場所は地下六階、男子の居住区が割り当てられたフロアだ。
獄寺の背中を追って歩くこと数十歩、急に視界が開け、みちるの目の前には長椅子と灰皿が置かれた空間が広がっていた。

「わあ、ここ喫煙スペース?」
「ん」
「知らなかった、こんなところもあったんだ」

獄寺は二本並んだ長椅子の奥側に腰を下ろしながら、みちるの感想に「まぁ、男どものフロアだしな」と返した。

「未来では、誰か煙草吸ってるのかな」
「俺」
「あ、そっか」

みちるは納得して微笑むと、手前の長椅子に腰を下ろした。
獄寺が吸っていいか、と声をかけると、みちるは微笑んだまま頷いて見せた。

「……おまえ、煙草嫌がらねーよな」
「え?うん。お父さんも前に吸ってたから」
「へえ」

少々意外な発言に、獄寺は素直に驚いた。

「獄寺くんは、火薬っぽいにおいのほうが強いと思う」

獄寺は、ダイナマイトを身体中に暗器のように忍ばせている。
武器の性質もあるが、元々誰にも心を許すことがなかった警戒心の塊のような男だ。
この時代、匣兵器を使用することになっても、獄寺はお守りのようにダイナマイトを持ち歩いている。

「……嫌か?」
「ううん、平気」

「お線香のにおいとか好きだよ」とみちるが言う。
獄寺はあからさまに表情を歪めたので、みちるはまた笑った。

「線香と一緒にするんじゃねーよ!」
「一緒にはしてないよ!アロマとか、きつい感じのよりは好きかなって」

獄寺は「そーかよ…」と零し、呆れたような様子でそっぽを向いた。
獄寺の背中を隔て、煙草の煙が立ち上っているのを、みちるはぼんやりと見つめた。

獄寺くんは不思議だ。
みちるは、時々そう思う。
彼は不良で、顔も声も怖い時が多くて、わざと憎まれ口を叩く。
嫌われるのが怖いと、みちるはいつだって考えてしまう。だが、獄寺は違う。
自分はこういう人間で、自分は年上が嫌いで、だから近付くな、気に入らないとはっきりと口に出す。
相手は獄寺のそういった言葉をきちんと受け入れ、それなりに対応をしているのだろうが、彼は不思議なことに、誰からも憎しみを向けられていない。

人と話す時には、こうしなければ。
思いやりを、気遣いを忘れないようにしなくちゃ。
そんなみちるの中の思い込みを、獄寺は容易に飛び越えていく。

テレビや流行の話などはほとんどしない。相手の興味を惹く話題を出さなきゃ、なんて気兼ねもない。
たまに訪れる沈黙も苦とは思わない。煙草を吸っていても、ダイナマイトをいじっていても、みちるはそれについて触れたことはない。
一緒にいるのに、ただ横に座っているだけで、それぞれの時間を過ごしている。そんな穏やかな時間が、みちるは心地よかった。

「10年後の獄寺くんのこと、よく獄寺くんがわかるね」

みちるのその声に、獄寺が振り返る。

「あー……入れ替わった時に、10年後の俺の荷物に入ってたんだよ。煙草とライター」

合点のいった獄寺がそう言った。
ということは、10年間もの長期にわたって、獄寺はヘビースモーカーということなのだろう。
不安にならないでもないが、みちるはそれをどうこう言える立場にないと思い至り、「そうなんだ」とだけ答えた。

「おまえは?10年後の自分のこと、気にならねーの」

いつの間にか、獄寺が身体ごとみちるのほうへ向けていた。
その手には煙草はない。みちるはそれに気付いたが、特に気にすることなく、獄寺の質問の答えに考えを巡らせた。

「うーん。気にはなるけど……、10年後のわたしのこと、あんまり自分って思えないの」
「なんで?」
「……周りの人が、何かと褒めてくれる」

みちるのその返事に、獄寺は黙ったまま、何かを考えるように視線を下げた。
みちるは渇いた笑みを浮かべ、困ったように眉尻を下げて、ついでに首も傾げた。

「ね、なんか、そんなわけないのにーって……ううん、なんだか、わたしの話だと思えなくて」
「別に、そんなことねーだろ」
「……、…ありがと」

「でも、千崎がそう言うのも、わかる」

みちるが微妙な表情で顔を上げたので、獄寺は「俺の話な」と付け加え、かぶりを振った。

「…?」
「……俺は、評判の話じゃねーけど。10代目が未来で棺桶に入ってた話は、聞いただろ」

10年後の獄寺のことを、今目の前にいる獄寺は理解できない。
おそらくそういう話だろうと、みちるは頷いて答えた。

「……うん」
「俺が10代目を守れなかった俺自身も殺してやりてーくらいだけど、……それで、なんで俺は生きてんだって」
「………」
「生きる意味がないのに、なんで」

落ち込んでいるというより、心底うんざりしているような様子で、獄寺はぽつりと言った。
みちるは黙ったまま、考えていた。獄寺は悲しいのでも失望しているのでもない。ただ、理解ができないのだ。

「……そんな風に言うと、悲しいよ」

みちるは、獄寺の言葉を聞いて、ほんの一年前の自分のことを思い出していた。
不運や境遇を周りのせいにして、他人に原因を探していた愚かな幼い自分。
“生きる意味がないのに、何故生きるの?”。そんな大層なことを考えるほど自分は長く生きていない。今となってはそう思う。
だがあの頃そう考えてしまった自分は、力になれないことを心の底から悔いていた。彼らの未来を知っていながら、何の力もない自分に生きる価値などあるのだろうかと。

獄寺はもう、自分の命の価値を知っている。
Dr.シャマルとの修行を通して、ツナから友人として隣にいることを望まれ、獄寺はそのために生きると決めた。
ボンゴレ10代目の右腕として、今後もずっと、自分という命を、存在を捧げると心に決めている。

だが、そのボンゴレ10代目がいない未来は、獄寺にとってはどんな世界だったのだろう。
その未来を変えるために、そして過去に帰るために、今懸命に修行に身を投じている。それはきっと正解に違いない。

それでも、自分にはどうにもならない大きな運命が、大切な存在の命の灯火を奪ってしまう。そんなことも、全くないとは言えないのだろう。

悲しい、さみしい。
前を向くには邪魔なだけのひとの感情が、ただそこにある。
それでも、生きているから、答えが見えない時には背中を押してほしい。そっと手を引いて導いてほしい。
――傍にいる誰かに。

(……少しだけ、わかる気がするよ、獄寺くん……)

彼と自分が同じだなんて思わない。それでも、似ているとは思った。

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