ここで大丈夫、そう言ってみちるは正一の手から買い物カゴを受け取った。
眼前の、ボンゴレアジトの出入口の開錠を待ちながら、みちるは背後に立つ正一を振り返った。

「今日はありがとう。すごく楽しかった!」
「僕も。いい気分転換になったよ」
「本当?よかった」

正一の穏やかな笑顔を見つめ、みちるもゆるりと微笑んだ。
本当にただ買い物とお茶に付き合ってもらうだけの、楽しい時間だったことをみちるは思い返す。
正一はこれから基地に戻り、戦いに備えて準備を進めるのだろう。
いい気分転換になった。おそらくみちるへの気遣いであろうその言葉に、みちるは何か答えたくて、うずうずと唇を動かす。気の利いた言葉を探していた。

「おかえり、みちる姉。入江さん、ありがとうございました」
「ああ、フゥ太くんか。こちらこそ」

みちるの背後で扉が開いた。迎えに来たフゥ太が、スマートな手つきでみちるの肩から買い物カゴを取り去った。
みちるはフゥ太に向き直りありがとうと口にしつつも、必死に正一へかける言葉を考えていた。

「正くん……、あの」

扉の内側で、みちるは正一を振り返った。
正一は呼びかけに答えるように「うん?」と言いながら口角をゆるく釣り上げる。

「あんまり無理しないでね!…またね」

言いながら、みちるは控えめに肩の高さまで手を上げた。
正一はそれを見て「はは、うん。ありがと」と答えると、ひらひらと顔の横で手を振った。
次の瞬間、音を立てて扉が閉まる。みちるは銀の扉を見つめたまま、数秒その場に立ち止まっていた。

「………」

フゥ太はなんとなく、扉の前まで一歩足を踏み出すと、ひょいっとみちるの横に並んで彼女の顔を覗き見た。
みちるははっとしたようにフゥ太の顔を見上げた。思いのほか近い距離。

「わ、びっくりした!」

みちるは本当に驚いたようで、肩を跳ねさせフゥ太から距離を取るように横に一歩ずれた。
フゥ太はにこにこと笑顔を浮かべつつも、クエスチョンマークを浮かべつつ見つめ返してくるみちるの顔をじっと見つめていた。

「ごっ、ごめんね。待たせちゃったよね」
「ううん、平気。さ、行こう。夜の歓迎会の準備をしなくっちゃ」
「あ、そうだよね!買い物待ちだよね!」

途端に慌て出すみちるに、フゥ太は大丈夫だよと声をかけた。
フゥ太が歩を進めると、みちるは迷いなく隣を並んで歩き出した。メニューは何かなぁととりとめもない会話が始まる。

(……みちる姉は、もしかして入江さんのこと)

先程感じた別れがたい空気は、きっと気のせいなどではない。
みちるが正一に向けた視線には、平熱よりも高い温度を感じた。フゥ太は、確信はなくとも、なんとなくそう感じていた。
親愛、友愛、もしかしたら単なる心配や思いやり。みちると正一の過去の思い出など知らないフゥ太は、分析しかねていたが。

「大変だなぁ、ハヤト兄やタケシ兄は……」
「え?修行の話?」
「うーん、それもあるけど」

フゥ太は今度話すねと話を切り上げ、みちるは首を傾げた。
歓迎会まであと数時間。食堂に戻ってくると、みちるは誰よりも張り切って仕事に臨んだ。

「みちるちゃんは歓迎される側なんですけどねぇ」
「今日はたくさんご褒美もらっちゃったから、しっかり恩返ししないと!」

何かあったの?と尋ねる京子に、みちるは「わたしだけ、ショッピングモールでお茶しちゃったから」と言って少しだけ申し訳なさそうに笑った。
チーズケーキを食べたことは京子ちゃんとハルちゃんには内緒だよ、とみちるからこっそり打ち明けられたフゥ太は、そんな彼女たちを手伝いながら、微笑ましく見守っていた。



* * *



いつも全員揃って食事をする大食堂が、休日二日目の夜は歓迎会の会場に変わった。
風船や紙の花で飾りつけられた壁面は、見ているだけでわくわくしてくる。
だが、そこに自分の名前があるのは気恥ずかしいものだと、みちるは感じた。

「退院のお祝い、やってもらったばっかりなのになぁ……」

みちるがそうぼやきながら、恐縮して肩を竦めると、京子が隣でクスリと笑った。

「お祝いは何度あったって嬉しいよね」
「毎月クリスマスがあれば、毎月ケーキが食べられますね!」

ハルの言葉にステキだね、と賛同して京子が微笑む。会場づくりを手伝っていたイーピンも楽しそうだ。

退院のお祝い。
ヴァリアーとの戦いに勝利したボンゴレ10代目ファミリーの『祝勝会』の名目を隠すために、表向きは『ランボとみちるの退院祝い』ということになっていた。
山本の家に友人や知人が大勢集まったあの日から、まだ一か月も経っていないはずだ。

(色々あった気がする……)

目の前で楽しそうに準備を進める京子とハルを見ながら、みちるはそう感じていた。
彼女たちだって、様々な苦難や言葉にできない気持ちをその小さな身体に閉じ込めながら、笑顔で頑張っている。
今ここにいない、ツナや獄寺や山本や雲雀だって同じだ。抱えているものはそれぞれ違っても、周囲に余計な心配をかけまいと振る舞っているのだろうと察する。

腕の傷も、脳に走る痛みも、もうみちるの身体を苦しめることはなくなった。
それでも、ざわざわと胸の中に落ち着かない感覚がある。
これから来る戦いの本当の意味を全て知らなくても、大切な人がそこに身を投じて傷つくかもしれないという不安が、みちるの身体を緊張に強張らせる。

「みちる。一緒にツナたちを呼びに行かない?」

頭上から掛けられた声に、みちるははっとして顔を上げた。
ビアンキが美しく微笑んで、みちるの肩に手を置いた。

「じっとしていると、あなたは自分と向き合って不安になってしまうのね」
「………」
「悪いことじゃないわ。でも、あまり心配しすぎるのは身体に毒よ」

どうして、とみちるは呟いた。どうして、わたしの考えがわかるの。
ビアンキはみちるの肩から手を放すと、そのまま白い指でみちるの頬に優しくふれた。

「自分にできることを知るのは必要よ。でも、相手を信じて待つのも大切なこと。……行きましょう」

ビアンキは、みちるの手を取るとそのまま握りしめた。

「京子、ハル。みちるがリボーンに呼ばれているの。一緒に作戦室に行ってくるから、あとは任せて良いかしら?」

その声に、京子とハルははーいと元気に返事をした。
みちるは、準備組とビアンキ双方への申し訳なさからおろおろと視線を泳がせつつ、ビアンキに引っ張られるようにして、その場を後にした。

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