山本くんが、病院から戻ってきた。
あたしがおかえりなさい、と声をかけると、彼は口許だけで笑った。




10年後の沢田くんからのお達しは、あたしはなるべく山本くんの傍にいるように、とのことだった。

山本くんは、その入院先の人を、仕事で…殺しかけた、らしい。
この時代の雲雀先輩や、六道さん…という人などは、それほどそういうこと…すなわち人を傷つけることに、執着自体がないようだ。

だって、仕事だから。
だって、敵だから。

でも、山本くんは違った。
もし傷つけるとしても、それは“止むを得ず”であり、瀕死に追い込むような傷は決して負わせなかったらしい。
この時代の獄寺くんや笹川先輩、そしてもちろん沢田くんも山本くん寄りらしいけれど、それでも山本くんは相手を生かすことを徹底していたらしい。

だから今回、山本くんが標的を瀕死に追い込んだことは、山本くんにとって大きなショックなのだろう。
この世界では甘いことなのかもしれない。
それでも、あたしは、野球のバットを刀に持ち替えただけの山本くんが好きなのだと思う。
きっと、この時代のあたしも、そう思っていたと思う。
山本くんが、未だ目を覚まさないというかつての標的のお見舞いを続けていることは、あたしを安心させてくれた。
彼は、人殺しじゃないのだ。


この時代の沢田くんがあたしに、どうして山本くんの傍にいるよう依頼したのか。彼は詳しくは教えてくれなかった。
その席には、この時代の雲雀先輩や獄寺くんがいた。…信じられないくらい、大きくかっこよくなっていた。
沢田くんが、みなさんにあたしの紹介をして、事情を説明して、
「千崎さんには、山本の傍にいてもらうのがいいと思うんだ」と言ったところで、雲雀先輩が席を立った。
それを皮切りに六道さんも動いた。それを見かねた獄寺くんが騒ぎ出す前に、沢田くんが解散の号令をかけた。

雲雀先輩、…何か、思うところがあったのかな。
そう思ったけれど、廊下に出てみても雲雀先輩の姿はもうなかった。もう、聞く術はない、か。


山本くん…この時代の山本くんは、しばらく仕事は休みらしい。
この時代の沢田くんの判断だ。傍目にはわからないが、やはり獄寺くんや沢田くんから見ればわかるらしい… 彼は、疲れているのだ。
もう少し正確に言えば、精神的に、だ。毎日同じ時間に病院にお見舞いに行き、罪の意識から逃れられない毎日とはどんなものなのだろうか。
あんなに眩しかった彼の笑顔を、10年後に来てからは一度も見ていない。

寂しい。

ふぅ、とため息をついて顔を上げると、山本くんが見えた。
ずっと前のほう、突き当りを曲がって見えなくなった。
千崎さんは山本の傍に―― “ボス”の言ったことを思い出し、あたしは慌てて彼の後を追いかけた。

「やっ、山本くんっ」

突き当りを曲がったところで、見失うまいと声を上げると、山本くんはあたしを振り返った。
彼は、広い廊下の一角の、喫煙所らしき場所のソファに座っていた。
その手に煙草はない。きっと、獄寺くんあたりがこの灰皿を利用しているんだろうな、なんてぼんやり考えた。

「…みちる」

みちる。山本くんにそう呼ばれるの、未だに慣れない。
彼はあたしの目を一瞬見た後、視線を自分の足元に落とした。
あたしの知ってる山本くんなら、「隣、座ったらどうだ?」くらいは言ってくれるんだけど、目の前の彼は何も言ってくれなかった。

お昼に会ったときは、もう少し、もう少しだけは…元気だったと思う。
それは、“あたし”が突然来て、おどろいたからだろうか。
彼にとってあたしは、10年前の千崎みちるなのだから。

「山本…くん、」
「…ん?」

あたしは彼から少し離れたところに立ったまま、話しかけた。
山本くんはあたしを見た。虚ろな瞳。あたしの目を見てくれているけれど、あたしを見てはいない、そんな感じがした。

「お、お仕事…、休みなんでしょう?」

…話しかけたのはいいが、何も言うことが思いつかなかった。
お仕事。失言だったかもしれない、と思ったあたしはそれ以上言葉を続けられなかった。

「…みちる、」
「っは、はい?」

あたしの不安は的中していた、


「ひとりにしてくれないか」


心臓が、大きく跳ねた。
山本くんに、そんなことを言われたことは今まで一度もなかった。
誰かと一緒にいるとき、彼は周囲に自然に気を遣うことができた。器用で、優しいのだ。
きっと目の前の彼は…、本当に余裕がないんだと思った。

「すみません…、」きゅうっと狭くなった喉の奥から、あたしは声を絞り出した。
ひとりにして、いいのか。だって彼は今すごくつらくて、誰かの助けが、必要なんじゃないのか。
だから、沢田くんはあたしを傍に置かせたんじゃないのか。

「…あ、の、でも」
「……聞こえなかった?」
「…す、みませ…」

…彼は“大人”だ。
あたしと同い年の山本くんは、今、10年前にいるのだ。
あたしのような“子ども”の言う励ましの言葉なんて、ただの綺麗事なのかもしれない。
あたしの紡ぐ言葉なんて、きっと彼にとってなんの役にも立ちはしない。
あたしの考えが及ぶ範囲に、彼の心は、きっとない。

子どもの戯言なんて、大人には通用しない。
きっと、あたしの言うことくらい、彼は全てわかっている。

あたしは、彼の前を去った。
他にいちばんいい方法があるだろうか。


子どものあたしには、わからなかった。

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