ちゃ
ったね〜」
「チッ…」
 看板娘を守りたいならサボるな毎日でも出勤しろといわんばかりの脅しに舌打ちする。

 結局琥一の給料も何割増かになっていて、これでしばらくは飯が食えるなとほくほくしてしまった。ざくざく
と砂を踏んで、五分ほど歩くともうウエストビーチに着く。
「琉夏くんは?」
「アイツもバイト。夏のうちに稼いどかねぇとな」
 粗雑な鍵を開けると、締め切っていた室内は熱が篭ってむわりと蒸れた空気を吐き出した。
「っちーな、さっさと窓開けるか」
 そういって大股に歩き出そうとした琥一の腕を、さくらがぎゅっと引いた。
「あん?」
「ほらコウくん見て、日焼け止め塗ってたのにこんなに焼けちゃった」
 彼女はにっと笑って、着たままだったビキニを少しずらす。ぱつんと張った胸が鮮やかに白と褐色に塗り分け
られていて、非常に目の毒だ。
「―っ!」
「わ、わっ」
 急にがばりと抱き上げられて、さくらは驚いたように声を上げる。一日中その乳は俺のモンだ見るなクソ野郎
共が、と思っていた琥一には刺激が強すぎた。一足飛びの勢いで屋根裏にまで攫われ、琥一が朝起きたままの寝
乱れたシーツに下ろされる。
「ホラ、見せてみろ」
「も、もうっ!ばかぁ!」
 日に焼けてほてった肌をより赤くして、ばたばたとさくらは暴れる。それを琥一が片手で易々と封じ背中の結
び目を解くと、緩んだ布地から真っ白な胸がこぼれだした。
「まだビキニ着てるみてぇだな、オイ」
 パンダみてぇだと低く青年が笑うと、頬を膨らませた少女はぷいっとそっぽを向いた。
「パンダじゃないもん!」
「そうかぁ?」
 邪魔なビキニを取り去って、つんと上向く塊に琥一は顔を埋めた。ふかふか、というよりはぷるぷるなそれは
適度な硬さで酷く心地がいい。汗やら何やらで何時もより濃く甘い彼女のがするそこに頭を預けていると、どろ
りとした睡眠欲が性欲を凌駕し始める。
「コウちゃん?」
「…ン」
 エッチな事をされるのかと少し身構えていたさくらは、抱きついて胸に顔を埋めたまま動かない彼の髪を撫で
た。固めていないそれは意外と柔らかくさらりとした指どおりだ。
「あれ…?」
 さっきまでの勢いはなんだったのだろう、というほどに琥一は静かに寝息を立てていた。まるで小さな子供が
母親に抱き締められた途端大人しくなるような、そんな様子にくすっと笑ってしまう。
「おつかれさま、コウちゃん」



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