みちると正一、スパナがビジネスホテルに向かう数時間前。

ボンゴレアジトの食堂では、ハルの泣き声が小さく響いていた。
ツナが夕方に京子、夕食前にハルに声を掛け、秘密にしていたことを明らかにしたのだ。

「自分のノーテンキぶりが……くやしいです……」

ぽろぽろと透明な涙を零すハルを優しく抱きしめながら、ビアンキは思う。
十四歳という若さのハルや京子、そしてツナたちが、それぞれ大切な人たちを思いやりながら前進している。
“秘密”を知る者も知らぬ者も苦しんでいる。ビアンキだからこそわかることだった。

本人に伝えることはできないが、決断したツナの勇気を称えてやりたい。
子どもが背負うには重すぎる責任だ。
それでも「あなたボスでしょ!」と叱咤し背中を押すのは、ビアンキが十年後の彼の姿を知っているからだ。

「ハルはがんばってるわ」

その言葉の根底にあるのは、純粋な敬意だった。ビアンキの腕の中で、ハルの泣き声が勢いを増す。


* * *


ハルと別れたツナが作戦室に入ると、待ち構えていたのはディーノをはじめとした修行メンバーたちだ。
修行の進捗を報告し、会話を交わした後、突如としてその場に流れ出したのは軽快な音楽。
モニターに映し出されたのは見知らぬアニメーションだ。

「何者かに回線をジャックされてます!」

動揺に声を荒げるジャンニーニに、事の異常性を察知し真剣な表情を浮かべるディーノ。
モニターいっぱいに映し出された白蘭の映像に、ワンテンポ遅れてツナたちも姿勢を正し警戒を示した。
「食べるかい?」と呑気に自身がつついていたパフェを指し示しながら、白蘭は笑顔で話し続けている。

「おちょくってんのか!?」
「なーんてね。本当は“チョイス”についての業務連絡さ」

白蘭から提示されたのは、六日後に控えた力比べ“チョイス”の集合場所だった。
加えて、過去から来た人間を含む仲間たちは全員連れてくることが、チョイス参加の条件。

「全員って」
「京子ちゃんやハルも!?」

一瞬で、その場に大きな動揺が走った。
当然のことだった。ツナをはじめとした戦闘員たちが必死に戦ってきた理由は、京子やハルを危険な目に遭わせないため。
この瞬間まで続いているボイコット――女性陣との衝突――の原因は、彼女たちに事情を話すことを躊躇していたからだ。
言葉を交わさなくとも全員が察知していた。この後の状況が一変することを。

そして、ここ二日間程、何かと理由をつけて姿を現さないみちるのことも頭をよぎる。
みちるはこの戦いの本当の姿を知っている存在の一人だ。状況を伝えることに然したる懸念はない。
それでも、繊細な彼女の笑顔に影が差す要素を一つでも遠ざけることを是として、これまで行動してきたのだ。
今、アジトの中にみちるがいない事実に、獄寺と山本は、無性に心がざわついた。

「あ。そうそう、もう一つ言わなくちゃいけないことがあるんだった」

白蘭が今思い出したようにぽんと手を打ち、マイペースに口を開いた。

「あさっての朝、九時。もう一度連絡をするから、みんなそこに集まっておくといい」
「……?まだ何かあるっていうのか?」
「うん。スペシャルゲストを紹介する予定さ」

言うが早いか、白蘭は「じゃあ修行がんばってね♪」と付け加え、直後には回線を切断してしまった。

「…………」

ゲストとはなんだ。
敵の一部なのか全容なのかは確証はないが、白蘭は四日前に自らの守護者である“真六弔花”の面々を、意気揚々と紹介してきた。
だが、そんなことは些事である。
一瞬の沈黙の後、ツナたちは「全員でチョイスの戦場に集合する」という条件達成に向け、降って湧いた課題に向き合うために頭を抱えた。

ツナが明かした「京子とハルに状況を話した」ということ。
スクアーロの登場に、了平の鉄拳。

そこにいる全ての登場人物が、自らの課題を理解し向き合い始める、その一歩目を踏み出していた。


* * *


翌朝。
正一とスパナ、そしてみちるは、並盛駅前のビジネスホテルのフロントデスク前に立っていた。
つつがなく朝の身支度と朝食を終え、解散の時が近付いていた。スパナが口を開いた。

「みちる。アジトのボンゴレたちによろしく」
「はい。……ええと、スパナさん、ありがとうございました」
「こっちこそ」

正一がその隣で少し笑い、みちるの顔を見下ろした。

「本当にね。ありがとうみちるちゃん、おかげで助かったよ」
「え?」
「昨日のことさ。僕らのところに来てくれて、色々手伝ってくれたでしょ」
「あ、ああ」

なんだか遠い昔のことのような気がして、みちるはすっかり前日の日中のことを忘れてしまい、気の抜けた返事をした。
正一はみちるの表情をじっと見つめ、僅かに眉尻を下げた。

「大丈夫?朝食の時は元気だと思ったけど……」
「ごめんね、大丈夫。昨日のお昼のこと、なんだか昔に感じて……」
「そう?」
「そうなの。っていうか、お礼を言うのはわたしの方。わがままを言ったのに、叶えてくれてありがとう」

このホテル泊は、元はと言えばみちるが「一人でいるのが怖い」という気持ちに、正一とスパナが寄り添って実現したものだ。
正一は「気にしないで。リボーンさんの指示でもあったんだから」と気遣い、スパナも隣で頷いて見せた。

「……二人は、ゆっくり休めた?」
「ああ」
「もちろん」

再度揃って頷く正一とスパナ。
みちるは晴れやかな笑顔を浮かべた。正一とスパナの態度は大人の対応というだけかも知れないが、みちるは笑顔を浮かべるより他はないのだから、彼らの気持ちを素直に受け止めようと思った。

「じゃあ、ボンゴレアジトまで送るよ」
「大丈夫だよ。まだ午前中で危険はないし、アジトのハッチもすぐ近くにあるから」
「うーん、確かに白蘭サンは十日後まで手出しはしないと言っていたけど……」
「本当に平気!二人は忙しいんだから、わたしのことは気にしないで。ね!」

正一は唇を引き結び、再度みちるの表情を凝視する。
不安は完全には拭えないが、過保護なのも我ながらどうかと思う。
みちるは怖いなら怖いと言い、一緒にいてほしいならきちんとそう伝えてくれる。
誰に対してもそうなのかは、正一は知らない。だが同時に、それがどうであれ自分が一喜一憂することではない。
みちるが甘えてくれることは嬉しい。
だからこそ、彼女へ気持ちを返すとすれば、その言葉を信じることだ。正一はそう考えた。

「……わかった。じゃあここで解散しよう」
「うん。ありがとう!」
「どういたしまして。こちらこそありがとう」

自動ドアを通過し、三人並んで外へ出ると、よく晴れた空と冬の冷たい清潔な風が出迎えてくれた。
みちるは迷いのない足取りで歩を進め、くるりと振り返ると、正一とスパナに大きく手を振った。

「またね!先にアジトで待ってます!」

正一とスパナは手を振り返しながら、「了解」と答えた。

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