リリーサー・ドリップ 1/3 


(こちらの話はmai様より頂いた『色無君×料理好きクラスメイト』の色無雫視点です。作者:依)


 何てことない日の昼休み。黒板の横に掲示された時間割に目を向け、午後に古典や英語、数学が入ってないことを改めて確認する。指名に備えて焦って質問に来る奴も今日はいないだろうしゆっくりできるかな、なんて頭の片隅で考えながら、椅子を百八十度回転させて真後ろの席の男子生徒と向かい合う。


「葵くん、お昼にしよう?」
「ん、今机の上片すから待って」


 葵くん、と僕が呼ぶ彼は“いい子の色無雫”にとって、とても都合のいい人物だ。素行はいたって普通。ずば抜けているわけではないがどの教科の成績も悪くはない。英語はほかと比べて苦手みたいだけど。どこかの緑くんみたいにお堅い性格を持つわけでもなく、朗らかで癖がない。……まぁ誰にでもほどよく好かれるタイプってやつだよねぇ。
 入学後すぐに行われた席替えで席が前後になってからというものの、穏やかな学級委員長が付き合っていく人物としてぴったりな人柄をもつ彼には目をつけていた。今ではよく移動教室やお昼を一緒にしている。
 あっは! 狙い撃ちーってね。うーん、語末に星でも付けたら良かっただろうか。狙い撃ちー☆ ……そこまで良くもなかった。
 まァ、純粋に居心地が悪くないってのもあるんだけどねぇ。いいとも言わないけどぉ。僕からいろが抜け落ちたらきっと彼とは付き合わない。用済みだしぃ。このクラスの全員が期間限定のオトモダチだと思う。
 彩り、味付け、栄養、すべてがバランス良く作られた自身の弁当を口に運ぶ。ハウスメイドの一人によって作られたそれはいつだって隙がない。世間一般では弁当というものは親が作るらしいが、父さんがキッチンに立っているところなんて想像できないし、母さんが包丁を握るなんてゾッとしてしまう。あの人たちは足を組むなりして椅子に深々と腰かけていればいいのだ。


「葵くんのお弁当っていつも美味しそうだよね」


 塩分が控えめなおかずを口に運び咀嚼して飲み込む。作業的に箸を往復させているなかで、ふと目に入った目の前の彼の弁当に素直に感想を漏らした。


「そうか? 大したもん作ってねーけど」


 葵くんは不意を突かれたように目をぱちりと瞬かせ、自身の弁当箱に視線を落とした後で僕の弁当箱を覗き込んだ。確かに品目で言ったらいくつもの小さなカップでほんの少しずつ料理が分けられた僕のほうがずっと多いし、盛り付けだって整然としている。「つまんねぇ弁当だな」と大くんの言葉が脳裏によみがえって今しがた口に運んだものが余計に味気無く感じた。もう、引っ込んでいてよ。
 対して彼の弁当はやや粗があるものの、温かい。うーん……上手く説明できないなァ。卵と一緒に炒められたほうれん草。細切りにされた人参やきゅうり、ハムを春雨に和えた中華風のサラダ。やや大きめな鶏肉はしっかりと煮込まれているのだろう、弁当だというのに乾きは無く皮がつやつやと照っているそれは柔らかそうだ。
 最後に、ヘタ付きのプチトマトが一つちょこんと隙間に収まっているところが毎日目にする彼の弁当で唯一変わらない、何気に僕が気に入っているところだったりする。
 そういえば以前、前の日の夕食の残り物を詰めたりするっていってたような。夕食の残り物をお昼に使うという発想に内心驚いたのは記憶に新しい。大したものを作っていないって言うけど、それだけあれば十分……だと……“作って”いない……? ……入っていないとかじゃなくて?


「……待って、もしかして自分で作ったの?」


 口に運ぼうと箸で挟んでいた白身魚を一旦置き、顔を上げて葵くんと目を合わせる。葵くんは「ああ、うん」と何てことの無いように短い返事を落として、指先で摘まんだプチトマトを口に運んだ。ぷつん、と切り離されたヘタが彼の弁当箱にぽとりと落とされるのを目で追う。可哀想にねぇ、君は栄養にしてもらえないんだよ、なんて。


「……料理は好き?」


 捨てられたヘタから葵くんの手に視線を滑らせて再度質問を投げ掛ける。彼の手はもう少しで深爪になってしまいそうなほど爪が短く、少しかさついてやや白っぽくなっている。節目節目にヒビをつくっていることだってある。いくつか細かい傷はあっても指自体は短くないんだから手入れをすれば十分見違えるのにねぇ、なんて感想は喉の奥深くで留めることにした。


「好きっつーか、必要に迫られて? 嫌いじゃないけど」
「へぇ?」
「ウチ、ビンボーの子沢山で両親も共働きだから、必然的に料理は長子の役目ってワケ。弟たちはまだ小さいから、包丁持たせられねーし」


 それでその手ってわけだ。きっと料理以外にもさまざまな家事をこなしているんだろうしィ……弟くんたちの面倒も見なくちゃいけないとなると勉強との両立は簡単じゃないよねぇ。
 片眉を吊り上げて困ったように笑顔を作った葵くんに、大変だね、なんてありきたりな言葉を返す。


「そうでもねーよ? 料理楽しいし、店で食べるより安く済むし、そこそこ美味いし」


 お店で食べるより安い、か。家族の人数と収入の釣り合いは大切だよねえ……。もっと考えて子ども作ればいいのに。そういった面では親の都合に従うしかない子供はいい迷惑だ。……まァ、彼はそう感じてはいないようだけど。つくづくいい人だと思う。
 でも今はそんなことに思考を割いている場合じゃない。彼が料理好きだと聞いた時から頭の片隅にふわりふわりと泳いでいた疑問が存在するのだ。


「……ねぇ、ケーキは作れたりする?」


 箸を握る手に少し力を込めて、彼の茶色い瞳を覗く。少し拡大した瞳孔には僕が映りこんだ。


「ケーキかぁ。作れないこともないけど。何で?」
「僕、シフォンケーキが好きなんだよね。でも、自分じゃ作れる気がしなくて」


 適当につけた理由に合わせるように苦笑して頬を掻く。正直レシピを見ればできると思う。けど誰かと作るのならまだしも、自分一人で作ったものを食べるってのも何だかつまらないだろ?


「シフォンケーキはメレンゲの泡立て方と、いかに気泡を潰さずに卵黄と混ぜるか、がミソだからなー」


 箸の頭で葵くんは顎をトントンと叩く。シャープペンシルでも何でも、彼は何かを考えているときによくこの行為をする。きっと今はシフォンケーキを作る工程を思い浮かべているに違いない。てことは作ったことがある、とか?


「そこまで言えるなら、作れるの?」


 こてん、と小首を傾げ、瞬きをせずに彼をじっと見つめる。期待で心臓がわずかに高鳴った。……しばらく食べてないしぃ、仕方ないよねえ?


「……作って欲しいの?」


 浮かべた表情に驚きが混ざった葵くんに、「うん」と素直に答えを返す。一番好きなのは紅茶のだけど、やっぱりまずは普通のやつを食べてみたいよねぇ。


「シフォンケーキは前に失敗して、苦手なんだよな」


「シフォンケーキが膨らまなくて、スポンジケーキになったんだよな」、葵くんはその顔から驚きを消し去り、再び顎の先に箸の頭をトン、と一度だけぶつけると苦い表情でそう言った。弟くんたちのために作ったのかなァ、とあと一押しで了承してくれそうな彼に次の言葉を考える。
 苦手ならできるまで何度もやればいいと思うんだけどなァ。失敗しても弟くんたちのおやつにはなるだろうしぃ、成功したら成功したで別で作る際の自信になるのにねぇ……。料理を楽しいと言った彼が時間や手間を惜しんでいるようには思えないけど……彼が頷くのを留まらせているのは何なのだろう。
 そんなことを考えていると、不意に一つの可能性に思い当たった。彼は真面目くさった人間ではないが、ほかの人と比べるとしっかりとしている。……まさかとは思うけど僕が作ってってお願いを放り投げるだけだとでも思っているわけじゃないよねぇ?
「ねえ葵くん」と悩んでいる彼に声を掛ける。すぐに彼は顔を上げて僕と視線を合わせた。


「材料費は出すよ」


 当たり前のことを口にする。それを前提として僕は話を進めていたつもりだったけど、葵くんはわずかに目を見開いた。作れって言うだけのはずないのにねェ……まぁ彼らしいといえば彼らしいけれど。
 ゲームセンターでしょーごくんに「あれで勝負しよ」なんて言えばまず最初に「金」って返されるのに。


「失敗しても知らねーぞ」


 良いよ、と笑顔を作る。今は多分素直に笑えてると思う。楽しみだからねぇ。十回だろうが百回だろうが失敗すればいい。必要なら調理器具だって買うし、レシピ本だって揃える。キッチンを新しくするのは流石さすがに遠慮されそうだからやめておくけど。
 お店でプロのものを食べるわけでもなく、既製品を買うわけでもなく、純粋に誰かの手作りというのは何気に貴重なのだ。作ってくれるというのなら、僕にできることは何でもさせてもらうよぉ?
 あーっと……一部を除いて。「私が作ってあげる!」なんて帝光中学校時代意気込んでたさっちゃんのあれは本当に……何と言うか……。放っておいたら本当に三桁失敗してたものだから流石さすがの僕も驚きを隠せなかったが、「もうちょっと待ってね……」と毎日しょぼくれて僕のもとへ報告にやって来た彼女は結局調理部の力を借りて何とか一度成功させた。
 きちんと美味しくできていたそれには隣で大きな山を形成していた領収書も許せたが、再び作った時には盛大に失敗していたから次からはもう頼まないと思う。


「オッケー、わかった」


 僕同様笑顔を浮かべた葵くん。次の日曜日に作れる、なんて言うものだから余計に期待が膨らむ。きっと一度か二度で成功させるだろう。それが美味しかったら次は紅茶のを頼もうかなぁ。抹茶でもいいかもしれない。コーヒーに苺にココアにバナナにラムレーズンに蜂蜜に……ラズベリーとかもいいよねぇ。
 あっは! 彼には沢山働いてもらわないとだ。ああ、いっそ僕の家で雇ってしまうのもいいかもしれない。まァ、どのみち彼の時間を多く奪うことになるんだから、きちんとお金は払わないとねぇ?




(「どーしたんだ? 難しい顔して」)
(「時給ってどれくらいが適当だろうと思って……」)
(「そういや色無バイトしてるんだっけ?」)



(P.36)



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