「みちるがこっちに留学してきたのは、まだほんの一か月前くらいなんだ」

スコーンにバターとマーマレードをたっぷり塗りつけながら、ディーノが口を開いた。



千崎みちる、24歳。
未来の自分の話とはいえ、どこか絵空事のような、ディーノの語る自らの将来の進路の話に、みちるははあ、と曖昧な相槌を繰り返した。

――どうして、10年後のわたしはここに?
至極当然抱くであろうみちるの疑問に、ディーノは使用人から紅茶を受け取りながら「話してやるよ」と言って笑った。


10年後の千崎みちるは、イタリア留学という道を選んだ。
四年制の日本の大学に入学したのち、イタリア史と政治の勉強をしていたらしい。
就職か、進学か、はたまた留学か。
そんないくつにも分かれる将来の希望の道を考えながら、彼女は卒業後に一度、一般企業に就職した。
それでも、ボンゴレファミリーと自らの人生を全く切り離して考えることなど、その時にはできなくなっていたのだろう――というのは目の前のディーノの言葉だ。

「あんまり将来の話すんなって、リボーンなら言いそうなもんだから迷うんだが」
「あ……えっと、もう十分です。ありがとうございます」

みちるが顔の前で小さく手を横に振り、同時に遠慮がちにぺこりと頭を下げるのを見て、ディーノは笑った。

「遠慮すんなよ。おまえの話なんだからさ。それに、俺たちもう家族みたいなもんだろ?」

げほ!とみちるが大きくむせた。
ただでさえ水分の少ないスコーンが、ディーノの大胆な発言でみちるの喉の奥に転がり落ちた。
涙目でティーカップに手を伸ばすみちるを見て慌ててディーノが駆け寄ってくると、けらけらと笑いながら彼女の背中を叩いた。

「あ、ありがとうございます……」
「ははは!そーいう反応も久々だなぁ。いやいや、変なこと言ってすまん」

まさかお付き合いしているわけではあるまい。
ディーノの距離が近いのはいつものことだが、あくまでも兄と妹のようなそれだ。
みちるがじとっとした目線をディーノに向けると、ディーノは苦笑した。

「みちるがここに住んでるのはホームステイだよ。留学って言っただろ?」

聞けば、10年後のみちるが通っている大学は、キャバッローネ邸から近いのだそうだ。
そうでなくとも、ディーノはかねてから「ウチの屋敷に部屋があるからな」と、世話を焼いてくれる気満々だったらしい。
まさか10年後の自分も、自分のために用意されたのがあんなに立派な部屋だとは、白目を剥いただろうな…と、みちるは我が事ながら同情した。

「さっきは、みちるがオフだっていうから一緒に出かける話をしてたんだ」

みちるが、忘れ物を取りに行くと言い部屋に戻ったと思ったら、待てど暮らせど出てこないので迎えに行ったら、「おまえがいたんだ。驚いたぜ」と、ディーノは言った。

「……どこに行っちゃったんでしょう。10年後のわたし…」
「まぁ、おまえの時代のツナや獄寺も10年バズーカに当たって戻ってこないんだろ?案外、一緒にいるかもしれないな」

ディーノの言葉がどこまでも気遣わし気で、みちるは申し訳なく、ひとつ溜め息をついた。
言葉を交わさずとも、ディーノは必ずや自分を守ってくれるだろう。彼の周りのファミリーの面々も。
自分の非力は承知済みだ。甘えてばかりなのは申し訳ないが、今はここにいる以外何もできない。

「……この時代のボンゴレファミリーは、今、どうしているんですか?」
「…ああ、そのことだけどな……」

ディーノの表情に一瞬、陰が差した。
空気が一瞬にして張り詰める。いつの間にか、広間にはみちるとディーノの二人きりになっていた。
呼吸の音さえ聞こえてしまいそうだ。みちるは気圧され、こくりと生唾を飲み込んだ。

「………今更聞くまでもないかもしれないが、聞いておく。みちる。何を知っても、前を向けるか?」

ディーノの蜂蜜色の瞳が、まっすぐみちるの両目を見据えた。
――ディーノさんは、わかっているんだ。わたしが、知りたくないと言うはずがないことを。
みちるはそう確信し、ディーノを見つめ返した。
知ることは、彼の口からそれを聞くことは難しいことではない。だが、その後どうするかは、みちる次第だ。
それをわかっているからこそ、ディーノは「前を向けるか」と、みちるに確認したのだ。

「……はい」
「……よし。まず、獄寺と山本は日本のアジトにいる。了平はイタリア、ヴァリアーのところだ」

ヴァリアーの本拠地へと出張していた笹川了平のもとへ、ある情報筋を通じ、日本のアジトについて連絡が入ったとディーノは言った。

「……というのが今朝まで俺が把握していた状況なんだが、ついさっき、新たな連絡がきた」
「え……」

「中学生のツナと獄寺、山本、京子とハル、それに、おまえのよく知ってるガキのランボとイーピン…そしてリボーン……全員無事に、日本のボンゴレアジトにいるそうだ」

ディーノの言葉に、喜びが滲んでいる。
ほころんだ笑顔は、みちるのよく知る、10年前から変わらない、人懐こいディーノのものだった。

「ほ…ほんとうに……!?」
「……正直、信じ難い話ではあるが……」

ディーノのまぶたと唇が、僅かに震えている。
安堵と疑念がない交ぜになって、だが年長者として毅然と振る舞おうとしているのが、みちるにもわかった。

「10年前のみちるがこうして目の前にいるんだ……きっと、本当だろう……」

ディーノが安心しきったように力なく、みちるに笑いかけた。
みちるはバクバクと速度を増す心臓を落ち着かせようと、大きく呼吸を繰り返すうち、目の奥を熱くなって顔を伏せた。

「みんな…こっちにいた……」

よかった。
あれだけ探し回って、姿が見えないことでグラグラになった足元が、今やっと見えた気がした。

ディーノの安堵は何よりも、死亡したと聞いていたリボーンと沢田綱吉が、10年前の姿だとしても同じ時代に存在することにあった。
日本のボンゴレアジトと直接連絡を取り合うことは、現状危険過ぎると判断し、詳細な状況はほとんど掴めていない。そんな中での朗報であった。
しかし、10年前と今とでは、戦いの方法も、立ち向かう敵もあまりにも変化しすぎている。
ボンゴレファミリーを取り巻く状況はあまりにも劣勢だ。

「……みちる。ボンゴレに関する情報を、俺たちも全て掴めてはいない。今は、連絡すら危険なんだ」

ぼろぼろと落ちる涙を袖で拭いながら、みちるが顔を上げた。
ディーノが何か、重要なことを告げようとしている。みちるは小さく頷いた。
何か、ボンゴレを取り巻く“計画”が存在することを――みちるは、正一の言動から知ることとなった。
彼はボンゴレファミリーではないし、一体どうして。何もわからなかった。話ができなかったから。

「……ディーノさんが知っていること……わたしが、知っておくべきこと、教えてください」

ディーノが目をまるくして、ほんの少し笑った。

「今も昔も、みちるって度胸あるよなぁ」
「…いえ、怖いことばっかりです。でも、知らなきゃ勝手なこと言って迷惑かけちゃう」
「男には、大切な女の子には言いたくないこともあるんだぜ?余計な心配させたくないしな」
「……そうなんですか…?」
「そうだよ。……でも、俺はみちるには、ちゃんと言っとくべきだと思うから、話すぜ」

――でないと、マジで危険なんだ。
そんな前置きをして、ディーノは言いにくそうに、だが明朗な声音で告げた。


「今、ボンゴレファミリーとその幅広い関係者は、イタリアの巨大マフィア、ミルフィオーレファミリーによる攻撃を受け、壊滅的な状態だ」

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