スクアーロの刀が、今まさに、獄寺に振り下ろされようとしていた。
みちるは腕に抱えていたランボを足元に下ろすと、走り寄り、叫んだ。

「獄寺くん!」
「! 千崎、来るんじゃねぇ!」

スクアーロが、ぴたりと腕の動きを、一瞬止めた。
「千崎?」じろりと、彼の鋭い眼光がみちるに向けられる。
みちるは、反射的に身体を強張らせた。足が、進まない。

スクアーロが一歩、みちるのほうへ踏み出そうとした、そのとき。
バジルがその行く先を塞ぐように、スクアーロの前へ出た。

「この馬鹿」

どこからか現れたリボーンが、みちるの頭をバシンと引っ叩いた。

「いっ…」
「無理すんなっつってるだろうが。早くアホ牛を連れて逃げろ」

今の一発で、足の緊張はいくらか解けたようだ。
みちるは「う、うん」と弱々しく答えると、よちよちと歩いていたランボを拾い上げ、ハルたちのほうへ走った。


(しかし、奴の…さっきの反応は…)

獄寺がみちるのことを「千崎」と呼んだ瞬間、スクアーロの目の色が変わった。

(確かに、ある意味ヴァリアーと関係が深いところはあるが…まさか奴ら、みちるに…)

もし、そうだったとしたら。「みちるは今、あっちの世界に引っ張られてんだ…タイミング悪いな…」

リボーンの独り言は、逃げ惑う街の人々の雑踏の中に消えた。



みちるは、京子とハル、フゥ太にランボにイーピン、それに獄寺と山本が家に帰っていく後姿を見送りつつ、自分も自宅の方向へ歩いていった。
のだが、そのうちいてもたってもいられなくなり、ぐるりと勢いよく方向転換をした。

辿り着いた先は、中山外科医院。
みちるは、閉院と書かれた張り紙に一瞬躊躇したが、そういえば廃業になってるんだっけ、と思い直し、扉を押した。

真っ白い引き戸の向こうから、ディーノとリボーンと、ツナの声が聞こえる。
だが、話の内容までは聞こえなかった。
もどかしい。未来の情報が何かわかるかもしれないのに!
みちるは好奇心に負け、ぴったりと耳を引き戸にくっつけた。誰かに見られたら相当恥ずかしい。
息を殺せ。誰かが出てくる気配を感じたら、すぐに外にダッシュ。
みちるが逃走プランを企てていると、勢いよく引き戸が開かれた。

「…お、おい、なにしてんだみちる」
「な、俺の言った通りだろ?」
「えええ!千崎さん!?」

引き戸に体重をかけていたみちるは、一気に扉が開かれたことで、倒れないように対応することができなかった。
べたん!とみっともない音を立て、みちるは病室の床に倒れた。
病室の中から、扉を開いたディーノ・リボーン・ツナ・ロマーリオの四人が、みちるを見下ろしていた。

「ディ…ノさん…お、お久しぶり…です」
「お、おぉ。とりあえずほら、立て。女の子がみっともねぇから」

さすがイタリアーノと言うべきか。
ディーノはしなやかな手つきでみちるを抱き起こすと、彼女の肩についた埃をはらってやった。
みちるはいつもの調子で頬を赤く染めるが、ディーノはそれに気付かない。みちるにとっては幸いだ。

「千崎さん、どうしたの…?」
「沢田くん…あの、話、聞きたくて…」
「ええ!?なんで!?」
「ほらみろツナ。みちるのほうがよっぽど度胸があるぞ」

ツナはぐっと言葉を喉に詰まらせた。
みちるはいつもおどおどしているし、争いごとだって嫌いなはずなのに。
…みちるを取り巻く特異な運命が、彼女を奮い立たせているのだ、と。ツナは、心のどこかで悟った。

「…で!リボーン、そのリングって何なの?」

ツナが、みちるに背中を押されたように、自分から質問をリボーンにぶつけた。
リボーンはにやりと笑って説明を再開した。

みちるは、ボンゴレリングという響きに、脳髄を刺激されていた。
もう少し、もう少しで全部思い出せる…

「みちる嬢?頭痛いのか?」ロマーリオが、目を閉じて俯いたみちるを気遣い声をかけた。

「…あ、ロマーリオさん、この話、わたしが聞いててもいいんですか?」
「あー…まぁ、駄目なら今頃リボーンさんが追い出してるんじゃねぇか?」
「……それもそうですね」

みちるが頭を上げると、ツナが悲鳴を上げていた。
ディーノが「お前がボンゴレの…」と言いかけたところから察するに、「10代目だから」と続けたかったのだろう。
ツナはそれを全力で否定すると、補習の勉強があるとか言いながら、走って病室を出て行った。

残されたみちるは呆然としながら、元通り閉じられた白い引き戸を見つめた。

「ったくダメツナの奴…みちるを家まで送っていけって言おうとしたのに、さっさと帰りやがって」

リボーンが舌打ちと共にささやいた。
みちるは「え?」と言いながら、自分の膝丈にも満たない小さなヒットマンを見つめた。

「みちる。お前、しばらく周りには用心しろよ」
「え?どうして?」
「ストーカーしてくる奴がいるかもしれねぇからな」
「えぇ…?大丈夫だよ」
「いや、大丈夫じゃねぇぞ。大人しく言うこと聞け」

――大体わたしがそんなんなら、京子ちゃんやハルちゃんはもっと危ないんじゃ…
みちるがぶつぶつ異論を唱えていると、ディーノが「じゃあ、今日は俺がみちるを送ってやるよ」と言い出した。

「ええ!?い、いいですよ!」
「そうだな。ディーノ、出来る限りみちるについてやっててくれ。とりあえずは登下校のときだけでいい」
「リボーンくんまで…!わたしはだいじょうぶ、」

「黙れ」

ぴしゃりとその一言を突きつけられ、みちるは何も言えなくなる。
ディーノとロマーリオも、抑揚のない冷たいリボーンの言葉に、一瞬身体を強張らせた。

「お前の身を守るためだ、みちる」
「…は、い」
「よし。もう帰っていいぞ」

リボーンはなかなか表情が読めない男だが、怒気のない声色に、みちるはほっと胸を撫で下ろした。
ディーノはアイドル級の笑顔をみちるに向けると、「よし、帰るぞお前ら!」と元気よく言った。
みちるは、眩しいディーノの笑顔に些か安心し、にこりと笑顔で応えた。



「みちる、聞いたぜ。昨日、記憶が突然なくなったんだってな」
「…それだけじゃないんです。時々、未来が、見えなくなるんです」
「…え、ほんとか?」
「でも、不意に思い出すこともあって…」
「……今は、どっちだ?」
「さっきまでわからなかったんですけど…」

そう。思い出した。
みちるは言った。「ボンゴレリングはハーフボンゴレリング二つで完成品になる。そして、これから、戦いが始まります」

「それ…言っていいのか?」
「リボーンくんにはきっと止められる… だから、聞いてほしいんです、ディーノさんには」

これから、戦いが始まる。
真のボンゴレ10代目を、その守護者を、決する戦いが。
その相手がヴァリアーであること。その勝敗。
けど、それよりも何よりも、九代目のこと…

「…わかった。聞こう」
「はい。まずファミリーのことと、相手のことなんですけど…う、」

ズキン。みちるの脳に激痛が走った。
なんとなくわかる。この痛みは、“警告”だ。

これ以上言おうものなら、きっと、わたしはまた自己を保てなくなる…

「い、たッ…痛た…」
「みちる!?どうしたんだ!?」
「あ、明日っ…から、みんなは、リングを…た、ぁあっ…」
「みちる!もういい、しゃべるな!」

ディーノが、道にへたりこんだみちるの肩を抱いた。

口を閉じても意味はなかった。
…話す意思は、もう、ない。ないですよ。
そう思いながら、みちるはゆっくりと深呼吸を繰り返す。
ディーノはハンカチを取り出すと、汗で濡れたみちるの前髪を優しい手つきで拭ってやった。

やがて、痛みは止んだ。

「はぁっ…はぁ…は…」
「みちる、…もういいよ」
「けど、…わたしは、伝えたくて…」
「苦しいなら、しなくていい」
「でも!そうしないと、みんながもっと、傷ついちゃう…!!」

ディーノが、みちるを腕の中に閉じ込めた。
みちるの涙が、ディーノの服に染み込む。


「お前の信じる“みんな”は、そんなに柔じゃないだろう?」


「だから、みちるは信じてやるだけでいいんだ」ディーノの優しいささやきに、みちるの涙は勢いを増した。


(どうして、止めるの…?)

みちるが、真実を話そうとした瞬間、また、“押し込まれた”。
痛みによって、“何者か”に、制止させられた。


(“みちるさん”、…なんでしょう?)


――タイムリミットは、きっと、すぐそこ。

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