泣くことはストレス解消に繋がる、こともある。
とはいえ、些か自分は泣き虫すぎる。みちるは涙を流す度にそう考え、反省する。
両目に腫れぼったい感覚を覚えながらも、胸のつかえのようなものはなく、穏やかな心持ちだった。
ゴールの見えない迷路に迷い込んだようなうじうじとした悩みを抱えていたはずが、起床とともに、頭もいくらかすっきりしている。
結果オーライと思うことにしようと決め込み、みちるは毛布の下から這い出した。

壁にかかっていた時計を確認すると、どうやら一時間程度眠っていたようだった。
そろそろ夕食の頃合いだろうか。もう、ツナや京子たちも帰っているかもしれない。
地下では日光を感じられず、いまいち時間の感覚がない。当然、部屋にはカーテンがないし、パイプやフェンスがむき出しの無機質な内装である。
イタリアでは、初冬のこの時期でさえ晴れた日には強烈な日差しが降り注いでいた。
カーテンの向こうからギラギラとした陽光が差し込んでいた、あの日々が少し恋しいくらいだと、みちるは思った。

久しぶりに彼らに会ったら、どんな表情で、なんと声をかけようか。
ひょっとしたら、一か月弱の不在を心配させてしまっていたかもしれない。
元気な姿を見せれば大丈夫だと楽観していたが、当の自分はへらへらと顔を出して良いのだろうかと、少し胸がざわつく。
当然みちるのほうも、彼らの身を案じてずっとそわそわしてはいたが、勢ぞろいしている面々の前に登場するのは、かなり緊張する。向こうは多数、こっちは一人だ。
フゥ太あたりが迎えに来てくれはしないかと考えもしたが、その約束を取り付けるには、もう遅い。

(……こんなこと考えるなんて、なんだか少し余裕が出てきたような……)

自分自身に呆れもするが、めそめそしているよりはマシだろうと、みちるは思い直した。
自室を出ると、廊下には人影は見当たらなかった。
みちるは拍子抜けしたような気分で、では先にフゥ太やリボーンに会いに行こうと、エレベーターへ向かって歩き始めた。

地下5階の作戦室を目指そうと、エレベーターのパネルにタッチする。
途中の階層で待つ人はおらず、最短でみちるを地下5階まで運んでくれた。
軽快な音を立ててエレベーターの扉が開くと、正面に、自分を見つめる二つの人影があった。

「おっ、みちる」

驚く様子もなく、声をかけてきたのはディーノだった。
そして彼の隣に立つ背の高いスーツの男性が、みちるの姿を見て驚いた表情を浮かべた。

「おお……千崎さん!ご無事で何よりです」

立派なリーゼントに、口に咥えた葉っぱ付きの植物の茎。
みちるは口を開けたまま一瞬硬直し、やがて合点がいったかのように「ああ!」と声を上げた。

「副委員長の草壁さん…!おっ、お久しぶりです!」
「ええ、ご無沙汰しています。といっても、あなたじゃわかりませんよね」

いかつい風貌に反して、非常に物腰が柔らかく人好きのする笑顔だ。
雲のように自由気ままに行動する上司を支える有能な部下。その立場は、10年経った今でも変わりはないようだ。
草壁の言うご無沙汰している対象は、どうやら10年後のみちるを指すようだ。みちるは首を傾げた。

「10年後のわたしとも、ご無沙汰なんですね」
「ええ、随分会っていません。恭さんのほうはどうだかわかりませんが」

キョウさん?と彼の言葉をオウム返しする。
即座に「雲雀です」と律儀に教えてくれ、みちるは返事の代わりにうんうんと頷いた。
すぐに合点がいかないのも無理はない。みちるは彼のことを“雲雀さん”以外の呼び名で呼んだことなどないのだから。
雲雀恭弥。美しい名前だと、みちるは改めて思い至る。

「草壁さんは、雲雀さんとは別行動なんですか」
「はい、恭さんは匣の調査で世界中を飛び回ってますから」

ボックス。また聞き慣れない言葉が出てきてしまった。本当に自分は、彼らの戦闘について何も知らないのだ。
ディーノが横から「そのうち、匣やリングについて、時間を作って教えてやるよ」とみちるに助け舟を出した。みちるは微笑んで、お願いしますとディーノに返事をした。

「ところで、驚いたな。おまえたちにもアジトがあるとは。しかも繋がってるときた」
「ええ、この扉が開いたことは一度しかありませんが……。もう恭さんも戻っていますよ」

みちるの心臓がどきりと跳ねた。雲雀さん、ここにいるんだ。
草壁はみちるの顔をちらりと見やると、「あなたのよく知る、中学生の恭さんです」と教えてくれた。

「明後日から修行開始だからな、一応所在は掴んでおきてーしな……草壁のおかげで色々と助かる」
「はは、恐縮です。伊達に中坊から付き合っていません。とはいえ、中学生の恭さん相手だと勝手が違いますよ」

大の大人が二人揃って、雲雀(中学生の)に手を焼いて疲労を滲ませている。
彼らの話しぶりから察するに、成長した雲雀よりも手がかかっていそうだ。
草壁が言うところの「みちるのよく知る雲雀」は確かに気分屋で凶暴で、誰かの言うことに従うような人間ではない。
みちるは心の中で、お疲れさまですと労いの言葉をかけた。

「みちる、ツナたちには会ってないよな?あいつら、まだ帰ってないんだ」
「あ……そうなんですか」
「ツナたちと会ったら積もる話もあるだろ。先に恭弥に会ってきたらどうだ?」
「え?」

再度、心臓が高鳴る。
雲雀と最後に話したのは、応接室から泣きながら飛び出したあの日のことだ。
思い出すだけで穴を掘って潜って消えてしまいたくなる。泣き顔を晒したことが恥ずかしくて、身勝手さが情けなくて。
頭に熱が集まるも、次の瞬間には瞬間冷却材のごとくひやりと冷える。
みちるが青白い顔で黙り込んでしまったのを見て、ディーノはどうしたものかと首を傾げた。

「会いたくないのか?それなら…」
「……えっと、そうじゃないです、…最後に、変な別れ方をしちゃって……」

雲雀が、自分ごときのことで何かを後悔したりするはずがない。
みちるはそう思いたいと考えると同時に、そうに違いないと確信してもいた。
であれば、会わなくても構わないようにも感じる。

「……だけど、会いたいです」

この気持ちは全くもって、雲雀のためなどではない。
ただ自分が前を向くために、会って話したいと言っているのだと、自覚はしていた。
でももう、そんなことはどうだっていいと、みちるは思った。
雲雀がもしもう一度、自分と対面をしてくれるのなら。
伝わらなくても、切り捨てられても、あの時はありがとうございますって、そう伝えるのだ。

ずっと会いたくても会えなかったのに、いつ会えなくなるかわからないのに、伝えないままは、耐えられないから。

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