「夕食の時にあくあさんが着ていたお洋服、とても可愛かったです」

不意にみちるがそう口にする。
二人はキングサイズのベッドに並んで腰かけていた。
みちるの正面にはあくあの好みであろう洋服や調度品が所狭しと並び、視界にそれらが入り込む度、みちるは新鮮な気持ちになった。

「リボンのついたブラウスと、ピンクのスカートのこと?」
「はい。スカートがふわっとしていて、時計の模様が入っていましたよね」
「うん。他の色もあるよ!」

あくあはぴょんと跳ねるようにベッドから降りると、壁際のワードローブまで駆けていった。
昼間にあくあが中身をぶちまけていたことを思い出し、みちるは一瞬頭が冷える心地がした。自分が中身を整頓したからだ。
あくあはそれを覚えていないのか気に留めていないのか、特に頓着を見せず、お気に入りのワンピースを数点見繕ってみちるの隣に戻ってきた。

「わあ、こっちはスズランの模様。可愛い」
「青いのもあったんだけどね、破れちゃったんだ。あ、これ」
「うーん……さすがにこれはわたしには直せないです……」

青い鳥の模様のジャンパースカートの、刃物で切りつけたようにまっすぐに入った亀裂。あくあはそこを名残惜しそうに指でなぞる。
みちるが修繕したぬいぐるみは、ベッドの枕元にちょこんと座っている。首に巻いているリボンは、やはり着なくなった洋服の一部だそうだ。

「洋服を縫うことはできないけど、布が気に入っているならリメイクするのはどうですか?」
「リメイク?」
「柄の可愛いところをポーチにするとか……」
「そんなことができるの?それなら、好きな服を着れなくなった後も、ずっと一緒だね」

あくあが笑顔になり、みちるはそれを見て微笑んだ。

「友達がリメイクをしてくれたんです。それも、こういう可愛いデザインの服でした」
「着れなくなっちゃったの?」
「わたしにはあまり似合わなかったんです。髪を短くしたばかりだったからかなぁ」
「昔は着てたの?」
「たぶん、未来のわたしが着てたんです。今のわたしが選ぶような服じゃないからびっくりしたけど、すごく可愛くて、着こなせるなら着たかったくらい」
「きっと似合うよ。着たらいいのに」
「はい。……でも、ここ数年着なかったんですって。“友達”が教えてくれました。わたしが気に入ったことを伝えたら、『私に任せて!』って……」

あくあが首を傾げ、続きを促すように瞳を輝かせる。みちるは笑って言葉を続ける。

「次の日、リメイクして小物入れにしてくれたんです」

みちるは立ち上がり、荷物の中から小さなポーチを取り出した。ファスナーを開けると、中にはポケットティッシュとリップクリームが入っている。

「可愛い!お花の柄……プリムラだね!」
「はい。たくさんの色が見える場所を切って使ってくれたんです。ファスナーもつけてくれて……」
「器用な人だね。その人が“お友達”なの?」

みちるは力強く頷いた。「十歳年上の女性で、恩人です」
あくあはぱちぱちと瞬きをし、ゆるく首を傾げた。

「恩人?友達って言ったのに?」
「はい。未来に飛ばされたわたしを何度も元気づけてくれた人です」
「こっちに来てから出会った人なんだ。じゃあ、少しの時間しか一緒に過ごしていない。それでも友達なの?」
「わたしはそう思います」

どうして?と、あくあが食い下がる。
みちるはその視線にまっすぐ向き合う。友達という存在に、そこまで深く思いを馳せたことはない、そう思った。
あくあは真剣そのものだった。みちるは一度正面を向き、数秒考えてから、もう一度あくあへ視線を戻す。

みちるの頭に浮かんでいる友達は、ディーノ邸のハウスメイドであるイザベラのことだ。
イザベラもみちるを友達と言った。あれは、十四歳のみちるへ向けた言葉だったと、みちるは確信している。

「また会いたいから。会いに行こうと思うから。……もし生きる世界が変わっても、わたしたちには共有する思い出があるから。それは友達だと、そう思います」
「ポーチを、作ってくれたから……じゃ、ないの?」
「わたしのためにやってくれたことは、全部大事な宝物です。形に残るものも、一緒にやったことも。仮に、何も残らなくても。もう友達です」

改めて考えてみると、言語化するのは容易ではないとみちるは考える。答えは人の数だけある、そういう問いだと思った。
だが、イザベラは友達だ。未来のみちるにとっても、今のみちるにとっても。
彼女が他人を思いやり、上司であるディーノに進言できる強く優しい女性である限り、いつ・どんな状況で出会っても、みちるとはまた絆を結び合える。
みちるはそれを疑うことはない。

「友達……いいな……」
「…………」
「ねっ。こうして夜に一緒に過ごすのも、友達みたいだね」
「……、そうですね。そう思います」
「日本の中学生や高校生は、寝る前に恋の話とかするんでしょう?」
「ね、寝る前に限らないかもですが、たぶん。修学旅行とか……?」
「ふふっ!やろう!きっと楽しいよ、みちるちゃん。ボク、やってみたいの」

あくあが輝くような笑顔を浮かべた。みちるは面食らい、それでもつられて微笑む。
今にもベッドに潜り込もうとするあくあを見届け、みちるは膝の上のあくあのワンピースを手に一度立ち上がろうとする。

「あ!ごめんね、そうだった!」

がばりと勢いよく起き上がると、あくあはみちるを追いかけて裸足のままワードローブまで駆けた。
「明日は一緒にみちるちゃんに似合う服を探そう」と息巻くあくあ。みちるは笑顔で見返すだけに留めた。



長い髪を翻して戻ってきたあくあは、みちるの手を握ってベッドに倒れ込んだ。
目を白黒させるみちるの顔を見てにっこりと笑う。

「友達同士みたい!」
「友達……」

友達らしさとは、それほど拘泥すべきことだろうか。
あくあにとっては大切なことなのだろうと、みちるは言葉を飲み込む。
自分にとって難解なことも、他人にとっては違うこともあるのだ。みちるにとっての恋愛のように。

「ミルフィオーレファミリーの中には、仲の良い人は……?」
「真六弔花のみんなと一緒に過ごしていたから、彼らとは話すけど……ボクはみんなと違って戦えないから」
「……白蘭さんは……」
「白蘭さんはボクの好きな人だよ。友達とは思わない」

みちるははあ……と、感心と疑問が混ざったような声を吐き出す。
あくあの表情は明るい。だが満ち足りてはいない。
みちるの修復したテディベアを抱きしめる時、空白が埋まるようにあくあは違った表情で微笑む。

みちるのクラスメイトの中には、恋愛に熱を上げる者が大勢いる。
彼氏ができたとはしゃぎ、友達付き合いが減り顰蹙を買うといった話を時折耳にする。
あくあの冷静さを目の当たりにすると、結局はないものねだりをしているだけなのだろうか、と感じる。

「好きな人ってまっすぐ言えるの、かっこいいです……」

自分はというと、未知の感情に手を伸ばすことを躊躇っているというのに。みちるはクッションを抱きながら、息を大きく吐いた。
みちるの呟きに、あくあは再び目を輝かせた。

「みちるちゃんは、好きな人いるのっ?」
「えっ」
「ボンゴレの人?それならボクにもわかるかも!」

あくあの問いに、みちるは唇を引き結び、数度瞬きをした。
みちるにとって、答えを明確にもたない質問だった。
ふと、あくあと初めて出会った日の会話が脳内に呼び戻された。
「みちるちゃんにも、いる?自分を見つけてくれるひと」と問われた。みちるはその質問にも答えを出せなかった。
恋愛感情だけではない。尊い絆を、自分は多くの人と結んできた。
だから、かつての質問にはみちるは間違いなくイエスと答える。

「いえそのっ、あっ……」
「雨っ?あ、嵐!?」

あくあの弾んだ声を聞き届けた瞬間、みちるは急激に全身が熱くなる心地がした。
意味のない“あ”の一文字を、雨や嵐と拾われてしまった。
結果として、この反応はあくあの早とちりに過ぎないが、みちるはあまりにも心当たりがあり過ぎて、咄嗟に反論の言葉を返せなかった。
その反応が自分の中の答えの一つなのだと、みちるはのちに回想する。

自分を見つけてくれるひと。
わたしにとって大切な人。
そう問われたら素直に頷けるのに、“好きな人”と表現すると、途端にどうして良いかわからなくなってしまう。
みちるにとって、恋愛の“好き”の先には長く続く道がある。
山本がヴァリアーとの戦いの後、抱きしめたいとみちるに懇願したように。あの時の欲をはらんだ鋭い目のように。
そのほんの数時間後、獄寺がみちるの手を引いて、やはり抱きしめられてしまった。
抱擁の直前と直後、獄寺の切なげな表情を、みちるは忘れたくても忘れられない。

ただ“好き”と言うだけで済むことならば、みちるにとってそこまで難事件ではない。
その気持ちを受け取ったならば、次に待つのは自分自身が何を返せるのか、何を返したいのかを考え抜き、実行していくのだ。
純粋で強烈で、圧倒的に強い力で押し寄せる、想い人の感情たちを、受け止める勇気をもつことだ。

みちるは彼らのハグに応えることすら、未だできないのが現状だ。
一度も彼らの背中に腕を回したことがない。されるがままでいて、どうして誠実と言えるだろう。
山本も獄寺も、きっといつか、それだけでは許してくれない――そんな日がいつか来る。
その決着が、みちるにいつか本心を告げることなのか、離れていくことなのかは、その日が来るまでは誰にもわからない。
だが、永遠にこのままではない。それだけは確かなことだ。

ずっと思考を止めていたみちるが、ここまで考えを前進させることができたのは、雲雀の告白のおかげだった。
雲雀はもう待ってはくれない。彼の“好き”の言葉で、みちるはそれを思い知った。
あなたが好きな人なのだ、と告げることは、少なくともみちると彼らの間では、その後に続くお互いの生活に、より深く関わっていく約束なのだ。
みちるにとっては未知の世界だ。怖いことだ。だが、好きな人が隣にいるのだから、きっと怖いだけではない。
そこまで知っていても尚、みちるには勇気が足りなかった。

「どんな人?」
「…………」

あくあの問いを受け、みちるはその上品な笑顔を見つめ返す。
心に浮かぶ人が定まらない。だから言葉にできない。
勇気以前の話なのだ。みちるは、自分が誰を好きなのか、自分でわかっていないのだった。
みちるはそれを、不誠実で情けないと思う。
大切な人の真剣な気持ちを、こんな自分が受け取って良いのかと、泣き出してしまいたくなる。

「……あくあさんは、どう思いますか」
「え?」
「人を好きになるって、どういう気持ちなのか、よくわからないんです」
「ボクは白蘭さんが好きだよ」

あくあが答える。迷いのない声だった。

「みちるちゃんがわからないことが、ボクがわかるのかはわからない。だけど、一緒に考えることはできるよね」

みちるは胸の中で心臓が高鳴るのを感じた。
自分の知らないことを教えてくれる。わからなくても一緒に考えてくれる。
それができるのはきっと、わたしたちがもう友達だからだ。

そう伝えたら、あくあはどんな顔をするのだろうか。

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