「聞いてると思ったぜ」

みちるが保健室を去った後、シャマルはベッド脇の窓に歩み寄った。
窓のすぐ外に、壁にもたれかかる獄寺がいた。

「うるせぇ」
「女の子がお前に会いに来たってのに逃げるたぁ、とんだ腰抜けだな」
「千崎は俺に会いに来たわけじゃねーだろ」

窓をひらりと乗り越えて、獄寺は室内に戻ってきた。
シャマルのにやけ顔を殴り飛ばす寸前の拳を抑えながら、獄寺は早足で事務机に向かった。

「あぁもう、うぜぇ!勝たねーと勝負に行かせねーんだろ?修行すっぞ!修行!!」

新技のアイディアは出たのかよ、と内心で突っ込みながら、シャマルも椅子に腰掛けた。


獄寺はみちるに会うつもりはなかった。
会いたくなかったから、今朝は保健室に直行した。授業は全部サボり。
彼女の顔を見たら、甘えや雑念や弱音が顔を出すと思った。
勝負を今夜に控え、新技もできていない手前、みちるの励ましなど受け取る資格はないと思っていた。

しかし彼女は、叱咤でも応援でもなく、ただ「無事でいてほしい」それだけを言った。
シャマルの進言もあった。獄寺には聞こえていた。つまり、みちるのあの言葉は本心だ。

俄然、やる気と使命感が、芽生えた。



* * *



…結局、会えなかったな。

一人きりで自宅の玄関の扉を開けながら、みちるは内心で呟いた。
膝の手当てのガーゼが、歩くたびに僅かに擦れて痛い。
みちるは救急箱を片手に、リビングの床に座り込んだ。

今頃、みんなはどうしているだろう。
獄寺くんの特訓は、どんな出来栄えだろうか。
霧の守護者の正体は?

静かなリビングに浮かんで消える、一人きりの問答。

そうだ、わたしはこんなに簡単に一人きりになれる。
いつでも仲間がいてくれるなんて、きっと大きな間違いなのだ。
会いたいときに会えるみんながいる今のわたしは、なんて、大きな幸せを抱いているんだろう。

膝の擦り傷をじっと見つめながら、みちるは思わず目を細めた。
この世界がわたしに刻んだ傷跡。
手当てしてくれる人がいて、それを心配してくれる人がいる。
もう、痛くない。この傷は、人のあたたかさに変わってしまったから。

一方で、鈍く熱をもつ右手の包帯の下の傷に、みちるは唇をかみ締めた。
こんなもの。なくなってしまえばいいのに。
でも、と思う。この傷がなくなるとき、わたしはこの世界にはいないのだろう。
この事故の後遺症は、みちるが元いた世界があった証。
本当は気付いている。この傷は、ゆっくりゆっくりと、快方に向かっている。
いいや、ゆっくりなんていうのは間違いだ。
ここ数日の間に、細い切り傷のような跡が、急激に、かなり薄くなっている。

涙が溢れそうになって、みちるはぎゅっと目を固くつぶった。

この腕の痛みがこの世界にわたしを引き止める代償だというなら、一生背負ったっていい。
14歳の子どもの戯言かもしれない。
それでも、子どものわたしの世界は、沢田くんであり、獄寺くんであり山本くんであり、ボンゴレファミリーであって、それ以外はいらないのだ。


静かに消えていく傷跡が、自分の姿に見えて仕方がなかった。

さよならを言う準備は、できていないよ。
きっとこれからもずっと、そんなの、無理だよ――



* * *



23時、並中に集合したヴァリアーとボンゴレファミリーの面々の中で、みちるは緊張で固まっていた。
ハリケーンタービンに時限爆弾。
おおよそ日本の普通の中学生が接するには程遠い兵器を間近に見て、卒倒しそうな心地だった。

なんかわたし、こういうのへの耐性が減ってきてる気がする――
みちるのそんな胸中を察してか、ツナが「千崎さん、大丈夫?」と心配そうな表情でみちるに声をかけた。

「えっ、あ、…う、うん。ありがとう…」
「獄寺くんが心配なのは俺も一緒だけど…信じるしかないよ、ね」
「あ……」

そっか。
獄寺くん絡みだから、こんなにも怖いんだ。

隣りのツナの表情も、獄寺への心配と勝負への不安で強張っている。
周りの仲間たちもそうだった。表情の読めないリボーンと、師匠のシャマルを除いては。



「勝負開始!!」

獄寺の背中をじっと見つめながら、みちるは祈るような思いで両手を握り合わせた。

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