とある晴れた日の、日本国内のとある場所。
一般人にはわからないが、非常に緻密かつ厳重に警戒態勢が敷かれたその一室で、複数の男による会合が行われてた。

相対するのは、24歳の沢田綱吉と、同級生の入江正一。
少し離れた扉にもたれかかり、涼しげな目線を明後日の方向に向け腕を組んでいるのは、彼らより一学年年上の雲雀恭弥だ。

「正一くん。これが、10年前から今に至るまでの、俺たちと関係の深い人物のリスト。よろしく頼みます」

精悍でいて人懐っこい顔つきの沢田綱吉は、その実、しっかりと真実を見据えるように、鋭く対象に視線を注ぐ。
ボンゴレ10代目という重責にも徐々に慣れ、忙しい日々の中でもしゃんと伸びた背筋を保つ姿を、正一は頼もしげに見つめた。
ツナから差し出された封書を、正一は大切に手に取った。

「ありがとう、綱吉くん。必ずやり遂げて白蘭サンの計画を阻止してみせるよ」

うん、とツナは返事をする。
封書の中身をテーブルの上に開き、正一は素早く視線を紙面に走らせる。
ツナが作成した『ボンゴレと関係の深い人物のリスト』は、守護者の親族は当然のこと、学生時代に関わりのあったマフィア関係者も含まれている。
このリストの人物だけが的にかけられているわけではない。白蘭の思惑を頭に描きながら、正一は慎重に考えを巡らせた。

「このあたりの人たちは早急に保護するべきだろう。自分で身を守れる人は……いや、油断は禁物だ」
「そうだね。……彼女たちは、どのタイミングでこの時代に来る予定にしている?」

ツナの人差し指が、笹川京子・三浦ハルの名前をなぞる。
そして彼が横に指を滑らせるのを、正一は目で追っていく。ランボ、イーピン、そして――千崎みちる。

「綱吉くんたちと、なるべく同じタイミングでないと危険だろう」

正一が、動揺を悟らせないように言葉を紡ぐ。ツナも頷いて肯定を示した。
本当は、戦闘能力のない彼女たちを危険地帯の真っただ中に放り込むなど賛成できる内容ではない。
しかし、正一の計画は細部に至るまで、彼の強い信念があった。
ツナも目指すべきゴールは彼と同じ、平和な未来を守るため。公私混同しない雲雀の賛同もあり、ツナは唇を噛みながら、大切な仲間を未来へ送り込むことに了承した。

ツナの意向や計画の確認を素早く済ませ、そしてリストアップした人物への対応を綿密に計画書に書き留め、約30分の会合は終了した。

「ねえ」

『雲雀くんもこれでいいかい』という質問は当人の凛と響く声によってかき消され、正一はピリリと緊迫する空気に背中を伸ばした。

「きみ、ちゃんとやれるの」
「……精いっぱいやらせてもらうよ」
「らしくないね。ミルフィオーレの頭脳みたいなきみが、そんな言葉しか出ないなんて」

「ヒバリさん、」とツナが口を挟もうとするも、いいんだと正一が制止する。

「手厳しいな。……いや、当然のことだ。きみたちにフォローをお願いしてもなお、僕は足の震えが止まらないよ」
「………」
「だけど、僕は過去の僕を信じるしかない。……そのためにできることはなんだってやる。頼りないかもしれないが、力を貸してほしい」

正一が頭を下げると、雲雀は何も言わずに黙って正一の挙動を見つめるばかりだった。
これまで何度も、計画を話し合い進めてきた。今更時計は戻らない。それは当然、雲雀もわかっていることだ。

「正一くん。顔を上げて。俺たちだって当事者だ。ボンゴレを守るために力を貸してくれるのはきみのほうだ」
「………綱吉くん」
「ヒバリさんも、よろしくお願いします」
「何度も同じ話はしないよ。僕は、そこの眼鏡の彼の覚悟が決まっているかどうか聞いただけさ」

正一は頭を下げたまま、ぐっと表情を歪ませた。
しっかりと『戦の将』の顔に戻り、顔を上げると、正一は雲雀に視線を向けた。

「ああ。わかっているさ」
「……フン、じゃあ、頼んだよ」

雲雀はそれきり追求することはなく「先に戻るから」と言い残し、その場を去った。
正一ははあ、とため息をつきお腹を押さえた。正一の、緊張すると腹痛が襲う難儀な体質を知るツナは気遣わしげな視線を向けた。

「ヒバリさんが部外者を信頼するなんてないからね……。今日は正一くんの誠実さの勝ちだよ」
「あはは、やめてくれよ。……でも、失敗できないのは大前提だ。僕もしっかり気を引き締めるよ」

正一は眉尻を下げて微笑んだ。ツナもまた、友人にするように穏やかに笑った。
信頼か、と正一は脳内で反芻する。
白蘭ともまた、友人のような関係である瞬間もあったはずだが、この極秘計画の裏では、常に彼の計画を追い、考えを先読みし、心休まる瞬間などなかった。
この計画を成し遂げた後、自分は仲間の輪の中で笑うことができるだろうか。……ボンゴレファミリーの一員として。

(また会えるかな、きみに)

正一はひっそりと、一人の人物に想いを馳せる。
先刻の雲雀の鋭い指摘は、この胸中に浮かぶ感情を見抜いていたのではないかと、正一は思い至る。
千崎みちる。大切な幼なじみの――まだ幼い小学生のみちるの笑顔が、正一の背中をそっと押す。

(ごめん、綱吉くん。……彼女を守るために僕は、きみに嘘をつくことになってしまう)

リストアップした人物について、現在の状況や戦闘員たちとの関係性を熟考したうえで、正一はタイムトラベルの計画を立ててきた。
千崎みちるは、関係性から考えれば笹川京子や三浦ハルに並ぶボンゴレの最重要関係者だ。それに対して異論はない。
だが、正一が24歳のみちるを取り巻く環境を調査した結果、関係者の中でも最上級クラスに安全であるキャバッローネ邸に身を寄せているという。
正一は心底ほっとし、涙すら流しそうになった。不確定要素が多い計画の中で、彼女の安全が確保されていることは非常に大きなことだった。正一にとっては。
一人だって死んでほしくはない。それは間違いなく正一の本音だ。だが、みちるの存在だけは格別だった。
おそらくそれは、同一人物として肉体を共有しながらも、24歳の正一の手先でもある“10年前の入江正一”にとっても同じである。自分のことだ、確信があった。

(きっとみちるちゃんには……まともに10年バズーカの弾を当てられないんだ、14歳の僕は……)

不確定要素は、一つでも排除する。計画遂行のための大原則である。
誰にともなく言い訳を繰り返しながら、正一は計画のスタート地点へと足を踏み出す。恐ろしくてたまらない。だが、自分がやらなくては。

この計画の先に、きっと彼女と出会える未来を信じて。



* * *



――そんな風に考えていたのに、まさか、こんなに早く顔を合わせることになるなんて。

運命の悪戯と言えば聞こえはいいが、この二人きりの外出は羽のない天使の差し金だ。ボルサリーノのハットを被った、小さな家庭教師の。
姿かたちは赤ん坊だが、殺しの腕は一級品。頭脳は明晰で、指導者としての素質もある。
そんな彼が――リボーンが、どこまで正一の心を見抜いているのか。考えるだけで、正一は肝が冷える思いがした。
とはいっても、彼はもう味方なのだ。これほど心強いことはない。

(積もる話があるだろうから、二人でゆっくりお茶でも、か。まったく、どこまで心を読まれているのやら)

買い物を終えた正一とみちるは、リボーンの指示に従い――もとい、彼の気遣いに甘え、コーヒーショップでひと休みをしていた。
正一が注文したハーブティーは、レモングラスの香りを漂わせている。ソーサーにカップを置くと、かちゃりと耳障りな音を立てた。
正一の正面に座るみちるは、カフェラテと共に注文したチーズケーキをフォークで切って口に運び、幸せそうに微笑んでいた。

「美味しい?」
「うん、すごく!ありがとう、ごちそうになっちゃって」
「いいよ。僕ものんびりする口実をもらえて得した気分だから」

正一が笑うと、みちるも嬉しそうに笑みを返した。
泣かせてしまった時は、どうしようかと思った。すっかり、みちるの悲しさは影を潜めたようだ。正一はほっと胸を撫で下ろした。

(僕が僕を責めるなら……怒る、か…。実際は泣いていたけど)

泣かれても怒られても、自分は狼狽えただろうと正一は思い返す。
実際、女の子がどうとかではなく、自分はみちるのことをあまり知らない。カフェラテのカップに手を伸ばすみちるを見ながら、正一は考えていた。
10年後の彼女はおろか、この10年間、いいや、引っ越しの後から数えれば14年間。正一は、みちるとの再会は一度もない。
覚えていることといえば、黒曜センターに一緒に出掛けたことくらいだ。
大人しく、あまりものを知らない子だった。純粋で、素直で、言われたことに素直に従い、逆に何かをしでかすと深く落ち込む。
今の自分なら、もっと上手にみちるを導けただろうか。自信を持って、彼女の前に堂々と姿を現すことができただろうか。
こうして今、縁あって対面することになって、みちるは等身大の14歳の少女でしかなかった。
やはり大人しくて、まっすぐな瞳が清らかで、笑顔が無邪気な、どこにでもいる普通の女の子。
だが、自分はどこかで彼女に甘えてしまった。並盛で沢田綱吉たちと知り合い、ボンゴレの関係者となり、彼らを深く理解し絆を結んだ彼女は、何もかもを知っていると勘違いをした。
もっとビジネスライクな関係になると思っていたのに、彼女はお隣さんだったあの時のまま、相変わらず目の前の正一にも優しいままだった。

みちるはずっと、大切な友達として、正一のことを見ていた。

「……みちるちゃん。未来に来た時、怖くなかった?」

みちるは顔を上げて、正一の顔を見た。
正一は不安な気持ちが伝播しないよう、穏やかに微笑んだ。そうすれば、みちるが笑うと思ったから。

「うーん……。びっくりした。だって、イタリアだったんだよ」
「そうだよね。キャバッローネファミリーの本部でしょ?」
「そう……知ってるんだね。でも、ディーノさんやファミリーの人たちに優しくしてもらって、街にも行かせてもらって」
「……楽しかった?」

すらすらと話すみちるに、正一は僅かに驚き、そして尋ねた。
みちるは視線をテーブルに落とし、ほんの少し考えた後、笑って顔を上げた。

「うん。また行きたいな」

大切な気持ちをたくさん教えてくれた、あの人たちにまた会いたい。みちるはそんな気持ちから、そう言葉を結んだ。
正一は「そう……」とだけ言って、ハーブティーのカップを手に取った。

(……驚いた。前向きだな)

心配ばかりしていたが、杞憂だったようだ。みちるはまだ子どもだが、しっかり成長している。
相手のことを深く考えるあまり、泣いたり怒ったり、時に傷ついたりするのだろう。
緊張に固まった表情で「ずっと話したかった、会えて嬉しい」と言ったみちるを思い出す。眩しいくらいに素直でまっすぐな彼女を、きっと多くの人が支えたいと思うのだろう。

(やっぱり、僕はきみのいるこの未来を、過去を、守りたいんだ。だから戦うんだよ)

そう告げたら、きみはまた泣くのだろうか。
正一は口には出さず、ただじっと、カフェラテを堪能するみちるの笑顔を見つめていた。

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