「……そんな…どうしてボンゴレに恨みを……」

ディーノとみちるの間にたっぷり沈黙が落ちたのち、みちるが震える声で疑問を口にした。
「マフィアなんて恨みを買われてナンボだけどな」と、ディーノが軽口を叩くも、神妙な声音で続けた。

「ミルフィオーレファミリーは最近、二つのファミリーが合併してできたんだ。俺は、新鋭のジェッソファミリー側がきな臭いと踏んでるが」

横文字がたくさんで頭に入らない。
みちるが難しい顔をしているのを見て、ディーノは笑った。

「……急にボンゴレに対する風向きが変わったのだとしたら、確かに……」
「まぁ、情報が少ない以上なんとも言えないが。ボスは白蘭という男だそうだ。日本に支部もある」

情報が増える度、心臓が冷える。
自分の非力さがもどかしく、また、何もできないからこそ、心配をかけたくないと言ったディーノの心境も、なんとなく察する。
みちるは遠い日本にいる仲間を思い、祈るように冷たい両手を握り合わせた。

「日本支部は……攻撃を仕掛けるでしょうか」
「いや……ボンゴレは名前を出すだけでイタリア中が震えあがる最強ファミリーだ。アジトの情報だって迂闊に漏えいするはずがない。敵も作戦なしというわけじゃないだろう」
「………」

どこか、嫌な予感がした。
みちるの心に引っかかってなくならないキーワードがあった。入江正一のことだ。
彼が口にした“指示”は、間違いなくボンゴレに関係があるはずだ。
正一の手でこの時代に飛ばされた仲間たちは、京子やハルがいることも踏まえ、「幅広いボンゴレの関係者」に他ならない。
だが、彼の口から、自分に関しては“計画外”と思しき言葉があったことも確かだ。

「……み…、ミルフィオーレファミリーに……入江正一という男の人が、いますか……?」

みちるが弱々しく、おそるおそる、言葉を紡いだ。
ディーノは明らかに動揺を示し、その場に立ち上がった。

目が語っていた。なんで知っているんだと。



* * *



その夜、みちるはふかふかのベッドの中で、眠れない時間を過ごした。
頭の中を占めるのは、入江正一の恐怖に支配された表情と声音だ。

あんなほんの少しの時間の邂逅では、何もわからない。
そんなことは百も承知だが、何かひとつでも手がかりがないかと、記憶の糸を手繰ることに躍起になっていた。

“ボンゴレ狩り……俺たちはそう呼んでる”

ディーノの紡いだその単語が、何度も繰り返し、みちるの背中に冷や水を浴びせる。
10年後の未来がまさかこんなにも恐ろしい状況だなんて、夢にも思わなかった。
ここ数か月、10代目ボンゴレファミリーを取り巻く状況は決して平穏ではなかったことだろう。みちるは証人の一人として、そこは心底賛同するところだ。
そしてみちるも少なからず、その渦中にいたのだ。ボンゴレに関係があるかというと、スイの立場を考えると、些か微妙な気もするが。

(わたしも、例外じゃないだろう……、か……)

ディーノの口から続いた言葉は、ボンゴレ狩りの対象に、おそらくみちるも含まれているだろう、ということだ。
それに関しては、なんとも形容しがたい感情をみちるは抱いていた。
ボンゴレの関係者であることは、経緯はどうあれ、断固拒否という気持ちにはなれそうもなかった。
始まりは数奇な運命から。
ボンゴレ10代目ファミリーの未来が視えるという不思議な能力と、みちるの意思とは関係なく千崎スイという存在を内包していた事実から、結果的に、骸やヴァリアーに利用価値を見出された。
リボーンによる「みちるを野放しにすると危ない」という先見から、10代目ファミリーに守ってもらうことになった。そんなスタートラインを踏んでから、まだ一年の時も経っていない。
だけど、そんなことは今となってはどうだっていい。
ただ、彼らを好きなのだ。
みちるの気持ちは、それだけのことだった。

ごろりと何度目かの寝返りをうったのち、みちるは両手をついてベッドから起き上がった。
さらさらと落ちる髪が、重力に従いみちるの頬を撫でる。
大したケアもしていない髪は、幼い頃から毛先にうねりがある。夏は汗を含むと首にまとわりついて、みちるの悩みのひとつだった。
元々色素が薄い細い髪は、夏の日光を浴びた後、ますます茶色くなったような気がした。



* * *



「――はぁ?日本に行きたい?」

ワガママを言っているのはわかっています、ごめんなさい――と、みちるはディーノに先回りで謝罪をしつつ、ひとつ、お願い事を口にした。

「それは、ツナたちが日本にいるからってことだよな?」
「…はい」
「……心配なのはわかる。でも、行っても何もできないぞ」

ディーノは、そこで言葉を切った。多くは言うまいと考えていたのだろうと、みちるは思い返す。

ボンゴレ狩りの対象は、ボンゴレの幅広い関係者も含まれる。
守護者の家族はもちろん、友人知人でさえも。同盟ファミリーなど筆頭だろうと、いくらみちるでも推測は容易かった。
盗聴の危険があるからと、キャバッローネ側からボンゴレに連絡を入れることは今はできない。
そんな状況の中、みちるはおろか、ディーノですら動くことなど当然できない――そういうことなのだろう。

「……もちろん、今すぐじゃなくて、構いません。ディーノさんが、日本に行くタイミングで、わたしも、連れていってはくれませんか?」
「……そりゃ俺だって今すぐにでも行きたいさ。みちるは賢いから、状況はわかってるよな?」

みちるが首肯すると、ディーノは真剣な表情のまま、ほんの少しだけ微笑んだ。

「せめて、おまえがここで無事にいることを伝えてやりたいんだが……、もしそれで敵に居場所がバレたら、みちるだけじゃなく俺たちもやばい状況になる。すまないな」
「いいんです!そんなことは……。たぶん、未来に来る直前に山本くんたちと一緒にいたから、わたしが近くにいないことはみんなわかってるし……」

みちるはまだ過去にいる、もしくは別の場所にいる。どちらの可能性もあると、山本たちは考えるだろう。
無事かどうかわからないということは、無事かもしれないということだ。だから、眠り続けて心配をかけた数日前の状況よりは幾分かマシではないだろうか。

「……いや、そうだとしても心配するだろうな……10年前のあいつら、みんなみちるのこと……」
「と、とにかくいいです。どうせ無理なものは無理なので……また何かの機会で」
「なんでみちるって、自分のことはそうなんだ?10年経っても変わりやしねえ」

はあとディーノが溜め息をつく。どうやら、10年後の自分も、自分のことは後回しにする気質は変わっていないことに加え、ディーノはそれで手を焼いた経験があるようだ。みちるは肩を竦めた。

「……すみません……そのくせ日本には行きたいって、ほんと…勝手ですよね……」

言葉にしてみて、自分の考えの浅はかさに気付く。
自分で自分に呆れてしまう。そんな気持ちが前に出て、みちるの言葉尻がどんどん小さくなっていった。

「みちる、俺は怒ってるんじゃない。みちるの気持ちはわかるからな。だから、ごめんな。少しの間辛抱してくれ」
「………はい……」
「…………わかるさ。嘘じゃない。居ても立っても居られないんだろ?」

ワガママを言いたいんじゃない。
何もできないことも承知している。
それでも、言わずにはいられない。ディーノは、みちるの気持ちをよくわかっていた。

「…………状況が、よくなることを、祈ります……」

みちるは膝の上で固く結んだ拳を見つめて、か細い声でそう言った。
それ以外、何も言えなかった。
自分には何もできない。こんなに大きくて優しいディーノにさえ、できないのだから。



* * *



みちるはベッドからのろのろと這い出すと、電気のスイッチをオンにした。
パッと明るく、頭上のシャンデリアに明かりが灯る。

「………」

みちるがドレッサーの前の椅子に腰を下ろすと、鏡の中の、生気のない自分の顔と目が合った。

みちるがイタリア留学を決めた時、ディーノは驚くべきことに、プライベートジェットで緊急来日したらしい。
その頃にはみちるの両親も、みちるの周囲にいるトンデモな人たちには慣れっこで、歓迎ムードときたものだから、10年の月日とは長いものだと、みちるは思う。
「家具屋に行くぞ!」とディーノは満面の笑顔で告げた後、みちるの手を取ってそのままイタリアへとんぼ返り。
あれよあれよという間に、この部屋に高そうな家具(実際高級品ばかりだ)が運び込まれ、ディーノは満足そうに、この新品のドレッサーを眺めていたという。
ブルジョワの考えることにはついていけない。
24歳のみちるのその発言を、ディーノは楽しそうに笑い飛ばしたらしい。このあたりはロマーリオが、並中の制服を来たみちるに教えてくれた。今日の夕方のことだ。

(きっと、わたしが不安になることなんて絶対ないように……ディーノさんも、ロマーリオさんも、みんな、お世話してくれてるんだろうな…)

ピカピカに磨かれたドレッサーの鏡は、みちるのありのままの姿をそのまま映し出してくれる。
きっとキャバッローネ邸の使用人が、毎日掃除をしてくれているのだろう。
みちるがたとえ一人きりで屋敷の中を歩いても、一様にすらりとして美しいハウスメイドは皆にこにこと微笑みながらみちるに会釈をくれた。
なんていい人たちなのだろうとみちるが繰り返しディーノに言うものだから、ディーノは飽きもせず嬉しそうに笑って、みちるの頭をポンと撫でてくれた。
たった半日ここで過ごしただけなのに、信じられないほどの温情を受け取っている。

「……ディーノさん、怒るかなぁ……」

みちるはぽつりとそう呟くと、本棚の引き出しから取りだしたハサミをじっと見つめた。
ディーノに怒られたことなんてただの一度もない。
今日の昼間、真剣な顔でみちるを諭した一幕はあったが、あれはノーカウントだろう。そもそも、自分の浅慮が原因なのだから。

10年後の自分の姿を、写真で知ってしまうことは果たして幸運なのだろうか。
みちるにその答えはまだわからない。だが、写真の中で幸せそうに微笑む自分の未来の姿は、見られて嬉しいと思った。
肩より下に伸びた長い髪を、今のみちると同じようにハーフアップにしている。結び目を束ねるアクセサリーは、この写真の角度では見えない。
相変わらず赤茶けた髪色ではあるが、うねりは少ない。きちんとお手入れをしているのであれば、感心だ。

「いつぶりだろう、短くするの……」

零れた言葉は独り言だ。
意を決して、みちるは耳の後ろの髪を左手で軽くまとめ、右手で握ったハサミを、髪に入れていった。

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